1. 生い立ちと背景
ペルニラ・クリスティーナ・ビベリは、1970年10月15日にスウェーデンのノルショーピングで生まれた。幼少期からスキーに親しみ、地元のノルショーピングスキー・クラブに所属して競技生活を始めた。
2. スキー競技キャリア
ビベリは、1987年と1988年の世界ジュニアアルペンスキー選手権大会では目立った成績を残せなかったものの、1990年代初頭に国際舞台での頭角を現した。
2.1. ワールドカップでのキャリア
1990年3月13日、19歳の時にスウェーデンのヴェムダーレンで行われたワールドカップのスラロームでデビューし、5位に入賞した。その5日後にはオーレでの大回転で3位に入り、初の表彰台を獲得した。
翌1991年シーズンには、ワールドカップで3勝を挙げ、1991年世界選手権の大回転で金メダルを獲得した。これは、スカンジナビアの女性選手としては33年ぶりのアルペンスキー世界選手権金メダルであった。2002年に引退するまでに、ビベリはワールドカップでさらに21勝を加え、合計24勝を達成した。これには、アルペンスキーの全5種目(ダウンヒル、スーパーG、大回転、スラローム、複合)での勝利が含まれており、彼女は数少ないオールイベントウィナーの一人となった。ワールドカップでの表彰台獲得数は合計61回に上る。
ワールドカップでの表彰台獲得数の内訳は以下の通りである。
- スラローム:優勝14回、2位14回、3位7回
- 大回転:優勝2回、3位4回
- ダウンヒル:優勝2回、2位5回、3位1回
- スーパーG:優勝3回、2位3回、3位2回
- 複合:優勝3回、2位1回
彼女のキャリアで最も輝かしいシーズンは1996-1997シーズンであり、このシーズンにワールドカップで10勝を挙げ、総合タイトル、スラローム種目別タイトル、複合種目別タイトルを獲得した。前年の総合優勝者であったカティア・ザイジンガーを500ポイント以上の大差で破り、圧倒的な強さを見せた。特にスラロームでは驚異的な支配力を発揮し、このシーズンのワールドカップスラローム9レース中、5勝、2位2回、3位1回、4位1回という成績を残した。ワールドカップ最終戦の週末に初のダウンヒル優勝を果たし、女性選手として史上初めて全5種目でのワールドカップ勝利を達成した。また、スーパーGの種目別順位でも最終戦まで首位を維持していたが、最終レースでコースを外れたため、ヒルデ・ゲルクにクリスタルグローブを譲ることとなった。ビベリ自身は、スーパーGをスラロームに次ぐ得意種目であり、最も好きな種目だと考えていたが、リレハンメルオリンピックでの4位、1996年と1997年の世界選手権でのミス、そして1997年シーズンのスーパーG種目別タイトルを不運な形で逃したことなど、この種目では多くの不運と失望を経験したと語っている。
2.2. ワールドカップシーズン成績
シーズン | 年齢 | 総合 | スラローム | 大回転 | スーパーG | ダウンヒル | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 19 | 45 | 17 | - | - | - | - |
1991 | 20 | 7 | 2 | 3 | - | - | - |
1992 | 21 | 5 | 2 | 5 | 28 | - | - |
1993 | 22 | 24 | 11 | 17 | 30 | 43 | - |
1994 | 23 | 2 | 2 | 11 | 5 | 11 | 1 |
1995 | 24 | 6 | 2 | 38 | 13 | 12 | 1 |
1996 | 25 | 8 | 3 | 34 | 19 | 10 | - |
1997 | 26 | 1 | 1 | 5 | 3 | 4 | 1 |
1998 | 27 | 35 | 24 | 28 | 36 | 29 | 11 |
1999 | 28 | 5 | 2 | 22 | 8 | 14 | - |
2000 | 29 | 33 | 28 | 41 | 21 | 22 | - |
2001 | 30 | 59 | - | - | 23 | 48 | - |
2002 | 31 | 23 | - | 57 | 13 | 10 | 12 |
2.3. ワールドカップ優勝歴
24勝(ダウンヒル2勝、スーパーG3勝、大回転2勝、スラローム14勝、複合3勝)
シーズン | 日付 | 開催地 | 種目 |
---|---|---|---|
1991 | 1991年1月7日 | バート・クラインキルヒハイム、オーストリア | スラローム |
1991年3月10日 | レイクルイーズ、カナダ | 大回転 | |
1991年3月20日 | ウォータービルバレー、アメリカ合衆国 | スラローム | |
1992 | 1992年2月28日 | ナルヴィク、ノルウェー | 大回転 |
1993 | 1992年12月6日 | スティームボートスプリングス、アメリカ合衆国 | スラローム |
1994 | 1993年12月12日 | ヴェイソナ、スイス | スラローム |
1994年1月6日 | モルジヌ、フランス | スラローム | |
1994年1月17日 | コルティーナ・ダンペッツォ、イタリア | スーパーG | |
1994年2月5日 | シエラネバダ、スペイン | 複合 | |
1995 | 1995年3月12日 | レンツァーハイデ、スイス | スラローム |
複合 | |||
1996 | 1995年12月22日 | ヴェイソナ、スイス | スラローム |
1995年12月29日 | ゼンメリング、オーストリア | スラローム | |
1997 | 1996年12月1日 | レイクルイーズ、カナダ | スーパーG |
1996年12月28日 | ゼンメリング、オーストリア | スラローム | |
1997年1月4日 | マリボル、スロベニア | スラローム | |
1997年1月12日 | バート・クラインキルヒハイム、オーストリア | スーパーG | |
1997年1月19日 | ツヴィーゼル、ドイツ | スラローム | |
1997年2月2日 | ラクス、スイス | 複合 | |
1997年3月7日 | マンモスマウンテン、アメリカ合衆国 | スラローム | |
1997年3月12日 | ベイル、アメリカ合衆国 | ダウンヒル | |
1997年3月16日 | スラローム | ||
1999 | 1999年1月3日 | マリボル、スロベニア | スラローム |
2000 | 1999年12月18日 | サンモリッツ、スイス | ダウンヒル |
2.4. 世界選手権大会
ビベリは、5回の世界アルペンスキー選手権大会に出場し、合計6個のメダル(金4個、銀1個、銅1個)を獲得した。
- 1991年ザールバッハ:大回転 金メダル
- 1996年シエラネバダ:スラローム 金メダル、複合 金メダル
- 1997年セストリエーレ:ダウンヒル 銅メダル
- 1999年ベイル:複合 金メダル、スラローム 銀メダル
2.5. シーズンタイトルと主な功績
ビベリはワールドカップで合計5つのシーズンタイトルを獲得した。
シーズン | 種目 |
---|---|
1994 | 複合 |
1995 | 複合 |
1997 | 総合 |
スラローム | |
複合 |
2.6. 引退
ビベリは2002年のソルトレークシティオリンピック出場後、数週間で現役引退を発表した。引退の背景には、膝の手術が必要となったことが挙げられる。ソルトレークシティでのオリンピックのスーパーGが、彼女にとって最後の国際レースとなった。
3. オリンピックへの参加
ビベリは4回の冬季オリンピックに出場し、合計3個のメダル(金2個、銀1個)を獲得した。
- 1992年アルベールビル:大回転で金メダルを獲得。この大会でスウェーデン選手団の中で最も成功した選手となった。
- 1994年リレハンメル:複合で金メダルを獲得。この大会でもスウェーデン選手団の中で最も成功した選手であった。また、この大会の開会式ではスウェーデン選手団の旗手を務めた。
- 1998年長野:ダウンヒルで銀メダルを獲得。この銀メダルは、ビベリ自身がキャリアの中で最高の功績と語っている。
- 2002年ソルトレークシティ:31歳で出場し、ダウンヒルで14位、スーパーGで12位となり、トップ10には入らなかった。
4. 受賞歴と栄誉
ビベリは選手としての功績が認められ、数々の賞と栄誉を受けている。
- スヴェンスカ・ダーグブラーデット金メダル:1991年に受賞。審査委員会は「大胆かつ巧みな2本目の滑りにより、世界選手権大回転でセンセーショナルな勝利を収めたことに対して」と評価した。
- イェーリング賞:1991年と1992年に2年連続で受賞した。
5. 国際オリンピック委員会(IOC)での活動
ビベリは2002年にIOC委員に選出され、2010年までの8年間、その任期を務めた。彼女はIOC内で以下の委員会に所属し、貢献した。
- 選手委員会(2002年 - )
- スポーツと環境委員会(2002年)
- 倫理委員会(2003年 - )
- 2010年バンクーバー冬季オリンピック調整委員会(2003年 - )
- 指名委員会(2003年 - )
2008年9月2日には、IOC会長ジャック・ロゲが任命した委員会の委員長を務めることが発表された。この委員会は、第1回冬季ユースオリンピックの開催候補都市の計画を分析する役割を担った。
6. 社会活動と平和促進
ビベリは、モナコを拠点とする国際組織「ピース・アンド・スポーツ」が設立した「平和のためのチャンピオン」クラブのメンバーである。このクラブは、スポーツを通じて世界の平和に貢献することを目的とした、著名なエリートアスリート114名(2018年11月29日時点)で構成されている。
「平和のためのチャンピオン」クラブの他のメンバーには、ウクライナの元棒高跳び選手セルゲイ・ブブカ、イギリスの長距離走選手ポーラ・ラドクリフ、セルビアのテニス選手ノバク・ジョコビッチなどが名を連ねている。
7. 事業とメディア活動
ビベリは実業家としても成功を収めている。スウェーデン・ダーラナ地方のイドレ・フィエルにある「ペルニラ・ビベリ・ホテル」を所有・運営している。
また、メディア活動としては、スウェーデンのテレビ局スウェーデン・テレビでアルペンスキーの解説者を務めている。
8. 私生活
ビベリは夫のブードヴァル・ビャルケとの間に2人の子供をもうけている。長男のアクセルは2003年に、長女のソフィアは2007年に誕生した。
1995年からはモナコに居住している。
9. ディスコグラフィー
9.1. シングル
ビベリは歌手としても活動し、1992年にシングルアルバム「Privilege」を発表した。
タイトル | 年 | 最高チャート順位 (SWE) | アルバム |
---|---|---|---|
"Privilege" | 1992 | 39 | アルバム未収録シングル |
10. 功績と評価
ペルニラ・ビベリは、1990年代のアルペンスキー界を代表する選手として、その多才さと圧倒的な強さで大きな影響を与えた。特に、アルペンスキーの全5種目でワールドカップ優勝を果たした「オールイベントウィナー」としての功績は、彼女の技術的な幅広さと適応能力の高さを示すものであり、現代の選手にも大きな目標となっている。オリンピックと世界選手権での複数の金メダル獲得は、彼女が主要な国際大会で常に最高のパフォーマンスを発揮できたことを証明している。引退後もIOC委員や平和促進活動家、実業家として多岐にわたる分野で活躍しており、スポーツ界を超えた社会貢献者としても高く評価されている。