1. 概要
大谷秀和(おおたに ひでかず)は、千葉県流山市出身の元プロサッカー選手であり、現在は柏レイソルのコーチを務めるサッカー指導者です。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)で、身長174 cm、体重67 kgでした。日本プロサッカー選手会の副会長も務めました。
柏レイソルユースで育ち、2003年にトップチームに昇格して以降、2022年に現役を引退するまで一貫して柏レイソルに所属し続けたバンディエラとして知られています。選手として柏レイソルのJ1初優勝(2011年)を含む数々の主要タイトル獲得に貢献し、2008年からは長きにわたりチームのキャプテンを務め、「ピッチ上の指揮官」として攻守のバランスを統率するだけでなく、ピッチ外でも卓越したリーダーシップを発揮しました。公式戦通算610試合に出場し、29得点を記録しています。
2. 来歴
大谷秀和は、1984年11月6日に千葉県流山市で生まれました。
2.1. プロ入り前
小学校1年生の時に初石少年サッカークラブでサッカーを始め、小学校4年生からは流山市の選抜チームである流山FCでもプレーしました。小学生時代は主にフォワードを務めていました。
中学校入学後は柏レイソルの下部組織に加入し、ポジションをトップ下に移しました。高校3年時には、クラブユース勢から唯一千葉県代表に選出され、市立船橋高校の原一樹や大久保裕樹、流通経済大学付属柏高校の近藤祐介らと共に第57回国民体育大会で全国優勝を成し遂げました。
2.2. 柏レイソル
2003年に柏レイソルのトップチームへ昇格しました。同期には矢野貴章や谷澤達也らがいます。プロ入り後、プレシーズンマッチのちばぎんカップでルーキーながらボランチのポジションで先発出場し、試合を視察していた日本代表のエドゥテクニカルアドバイザー(当時)からプレーを絶賛されました。
2.2.1. プロデビューと初期の成長
2003年3月22日、リーグ開幕節のFC東京戦でプロデビューを果たしました。翌2004年10月17日のJ1 2ndステージ第9節名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを記録しました。
2005年には明神智和とダブルボランチを組み、リーグ戦20試合に出場しましたが、チームは下位に低迷し、J1・J2入れ替え戦でヴァンフォーレ甲府に敗れ、J2へ降格しました。
石崎信弘新監督が就任した2006年、大谷は選手会長に任命され、明神の移籍に伴い背番号「7」を引き継ぎました。この年、明神のほか玉田圭司、矢野貴章、永田充、波戸康広といった多くの主力選手がチームを去る中で、大谷はミッドフィールダー、ディフェンダーなど様々なポジションでプレーし、1年でのJ1復帰に貢献しました。2007年からは、主に左サイドバックとしてレギュラーに定着しました。
2.2.2. キャプテンとしての活躍と主要タイトル獲得
2008年からはチームの主将に就任しました。同年には天皇杯で準優勝を経験しました。
しかし、2009年シーズンはチームの成績が振るわず、再びJ2に降格しました。同年7月にネルシーニョ監督が就任して以降、大谷は再びボランチに専念してチームの中心を担うことになりました。2010年にはJ2リーグで優勝し、わずか1年でJ1に復帰しました。
2011年には、柏レイソルがクラブ史上初のJ1リーグ優勝を果たしました。大谷はこの優勝に大きく貢献し、Jリーグ優秀選手賞を受賞しました。
その後もチームの躍進は続き、2012年には天皇杯、2013年にはヤマザキナビスコカップ、2012年にはFUJI XEROX SUPER CUP、2014年にはスルガ銀行チャンピオンシップと、数々の主要タイトル獲得に貢献しました。
2015年には吉田達磨新監督の下、ボランチよりも前線に近いインサイドハーフのポジションで起用されました。同年7月には東アジアカップ2015の予備登録メンバーに選出され、30歳にして初めて日本代表候補に選出されました。
2017年4月8日のJ1第6節清水エスパルス戦では、クラブ史上初のJ1通算300試合出場を達成しました。同年にはリーグ戦でキャリアハイとなる5得点を記録しました。
2020年12月16日のJ1第33節サンフレッチェ広島戦に先発出場し、カレカが保持していたクラブのリーグ戦最年長出場記録(36歳1ヶ月4日)を6日更新する36歳1ヶ月10日での出場となりました。
2.2.3. 現役引退と指導者キャリアへの移行
2022年10月31日、大谷は同シーズン限りで現役を引退することを発表しました。プロ選手としてのキャリアを通じて、一貫して柏レイソル一筋を貫きました。
2023年からは柏レイソルのコーチに就任し、指導者としての新たなキャリアをスタートさせました。
3. プレースタイル
大谷秀和は、本職のボランチに加え、キャリアを通じてゴールキーパーを除く全てのポジションを経験したユーティリティープレイヤーとして知られています。
プロ入り前はフォワードやトップ下といった攻撃的なポジションでプレーしていました。しかし、柏レイソルユース時代にトップチームのエースだった玉田圭司のプレーを間近で見た際に、「これはものが違いすぎる。攻撃の選手ってこういう人たちばかりなんだ」と感じ、コーチの勧めもあってプロ入り後はボランチに転向しました。
3.1. キャプテンとして
大谷は2008年から一貫して柏レイソルの主将を務めました。卓越した戦術眼で攻守のバランスを取る「ピッチ上の指揮官」としてチームを統率するだけでなく、ピッチ外でもチームのまとめ役を担いました。
2014年に柏に在籍した高山薫は、大谷について「選手同士って仲が良いからあんまり怒ったりしないんですけど、大谷選手は例えば飯でもジャンクなものとか食べていると『ありえないだろう』とか言うし、普段の生活でもちょっと怠けていたりすると普通に怒られるし。キャプテンシーがすごかったですね、ピッチ内でもピッチ外でも」と語っています。
2017年5月20日のJ1第12節ジュビロ磐田戦では、福島孝一郎主審が柏に与えたPKを副審との協議の末に取り消し、ドロップボールから試合を再開するという異例の判定がありました。PKかプレーオンであれば得点のチャンスを迎えていた柏の選手たちは一斉に福島主審へ詰め寄り抗議しましたが、主将の大谷はチームメートを下がらせ、判定を尊重して試合再開に協力的な態度を示しました。この判定が日本サッカー協会審判委員会のレフェリーブリーフィングで取り上げられた際、審判委員会副委員長の上川徹は「とてもリスペクトある対応。チームのリーダーとしてとってくれた行動に感謝したい」と大谷に敬意を表しました。
4. 代表歴
大谷秀和は、日本代表候補または予備登録メンバーに複数回選出されています。
- 東アジアカップ2015(2015年、予備登録メンバー)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2016年、予備登録メンバー)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2017年、予備登録メンバー)
5. 人物
大谷秀和は2012年3月19日、千葉県在住の一般女性と入籍しました。
2015年7月に長男、2019年5月に次男、2021年10月に三男が誕生しています。
6. 所属クラブ
; ユース経歴
- 1991年 - 1996年 初石少年サッカークラブ / 流山FC
- 1997年 - 1999年 柏レイソルジュニアユース(流山市立西初石中学校)
- 2000年 - 2002年 柏レイソルユース(流通経済大学付属柏高等学校)
; プロ経歴
- 2003年 - 2022年 柏レイソル
7. 指導歴
- 2023年 - 柏レイソルコーチ
8. 個人成績
8.1. クラブ成績
シーズン | クラブ | リーグ | リーグ出場 | リーグ得点 | 天皇杯出場 | 天皇杯得点 | Jリーグカップ出場 | Jリーグカップ得点 | その他公式戦出場 | その他公式戦得点 | 国内合計出場 | 国内合計得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 柏レイソル | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | - | 9 | 0 | |
2004 | 16 | 1 | 1 | 0 | 4 | 1 | - | 21 | 2 | |||
2005 | 20 | 3 | 2 | 0 | 2 | 2 | 2 | 0 | 26 | 5 | ||
2006 | J2 | 29 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 29 | 1 | ||
2007 | J1 | 31 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 34 | 0 | ||
2008 | 33 | 3 | 4 | 0 | 5 | 0 | - | 42 | 3 | |||
2009 | 20 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | 25 | 1 | |||
2010 | J2 | 35 | 2 | 3 | 0 | - | - | 38 | 2 | |||
2011 | J1 | 27 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 36 | 0 | |
2012 | 31 | 1 | 4 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 42 | 1 | ||
2013 | 31 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | ||
2014 | 30 | 0 | 2 | 1 | 10 | 0 | - | 42 | 1 | |||
2015 | 31 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 34 | 2 | |||
2016 | 20 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | - | 26 | 1 | |||
2017 | 32 | 5 | 3 | 0 | - | - | 35 | 5 | ||||
2018 | 25 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | - | 30 | 1 | |||
2019 | J2 | 30 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 32 | 0 | ||
2020 | J1 | 23 | 2 | - | 3 | 0 | - | 26 | 2 | |||
2021 | 6 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 8 | 1 | |||
2022 | 4 | 0 | - | 3 | 0 | - | 7 | 0 | ||||
国内合計 | 478 | 23 | 38 | 3 | 56 | 2 | 8 | 0 | 580 | 28 |
シーズン | クラブ | AFCチャンピオンズリーグ出場 | AFCチャンピオンズリーグ得点 | 国際合計出場 | 国際合計得点 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2012 | 柏レイソル | 6 | 0 | 6 | 0 | |
2013 | 9 | 0 | 9 | 0 | ||
2015 | 9 | 1 | 9 | 1 | ||
2018 | 6 | 0 | 6 | 0 | ||
国際合計 | 30 | 1 | 30 | 1 |
大谷秀和のプロキャリアにおける公式戦総通算記録は、610試合出場、29得点です。
8.2. 記録
- 公式戦・Jリーグ初出場 - 2003年3月22日 J1 1stステージ第1節 FC東京戦(味の素スタジアム)
- 公式戦・Jリーグ初得点 - 2004年10月17日 J1 2ndステージ第9節 名古屋グランパス戦(日立柏サッカー場)
9. タイトル
9.1. クラブタイトル
- 国民体育大会サッカー競技 : 1回 (2002年、千葉県代表として)
- Jリーグ ディビジョン2:2回 (2010年、2019年)
- Jリーグ ディビジョン1:1回 (2011年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2012年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回 (2012年)
- ヤマザキナビスコカップ:1回 (2013年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ : 1回 (2014年)
9.2. 個人タイトル
- Jリーグ優秀選手賞:1回 (2011年)
10. 評価
大谷秀和は、柏レイソルユースからの生え抜き選手として、プロキャリアの全てを柏レイソル一筋で過ごした稀有なバンディエラ(Bandiera旗頭イタリア語)として、クラブの歴史にその名を刻みました。約20年間にわたりチームを支え、特に長年務めたキャプテンとしての貢献は計り知れません。
彼のリーダーシップは、ピッチ上での戦術眼と攻守のバランスを保つ「ピッチ上の指揮官」としての役割に留まらず、ピッチ外でもチームの規律と結束を重んじる姿勢が知られています。若手選手に対しては時に厳しくも愛情を持って指導し、チーム全体のプロ意識向上に貢献しました。
2017年のJ1リーグでのジュビロ磐田戦におけるPK取り消し騒動の際に、チームメートの抗議を鎮め、審判の判断を尊重する姿勢を見せたエピソードは、彼の人間性と模範的なスポーツマンシップを示すものとして高く評価されています。このような献身とリーダーシップが、柏レイソルがJ2降格からJ1優勝、そして数々のタイトルを獲得する過程において、大谷がチームの精神的な支柱であり続けた理由を物語っています。