1. 概要
川元正英は、1971年6月21日に神奈川県で生まれた日本の元サッカー選手である。プロキャリアを富士通(後に川崎フロンターレ)でスタートし、主にセンターバックとして活躍した。特に屈強な身体を活かした守備と、3バックシステムにおけるストッパーとしての適性で知られる。1999年のJ2リーグ優勝とJ1昇格に貢献した後、社員選手としてクラブを退団し、社業に専念しつつもアマチュアリーグでサッカーを続けた。
2. 生い立ちと学歴
2.1. 出生と幼少期
川元正英は、1971年6月21日に神奈川県で生まれた。彼の身長は182 cm、体重は73 kgであった。
2.2. 学生時代のサッカーキャリア
神奈川県立厚木南高等学校に進学し、高校時代から本格的にサッカーに取り組んだ。その後、東海大学に進学し、同大学のサッカー部に所属。この期間にアマチュア選手としての基礎を築き、将来のプロキャリアに向けた重要な経験を積んだ。
3. 選手キャリア
3.1. クラブキャリア
3.1.1. 富士通SC時代
大学卒業後、川元正英は1994年に富士通に入社し、当時のジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた同社の富士通サッカー部でプレーを始めた。入団初年度からセンターバックとしてレギュラーの座を獲得し、チームの守備の要として活躍した。しかし、翌1995年には自身の負傷やチーム内でのレギュラー争いにより、出場試合数が一時的に減少した。1996年にはリーグ戦13試合に出場するなど、再び出場機会を増やした。
3.1.2. 川崎フロンターレへの移行とJリーグ昇格時期
1997年、富士通サッカー部は「川崎フロンターレ」としてプロ化し、Jリーグへの参入を目指すこととなった。川元はプロ化後もチームに残り、旧JFLとして最後のシーズンとなった1998年には再びレギュラーに返り咲き、中心選手としてチームを牽引した。同年11月19日に行われたJ1参入決定戦の予備戦、後に「博多の森の悲劇」と語られるアビスパ福岡戦では、延長戦を含めフル出場したが、チームは3ゴールを許し、惜敗した。
1999年、クラブがJ2リーグに参入した際、川元はプロ契約を結ばず、同僚の小松崎保や久野智昭などと同じく社員選手としてJリーグでプレーを続けた。このシーズン、チームはJ2リーグで優勝し、翌2000シーズンのJ1昇格を決めた。この年、東海大学の後輩である寺田周平が入団し、開幕戦などで同時に先発出場する場面も見られた。
3.1.3. 最終シーズンとクラブ退団
1999年シーズンは、若手の佐原秀樹の台頭により、川元は控えに回るか、ベンチから外れることが多くなり、出場機会が減少した。チームがJ2優勝とJ1昇格を決めたシーズン終了後、川元はクラブを退団し、富士通の社業に専念することになった。これにより、彼はJ1リーグでのプレー経験はないまま、プロとしてのキャリアを終えることになった。
3.2. プレースタイル
川元正英は、その屈強な身体を活かして相手の攻撃を止めるセンターバックタイプのディフェンダーとして知られていた。特にサイドからの攻撃を抑えるストッパーとしての適性が高く、当時川崎フロンターレが採用していた3人のセンターバック型選手で守る「3バック」システムにおいては、左サイドのストッパーとして先発起用されることが多かった。前述の1998年のJ1参入決定戦でも、川元はこのポジションで中西哲生やアルテミリ・ペッサリと3バックを組み、チームの守備を支える重要な役割を担った。
4. 個人成績
川元正英のクラブ別、シーズン別の公式戦出場記録および得点記録を以下に示す。
クラブ成績 | リーグ | 天皇杯 | リーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1994 | 富士通 | 旧JFL | 21 | 1 | - | - | 21 | 1 | ||
1995 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |||
1996 | 13 | 0 | 3 | 1 | - | 16 | 1 | |||
1997 | 川崎フロンターレ | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
1998 | 24 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 31 | 0 | ||
1999 | J2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |
2000 | 神奈川教員 | 神奈川県1部 | - | 2 | 0 | - | 2 | 0 | ||
通算 | 68 | 1 | 8 | 1 | 4 | 0 | 80 | 2 |
その他の公式戦
- 1998年 J1参入決定戦:1試合0得点
- J2初出場:1999年3月14日 対アルビレックス新潟戦(等々力陸上競技場)
5. 引退後の活動
川崎フロンターレを退団し、Jリーグでのプロキャリアを終えた後も、川元正英はサッカーとの関わりを持ち続けた。2000年には、平日に富士通で勤務しながら、神奈川県社会人サッカーリーグ1部に所属する神奈川県教員サッカークラブに参加し、アマチュア選手としてプレーを続けた。この年、同クラブの一員として天皇杯本大会に神奈川県代表として出場した。
また、引退後も川崎フロンターレとのつながりを保ち、2006年9月17日に開催された川崎フロンターレ10周年記念の「OBドリームマッチ」や、その前日に川崎市等々力陸上競技場で行われた交流イベントにも参加した。これらのイベントでは、かつてのホームスタジアムでプレーする姿を披露し、久々に川崎フロンターレサポーターからの温かい歓声を受けた。
6. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1772 J.League Player Profile (No.1772)]
- [http://www.frontale.co.jp/profile/1999/index.html Kawasaki Frontale 1999 Player Profile]