1. 概要

フランシスコ・"パコ"・ヘメス・マルティン(Francisco "Paco" Jémez Martínフランシスコ・パコ・ヘメス・マルティンスペイン語、1970年4月18日生)は、スペイン・カナリア諸島のラス・パルマス・デ・グラン・カナリア出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活躍しています。現役時代はセンターバックとしてプレーし、その後監督に転身しました。
選手としては、デポルティーボ・ラ・コルーニャとレアル・サラゴサを中心に11シーズンで269試合のプリメーラ・ディビシオンに出場しました。また、サッカースペイン代表として21試合に出場し、UEFA EURO 2000にも参加しています。監督としては2007年にキャリアを開始し、その指導スタイルは攻撃的でポゼッションを重視する独特のサッカー哲学で知られています。彼は、経済的に厳しいクラブを率いる中でも自身の信念を貫き、チームを躍進させる手腕を発揮してきました。その戦術は、守備面で高い失点を記録することもありましたが、観る者を楽しませる魅力的なサッカーを展開し、サッカー界に明確な足跡を残しています。
2. 幼少期と家族背景
パコ・ヘメスは1970年4月18日、カナリア諸島のラス・パルマス・デ・グラン・カナリアで生まれました。幼少期に、彼は本土のアンダルシア州へ引っ越しました。この移住が、彼のその後の人生やキャリアにどのような影響を与えたかは定かではありませんが、異なる文化や環境に触れる経験となったでしょう。
3. 選手経歴
パコ・ヘメスは、プロサッカー選手として17年間にわたるキャリアを積みました。主にセンターバックとしてプレーし、その屈強なプレースタイルと長髪が特徴でした。
3.1. クラブ経歴
ヘメスのクラブキャリアは1989年に始まり、2006年に引退するまでスペインの様々なクラブでプレーしました。
- コルドバCF**: 1989年にコルドバCFでデビューを果たし、キャリアの初期を過ごしました。
- レアル・ムルシア**: 1991年から1992年にかけてレアル・ムルシアに所属しました。
- ラージョ・バジェカーノ**: 1992年にラージョ・バジェカーノに移籍し、プリメーラ・ディビシオン(1部リーグ)でデビュー。1992-93シーズンにはリーグ戦全38試合に出場し、レギュラーとしての地位を確立しました。
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ**: 1993年から1998年にかけてデポルティーボ・ラ・コルーニャに所属しました。この期間、クラブは1993-94シーズンと1994-95シーズンに2シーズン連続でリーグ2位という好成績を収めましたが、ヘメス自身は最初の2シーズン合計で10試合しか出場できませんでした。しかし、その後はより多くの出場機会を得るようになりました。デポルティーボではコパ・デル・レイ(1994-95)とスーペルコパ・デ・エスパーニャ(1995)のタイトルを獲得しました。
- レアル・サラゴサ**: 1998年にレアル・サラゴサに移籍し、2004年まで6シーズンにわたり在籍しました。このクラブではリーグ戦168試合に出場し、チームの中心選手として活躍。2000-01シーズンには再びコパ・デル・レイの優勝に貢献しました。
- ラージョ・バジェカーノ(再加入)**: 2004年1月から6月にかけて、セグンダ・ディビシオンに降格していたラージョ・バジェカーノに復帰しました。
- CDルーゴ**: 2004-05シーズンは一時サッカーから離れましたが、2005-06シーズンにテルセーラ・ディビシオン(4部相当)のCDルーゴでプレーし、35歳で現役を引退しました。ルーゴでは9試合に出場しました。
選手キャリア全体で、パコ・ヘメスは合計442試合に出場し、6得点を記録しました。
3.2. 代表経歴
パコ・ヘメスは1998年から2001年にかけて、サッカースペイン代表として国際舞台でも活躍しました。
- デビュー**: 1998年9月23日、グラナダで行われたロシア代表との親善試合でスペイン代表デビューを果たしました。
- UEFA EURO 2000**: UEFA EURO 2000では代表メンバーに選出され、レギュラーとして3試合に出場しました。スペイン代表は準々決勝で敗退しましたが、彼はこの大会で重要な役割を担いました。
- 最終試合**: 2001年4月25日、コルドバで行われた日本代表との親善試合が、彼のスペイン代表としての最後の試合となりました。
彼は約3年間で合計21試合の国際試合に出場しました。
4. 監督経歴
パコ・ヘメスは、2007年に指導者の道に進み、その攻撃的なサッカー哲学で注目を集めています。彼は、スキンヘッドという外見と、パスワークとポゼッションを重視する独自の戦術で知られています。
4.1. 監督哲学
パコ・ヘメスの監督哲学は、極めて攻撃的で、ポゼッションを重視するスタイルにあります。彼は、ボールを保持し、積極的にパスをつなぎ、常に相手ゴールを脅かすことを目指します。このスタイルは、時にはリスクを伴い、守備面での脆さを露呈することもありますが、そのエンターテイメント性の高さから多くのファンを魅了してきました。
彼のサッカーは、4バックが主流のリーガ・エスパニョーラにおいて、時に3バックも採用するなど、型にはまらない異端なアプローチを取ることも特徴です。彼は、守備が犠牲になることも承知の上で、自身の攻撃的な信念を貫き通す姿勢を見せます。特にラージョ・バジェカーノを率いた際には、財政難に苦しむクラブで主力の流出が避けられない状況でも、この超攻撃的サッカーを継続し、チームを躍進させました。この「貧しくとも勇敢」なサッカーは、彼の指導者としての評価を確立する上で大きな要因となりました。
4.2. スペイン国内クラブでの監督在任
パコ・ヘメスは、そのキャリアを通じて数多くのスペイン国内クラブを指揮し、それぞれで独自の足跡を残してきました。
4.2.1. 初期および中期キャリア
監督キャリアの初期は、下部リーグのクラブからスタートしました。
- RSDアルカラ**: 2007年に指導者としての第一歩を踏み出し、RSDアルカラの監督に就任しました。
- コルドバCF**: 2007年から2008年にかけて、セグンダ・ディビシオン(2部)のコルドバCFを指揮しましたが、11試合で解任されました。
- FCカルタヘナ**: 2009年初頭にはセグンダ・ディビシオンB(3部相当)のFCカルタヘナの監督に就任しました。就任初年度の2008-09シーズンには、クラブ史上初のセグンダ・ディビシオン昇格を果たし、大きな成功を収めました。しかし、彼は2009年7月にクラブを離れました。
- UDラス・パルマス**: 2010年4月12日、セグンダ・ディビシオンのUDラス・パルマス監督に就任しました。成績不振に喘いでいた故郷のクラブを17位に引き上げて残留に成功しましたが、2011年2月27日に解任されました。
- コルドバCF(再任)**: 2011年夏には再びセグンダ・ディビシオンのコルドバCFの監督に就任。前年度16位だったチームを、37年間で最高位となる5位まで引き上げました。プリメーラ・ディビシオン昇格プレーオフに進出しましたが、準決勝でレアル・バリャドリードに敗れ、昇格は叶いませんでした。
- ラージョ・バジェカーノ**: 2012年6月24日、財政難に苦しむプリメーラ・ディビシオンのラージョ・バジェカーノの監督に就任しました。当時のクラブは倒産法の適用下にあり、主力の大量流出で就任時には13人の選手しか残っていませんでした。しかし、彼はこのような困難な状況にもかかわらず、超攻撃的なポゼッションサッカーを展開。2012-13シーズンにはクラブ史上最高の8位という成績を収め、契約を2015年6月まで延長しました。続く2013-14シーズンにはリーグワーストの80失点を喫しながらも12位で残留。2014-15シーズンもリーグワーストタイの68失点を記録しながら11位で残留を早々に決め、次期スペイン代表監督候補にも名前が挙がるほどの評価を得ました。しかし、2015-16シーズンは守備の問題が改善されず、主力の負傷も重なり、リーグワースト2位の73失点を記録し18位でセグンダ・ディビシオンへの降格が決定しました。降格後もサポーターからは慰留の声援が送られましたが、彼は新たな挑戦を求め、2016年5月26日にラージョとの再契約を拒否しました。
- グラナダCF**: 2016年6月20日、中国資本に買収されたグラナダCFの監督に就任しました。しかし、開幕から6試合で未勝利、16失点というここ70年間で最悪のスタートを切ったため、9月28日に解任されました。
4.2.2. その後のスペイン復帰
海外での挑戦を終えた後も、パコ・ヘメスはスペインサッカー界で監督としての役割を担い続けました。
- UDラス・パルマス(再任)**: 2017年12月21日、2017-18シーズンにUDラス・パルマスの3人目の監督として再び指揮を執りました。
- ラージョ・バジェカーノ(再々任)**: 2019年3月には、7連敗で降格危機に瀕していたラージョ・バジェカーノの監督に三度目の就任を果たしました。彼は2020年6月までの契約を結びました。
4.3. 海外クラブでの監督在任
パコ・ヘメスは、スペイン国外でもその手腕を試しました。
4.3.1. クルス・アスル(メキシコ)
2016年11月28日、メキシコのリーガMXに所属するクルス・アスルの監督に就任しました。彼はチームを3年ぶりのプレーオフ進出に導くなど、一定の成果を上げました。しかし、2017年11月27日に契約を更新せず、監督を辞任しました。
4.3.2. トラクター S.C.(イラン)
2022年12月には、再び海外に活躍の場を求め、イランのペルシアン・ガルフ・プロリーグに所属するトラクターS.C.の監督に就任しました。彼は2024年4月15日までこのクラブを率いました。
4.4. UDイビサでの最近の活動
トラクターS.C.を離れた後、パコ・ヘメスはスペインのUDイビサで再び指揮を執っています。
- UDイビサ**: 2021年12月26日、セグンダ・ディビシオンに昇格したばかりのUDイビサの監督に就任しました。彼はチームを降格圏から遠ざけ、残留に成功しましたが、2022年5月31日に契約満了に伴い退任しました。
- UDイビサ(再任)**: 2024年11月12日、彼は再びスペインに戻り、現在はプリメーラ・フェデラシオンに所属するUDイビサの監督を務めています。
5. 私生活
パコ・ヘメスの私生活については、公に知られている情報は限られていますが、彼の父親が著名なフラメンコ歌手であったことは特筆すべき点です。彼の父親はフランシスコ・クレスポ・アギラール(芸名「ルーカス・デ・エシハ」、1929年-2018年)といい、プロの歌手として2枚のレコードをリリースしており、ヘメスの芸術的背景に影響を与えたと考えられています。ヘメス自身は結婚しており、サッカー以外にゴルフを趣味としており、1.4という驚くほど低いハンディキャップを持つほどの腕前です。これは、彼が何事にも徹底して取り組む性格であることを示唆しているかもしれません。
6. 獲得タイトル
パコ・ヘメスは、選手および監督として複数のタイトルを獲得しています。
6.1. 選手時代
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ**:
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1995
- レアル・サラゴサ**:
- コパ・デル・レイ: 2000-01
6.2. 監督時代
- FCカルタヘナ**:
- セグンダ・ディビシオンB: 2008-09
7. 監督成績
以下の表は、パコ・ヘメスの監督キャリアにおける各チームでの統計概要を示しています。
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 得失点 | 勝率 % | |||
アルカラ | 2007年3月25日 | 2007年6月28日 | 12 | 5 | 4 | 3 | 21 | 11 | +10 | 41.67 |
コルドバ | 2007年6月28日 | 2008年3月31日 | 32 | 7 | 15 | 10 | 40 | 46 | -6 | 21.88 |
カルタヘナ | 2009年2月3日 | 2009年7月1日 | 19 | 9 | 7 | 3 | 33 | 16 | +17 | 47.37 |
ラス・パルマス | 2010年4月12日 | 2011年2月27日 | 37 | 9 | 13 | 15 | 52 | 69 | -17 | 24.32 |
コルドバ | 2011年6月8日 | 2012年6月13日 | 50 | 23 | 13 | 14 | 60 | 54 | +6 | 46.00 |
ラージョ・バジェカーノ | 2012年6月22日 | 2016年5月26日 | 164 | 55 | 29 | 80 | 206 | 303 | -97 | 33.54 |
グラナダ | 2016年6月20日 | 2016年9月28日 | 6 | 0 | 2 | 4 | 7 | 15 | -8 | 0.00 |
クルス・アスル | 2016年11月28日 | 2017年11月27日 | 48 | 17 | 18 | 13 | 56 | 52 | +4 | 35.42 |
ラス・パルマス | 2017年12月21日 | 2018年5月25日 | 23 | 2 | 6 | 15 | 12 | 41 | -29 | 8.70 |
ラージョ・バジェカーノ | 2019年3月20日 | 2020年7月31日 | 56 | 17 | 25 | 14 | 76 | 73 | +3 | 30.36 |
イビサ | 2021年12月26日 | 2022年5月31日 | 21 | 7 | 6 | 8 | 34 | 36 | -2 | 33.33 |
トラクター | 2022年12月6日 | 2024年4月15日 | 45 | 24 | 8 | 13 | 65 | 45 | +20 | 53.33 |
イビサ | 2024年11月12日 | 現任 | 13 | 8 | 1 | 4 | 24 | 15 | +9 | 61.54 |
合計 | 526 | 183 | 147 | 196 | 686 | 776 | -90 | 34.79 |
8. 評価と遺産
パコ・ヘメスは、選手としても監督としても、その独特のスタイルと揺るぎない信念によってサッカー界に大きな影響を与えてきました。
8.1. サッカースタイルへの影響
選手としてのヘメスは、長髪をなびかせた屈強なセンターバックとして知られ、その激しい守備でチームを支えました。しかし、彼の真骨頂は指導者としてのキャリアで発揮されました。
監督としての彼は、スキンヘッドという外見と、「超攻撃的パスサッカー」という確固たる哲学で知られています。彼は、ポゼッションを重視し、常に相手を圧倒する攻撃的なスタイルを追求しました。このスタイルは、特にラージョ・バジェカーノ時代に顕著に表れました。財政的に厳しいクラブでありながら、主力の流出や毎年大量の選手の入れ替わりという困難な状況下でも、彼は自身の攻撃的サッカーの方針を決して揺るがせませんでした。
彼の戦術は、しばしば守備面でのリスクを伴い、高い失点を記録することもありました。これは、彼の攻撃的信念の「代償」とも言えるものであり、彼はそのリスクを承知の上で、観る者に興奮を与えるサッカーを提供し続けました。このような「貧しくとも勇敢」な姿勢と、常に上を目指す挑戦的な監督スタイルは、サッカー界に大きな影響を与え、彼をカリスマ的な指導者としての地位に押し上げました。彼は、既存の戦術的慣習にとらわれず、自身の理想を追求する姿勢を通じて、多くのサッカー関係者やファンにインスピレーションを与えています。彼の監督としての評価は、単なる勝敗だけでなく、その哲学とそれを貫く姿勢にこそ、彼の「遺産」が宿ると言えるでしょう。