1. 概要
マイケル・ジェームズ・アンダーソン(Michael James Andersonマイケル・ジェームズ・アンダーソン英語、1966年7月30日生)は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)。MLBのシンシナティ・レッズでプレーしたほか、KBOリーグのLGツインズとサンバンウル・レイダースでも活躍した。特にKBOリーグ時代には、韓国シリーズでセーブを記録した初のアメリカ人投手の1人としてその名を残している。引退後は、シカゴ・カブス傘下のファームで投手コーチを務めた後、テキサス・レンジャーズでスカウトとして活動した。
2. 生い立ちと背景
マイケル・ジェームズ・アンダーソンは1966年7月30日に生まれた。彼の弟であるブライアン・アンダーソンは、現在ミルウォーキー・ブルワーズのテレビ中継で実況アナウンサーを務めている。
3. プロ野球選手としてのキャリア
アンダーソンは、アメリカ合衆国のメジャーリーグ、マイナーリーグ、そして韓国のKBOリーグで投手としてキャリアを積んだ。
3.1. メジャーリーグベースボール時代
アンダーソンは1993年にシンシナティ・レッズでメジャーリーグデビューを果たした。デビュー戦は1993年9月7日のセントルイス・カージナルス戦で、1回2/3を投げ、6安打、7自責点を喫し、マーク・ホイッテンが放ったこの試合の4本塁打のうち2本を献上した。この試合以降、メジャーでの登板はわずか2試合にとどまった。1993年12月10日には、ダーロン・コックスとラリー・ルーバーズと共にシカゴ・カブスへチャック・マッケルロイとのトレードで移籍したが、カブスではメジャーリーグでの登板機会を得ることはなかった。
3.2. マイナーリーグ時代
メジャーリーグでの短い期間の後、アンダーソンは1997年までマイナーリーグでプレーを続けた。その後、彼は韓国へと渡り、KBOリーグでの新たなキャリアを歩み始めた。
3.3. KBOリーグ時代
アンダーソンは1998年からKBOリーグでプレーし、2シーズンにわたって活躍した。
3.3.1. LGツインズ時代 (1998年)
1998年、アンダーソンはLGツインズに加入し、シーズン序盤はチームの抑え投手として起用された。しかし、シーズン中盤以降は不振に陥り、当時のLGツインズ監督である千保成は、1996年半ばから先発投手に転向していた金龍洙を、先発・救援・抑えと頻繁に起用する強攻策をとらざるを得ない状況となった。それでも、アンダーソンは1998年の韓国シリーズ第3戦でセーブを記録し、韓国シリーズでセーブを挙げた初のアメリカ人投手となった。
3.3.2. サンバンウル・レイダース時代 (1999年)
LGツインズを退団後、アンダーソンは1999年にサンバンウル・レイダースと契約し、ジェイク・ビアノと共にプレーした。しかし、サンバンウル・レイダースでの成績は2勝9敗、防御率6.75と振るわず、不調から抜け出すことはできなかった。
4. 引退後のキャリア
プロ野球選手としてのキャリアを引退した後、マイケル・アンダーソンは指導者の道に進んだ。2000年から2006年まで、シカゴ・カブスのファームシステムで投手コーチを務めた。その後、テキサス・レンジャーズでプロレベルのスカウトとして活動し、才能ある選手の発掘に尽力した。
5. 評価と影響
マイケル・アンダーソンの選手キャリアは、メジャーリーグでの短期間の活動とKBOリーグでの波乱に富んだ時期が特徴である。特に、1998年韓国シリーズでのセーブ記録は、韓国プロ野球の歴史において「アメリカ人投手による初の韓国シリーズセーブ」という明確な足跡を残した。この記録は、外国人選手がKBOリーグの重要な局面で貢献し得ることを示す象徴的な出来事として評価されている。彼のKBOリーグでの成功と不振は、外国人選手のチームへの適応とパフォーマンスの難しさを示す典型的な例としても語られることがある。
6. 外部リンク
- [http://eng.koreabaseball.com/teams/playerinfopitcher/summary.aspx?pcode=98116 Career statistics and player information from Korea Baseball Organization]