1. 概要
ナンニ・モレッティは、イタリアを代表する映画監督、脚本家、そして俳優であり、その作品は国際的に高い評価を受けている。彼は自身の監督作品の多くで主演も務め、独特のユーモアと社会批評的な視点をもって現代イタリア社会を描き出している。特に、カンヌ国際映画祭では2001年に『息子の部屋』で最高賞であるパルム・ドールを受賞したほか、1994年には『親愛なる日記』で監督賞を獲得している。また、ベルリン国際映画祭では1986年に『ジュリオの当惑』で銀熊賞(審査員特別賞)を、ヴェネツィア国際映画祭では1981年に『監督ミケーレの黄金の夢』で銀獅子賞を受賞し、世界三大映画祭全てで主要な賞を獲得した数少ない監督の一人である。さらに、イタリア国内の主要な映画賞であるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞でも、『親愛なる日記』(1994年)、『息子の部屋』(2001年)、『夫婦の危機』(2006年)、そして『Il sol dell'avvenire』(2024年)で最優秀作品賞を4度受賞している。彼の監督作品は『親愛なる日記』以降、全てカンヌ国際映画祭で上映されており、2012年には同映画祭のコンペティション部門審査委員長を務めるなど、カンヌとの縁も深い。
2. 生涯と背景
ナンニ・モレッティの生涯は、彼の芸術的探求と社会への深い関心に密接に結びついている。
2.1. 出生と家族
ナンニ・モレッティは、1953年8月19日にイタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州ブルーニコで生まれた。彼の両親はともにローマ出身の教師であった。父親のルイージ・モレッティは著名な碑文学者であり、ローマ・ラ・サピエンツァ大学でギリシア語を教えていた。ルイージは息子の映画に6度出演するなど、ナンニの作品に深く関わった。また、彼の兄であるフランコ・モレッティは著名な文学研究者である。ナンニは幼少期からローマに居住しており、現在もローマを拠点に活動している。
2.2. 初期からの関心と教育
幼少期からモレッティは二つの情熱を抱いていた。一つは映画であり、もう一つは水球であった。学生時代には水球のイタリア選手権Bリーグでプレーするほどの腕前を持ち、この経験は後に彼の監督作品『赤いシュート』の着想源となった。学業を終えた後、彼は映画製作の道に進み、プロデューサーとしてのキャリアを追求し始めた。
3. キャリアの始まり
モレッティの映画界への参入は、短編映画の制作から始まり、やがて長編映画の監督へと移行していった。
3.1. 短編映画制作
映画監督としてのキャリアは、1973年に20歳で初めて短編映画を制作したことから始まった。初期の作品には『Pâté de bourgeoisパテ・ド・ブルジョワフランス語』や『La sconfitta敗北イタリア語』(The Defeat)などがある。これらの短編映画を通じて、彼は自身のユニークなスタイルと視点を確立していった。
3.2. 長編映画デビュー
1976年、ナンニ・モレッティは初の長編映画『Io sono un autarchico』(I Am Self-Sufficient)を監督し、長編映画監督としてデビューした。続く1978年には、自身が脚本、監督、主演を務めた映画『青春のくずや~おはらい』(Ecce Bombo)を発表。この作品は、周囲との関係に問題を抱える学生の物語を描き、カンヌ国際映画祭で上映された。
4. 監督としての活動
ナンニ・モレッティは、自己言及的な要素や社会批評を織り交ぜた独特の作風で知られる。

4.1. 主要な長編映画
モレッティの監督作品は、そのテーマ性、独自の手法、そして社会批評的な側面において高く評価されている。
- 『監督ミケーレの黄金の夢』(Sogni d'oroイタリア語、1981年)は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。
- 『ジュリオの当惑』(La messa è finitaイタリア語、1985年)は、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員特別賞)を受賞した。
- 『親愛なる日記』(Caro diarioイタリア語、1993年)は、彼がカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀作品賞、ヨーロッパ映画賞のFIPRESCI賞、そしてカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベスト映画に選ばれるなど、国際的な評価を確立した。この作品は1998年の『ナンニ・モレッティのエイプリル』(Aprileイタリア語)へと続く。
- 『息子の部屋』(La stanza del figlioイタリア語、2001年)は、カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールとFIPRESCI賞を受賞し、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀作品賞も獲得した。
- 『夫婦の危機』(Il caimanoイタリア語、2006年)は、シルヴィオ・ベルルスコーニの政治的論争を部分的に扱っており、モレッティ自身がベルルスコーニを演じる場面もある。この作品はダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀プロデューサー賞を受賞した。
- 『ローマ法王の休日』(Habemus Papamラテン語、2011年)は、2011年のカンヌ国際映画祭でコンペティション部門に出品された。
- 『母よ、』(Mia Madreイタリア語、2015年)は、2015年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを競い、エキュメニカル審査員賞を受賞した。
- その他の長編映画には、『Tre piani三つのフロアイタリア語』(Three Floors、2021年)や『Il sol dell'avvenire未来の太陽イタリア語』(A Brighter Tomorrow、2023年)があり、『Il sol dell'avvenire』は2024年のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で最優秀作品賞を受賞している。
モレッティは、自身の作品で特定の俳優を複数回起用する傾向がある。彼の父親であるルイージ・モレッティは6作品に出演している。また、ダリオ・カンタレッリとマウロ・ファブレッティはそれぞれ5作品に、アントニオ・ペトロチェッリは4作品に出演している。さらに著名なイタリア人俳優では、シルヴィオ・オルランドが5作品(『夫婦の危機』の主人公役を含む)に、ラウラ・モランテが『監督ミケーレの黄金の夢』、『僕のビアンカ』、『息子の部屋』に出演している。
4.2. 映画のテーマとスタイル
ナンニ・モレッティの監督作品は、彼の独特なユーモアと批評精神によって特徴づけられる。彼はしばしば自身が主演を務め、自己言及的な要素を作品に盛り込むことで、個人的な視点から社会や政治の問題を深く掘り下げている。彼の映画は、皮肉なユーモアと風変わりな描写が特徴であり、イタリア国内外で高く評価されている。政治や社会問題、そして個人の内面世界といったテーマが共通して描かれ、観客に深い考察を促す。
4.3. 短編映画とドキュメンタリー
長編映画の他に、モレッティは数多くの短編映画やドキュメンタリー映画も制作している。
短編映画には、『L'unico paese al mondo世界で唯一の国イタリア語』(The Only Country In The World、1994年)、『Opening Day of Close-Up』(Il Giorno della prima di Close Upイタリア語、1996年)、『The Last Customer最後の顧客英語』(2002年。シカゴ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー短編映画ゴールデンプレート受賞)、『Il grido d'angoscia dell'uccello predatore捕食鳥の苦悶の叫びイタリア語』(2003年)、『L'ultimo campionato最後の選手権イタリア語』(2007年)、『Diary Of A Moviegoer映画観客の記録英語』(2007年。オムニバス映画『それぞれのシネマ』の一編)、『Film Quizフィルム・クイズ英語』(2008年)、『Scava dolcemente l'addome優しく腹部を掘るイタリア語』(2013年)、『Autobiografia dell'uomo mascherato仮面をつけた男の自伝イタリア語』(2013年)、『Ischi allegri e clavicole sorridenti陽気な臀部と微笑む鎖骨イタリア語』(2017年)、『Piazza Mazziniマッツィーニ広場イタリア語』(2017年)などがある。
ドキュメンタリー作品には、『Come parli frate?兄弟、どう話すんだ?イタリア語』(1974年)、『La cosaそのことイタリア語』(The Thing、1990年)、そして『サンティアゴ、イタリア』(Santiago、2018年。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞最優秀ドキュメンタリー賞、ナストロ・ダルジェント賞リボン・オブ・ザ・イヤー受賞)などがある。
5. 俳優としての活動
ナンニ・モレッティは、自身が監督した作品の多くで主演を務めるだけでなく、他の監督の作品にも俳優として出演している。
5.1. 主要な出演作
彼の俳優としての主な出演作品には以下のものがある。
- 『父 パードレ・パドローネ』(Padre padroneイタリア語、1977年): パオロ・タヴィアーニとヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟が監督し、パルム・ドールを受賞した作品。モレッティは脇役で出演。
- 『Riso in bianco: Nanni Moretti atleta di se stesso白米:ナンニ・モレッティ 自身のアスリートイタリア語』(1984年、テレビ映画)
- 『イタリア不思議旅』(Domani accadràイタリア語、1988年): ダニエレ・ルケッティ監督作品。モレッティはプロデューサーも務めた。
- 『The Yes Man』(Il portaborseイタリア語、1991年): ダニエレ・ルケッティ監督作品。モレッティは本作でダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞最優秀男優賞、ナストロ・ダルジェント賞最優秀プロデューサー賞を受賞。
- 『The Second Time』(La seconda voltaイタリア語、1995年): ミンモ・カロープレスティ監督作品。モレッティは本作でナストロ・ダルジェント賞最優秀プロデューサー賞を受賞。
- 『I Can See It in Your Eyes君の瞳に見える英語』(2004年): ヴァリア・サンテッラ監督作品で、モレッティはカメオ出演。
- 『クワイエット・カオス~パパが待つ公園で』(Caos calmoイタリア語、2008年): アントネッロ・グリマルディ監督作品で、モレッティは脚本も担当。
- 『Venanzio Revolt: i miei primi 80 anno di cinemaヴェナンツィオ・レヴォルト:私の映画人生80年英語』(2016年): ナレーションを担当。
- 『The Hummingbird』(2022年)
6. 政治的・社会的活動
ナンニ・モレッティは、その作品だけでなく、公の場での発言や活動を通じて、イタリアの政治や社会問題に対して積極的に関与している。
6.1. 政治的スタンス
モレッティは、公然たる政治的左翼として知られている。彼は特定の政治家や政党に対し、批判的な見解を表明することが多い。2002年には、当時のシルヴィオ・ベルルスコーニ政権に対する大規模な街頭抗議活動を組織し、その政治的影響力を行使した。彼の映画『ナンニ・モレッティのエイプリル』や『夫婦の危機』は、イタリアの政治状況とそれに対するモレッティ自身の見解を直接的に扱っている。特に『夫婦の危機』では、モレッティ自身がベルルスコーニを演じる場面があり、その政治的立場を明確に示している。
6.2. 社会的発言と活動
モレッティは、映画監督という枠を超えて、社会問題に対する発言や抗議活動への参加を厭わない。彼の作品は、しばしば彼自身の政治的・社会的信念を反映しており、観客に問題提起を促す役割を果たしている。このような活動は、彼の芸術的表現と社会的責任の融合を示している。
7. 私生活
ナンニ・モレッティは、映画監督としての活動以外にも、個人的な情熱や信念を持っている。
7.1. 映画館経営
モレッティは、ローマにある小さな映画館「Nuovo Sacherヌオーヴォ・ザッハーイタリア語」(New Sacher)の共同経営者である。この映画館は、彼が愛するザッハトルテにちなんで名付けられた。彼の短編映画『Opening Day of Close-Up』(Il Giorno della prima di Close Upイタリア語、1996年)では、彼が自身の映画館でアッバス・キアロスタミ監督の映画『クローズ・アップ』の公開初日に観客を呼び込もうと奮闘する様子が描かれている。
7.2. 個人的信念
モレッティは、自身が無神論者であることを公言している。彼は「私は信者ではないし、それが残念だ」と述べており、宗教に対する複雑な感情を抱いていることを示唆している。
8. 受賞歴と栄誉
ナンニ・モレッティは、その卓越した功績により、数多くの国際的およびイタリア国内の映画賞を受賞している。

8.1. 主要国際映画祭での受賞
- カンヌ国際映画祭
- 1994年: 『親愛なる日記』で監督賞(Prix de la mise en scène)
- 2001年: 『息子の部屋』でパルム・ドールおよび国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI Prize)
- 2004年: Carrosse d'Or金の馬車賞フランス語
- 2015年: 『母よ、』でエキュメニカル審査員賞
- ヴェネツィア国際映画祭
- 1981年: 『監督ミケーレの黄金の夢』で審査員特別賞(Silver Lion - Special Jury Prize)
- 1989年: 『赤いシュート』で「バストーネ・ビアンコ」映画批評家賞
- ベルリン国際映画祭
- 1986年: 『ジュリオの当惑』で銀熊賞(審査員特別賞)(Silver Bear - Jury Grand Prix)およびJury C.I.C.A.E Award
8.2. イタリア国内での受賞
- ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
- 1986年: アリタリア賞、ローマ市金メダル
- 1991年: 『The Yes Man』で最優秀男優賞
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀作品賞
- 2001年: 『息子の部屋』で最優秀作品賞
- 2006年: 『夫婦の危機』で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀プロデューサー賞
- 2019年: 『サンティアゴ、イタリア』で最優秀ドキュメンタリー賞
- 2024年: 『Il sol dell'avvenire』で最優秀作品賞
- ナストロ・ダルジェント賞
- 1978年: 『青春のくずや~おはらい』で最優秀物語賞
- 1988年: 『イタリア不思議旅』で最優秀プロデューサー賞
- 1990年: 『赤いシュート』で最優秀物語賞
- 1992年: 『The Yes Man』で最優秀プロデューサー賞
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀監督賞
- 1996年: 『The Second Time』で最優秀プロデューサー賞
- 2001年: 『息子の部屋』で最優秀監督賞
- 2007年: 『夫婦の危機』で最優秀プロデューサー賞
- 2011年: 『ローマ法王の休日』で最優秀監督賞、最優秀物語賞、最優秀プロデューサー賞
- 2019年: 『サンティアゴ、イタリア』でリボン・オブ・ザ・イヤー
- チャック・ドーロ賞
- 1986年: 『ジュリオの当惑』で最優秀監督賞、最優秀脚本賞
- 1990年: 『赤いシュート』で最優秀監督賞
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞
- 2001年: 『息子の部屋』で最優秀作品賞、最優秀監督賞
- 2006年: 『夫婦の危機』で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞
- 2011年: 『ローマ法王の休日』で最優秀作品賞、最優秀脚本賞
- 2015年: 『母よ、』で最優秀監督賞
- 2019年: 名誉チャック・ドーロ賞
- UBU賞
- 1977/78年: 『青春のくずや~おはらい』で最優秀イタリア映画賞
- 1984/85年: 『僕のビアンカ』で最優秀男優賞
- グロービ・ドーロ賞
- 1977年: 『Io sono un autarchico』で最優秀デビュー賞
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀作品賞
- 2011年: 『ローマ法王の休日』で最優秀作品賞
8.3. その他の主要な受賞
- カイエ・デュ・シネマ
- 1989年: 『赤いシュート』で最優秀作品賞(『ドゥ・ザ・ライト・シング』と同時受賞)
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀作品賞
- 2011年: 『ローマ法王の休日』で最優秀作品賞
- 2015年: 『母よ、』で最優秀作品賞
- シカゴ国際映画祭
- 2003年: 『The Last Customer最後の顧客英語』で最優秀ドキュメンタリー短編映画ゴールデンプレート
- 2008年: 『クワイエット・カオス~パパが待つ公園で』で最優秀脚本シルバープレート
- サンパウロ国際映画祭
- 1990年: 『赤いシュート』で批評家賞
- サドベリー・シネフェスト
- 1994年: 『親愛なる日記』で最優秀国際映画賞
- サン・ジョルディ賞
- 1995年: 『親愛なる日記』で最優秀外国映画賞
- ドイツアートハウス映画館ギルド
- 2002年: 『息子の部屋』でギルド映画賞 - シルバー
9. 映画作品一覧
ナンニ・モレッティが関わった映画作品を、監督作品と俳優出演作品に分けて一覧で示す。
9.1. 監督作品
9.1.1. 長編映画
- 『Io sono un autarchico』(I Am Self-Sufficient、1976年)
- 『Un autarchico a palazzo宮殿の自給自足者イタリア語』(1977年、テレビ映画)
- 『青春のくずや~おはらい』(Ecce Bomboイタリア語、1978年)
- 『監督ミケーレの黄金の夢』(Sogni d'oroイタリア語、1981年)
- 『僕のビアンカ』(Biancaイタリア語、1984年)
- 『ジュリオの当惑』(La messa è finitaイタリア語、1985年)
- 『赤いシュート』(Palombella Rossaイタリア語、1989年)
- 『親愛なる日記』(Caro diarioイタリア語、1993年)
- 『ナンニ・モレッティのエイプリル』(Aprileイタリア語、1998年)
- 『息子の部屋』(La stanza del figlioイタリア語、2001年)
- 『夫婦の危機』(Il caimanoイタリア語、2006年)
- 『ローマ法王の休日』(Habemus Papamラテン語、2011年)
- 『母よ、』(Mia madreイタリア語、2015年)
- 『Tre piani三つのフロアイタリア語』(Three Floors、2021年)
- 『Il sol dell'avvenire』(A Brighter Tomorrow、2023年)
9.1.2. 短編映画
- 『La sconfitta敗北イタリア語』(1973年)
- 『Pâté de bourgeoisパテ・ド・ブルジョワフランス語』(1973年)
- 『L'unico paese al mondo世界で唯一の国イタリア語』(The Only Country In The World、1994年)
- 『Opening Day of Close-Up』(Il Giorno della prima di Close Upイタリア語、1996年)
- 『The Last Customer最後の顧客英語』(2002年)
- 『Il grido d'angoscia dell'uccello predatore捕食鳥の苦悶の叫びイタリア語』(2003年)
- 『L'ultimo campionato最後の選手権イタリア語』(2007年)
- 『Diary Of A Moviegoer映画観客の記録英語』(2007年、オムニバス映画『それぞれのシネマ』の一編)
- 『Film Quizフィルム・クイズ英語』(2008年)
- 『Scava dolcemente l'addome優しく腹部を掘るイタリア語』(2013年)
- 『Autobiografia dell'uomo mascherato仮面をつけた男の自伝イタリア語』(2013年)
- 『Ischi allegri e clavicole sorridenti陽気な臀部と微笑む鎖骨イタリア語』(2017年)
- 『Piazza Mazziniマッツィーニ広場イタリア語』(2017年)
9.1.3. ドキュメンタリー
- 『Come parli frate?兄弟、どう話すんだ?イタリア語』(1974年)
- 『La cosaそのことイタリア語』(The Thing、1990年)
- 『サンティアゴ、イタリア』(Santiago、2018年)
9.2. 俳優出演作品
- 『父 パードレ・パドローネ』(Padre padroneイタリア語、1977年)
- 『Riso in bianco: Nanni Moretti atleta di se stesso白米:ナンニ・モレッティ 自身のアスリートイタリア語』(1984年、テレビ映画)
- 『イタリア不思議旅』(Domani accadràイタリア語、1988年)
- 『The Yes Man』(Il portaborseイタリア語、1991年)
- 『The Second Time』(La seconda voltaイタリア語、1995年)
- 『I Can See It in Your Eyes君の瞳に見える英語』(2004年)
- 『クワイエット・カオス~パパが待つ公園で』(Caos calmoイタリア語、2008年)
- 『Venanzio Revolt: i miei primi 80 anno di cinemaヴェナンツィオ・レヴォルト:私の映画人生80年英語』(2016年) - ナレーション
- 『The Hummingbird』(2022年)