1. 概要
マリウス・ズビグニエフ・プッツナウスキー(Mariusz Zbigniew Pudzianowskiマリウシュ・ズビグニェフ・プジャノフスキポーランド語、1977年2月7日生まれ)は、ポーランド出身の総合格闘家であり、元ストロングマン選手である。その圧倒的な強さから「プジアン」や「ドミネーター」の愛称で知られている。ストロングマンとしてのキャリアでは、史上最多となる5回の「世界最強の男」タイトルを獲得し、20以上の世界記録を樹立した。国際大会での勝率は70%に達し、史上最も偉大なストレングスアスリートの一人と広く見なされている。2009年にストロングマン競技から引退後、総合格闘技に転向し、ポーランドの主要なMMAプロモーションであるKSWを中心に活躍している。
2. 初期人生と背景
マリウス・プッツナウスキーは、プロスポーツ選手としてのキャリアを始める前から、その個人的な背景と初期の経験を通じて、強靭な肉体と精神の基礎を築き上げた。
2.1. 出生と家族
プッツナウスキーは1977年2月7日、ポーランドのウッチ県ビャワ・ラフスカで生まれた。彼の父親であるヴォイチェフは重量挙げ選手であり、幼い頃からスポーツへの関心を育む環境にあった。
2.2. 初期スポーツトレーニング
プッツナウスキーは幼い頃からスポーツに強い興味を示した。11歳からは極真空手を学び始め、現在の段位は四級の緑帯である。13歳からは本格的な筋力トレーニングを開始し、15歳からはボクシングの訓練も行ったが、7年間でボクシングは辞めている。16歳の時には、ポーランド重量挙げ選手権のベンチプレス部門に出場し、プロスポーツ界にデビューを果たした。
2.3. 服役経験
プッツナウスキーは2000年から2001年にかけて、ウォヴィチ刑務所で19か月間の服役を経験した。これは暴行事件によるもので、彼は18歳の少年を虐待していた地元のマフィアのボスを止めようとしたと語っている。しかし、その男性は後にプッツナウスキーを傷害と金の鎖の盗難で訴えた。数年後、彼は同じ刑務所で受刑者向けの社会復帰支援の集会を企画し、講演を行った。
3. ストロングマンとしてのキャリア
プッツナウスキーは、世界的なストロングマン選手として輝かしいキャリアを築き、数々の国際大会で圧倒的な強さを見せつけた。
3.1. 概要と主な功績
1999年5月1日、ポーランドのプウォツクで開催された大会でストロングマン競技に初出場した。彼の国際レベルでの最初の大きな成功は、初出場となった2000年の「世界最強の男」大会で4位に入賞したことである。服役のため2001年の大会には出場しなかったが、2002年の「世界最強の男」で初優勝を飾った。2003年には、史上最大の点差で優勝し、タイトルを防衛した。この大会では、決勝の7種目のうち4種目で1位、2種目で2位、1種目で3位という驚異的な成績を収め、2位との差は20点以上にもなった。イギリスのストロングマン選手ローレンス・シャラエイは、このパフォーマンスを「世界最強の男」史上最も圧倒的な勝利と評している。2004年3月には、ストロングマン・スーパーシリーズの世界チャンピオンにも輝いた。
彼は「世界最強の男」大会で史上最多となる5回の優勝を記録している。また、2006年と2009年には準優勝に輝き、出場した9回全ての「世界最強の男」決勝に進出するという偉業を達成した(この記録は後にハフソー・ユリウス・ビョルンソンによって並ばれた)。さらに、「ヨーロッパ最強の男」大会でも史上最多の6回優勝を果たしている。彼のストロングマンキャリアにおける国際大会での勝利数は43回に上り、勝率は70%という驚異的な数字を誇る。
3.2. 大会成績
プッツナウスキーの主なストロングマン大会での成績は以下の通りである。
大会名 | 開催年 | 順位 |
---|---|---|
世界最強の男 | ||
2000年 | 4位 | |
2002年 | 優勝 | |
2003年 | 優勝 | |
2004年 | 失格(当初3位) | |
2005年 | 優勝 | |
2006年 | 2位 | |
2007年 | 優勝 | |
2008年 | 優勝 | |
2009年 | 2位 | |
ヨーロッパ最強の男 | ||
2002年 | 優勝 | |
2003年 | 優勝 | |
2004年 | 優勝 | |
2007年 | 優勝 | |
2008年 | 優勝 | |
2009年 | 優勝 | |
ストロングマン・スーパーシリーズ | ||
2002年 ハワイグランプリ | 3位 | |
2003年 ハワイグランプリ | 優勝 | |
2003年 オランダグランプリ | 優勝 | |
2003年 カナダグランプリ | 2位 | |
2003年 フィンランドグランプリ | 2位 | |
2003/2004年 総合チャンピオン | 優勝 | |
2004年 モスクワグランプリ | 優勝 | |
2005年 ベニスビーチグランプリ | 優勝 | |
2005年 モスクワグランプリ | 優勝 | |
2005年 ポーランドグランプリ | 優勝 | |
2005年 モヒガンサングランプリ | 優勝 | |
2005年 総合チャンピオン | 優勝 | |
2006年 モスクワグランプリ | 優勝 | |
2006年 ポーランドグランプリ | 優勝 | |
2006年 モヒガンサングランプリ | 優勝 | |
2006年 総合チャンピオン | 優勝 | |
2007年 モヒガンサングランプリ | 優勝 | |
2007年 ベニスビーチスーパーシリーズ | 2位 | |
2007年 バイキングパワーチャレンジ | 優勝 | |
2007年 総合チャンピオン | 優勝 | |
2008年 モヒガンサングランプリ | 2位 | |
世界最強チーム | ||
2002年 (ヤレク・ディメクと) | 3位 | |
2003年 (ヤレク・ディメクと) | 優勝 | |
2004年 (ヤレク・ディメクと) | 優勝 | |
2005年 (スラヴォミール・トチェクと) | 優勝 | |
ポーランド最強の男 | ||
2000年 | 優勝 | |
2002年 | 2位 | |
2003年 | 優勝 | |
2004年 | 優勝 | |
2006年 | 優勝 | |
2007年 | 優勝 | |
2008年 | 優勝 | |
2009年 | 優勝 | |
ワールドストロングマンカップ連盟 | ||
2006年 総合チャンピオン | 優勝 | |
2007年 総合チャンピオン | 優勝 | |
ワールドマッスルパワー選手権 | ||
2003年 | 2位 | |
ワールドストロングマンチャレンジ | ||
2002年 | 3位 | |
2003年 | 優勝 |
3.2.1. 総合成績
プッツナウスキーのストロングマンキャリアにおける総合成績は以下の通りである。
全77回の大会出場で、1位を58回、2位を10回、3位を1回獲得し、合計69回の表彰台に上がった。
- 国際大会での勝率は70.5%、国内大会では93.8%に達する。
- 国際大会での表彰台獲得率は86.9%、国内大会では100.0%である。
- 国際大会でのトップ5入りは95.1%、国内大会では100.0%である。
カテゴリ | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 | 負傷棄権 | 予選敗退 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国内大会 | 15 | 1 | 16 | ||||||||||
国際大会 | 43 | 9 | 1 | 3 | 2 | 2 | 1 | 61 | |||||
合計 | 58 | 10 | 1 | 3 | 2 | 2 | 1 | 77 |
3.3. 個人記録
プッツナウスキーの主な個人記録は以下の通りである。
- ベンチプレス - 290 kg
- スクワット - 380 kg
- ケグドロップスクワット - 265 kgから340 kgを7回(21.28秒、2007年世界最強の男)
- ケグドロップスクワット - 260 kgから360 kgを7回(27.53秒、2005年世界最強の男、元世界記録)
- デッドリフト - 415 kg
- ケグドロップデッドリフト - 295 kgから350 kgを6回(33.89秒、2005年世界最強の男)
- ログリフト - 172 kg(2005年Met-Rxグランプリ)
- ログリフト - 130 kgを14回(2006年モスクワグランプリ)
- アクスルプレス - 140 kgを11回(2006年WSMCポーランド)
- アポロンホイールプレス - 166 kgを4回(2004年アーノルドストロングマンクラシック)
- バイキングプレス - 150 kgを12回(2007年モヒガンサングランプリ)
- ケトルベルプレス - 80 kgを8回(2009年グローブ最強の男)
- ディングキャリー - 160 kgを90 m(2005年世界最強の男、世界記録)
- アジアストーン/シールドキャリー - 175 kgを127.4 m(2002年世界最強の男、世界記録)
- アフリカストーンキャリー - 175 kgを110 m(2000年世界最強の男、世界記録)
- ブロックキャリー - 180 kgを80 m(2002年ヨーロッパ最強の男、世界記録)
- 冷蔵庫キャリー(スーパーヨーク) - 410 kgを20 m(15.29秒、2005年世界最強の男)
- ティンバーキャリー - 392 kg(35フィートの傾斜路)を22.93秒(生グリップ、2006年アーノルドストロングマンクラシック)
- ファーマーズウォーク - 各手に120 kg(75 mコース)を33.95秒(生グリップ、2002年世界最強の男、世界記録)
- ファーマーズウォーク - 各手に160 kg(50 mコース)を25.05秒(生グリップ、2009年世界最強の男、世界記録)
- スーパーヨーク - 360 kgを20 m(7.66秒、2006年ワールドストロングマンカップ連盟、ポーランド、世界記録)
- メディシンボールトス - 23 kgを4.88 m(2004年アーノルドストロングマンクラシック)
- パワーステアーズ - (合計225 kg、14段) - 40.94秒(2008年世界最強の男、世界記録)
- パワーステアーズ - (合計230 kg、23段) - 26.33秒(2006年世界最強の男、世界記録)
- パワーステアーズ - (200 kg、230 kg、250 kg、合計15段) - 31.22秒(2004年ヨーロッパ最強の男、世界記録)
- パワーステアーズ - (225 kg、250 kg、275 kg、合計15段) - 28.56秒(2005年ノーチラスグランプリ、世界記録)
- タイヤフリップ - 380 kgタイヤを8回 - 20.81秒(2004年オランダチャンピオンズトロフィー、世界記録)
- タイヤフリップ - 400 kgタイヤを8回 - 22.87秒(2006年モスクワグランプリ)
- コナンズホイール - 300 kgを1440度回転(2002年世界最強の男、世界記録)
- トレインプル - 16 tを25 m(30.78秒、2003年世界最強の男、世界記録)
- プレーンプル - 40 tを25 m(36.67秒、2008年世界最強の男、世界記録)
4. 総合格闘技への転向
ストロングマンとしてのキャリアの頂点に達した後、プッツナウスキーは新たな挑戦として総合格闘技(MMA)の世界へ足を踏み入れた。
4.1. 転向の決断と契約
2009年、「世界最強の男」大会で2位に入賞した後、プッツナウスキーはストロングマン競技への参加を続けない意向を表明した。彼は、MMAのトレーニングがストロングマンとは全く異なるため、転向を決意したと述べた。同年、ポーランドの総合格闘技団体KSWと4試合の契約を結び、MMAファイターとしてのキャリアを開始した。
5. 総合格闘技キャリア
マリウス・プッツナウスキーは総合格闘家として、その強靭な肉体と闘志を武器に数々の試合を経験し、キャリアを通じて成長と挑戦を続けた。
5.1. MMAデビューと初期の試合
2009年12月11日、ポーランドのワルシャワで開催されたKSW 12のメインイベントでプロ総合格闘技デビューを果たした。対戦相手はマルチン・ナイマンで、試合開始直後からローキックを連打し、ナイマンがマットに倒れるとパウンドを浴びせ、わずか43秒でTKO勝利を収めた。この試合で彼は20.00 万 PLN(約7.00 万 USD)の報酬を得た。
2010年5月7日、KSW 13で川口雄介と対戦し、2ラウンドをフルに戦い抜き、ジャッジの判定で勝利した。この試合は「乱暴な乱闘」と評されたが、プッツナウスキーが試合のほとんどをコントロールしていたと報じられた。しかし、第2ラウンドにはスタミナ切れで息が荒くなっていたとも指摘された。
5.2. 主要な試合と対戦相手
プッツナウスキーはキャリアを通じて、多くの著名な選手と対戦した。
- 2010年5月21日、アメリカの総合格闘技イベント「Moosin: God of Martial Arts」で、元UFC世界ヘビー級王者のティム・シルビアと対戦。この試合で彼は第1ラウンド中に中足骨を骨折し、その後スタミナを消耗。第2ラウンド1分43秒、シルビアのパウンドによるタップアウトで敗れた。
- 2010年9月18日、KSW 14で元ヘビー級ボクサーでキックボクサーのバタービーンと対戦。試合開始早々にテイクダウンを奪い、グラウンド・アンド・パウンドで圧倒し、第1ラウンド1分15秒、相手のタップアウトにより勝利した。この試合に向けて、彼は以前の試合から約9.1 kg (20 lb)減量し、スタミナ問題への対策を講じていた。
- 2011年5月21日、KSW 16でジェームス・トンプソンと対戦し、肩固めで一本負けを喫した。
- 2011年9月、アメリカの有名MMAジムであるアメリカン・トップチームでプロのトレーニングを開始した。
- 2011年11月26日、KSW 17でジェームス・トンプソンと再戦。当初は2-0の判定勝ちと発表されたが、トンプソンが両ラウンドでほぼ完全に試合をコントロールしていたため、この判定は物議を醸した。トンプソンは試合後、マイクを奪ってプロモーションに対する激しい批判を展開した。2日後、主催者はこの判定を「ジャッジのミス」と認め、結果をノーコンテストに変更した。
- 2012年5月12日、KSW 19でボブ・サップと対戦。第1ラウンドわずか39秒、パンチの連打でサップを圧倒し、テイクダウンからの追加のパンチでTKO勝利を収めた。
- 2012年9月15日、KSW 20のメインイベントでクリストス・ピリアファスと対戦。スタンドでピリアファスを圧倒した後、テイクダウンからパウンドを浴びせ、第1ラウンド3分48秒でTKO勝利を飾った。
- 2013年6月8日、KSW 23でショーン・マッコークルと対戦し、第1ラウンド1分57秒、キムラロックで一本負けを喫した。
- 2013年9月28日、KSW 24でショーン・マッコークルと再戦し、前回の雪辱を果たすべくユナニマスデシジョンで勝利した。試合後、マッコークルは3度目の対戦に意欲を示した。
- 2014年5月17日、KSW 27でオリィ・トンプソンと対戦し、第2ラウンド終了時のユナニマスデシジョンで勝利した。試合中、プッツナウスキーはパンチを当て、両ラウンドで複数回のテイクダウンを奪い、試合全体をコントロールした。トンプソンは再戦を要求し、プッツナウスキーもこれに応じた。
- 2014年12月6日、KSW 29のセミメインイベントでパウエル・ナツラと対戦し、ユナニマスデシジョンで勝利。これで3連勝となった。
- 2015年5月23日、KSW 31でホーレス・グレイシーと対戦し、第1ラウンド27秒、パンチによるKO勝利を収め、「ノックアウト・オブ・ザ・ナイト」ボーナスを獲得した。
- 2015年10月31日、KSW 32でピーター・グラハムと対戦し、第2ラウンド2分00秒、パンチと肘打ちによるTKO負けを喫した。
- 2016年5月27日、KSW 35でマルチン・ロザルスキーと対戦し、第2ラウンド1分46秒、ギロチンチョークで一本負けを喫した。
- 2016年12月3日、KSW 37でパウエル・ミコワイユフと対戦し、第1ラウンド1分20秒、パンチによるTKO勝利を収めた。
- 2017年5月27日、KSW 39でティベリウス・コワルチクと対戦し、第2ラウンド2分50秒、肘打ちによるTKO勝利を収めた。
- 2017年10月22日、KSW 40でジェイ・シルバと対戦し、マジョリティデシジョンで勝利した。(当初はジェームス・マクスウィーニーとの対戦が予定されていたが、マクスウィーニーが医療上の理由で出場できなくなった。)
- 2018年6月9日、KSW 44でカロル・ベドルフと対戦し、第1ラウンド1分51秒、キムラロックで一本負けを喫した。
- 2019年3月23日、KSW 47でシモン・コレツキとヘビー級で対戦し、第1ラウンド4分29秒、脚の負傷によりTKO負けを喫した。
- 2019年11月9日、KSW 51で元ボディビルダーのエルコ・ユンと対戦し、第2ラウンド1分43秒、パンチによるTKO勝利を収めた。
- 2021年3月20日、15か月のブランクを経てKSW 59でセネガル人ヘビー級のセリーニュ・ウスマン・ディアと対戦予定だったが、ディアが急性虫垂炎で入院したため、急遽ニコラ・ミラノヴィッチが代役として出場。プッツナウスキーは第1ラウンド1分10秒、パンチによるTKO勝利を収めた。
- 2021年6月5日、KSW 61でKSW 1トーナメント優勝者のウカシュ・ユルコフスキと対戦し、第3ラウンド1分32秒、パンチによるTKO勝利を収めた。
- 2021年10月23日、KSW 64でセリーニュ・ウスマン・ディアと再戦し、第1ラウンド18秒、パンチによるKO勝利を収めた。
- 2022年5月28日、KSW 70で元KSWミドル級王者のミハウ・マテルラと対戦し、第1ラウンド1分47秒、アッパーカットによるKO勝利を収め、「ノックアウト・オブ・ザ・ナイト」ボーナスを獲得した。
- 2022年12月17日、KSW 77で元2階級王者のマメド・ハリドフと対戦し、第1ラウンド1分54秒、パウンドによるタップアウト負けを喫し、6連勝が途絶えた。
- 2023年6月3日、XTB KSW 83でボクサーから総合格闘家に転向したアルトゥル・シュピルカと対戦し、第2ラウンド31秒、パンチによるTKO負けを喫した。
5.3. KSWでの功績と記録
プッツナウスキーは、ポーランドの主要MMAプロモーションであるKSWにおいて、以下の顕著な功績と記録を樹立している。
- KSWヘビー級史上最多勝利数(17勝)
- KSWヘビー級史上最多KO数(12KO)
- KSW史上最多KO数(12KO)
- KSW史上3番目に多い勝利数(17勝)
- KSW史上3番目に多い試合数(24試合)
- 「ノックアウト・オブ・ザ・ナイト」を2回受賞(対ホーレス・グレイシー戦、対ミハウ・マテルラ戦)
- ワールドMMAアワード2021年間最優秀番狂わせ賞ノミネート
5.4. 総合格闘技戦績
プッツナウスキーのプロ総合格闘技戦績は以下の通りである。
結果 | 通算成績 | 対戦相手 | 試合形式 | 大会名 | 開催年月日 | ラウンド | 時間 | 開催地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
敗 | 17-9 (1) | アルトゥル・シュピルカ | TKO(パンチ) | XTB KSW 83: Colosseum 2 | 2023年6月3日 | 2 | 0:31 | ワルシャワ、ポーランド | |
敗 | 17-8 (1) | マメド・ハリドフ | TKO(パウンドによるタップアウト) | KSW 77: Khalidov vs. Pudzianowski | 2022年12月17日 | 1 | 1:54 | グリヴィツェ、ポーランド | |
勝 | 17-7 (1) | ミハウ・マテルラ | KO(パンチ) | KSW 70: Pudzianowski vs. Materla | 2022年5月28日 | 1 | 1:47 | ウッチ、ポーランド | ノックアウト・オブ・ザ・ナイト。 |
勝 | 16-7 (1) | セリーニュ・ウスマン・ディア | KO(パンチ) | KSW 64: Przybysz vs. Santos | 2021年10月23日 | 1 | 0:18 | ウッチ、ポーランド | スーパーヘビー級戦。 |
勝 | 15-7 (1) | ウカシュ・ユルコフスキ | TKO(パンチ) | KSW 61: To Fight or Not To Fight | 2021年6月5日 | 3 | 1:32 | グダニスク、ポーランド | |
勝 | 14-7 (1) | ニコラ・ミラノヴィッチ | TKO(パンチ) | KSW 59: Fight Code | 2021年3月20日 | 1 | 1:10 | ウッチ、ポーランド | オープンウェイト戦。 |
勝 | 13-7 (1) | エルコ・ユン | TKO(パンチ) | KSW 51: Croatia | 2019年11月9日 | 2 | 1:43 | ザグレブ、クロアチア | |
敗 | 12-7 (1) | シモン・コレツキ | TKO(脚の負傷) | KSW 47: The X-Warriors | 2019年3月23日 | 1 | 4:29 | ウッチ、ポーランド | |
敗 | 12-6 (1) | カロル・ベドルフ | 一本(キムラロック) | KSW 44: The Game | 2018年6月9日 | 1 | 1:51 | グダニスク、ポーランド | |
勝 | 12-5 (1) | ジェイ・シルバ | 判定(マジョリティ) | KSW 40: Dublin | 2017年10月22日 | 3 | 5:00 | ダブリン、アイルランド | |
勝 | 11-5 (1) | ティベリウス・コワルチク | TKO(肘打ちによるタップアウト) | KSW 39: Colosseum | 2017年5月27日 | 2 | 2:50 | ワルシャワ、ポーランド | |
勝 | 10-5 (1) | パウエル・ミコワイユフ | TKO(パンチ) | KSW 37: Circus of Pain | 2016年12月3日 | 1 | 1:20 | クラクフ、ポーランド | |
敗 | 9-5 (1) | マルチン・ロザルスキー | 一本(ギロチンチョーク) | KSW 35 | 2016年5月27日 | 2 | 1:46 | グダニスク、ポーランド | |
敗 | 9-4 (1) | ピーター・グラハム | TKO(パンチと肘打ち) | KSW 32: Road to Wembley | 2015年10月31日 | 2 | 2:00 | ロンドン、イングランド | |
勝 | 9-3 (1) | ホーレス・グレイシー | KO(パンチ) | KSW 31: Materla vs. Drwal | 2015年5月23日 | 1 | 0:27 | グダニスク、ポーランド | ノックアウト・オブ・ザ・ナイト。 |
勝 | 8-3 (1) | パウエル・ナツラ | 判定(ユナニマス) | KSW 29: Reload | 2014年12月6日 | 3 | 3:00 | クラクフ、ポーランド | スーパーヘビー級戦。 |
勝 | 7-3 (1) | オリィ・トンプソン | 判定(ユナニマス) | KSW 27: Cage Time | 2014年5月17日 | 2 | 5:00 | グダニスク、ポーランド | ヘビー級デビュー。 |
勝 | 6-3 (1) | ショーン・マッコークル | 判定(ユナニマス) | KSW 24: Clash of the Giants | 2013年9月28日 | 2 | 5:00 | ウッチ、ポーランド | |
敗 | 5-3 (1) | ショーン・マッコークル | 一本(キムラロック) | KSW 23: Khalidov vs. Manhoef | 2013年6月8日 | 1 | 1:57 | グダニスク、ポーランド | |
勝 | 5-2 (1) | クリストス・ピリアファス | TKO(パンチ) | KSW 20: Fighting Symphonies | 2012年9月15日 | 1 | 3:48 | グダニスク、ポーランド | |
勝 | 4-2 (1) | ボブ・サップ | TKO(パンチ) | KSW 19: Pudzianowski vs. Sapp | 2012年5月12日 | 1 | 0:39 | ウッチ、ポーランド | |
無効試合 | 3-2 (1) | ジェームス・トンプソン | 無効試合(判定変更) | KSW 17: Revenge | 2011年11月26日 | 2 | 5:00 | ウッチ、ポーランド | オープンウェイト戦に復帰。当初はプッツナウスキーのユナニマス判定勝ち。判定ミスにより変更。 |
敗 | 3-2 | ジェームス・トンプソン | 一本(肩固め) | KSW 16: Khalidov vs. Lindland | 2011年5月21日 | 2 | 1:06 | グダニスク、ポーランド | |
勝 | 3-1 | バタービーン | TKO(パウンドによるタップアウト) | KSW 14: Judgment Day | 2010年9月18日 | 1 | 1:15 | ウッチ、ポーランド | オープンウェイト戦。 |
敗 | 2-1 | ティム・シルビア | TKO(パウンドによるタップアウト) | Moosin: God of Martial Arts | 2010年5月21日 | 2 | 1:43 | ウースター、マサチューセッツ州、アメリカ合衆国 | スーパーヘビー級デビュー。 |
勝 | 2-0 | 川口雄介 | 判定(ユナニマス) | KSW 13: Kumite | 2010年5月7日 | 2 | 5:00 | カトヴィツェ、ポーランド | |
勝 | 1-0 | マルチン・ナイマン | TKO(パウンドによるタップアウト) | KSW 12: Pudzianowski vs. Najman | 2009年12月11日 | 1 | 0:43 | ワルシャワ、ポーランド | オープンウェイトデビュー。 |
6. プロスポーツ以外の活動
プッツナウスキーは、スポーツ選手としての活動以外にも、教育、ビジネス、文化活動など多岐にわたる分野でその才能を発揮し、ユニークなライフスタイルを送っている。
6.1. 学業と事業
2008年5月27日、プッツナウスキーは国際関係学の修士号を取得した。彼の修士論文のテーマは「世界のスポーツマーケティングにおける組織文化」であった。
彼は2009年のインタビューで、スポーツを趣味と捉えており、金銭のために行っているわけではないと語っている。ストロングマンやMMAでは比較的報酬が低い(「世界最強の男」の優勝賞金は6.00 万 USD、アメリカのグランプリ優勝では10.00 万 USDから15.00 万 USD程度)ため、彼の主な収入源はビジネスであると説明した。彼は警備員養成学校や不動産を所有しているほか、「Pudzianowski Transport」という運送会社も経営している。
6.2. 文化・メディア活動
プッツナウスキーは、弟のクリスティアンが結成した音楽グループ「Pudzian Band」にゲスト歌手として頻繁に登場している。彼らの最初のシングル「Zdobyć świat」は2006年にリリースされ、2009年にはアルバム「Dawaj na ring」(「リングへ行け」の意)を発表した。
また、彼はメディアにも積極的に出演している。2008年にはポーランド版「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」の第7シーズンに出演し、決勝まで進出して女優マグダレナ・ヴァラハに次ぐ2位となった。さらに、ポーランドの歌唱リアリティ番組「Just the Two of Us」の第1シーズンにも出場し、元イチ・トロイェの歌手アンナ・ヴィシニエフスカと組んでパフォーマンスを披露した。
6.3. その他の活動とライフスタイル
プッツナウスキーは熱心なアマチュアラグビーユニオン選手でもあり、ブラヒ・プルシンスキ・ブドヴラニ・ウッチでプレーしている。
彼の強靭な肉体を維持するための食生活は非常に自由である。彼はしばしばチョコレート、アイスクリーム、ハンバーガーなどを食べている姿が目撃されている。あるテレビ番組のインタビューで食生活について尋ねられた際、「何でも食べる。特定の食事制限は設けていない。食べたいものを、食べたい時に食べる」と語っている。
彼は自身のエネルギー源は食事にあると述べている。朝食は卵10個とベーコン0.9 kgから1.4 kg。食事の間にはたくさんのキャンディーを食べる。午前中には「スリー・マスケティアーズ」や「スニッカーズ」などのチョコレートバーを数本摂取し、エネルギー補給に充てる。午後1時か2時の昼食は、ポーランド風のポークチョップ、ザワークラウト、ジャガイモのダブルミールである。その1時間後にはトレーニングを行い、その後、マグネシウム、クレアチン、アミノ酸などのサプリメントと、さらにチョコレートを摂取する。夕食はステーキ、ポークチョップ、ベーコンなどの肉類に、ザワークラウトとジャガイモを添える。午後9時か10時には再びトレーニングを行い、その後プロテインシェイクとチョコレートを摂取する。午前3時か4時には目を覚まし、さらにチョコレートを食べてから朝まで眠るという。彼はポーランド料理を好み、時間がある時には自分で料理をすると語っている。レストランの食事はあまり好まず、ビゴス、ポーランドのスープ、ソーセージ、そして茹でたジャガイモ、200 gから300 gの肉、キュウリサラダなどの典型的なポーランドの夕食をよく食べる。
彼のストロングマンキャリアの初期のインタビューでは、サプリメント、トレーニング、マッサージなどにかかる月々の費用が約6000 PLN(約2000 USD)であると明かしている。
6.3.1. 商業活動
プッツナウスキーは様々な商業活動にも関与している。
- ポーランドでは、彼のプロフィールを利用したエナジードリンク「ドミネーター」が販売されている。
- 2007年の「世界最強の男」大会の米国放送中に放映されたMet-Rxのコマーシャルに出演した。
7. 評価とレガシー
マリウス・プッツナウスキーは、ストロングマンおよびMMAファイターとしてのキャリア全体を通じて、スポーツ界に多大な影響と功績を残した。
7.1. 全体的な功績と影響
プッツナウスキーは、ストロングマン競技と総合格闘技という異なる分野で頂点を極めた多才なアスリートとして評価されている。特に「世界最強の男」大会での5回優勝という記録は、彼のストレングスアスリートとしての卓越した地位を不動のものにした。ポーランド国内では絶大な人気を誇り、国民的アイコンとして広く認知されている。彼のキャリアは、単なるスポーツの成功に留まらず、強靭な肉体と精神力、そして新たな挑戦への意欲を示す象徴として、多くの人々に影響を与え続けている。
7.2. 批判と論争
彼の輝かしいキャリアの中には、いくつかの批判や論争も存在した。2004年の「世界最強の男」大会では、統括団体のストロングマン健康ポリシーに違反したとして失格処分を受けた。彼は禁止薬物使用の違反を争わず、尿サンプル検証の権利を放棄したため、賞金を返還し、1年間の出場停止処分が科せられた。
また、MMAキャリアにおいては、ジェームス・トンプソンとの再戦での判定が物議を醸し、後にノーコンテストに変更されるなど、試合結果を巡る論争も経験している。これらの出来事は、彼のキャリアにおける挑戦と、その過程で直面した困難の一部を示している。
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