1. 概要
マルケス・バチスタ・デ・アブレウ(Marques Batista de Abreuマルケス・バチスタ・デ・アブレウポルトガル語、1973年2月12日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手であり、フォワード(FW)として活躍しました。彼はそのキャリアの大半をブラジルのクラブ、特にアトレチコ・ミネイロで過ごし、名古屋グランパスエイトや横浜F・マリノスといった日本のJリーグクラブでもプレーしました。ブラジル代表としても活動し、ワールドカップ予選などに出場しました。
プロサッカー選手を引退した後、マルケスは政界に進出しました。ブラジル労働党の公認候補としてミナス・ジェライス州議会議員選挙に立候補し、トップ当選を果たして8年間議員を務めました。その後は再びサッカー界に戻り、アトレチコ・ミネイロの下部組織コーディネーターとして活動するなど、選手としても引退後も多岐にわたる分野でその才能を発揮しました。彼は右利きでありながら左足の精度も高く、特にアシスト能力に優れていました。
2. 生い立ちと背景
マルケス・バチスタ・デ・アブレウは、1973年2月12日にブラジルのサンパウロ州グアルーリョスで生まれました。彼の愛称は「ガルソン」(Garçonガルソンポルトガル語)で、給仕の意でした。選手としての体格は、身長174 cm、体重66 kgでした。
3. 選手経歴
マルケスは、1993年にコリンチャンスでプロキャリアをスタートさせ、ブラジル国内のトップクラブで活躍しました。その後、日本のJリーグにも挑戦し、国際的な経験を積みました。
3.1. クラブキャリア
プロサッカー選手として、マルケスは1993年から1995年までコリンチャンスに所属し、計36試合に出場し9得点を記録しました。1996年にはCRフラメンゴに移籍し、19試合で4得点を挙げました。この時期、彼はサンパウロFCにも短期間在籍したという情報もありますが、具体的な出場記録は確認されていません。
1997年から2002年にかけては、キャリアの重要な期間をアトレチコ・ミネイロで過ごしました。この期間に130試合に出場し、46得点を挙げ、チームの中心選手として活躍しました。特に2001年には24試合で15得点とキャリアハイの得点数を記録しています。2003年にはCRヴァスコ・ダ・ガマでプレーし、11試合で1得点を挙げました。
同年、マルケスは初めて国外移籍を経験し、日本のJリーグの名古屋グランパスエイトに加入しました。名古屋での2003年シーズンには19試合で5得点を挙げ、リーグで10アシストを記録し、アシストランキングで佐藤由紀彦(12アシスト)に次ぐ2位となるなど、高いアシスト能力を発揮しました。この時期、彼は名古屋の得点王であったウェズレイとの優れた連携を見せました。2004年にはJ1で29試合に出場し17得点と大活躍。特にセレッソ大阪戦ではハットトリックを達成し、ゴール右の角度のない位置から左足で弧を描くループシュートを決めるなど、利き足の右足だけでなく左足の精度の高さも示しました。2005年シーズン途中まで名古屋に在籍した後、再びアトレチコ・ミネイロに復帰し、30試合で10得点を記録しました。
2006年には再びJリーグに戻り、横浜F・マリノスに加入しました。横浜FMでは2006年に19試合で2得点、2007年には12試合に出場しましたが得点はありませんでした。2008年からは三度アトレチコ・ミネイロに復帰し、2008年には21試合で4得点を記録。2009年には2試合に出場しましたが無得点でした。2010年に同クラブで現役を引退しました。
3.2. 代表キャリア
マルケスは1994年から2002年にかけてブラジル代表としてプレーしました。国際Aマッチでは通算11試合に出場し、3得点を記録しています。
特に、2002 FIFAワールドカップ・南米予選では6試合に出場し、1得点を挙げるなど、代表のワールドカップ出場権獲得に貢献しました。
3.3. プレースタイル
マルケスは主にフォワードとしてプレーし、攻撃の要となりました。利き足は右足でしたが、左足の精度も非常に高く、両足でのシュートやパスを効果的に使いこなしました。彼のプレースタイルは、単なる得点源にとどまらず、味方へのアシスト能力にも長けていました。特にJリーグでのプレー時には、その優れた視野とパスセンスで多くのチャンスを演出し、アシストランキング上位に食い込むなど、攻撃の組み立てにおいても重要な役割を担いました。また、厳しい角度からのシュートを成功させるなど、優れた決定力も持ち合わせていました。
4. 獲得タイトルと個人栄誉
マルケスはキャリアを通じて、クラブタイトルと個人栄誉の両方で輝かしい記録を残しました。
4.1. クラブタイトル
- コリンチャンス
- サンパウロ州選手権: 1995
- ブラジルカップ: 1995
- フラメンゴ
- リオデジャネイロ州選手権: 1996
- コパ・デ・オロ: 1996
- アトレチコ・ミネイロ
- コパCONMEBOL: 1997
- ミナスジェライス州選手権: 1999, 2000, 2010
- ヴァスコ・ダ・ガマ
- リオデジャネイロ州選手権: 2003
4.2. 個人タイトル
- ミナスジェライス州選手権得点王: 1998年 (13得点)
- ブラジル全国選手権ベストイレブン(プラカール誌): 1999年, 2001年
- Jリーグベストイレブン: 2004年
5. 引退後の活動
2010年にプロサッカー選手としてのキャリアを終えた後、マルケスは政界に進出し、その後は再びサッカー界へと戻るという、多岐にわたる活動を行いました。
5.1. 政治家としての活動
マルケスは、2010年の現役引退と同時に政界への転身を発表し、ブラジル労働党の公認候補としてミナス・ジェライス州議会議員選挙に立候補しました。この選挙では153,000票という高い得票数を獲得し、トップ当選を果たしました。彼は州議会議員として8年間にわたり政治活動に従事しました。
5.2. サッカー界への復帰
8年間の議員生活を終えた後、マルケスは再びサッカー界に戻ることを決めました。2018年には、かつて選手として長く活躍したアトレチコ・ミネイロの下部組織コーディネーターに就任しました。これにより、彼は若手選手の育成やクラブの将来を担う人材の発掘・指導に貢献することとなりました。
6. 成績
6.1. クラブ成績
クラブパフォーマンス | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||||
ブラジル | リーグ | ブラジルカップ | リーグカップ | 合計 | |||||||||||
1993 | コリンチャンス | セリエA | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||||||
1994 | 26 | 8 | 26 | 8 | |||||||||||
1995 | 9 | 1 | 9 | 1 | |||||||||||
1996 | フラメンゴ | セリエA | 19 | 4 | 19 | 4 | |||||||||
1997 | アトレチコ・ミネイロ | セリエA | 25 | 6 | 25 | 6 | |||||||||
1998 | 21 | 8 | 21 | 8 | |||||||||||
1999 | 21 | 5 | 21 | 5 | |||||||||||
2000 | 18 | 4 | 18 | 4 | |||||||||||
2001 | 24 | 15 | 24 | 15 | |||||||||||
2002 | 21 | 8 | 21 | 8 | |||||||||||
2003 | ヴァスコ・ダ・ガマ | セリエA | 11 | 1 | 11 | 1 | |||||||||
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||||||
2003 | 名古屋 | J1 | 19 | 5 | 1 | 0 | 4 | 0 | 24 | 5 | |||||
2004 | 29 | 17 | 1 | 1 | 7 | 5 | 37 | 23 | |||||||
2005 | 11 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 14 | 5 | |||||||
ブラジル | リーグ | ブラジルカップ | リーグカップ | 合計 | |||||||||||
2005 | アトレチコ・ミネイロ | セリエA | 30 | 10 | 30 | 10 | |||||||||
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||||||
2006 | 横浜FM | J1 | 19 | 2 | 3 | 1 | 2 | 1 | 24 | 4 | |||||
2007 | 12 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 16 | 1 | |||||||
ブラジル | リーグ | ブラジルカップ | リーグカップ | 合計 | |||||||||||
2008 | アトレチコ・ミネイロ | セリエA | 21 | 4 | 21 | 4 | |||||||||
2009 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||||||||
2010 | |||||||||||||||
国 | ブラジル | 249 | 66 | 249 | 66 | ||||||||||
日本 | 90 | 27 | 6 | 2 | 19 | 9 | 115 | 38 | |||||||
合計 | 339 | 93 | 6 | 2 | 19 | 9 | 364 | 104 |
6.2. 代表成績
ブラジル代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1994 | 1 | 0 |
1995 | 0 | 0 |
1996 | 1 | 3 |
1997 | 0 | 0 |
1998 | 0 | 0 |
1999 | 0 | 0 |
2000 | 6 | 0 |
2001 | 0 | 0 |
2002 | 3 | 0 |
合計 | 11 | 3 |
7. 遺産と評価
マルケス・バチスタ・デ・アブレウは、その創造性あふれるプレーと得点感覚で、ブラジル国内リーグとJリーグの両方で高く評価されたフォワードです。特に、利き足ではない左足も巧みに使いこなす技術は、彼のプレーの幅広さを示していました。アトレチコ・ミネイロや名古屋グランパスエイトでの活躍は、それぞれのクラブの歴史にその名を刻んでいます。
サッカー界を引退した後、彼はブラジルの民主主義プロセスに積極的に関与し、州議会議員として8年間の公務を成功裏に果たしました。これは、元プロアスリートが社会貢献に転身する模範的な事例として評価できます。その後、再びサッカー界に戻り、下部組織の指導者として若手選手の育成に尽力するなど、彼は人生の異なるステージで一貫してブラジル社会とサッカー界に貢献し続けています。