1. 生涯
坂田恵は、選手としてのキャリアを通じて、日本の女子サッカー界に大きな足跡を残し、引退後も指導者としてその経験を伝えている。
1.1. 幼少期と教育
坂田恵は1971年10月18日に熊本県菊池郡大津町で生まれた。熊本県立大津高等学校でサッカーを始め、その後日本体育大学に進学し、教育を受けた。
1.2. 選手経歴
坂田恵は高校卒業後からプロ選手として、そして日本女子代表として活躍し、日本の女子サッカーの黎明期を支えた選手の一人である。
1.2.1. クラブ経歴
高校卒業後の1990年、日本女子サッカーリーグの日産FCレディースに加入。新人ながらリーグ戦の全試合に出場した。日産FCレディースには1993年まで在籍し、この期間にリーグ戦52試合に出場したが、クラブは1993年シーズン終了後に廃部となった。
1994年には伊賀フットボールクラブくノ一(当時プリマハムFCくノ一)へ移籍。1995年には、チームの第7回日本女子サッカーリーグでの初優勝に貢献し、同年の第16回全日本女子サッカー選手権大会でも優勝を経験した。プリマハムFCくノ一では1996年までプレーし、リーグ戦34試合に出場した。この1996年シーズン終了後、一度現役を引退した。
しかし、1999年にTASAKIペルーレFC(当時田崎ペルーレFC)で現役復帰を果たす。田崎ペルーレFCには2002年シーズンまで在籍し、リーグ戦38試合に出場した。この間、1999年の第21回全日本女子サッカー選手権大会と2002年の第24回全日本女子サッカー選手権大会でチームの優勝に貢献した。2003年シーズンをもって選手としてのキャリアを終え、二度目の引退となった。選手キャリア全体でのリーグ戦通算出場数は124試合、得点はいずれもゴールキーパーとして0である。
1.2.2. 代表経歴
坂田恵は日本体育大学在学中の1989年12月、18歳で初めて日本女子代表(なでしこジャパン)に招集された。1989年12月24日に行われた第7回AFC女子選手権のネパール戦(香港・旺角大球場)で国際Aマッチデビューを飾った。
その後も継続的に代表に選出され、1990年の第11回アジア競技大会では銀メダル獲得に貢献した。また、1991年の第4回ヴァルナ国際女子大会、第8回アジア女子選手権に出場し、初のFIFA女子ワールドカップとなる第1回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーにも選出された。
1993年には第9回アジア女子選手権、1994年にはスロバキア国際女子大会に参加。1995年には第10回アジア女子選手権と第2回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーに選ばれるなど、主要国際大会で日本のゴールを守った。1996年にはUS女子カップに出場し、同年のアトランタオリンピックではバックアップメンバーとしてチームを支えた。代表としての通算出場試合数は10試合、得点数は0である。
2. 成績
2.1. クラブ成績
年 | クラブ | 背番号 | リーグ | 出場 | 得点 | リーグカップ | 出場 | 得点 | 皇后杯 | 出場 | 得点 | 総計 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 日産FCレディース | 21 | JLSL | 15 | 0 | - | ||||||||
1991 | 18 | 0 | - | |||||||||||
1992 | 16 | 1 | 0 | |||||||||||
1993 | 18 | 0 | ||||||||||||
1994 | プリマハムFCくノ一 | 1 | L・リーグ | 18 | 0 | |||||||||
1995 | 16 | 0 | ||||||||||||
1996 | 0 | 0 | ||||||||||||
1999 | 田崎ペルーレFC | 14 | 0 | |||||||||||
2000 | 7 | 0 | - | |||||||||||
2001 | 11 | 0 | - | |||||||||||
2002 | 6 | 0 | - | |||||||||||
総通算 | 124 | 0 |
2.2. 代表成績
日本女子代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1989 | 1 | 0 |
1990 | 2 | 0 |
1991 | 3 | 0 |
1992 | 0 | 0 |
1993 | 1 | 0 |
1994 | 1 | 0 |
1995 | 1 | 0 |
1996 | 1 | 0 |
合計 | 10 | 0 |
2.2.1. 主要大会出場歴
# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1989年12月24日 | Hong Kong香港英語 | Nepalネパール英語 | ○14-0 | 鈴木保 | アジア選手権 | |
2 | 1990年09月09日 | 釜山 | 韓国 | ○5-0 | 国際親善試合 | ||
3 | 1990年09月29日 | 北京 | 韓国 | ○8-1 | アジア大会 | ||
4 | 1991年04月05日 | ヴァルナ | ハンガリー | ○2-0 | ヴァルナ国際大会 | ||
5 | 1991年06月01日 | 福岡県 | 福岡県営春日公園 | マレーシア | ○12-0 | アジア選手権 | |
6 | 1991年06月03日 | 福岡県 | 平和台陸上競技場 | シンガポール | ○10-0 | アジア選手権 | |
7 | 1993年12月08日 | クチン | 香港 | ○4-0 | アジア選手権 | ||
8 | 1994年08月21日 | ドブニッツァ | オーストリア | ○1-0 | スロバキア国際大会 | ||
9 | 1995年09月25日 | コタキナバル | インド | ○6-0 | アジア選手権 | ||
10 | 1996年05月16日 | ホットボロー | アメリカ合衆国 | ●0-4 | US女子カップ |
3. タイトルと栄誉
坂田恵は選手キャリアにおいて、以下の主要なタイトルを獲得している。
- 日本女子代表**
- アジア競技大会 北京:銀メダル (1990年)
- 兵庫県代表**
- 国民体育大会 成年女子の部:1回 (1999年 第54回国民体育大会)
- クラブ**
- プリマハムFCくノ一**
- 日本女子サッカーリーグ:1回 (1995年 第7回日本女子サッカーリーグ)
- 全日本女子サッカー選手権大会:1回 (1995年 第16回全日本女子サッカー選手権大会)
- 田崎ペルーレFC**
- 全日本女子サッカー選手権大会:2回 (1999年 第21回全日本女子サッカー選手権大会、2002年 第24回全日本女子サッカー選手権大会)
- プリマハムFCくノ一**
4. 指導者経歴
選手引退後、坂田恵はサッカー指導者として新たなキャリアをスタートさせた。
選手引退後、日本体育大学女子サッカー部でコーチを務めた。
2006年には、かつて選手として所属した伊賀フットボールクラブくノ一のゴールキーパーコーチに就任した。
2007年には、大分トリニータが女子サッカースクールを母体に発足させた女子チーム「大分トリニータレディース」のゴールキーパーコーチに就任し、2008年には同チームの監督を務めた。
2009年には佐賀県のフットサルチーム「FC ALEGRE CAMINHO」に選手として所属し、全日本女子フットサル選手権大会に出場している。
また、日本サッカー協会が主催するスーパー少女プロジェクトやJFAエリートプログラムにおいて、ゴールキーパーコーチとして若手選手の育成に貢献している。
2016年からは広島文教女子大学附属高等学校サッカー部の監督を務め、高校生世代の指導に尽力している。
5. 引退後の活動と社会貢献
選手引退および指導者としての活動に加え、坂田恵は日本のサッカー界全体への貢献を続けている。特に日本サッカー協会主催のスーパー少女プロジェクトやJFAエリートプログラムでのゴールキーパーコーチとしての役割は、将来のなでしこジャパンを担う若い才能の発掘と育成に不可欠なものである。広島文教女子大学附属高等学校での監督業も、教育とスポーツの融合を通じて社会貢献に繋がる活動である。
6. 関連項目
- サッカー日本女子代表
- FIFA女子ワールドカップ
- 日本女子サッカーリーグ
- 伊賀フットボールクラブくノ一
- TASAKIペルーレFC
- 大分トリニータレディース
- 日本サッカー協会