1. 生い立ちと背景
1.1. 出生と生育環境
エミル・ジョン・レナードは1909年3月25日にイリノイ州オーバーンで生まれた。彼は右投げ右打ちで、身長は1.8 m (6 ft)、体重は79 kg (175 lb)であった。1983年4月17日に74歳で死去した。
2. 選手としてのキャリア
2.1. 通算記録と功績
レナードは20シーズンにわたるキャリアで、通算191勝181敗、1,170奪三振、防御率3.25を記録し、3218と3分の1イニングを投げた。彼は6度オールスターに選出されるなど、長きにわたり安定した成績を収めた。
2.2. 特筆すべきシーズンと試合
1939年7月4日、レナードはヤンキー・スタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキースとのダブルヘッダーの第1試合で完投勝利を収めた。この試合と第2試合の間に行われたセレモニーでは、当時ALSと診断されたばかりのルー・ゲーリッグが、後に「地球上で最も幸運な男」として知られる有名な演説を行った。
1945年シーズン、レナードはワシントン・セネタースの一員として、ミッキー・ヘフナー、ジョニー・ニゲリング、ロジャー・ウルフと共に、野球史上唯一とされる4人のナックルボール投手の先発ローテーションの一角を担った。この年、レナードは17勝7敗(勝率.708でアメリカンリーグ3位)、防御率2.13(アメリカンリーグ4位)という素晴らしい成績を収めた。この防御率は、彼がリーグの防御率トップ10に入った7シーズンのうちの1つである。セネタースはこの年、アメリカンリーグのペナントレースを争ったが、デトロイト・タイガースに1.5ゲーム差で及ばず、優勝を逃した。
2.3. 投球スタイル
レナードは主にナックルボールを武器とする投手として知られていた。彼のナックルボールは非常に効果的で、対戦した打者たちを苦しめた。ジャッキー・ロビンソンはレナードと対戦した後、「毎日ダッチ・レナードと対戦しなくて済むことだけは嬉しい。なんてナックルボールを投げる男だ。ボールが浮き上がってきて、顔をしかめて、そして逃げていくんだから」と語ったと伝えられている。
2.4. 引退後の活動
選手としてのキャリアを終えた後、レナードは1954年から1956年までシカゴ・カブスの投手コーチを務め、引き続き野球界に貢献した。
3. 私生活
レナードは1983年4月17日、74歳でイリノイ州スプリングフィールドにてうっ血性心不全のため死去した。
4. 影響と評価
エミル・"ダッチ"・レナードは、その独特なナックルボールと長きにわたるキャリアによって、野球界に記憶される選手である。特にジャッキー・ロビンソンが彼のナックルボールについて語った逸話は、その投球の難しさと特異性をよく表している。2013年に公開されたロビンソンの伝記映画『42』では、元MLB投手のC.J.ニットコウスキーがレナード役を演じ、ロビンソンと対戦するシーンが描かれた。これにより、彼の存在は野球ファンだけでなく、より広い層にも知られることとなった。
5. 関連項目
- ナックルボール
- ナックルボーラーの一覧