1. 概要
土田尚史は、岡山県岡山市出身の元サッカー選手であり、現在は浦和レッズのクラブスタッフとして活動しています。現役時代はゴールキーパーとして、三菱重工業サッカー部(後の浦和レッズ)で1989年から2000年までプレーしました。大声と気迫あふれるプレーで知られ、サポーターから愛された選手です。引退後は、浦和レッズのコーチ、GKコーチを長年務め、2020年から2023年まではスポーツダイレクター(SD)としてクラブ運営に貢献しました。
2. 生涯
土田尚史は、1967年2月1日に岡山県岡山市で生まれました。身長は187 cm、体重は87 kgで、利き足は右足でした。
サッカーの道を歩むまでの背景として、岡山理科大学附属高校に1982年から1984年まで在籍しました。その後、大阪経済大学に進学し、1985年から1988年までプレーしました。大学卒業後、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせます。
3. 選手経歴
土田尚史の選手としてのキャリアは、三菱重工業サッカー部でのプロ入りから始まり、長年にわたりゴールキーパーとして活躍しました。
3.1. クラブキャリア
土田尚史は、大阪経済大学を卒業後、1989年に日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工業サッカー部(後に浦和レッズに改称)に加入しました。1991年からはゴールキーパーとして多くの試合に出場するようになります。
1992年にJSLが解散し、新たにJリーグが創設されました。Jリーグ移行後も彼は浦和レッズでプレーを続け、長年にわたり田北雄気と激しいポジション争いを繰り広げました。1994年と1995年にはレギュラーゴールキーパーとしてチームを支えました。
しかし、1996年のキャンプで目を負傷したことに加え、その後も多くの故障に悩まされるようになり、1997年からは出場機会が減少しました。1999年には全く試合に出場することができず、2000年シーズン終了をもって、長年のライバルであった田北雄気とともに現役を引退しました。
Jリーグ初出場は、1993年5月16日のガンバ大阪戦で、万博で行われました。1991年にはコニカカップで4試合に出場し、無得点でした。
3.2. 日本代表キャリア
土田尚史は、大阪経済大学在学中の1988年に、AFCアジアカップ1988の日本代表Bチームに選出されました。この大会では、カタール戦で1試合に出場しました。
この試合は当時国際Aマッチ出場として記録されていましたが、1996年に日本サッカー協会による日本代表公式試合の見直しが行われた結果、日本代表の「トップチーム」の試合ではないため、Aマッチの出場記録としては認められなくなりました。現在、彼のAマッチ出場記録は抹消されています。しかし、Bチームとは別に、1989年には日本代表の南米遠征に参加しています。
4. 引退後の活動
現役引退後、土田尚史はサッカー界、特に浦和レッズにおいて、指導者およびクラブスタッフとして重要な役割を担ってきました。
4.1. 指導者・クラブスタッフとしての経歴
2000年の現役引退後、土田尚史は2001年に浦和レッズのトップチームコーチに就任しました。翌2002年から2018年までの長きにわたり、トップチームのゴールキーパーコーチを務め、浦和の躍進を支えました。
指導者としての活動と並行して、彼はクラブ運営や関連団体での役割も果たしています。2012年には浦和レッドダイヤモンズOB会の会長に就任しました。
2019年にはクラブスタッフとして社長付の地域貢献担当を務めました。そして、2020年から2023年までは、スポーツダイレクター(SD)として、浦和レッズの強化体制の再編に尽力しました。彼がSDに就任した2020年は、浦和レッズが5年ぶりに無冠となった時期であり、強化体制の一新が図られました。土田尚史は2023年にSDを退任しました。
5. 人物・エピソード
土田尚史は、その個性的な人柄と、現役時代および引退後にまつわる数々のエピソードで知られています。愛称は「ツッチー」。客席まではっきりと聞こえる大声の持ち主であり、気迫あふれるプレーは多くのサポーターに愛されました。彼の応援歌には「ハイ・ホー」が原曲として使われていました。
レッズの後輩である岡野雅行に「野人」というニックネームを付けたのは、土田尚史自身であるとされています。
印象的な試合での出来事としては、1995年3月29日に行われたJリーグの名古屋戦でのPK戦エピソードが挙げられます。この試合はPK戦にもつれ込み、名古屋の5人目、浅野哲也のシュートを止めた際、土田は「勝ったと思った。でも、振り向くとだれもこっちに来ない。カウントを間違えたんです」と語っています。
6. 記録・統計
土田尚史の選手としての公式戦出場記録は以下の通りです。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | ||||||
1989-90 | 三菱 | JSL2部 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1990-91 | JSL1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
1991-92 | 12 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | ||
1992 | 浦和 | J | - | 4 | 0 | 9 | 0 | 13 | 0 | |
1993 | J | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | |
1994 | J | 43 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 48 | 0 | |
1995 | J | 47 | 0 | - | 3 | 0 | 50 | 0 | ||
1996 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1997 | J | 14 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 18 | 0 | |
1998 | J | 17 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 21 | 0 | |
1999 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2000 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
総通算 | 150 | 0 | 15 | 0 | 18 | 0 | 183 | 0 |
7. 外部リンク
- [http://www.urawa-reds.co.jp/players/%E5%9C%9F%E7%94%B0%E5%B0%9A%E5%8F%B2/ 浦和レッドダイヤモンズによる公式プロフィール]
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=75 Jリーグ公式サイトのプロフィールと統計]