1. 概要
ロベール3世・ダルトワは、中世フランスの歴史において、自身のアルトワ伯位継承問題をめぐる複雑な訴訟、そしてその後のイングランドへの亡命と百年戦争勃発における彼の決定的な役割によって知られる人物である。彼の生涯は、封建貴族間の権力闘争、法の解釈をめぐる論争、そして国家間の大規模な紛争へと発展する国際関係の不安定さを示している。特に、彼がフランス王フィリップ6世との対立の末にイングランド王エドワード3世をフランス王位主張へと焚きつけた行為は、百年戦争の主要な引き金の一つとして歴史的に評価されている。本稿では、彼の生涯の主要な出来事を辿り、その行動が当時のフランスとイングランドの関係、ひいてはヨーロッパの政治情勢に与えた広範な影響について詳細に記述する。彼の個人的な利益追求が、いかに大規模な戦争へと繋がり、多くの人々の命と社会に影響を与えたかを、客観的な視点から分析する。
2. 生涯
ロベール3世の生涯は、アルトワ伯位をめぐる熾烈な継承争いに始まり、フランスからの亡命、そしてイングランド王エドワード3世を動かして百年戦争の勃発に決定的な影響を与えるなど、激動に満ちたものであった。
2.1. 幼少期とアルトワ伯位継承問題
ロベールは1287年に、コンシュ=アン=ウーシュの領主である父フィリップ・ダルトワと、ブルターニュ公ジャン2世の娘である母ブランシュ・ド・ブルターニュの子として生まれた。両親ともにカペー朝の男系子孫であった。父フィリップは1297年8月20日のフールネの戦いで負った傷がもとで、翌1298年9月11日に死去した。この父の早すぎる死が、間接的にアルトワ伯領の継承をめぐる後の紛争の原因となる。
1302年、祖父にあたるアルトワ伯ロベール2世がコルトレの戦いで戦死すると、慣習により、ロベール3世の伯母にあたるマオー・ダルトワ(マティルドとも呼ばれる)がアルトワ伯領を継承した。ロベールが当時若年であったため、この継承に対して異議を唱えることはできなかったが、後に彼はこの継承を巡って激しく争うことになる。ヨーロッパの多くの地域では男系優先の慣習が主流であったため、ロベール3世は1309年と1318年に自身の継承権を主張して訴訟を起こしたが、いずれも敗訴した。
2.2. フィリップ6世との関係とボーモン=ル=ロジェ伯領の獲得
ロベール3世は、義理の兄にあたるヴァロワ伯フィリップのフランス王位継承において重要な役割を果たし、一時期は彼の信頼厚い助言者であった。この影響力によって、フィリップがフランス王として即位した後の1328年6月、ロベール3世はマオーのアルトワ伯領継承に対する代償として、ボーモン=ル=ロジェ伯領を与えられ、優遇された。
しかし、1329年にマオーが死去すると、アルトワ伯領の称号は彼女の娘であるブルゴーニュ女伯ジャンヌ2世に受け継がれた。この状況を受けて、ロベール3世はフランドル伯領の例にならい、再びアルトワ伯領の継承問題の再開を求めた。
2.3. 偽造遺言事件とフランスからの亡命
1331年、ロベール3世は祖父ロベール2世の「ロベール3世を後継者とする」という遺言状なるものを提出したが、これが偽造されたものであることが発覚した。この事件には、後に火刑に処されるジャンヌ・ド・ディヴィオンという女性が関与し、34の偽証と偽の文書が使用されていた。この欺瞞が露見した後、ロベール3世はアルトワ伯領獲得への望みを完全に失った。
ロベール3世は、国王からの4度目の出頭要請に応じなかったため、1332年4月8日、欠席裁判により亡命と財産没収の判決を受け、逮捕および処刑を免れるためフランスから逃亡した。彼は当初、甥であるナミュール侯ジャン2世のもとに身を寄せた。しかし、フィリップ6世はリエージュ司教に命じてナミュールを攻撃させたため、ロベール3世は義甥にあたるブラバント公ジャン3世のもとへ逃れた。しかし、フィリップ6世はブラバント公にロベール3世を放棄するよう圧力をかけたため、彼は1336年にイギリス海峡を越えて、イングランド王エドワード3世の宮廷へと逃れた。
この亡命に際し、1334年にはロベール3世の妻と息子たち(ジャン、シャルル)はノルマンディーのガイヤール城に投獄された。フィリップ6世はロベール3世を王家の謀反人であると宣言し、彼の所領を没収し、妻子を逮捕、イングランドに対してロベール3世の引き渡しを要求した。
2.4. イングランド亡命と百年戦争への影響

イングランドに亡命したロベール3世は、エドワード3世と面会した。当時の年代記作者の多くは、ロベール3世がエドワード3世に対し、フランス王位を主張し、戦争を起こすよう強く勧めたと伝えている。この時、フィリップ6世がスコットランド王デイヴィッド2世を保護していたことに不満を抱いていたエドワード3世は、その報復としてロベール3世を歓迎し、1341年にリッチモンド伯の称号を与えた。
イングランド滞在中、ロベール3世はエドワード3世の王室評議会のメンバーとなり、フランス宮廷に関する広範な情報を提供した。彼の復讐への強い執念と、提供された詳細な情報は、エドワード3世がフランス王位への主張を具体化する上で極めて重要であった。フィリップ6世が1337年5月にギエンヌ公領を没収する理由として、エドワード3世がロベール3世を追放しようとしないことを挙げたことから、ロベール3世の存在が直接的に百年戦争の勃発に繋がったと多くの同時代の年代記作者たちは関連付けている。
ロベール3世は、百年戦争の初期段階におけるエドワード3世の軍事作戦に同行し、1340年のサン=オメールの戦いではイングランド・フランドル連合軍を指揮した。また、同年9月にイングランドとフランスの間で休戦協定が結ばれると、彼はイングランド側のモンフォール家の支持者としてブルターニュ継承戦争に参戦した(彼の母がブルターニュ公ジャン2世の娘であったことから、ブルターニュ地方との血縁関係があった)。
2.5. 死去
1342年11月、ブルターニュ継承戦争中のヴァンヌ攻囲戦からの撤退中に負傷し、その傷がもとで赤痢に罹り死去した。正確な死亡日は1342年10月6日から11月20日の間とされている。彼は当初ロンドンのブラックフライアーズ修道院に埋葬されたが、現在その墓はセント・ポール大聖堂にある。
3. 家族
ロベール3世は1320年頃、ヴァロワ伯シャルルと、その2番目の妻であるカトリーヌ1世・ド・クールトネーの娘であるジャンヌ・ド・ヴァロワと結婚した。彼らの間には6人の子女が生まれた。
- ルイ(1320年 - 1326年/1329年)
- ジャン(1321年 - 1387年) - ウー伯
- ジャンヌ(1323年 - 1324年)
- ジャック(1325年頃 - 1347年以降)
- ロベール(1326年頃 - 1347年以降)
- シャルル(1328年 - 1385年) - ペズナ伯
4. 遺産と影響
ロベール3世・ダルトワの生涯は、彼の死後もフランスとイングランドの関係に深い影響を与え続けた。特に、彼がイングランド王エドワード3世を動かして百年戦争の勃発に決定的な役割を果たしたことは、歴史家によって繰り返し言及されている。
4.1. 百年戦争への具体的な影響
ロベール3世は、イングランド亡命後、エドワード3世の王室評議会に加わり、フランス宮廷に関する極めて詳細な情報を提供した。彼は、エドワード3世に対し、フランス王位を主張するよう積極的に助言し、その正当性を強調した。この助言は、エドワード3世のフランス王位への野心を刺激し、具体的な戦争計画の策定に大きく貢献した。フィリップ6世がロベール3世の追放を拒否したことを理由にギエンヌ公領を没収したことは、両国の緊張を決定的に高め、百年戦争開戦の直接的な引き金となった。
1340年代後半には、フランスとイングランドで「ヘロンの誓い」(Voeux du héronヴォー・デュ・エロンフランス語)と呼ばれる詩が流通した。これは、エドワード3世のフランス侵攻が、ロベール3世に対してなされた騎士道的な誓いの履行であり、フランス王位が彼の世襲権であると描かれていた。これは、ロベール3世の存在が、単なる政治的亡命者ではなく、紛争の象徴として捉えられていたことを示している。
4.2. 歴史的評価
ロベール3世・ダルトワに対する歴史的評価は、彼の行動がもたらした結果の重大性から、多角的な議論の対象となっている。
4.2.1. 肯定的な側面
ロベール3世は、自身のアルトワ伯位に対する正当な(彼から見て)主張を追求するために、粘り強く法廷闘争を続けた人物として評価できる。彼の粘り強さと諦めない精神は、彼の権利を巡る闘争において顕著であった。また、イングランド亡命後、彼はエドワード3世にフランス宮廷の詳細な情報を提供し、百年戦争初期の戦略立案に貢献した。これは、彼の情報収集能力と戦略的洞察力の高さを示すものであり、エドワード3世にとって極めて価値のある存在であった。彼は、自身が不当に排除されたと信じる王位継承の秩序に立ち向かった点で、ある種の抵抗の象徴とも見なせる。
4.2.2. 批判と論争
一方で、ロベール3世の行動は、その倫理的な問題点や引き起こした悲劇的結果から、強い批判と論争の対象となっている。最も重大な批判は、1331年に発覚した祖父ロベール2世の遺言状を偽造したとされる事件である。この欺瞞は、彼の信頼性を著しく損ない、法的措置とフランスからの亡命という結果を招いた。
さらに、彼はイングランドに亡命後、エドワード3世に対し、フランス王位を主張し、戦争を開始するよう積極的に煽動した。この行動は、結果として百年戦争という長期にわたる大規模な紛争の主要な引き金となり、フランスとイングランド両国の甚大な犠牲と破壊をもたらした。彼が自身の個人的な復讐心と領土への執着から、国際的な平和を著しく損ねたという批判は根強い。また、祖母マオーの死後、従妹ジャンヌが1330年に亡くなった際に、ロベール3世による毒殺ではないかとの疑いもかけられており、彼の行動には常に道徳的な影が付きまとっていた。
5. 大衆文化における描写
ロベール3世・ダルトワは、モーリス・ドリュオンによるフランスの歴史小説シリーズ『呪われた王たち』(Les Rois mauditsレ・ロワ・モディフランス語)の主要な登場人物として描かれており、彼の生涯の多くの出来事がこの作品で再構築されている。このシリーズのフランスのテレビミニシリーズ化作品では、1972年版でジャン・ピアが、2005年版でフィリップ・トレトンがロベール3世を演じた。
6. 関連項目
- アルトワ家
- アルトワ伯
- 百年戦争
- フィリップ6世 (フランス王)
- エドワード3世 (イングランド王)
- ブルターニュ継承戦争