1. 生涯
ニコロ・ドナの生涯は、彼の出自、学業、そして特異な個人的特性によって特徴づけられる。
1.1. 出生と家族
ニコロ・ドナは1539年1月28日、ベネチアでジョヴァンニ・ドナとイサベッタ・モロシーニの間に生まれた。彼は生涯独身を貫き、結婚することはなかった。最終的に、彼の莫大な財産は兄弟のフランチェスコ・ドナと甥のピエトロ・ドナに遺贈された。
1.2. 教育と初期のキャリア
ドナは若い頃、パドヴァで学業に励んだ。その後、商業活動に身を投じ、その手腕によって莫大な財産を築き上げた。
1.3. 個人的特性
彼は生涯を通じて吝嗇家として知られており、巨額の富を築いたにもかかわらず、その性格は変わらなかった。ドージェ選出後、彼は自身の吝嗇な評判を払拭しようと、伝統的な豪華な祝賀晩餐会を催そうとした。しかし、費用を節約するため、彼の両親が多くの親戚を宴会から追い返したため、その試みは失敗に終わった。
2. 政治的背景と選挙
ドナがドージェに選出された時期は、ベネチア共和国が重大な政治的危機に直面していた時代であった。特に、スペインによるベドマール陰謀が共和国を不安定化させようとしていた。
2.1. ベドマール陰謀
1617年から1618年にかけて、スペインの駐ベネチア大使であったベドマール侯爵アルフォンソ・デ・ラ・クエバは、ベネチア共和国を内部から不安定化させ、最終的にスペイン軍がベネチアを占領することを目的とした陰謀を企てた。この陰謀は共和国に深刻な危機をもたらし、当時の政治情勢を極めて緊迫したものにした。
2.2. ドージェへの選出
ドナは生来の吝嗇な性格から、ベネチア共和国の要職に就くために多額の費用を費やすことをためらっていた。しかし、ベドマール陰謀が猛威を振るう中、当時のドージェであったジョヴァンニ・ベンボが1618年3月16日に死去したことで、新たなドージェの選出が急務となった。このような危機的状況下で、ドナは1618年4月5日にドージェに選出された。この選出には、彼が賄賂を支払ったという疑惑がつきまとっていた。
3. 在位と死去
ニコロ・ドナのドージェとしての在位期間は極めて短く、彼の死後もベネチア共和国は政治的混乱の渦中にあった。
3.1. 在位期間
ニコロ・ドナは1618年4月5日にドージェに選出されたが、その在位期間はわずか1ヶ月余りであった。彼は同年5月8日に死去したため、実質的な在位日数は約33日間に過ぎなかった。この短い期間中、ベネチア共和国は依然としてベドマール陰謀の脅威に晒されており、緊迫した政治情勢が続いていた。
3.2. 死去
ドナはドージェ選出からわずか35日後の1618年5月8日、ベネチアで死去した。彼の死は、ベドマール陰謀が依然として進行中であり、共和国が不安定な状況にあった最中に起こった。

4. 評価
ニコロ・ドナの歴史的評価は、彼の際立った吝嗇な性格と極めて短い在位期間に集約される。彼は莫大な財産を築きながらも、それを公職のために費やすことをためらい、ドージェ選出後の祝賀晩餐会でさえその吝嗇さが露呈した。彼のドージェとしての影響力は、その短い在位期間と、ベドマール陰謀という当時の大事件の陰に隠れてしまい、特筆すべき政治的功績を残すには至らなかった。