1. Overview
柳楽智和は、1985年10月17日に島根県出雲市で生まれた日本の元プロサッカー選手である。主にセンターバックとしてプレーし、そのキャリアを通じてアビスパ福岡、FC東京、ガイナーレ鳥取の3つのクラブに所属した。特に2005 FIFAワールドユース選手権ではU-20日本代表の主力選手として全試合にフル出場し、その闘志あふれるプレーで高い評価を得た。2013年シーズン終了後に現役を引退し、現在は福岡市内の民間企業に勤務している。
2. 生涯とキャリア
柳楽智和のサッカー選手としての生涯は、ユース時代から輝かしい活躍を見せ、プロキャリアではそのフィジカルの強さと闘争心でチームに貢献した一方で、規律違反などの問題も経験した。
2.1. ユース・高校時代
柳楽智和は1985年10月17日に島根県出雲市で生まれた。幼少期は四絡SCに所属し、その後出雲市立第三中学校でサッカーを続けた。
2001年に立正大学淞南高等学校へ進学。在学中には3年連続で全国高校サッカー選手権大会に出場し、2003年度の第82回大会ではチームを全国ベスト16に導く活躍を見せた。この功績により、チームで唯一の優秀選手に選出され、高校選抜にも名を連ねた。
2.2. クラブキャリア
高校卒業後、柳楽はプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、複数のクラブで経験を積んだ。
2.2.1. アビスパ福岡
2004年、高校卒業後にアビスパ福岡に加入し、プロとしての第一歩を踏み出した。2005年にデビューを果たし、年々出場機会を増やしていった。
しかし、キャリアの初期には、集中力の持続が困難で精神的なムラがあるという課題に直面し、それが荒いプレーにつながることもあった。
2006年9月、J1第23節の横浜FM戦では、相手フォワード(FW)の久保竜彦との接触後に小競り合いとなり、久保からビンタや頭突きを見舞われる事態が発生した(久保は退場処分)。同年12月のJ1・J2入れ替え戦終了後には、審判控室の扉を蹴り、審判団に侮辱的な発言をしたとして出場停止処分を受けた。さらに、2007年9月J2第38節のサガン鳥栖戦では、主審の判定に猛抗議し、副審の胸を小突いたことで4試合の出場停止処分が科された。
2008年シーズン当初は出場機会がなかったものの、J2第8節の鳥栖戦でリーグ戦初出場を飾り、対人の強さを発揮して無失点勝利に貢献した。この試合をきっかけに以後の2試合も1失点に抑え、先発に定着した。同年5月のJ2第15節C大阪戦で公式戦初得点を記録した。シーズン途中加入のディフェンダー(DF)丹羽大輝に一時ポジションを譲る時期もあったが、シーズン終盤には丹羽とのコンビで起用され、安定感も増した。
2009年にはDF田中誠の加入によりポジション争いが激化したが、前年以上の試合出場を記録し、守備の要としての地位を維持した。しかし、2010年には田中と丹羽がレギュラーに定着したことで控えに回ることが多くなり、同年限りでアビスパ福岡との契約が満了し、退団となった。
2.2.2. FC東京
2011年、柳楽はFC東京へ完全移籍した。この移籍は、U-19日本代表時代に指導を受けた大熊清が監督を務めていたこと、またアビスパ福岡時代の同期である中村北斗が在籍していたことが背景にあった。
しかし、FC東京では今野泰幸や森重真人といった強力なディフェンダー陣との競争に直面し、公式戦での出場機会は限られた。今野が不在の際にようやく主力組に加わる程度であったが、地道に練習を重ね、控え選手を牽引する役割を果たした。
2.2.3. ガイナーレ鳥取と現役引退
2012年、ガイナーレ鳥取から2年越しのオファーを受け、完全移籍した。これにより、高校生以来となる生まれ育った山陰地方でのプレーが実現した。
ガイナーレ鳥取では、その激しい守備と巧みなビルドアップ能力を存分に発揮した。2013年シーズンには、センターバックだけでなくサイドバックとしても奮戦し、最終ラインの核として活躍した。このシーズンではリーグ戦40試合に出場し、チーム最多の出場数を記録した。
しかし、クラブからの契約更新の提示を固辞し、2013年シーズン終了後に現役引退を表明した。現役最後のシーズンには、J2・JFL入れ替え戦にも2試合出場した。
2.3. 代表キャリア
柳楽智和は、日本の年代別代表チームで活躍し、国際舞台でもその才能を発揮した。
2003年にはU-18日本代表に選出され、仙台カップ国際ユースサッカー大会に参加したが、大会途中で離脱した。
2004年にはU-19日本代表として、トゥーロン国際大会、SBSカップ 国際ユースサッカー(準優勝)、そしてAFCユース選手権(3位)に出場し、2005 FIFAワールドユース選手権への出場権獲得に貢献した。
2005年6月には、2005 FIFAワールドユース選手権のU-20日本代表に追加招集され、急遽メンバー入りした。この大会では、中村北斗と共にレギュラーとして、センターバックとして全4試合にフル出場した。主に増嶋竜也と水本裕貴と3バックを組み、ストッパーとして起用された。U-20オランダ代表との試合では、FWライアン・バベルのマークを担当し、1得点を許したものの、個人の勝負ではバベルを抑え込むことに成功した。しかし、決勝トーナメント初戦のU-20モロッコ代表戦では、後半アディショナルタイムに自身がマークしていたFWMouhcine Iajourイアジュール英語に得点を許し、チームは敗退した。最終的に日本はベスト16に終わったが、柳楽の闘争心あふれるプレーぶりは高く評価された。
ワールドユース選手権以降は、集中力の持続と精神的な安定が課題となり、プレーが荒くなる傾向が見られた。
2006年にはU-21日本代表にも選出されている。
3. プレースタイル
柳楽智和は、ディフェンダー(DF)、特にセンターバックを主戦場とした選手である。身長178 cm、体重77 kgと、センターバックとしては比較的小柄な体格ながら、卓越したフィジカルの強さで相手選手との競り合いに強さを発揮した。
彼のプレースタイルは「ファイター」と評されるほど闘志に満ち溢れており、相手エースを徹底的にマークするハードな守備が特徴であった。また、守備だけでなく、ボールを奪った後の丁寧で巧みなビルドアップも得意としていた。利き足は右足であった。
キャリアの初期には、集中力の持続が困難であったり、精神的なムラが出たりする課題を抱えていたが、経験を積むにつれて落ち着きと安定感を身につけ、最終ラインの要としてチームを支える存在へと成長した。
4. 個人成績
柳楽智和のプロクラブおよび年代別代表での公式戦における個人成績を以下の表にまとめる。
4.1. クラブ成績
| 年 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 出場 | リーグ戦 得点 | 天皇杯 出場 | 天皇杯 得点 | リーグカップ 出場 | リーグカップ 得点 | 通算 出場 | 通算 得点 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 日本 | ||||||||||||||
| 2004 | 福岡 | 30 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
| 2005 | 23 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 3 | 0 | ||||||
| 2006 | J1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | |||||
| 2007 | 13 | J2 | 11 | 0 | 0 | 0 | - | 11 | 0 | |||||
| 2008 | 27 | 1 | 1 | 0 | - | 28 | 1 | |||||||
| 2009 | 35 | 0 | 1 | 0 | - | 36 | 0 | |||||||
| 2010 | 11 | 0 | 3 | 0 | - | 14 | 0 | |||||||
| 2011 | FC東京 | 34 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |||||
| 2012 | 鳥取 | 6 | 16 | 1 | 1 | 0 | - | 17 | 1 | |||||
| 2013 | 3 | 40 | 1 | 1 | 0 | - | 41 | 1 | ||||||
| J1通算 | 8 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | ||||||
| J2通算 | 142 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 150 | 3 | ||||||
| 総通算 | 150 | 3 | 9 | 0 | 3 | 0 | 162 | 3 | ||||||
- 2005年8月2日:J2初出場 - J2第24節 vsベガルタ仙台(仙台スタジアム)
- 2006年9月9日:J1初出場 - J1第22節 vs大分トリニータ(九石ドーム)
- 2008年5月21日:J2初得点 - J2第15節 vsセレッソ大阪(長居陸上競技場)
- 2012年10月28日:J2 100試合出場 - J2第40節 vsロアッソ熊本(とりスタ)
- その他の公式戦:2013年 J2・JFL入れ替え戦 2試合出場0得点
4.2. 代表成績
- U-20日本代表として、2005 FIFAワールドユース選手権で4試合に出場し、0得点を記録した。
5. 評価と逸話
柳楽智和は、そのプロサッカー選手としてのキャリアにおいて、卓越したフィジカルの強さと闘志みなぎるプレースタイルで知られた。センターバックとしては比較的小柄な身長であったが、相手選手との競り合いでは常に優位に立ち、「ファイター」とも評されるほどの激しい守備でチームを支えた。
しかし、彼のキャリアにはいくつかの特筆すべき逸話も存在する。2006年の横浜FM戦でFW久保竜彦との激しい競り合いの末に衝突し、相手選手の退場を誘発した出来事は、その闘争心を示す一例である。また、同年に行われたJ1・J2入れ替え戦の試合後には、審判控室の扉を蹴り、侮辱的な発言をしたとして出場停止処分を受けるなど、精神的な不安定さが露呈した時期もあった。2007年のサガン鳥栖戦での審判への猛抗議と副審への接触による長期出場停止も、彼の熱い気性の一端を示している。
一方で、私生活では野球選手の和田毅投手とは実家が近所の幼馴染であるという意外な一面も持っていた。
6. 引退後の活動
2013年シーズン終了後に現役を引退した柳楽智和は、新たなキャリアをスタートさせた。サッカー界を離れ、福岡市内の民間企業に就職した。2015年9月15日に放送された地元テレビ番組では、彼が営業社員として登場し、その後の活動が公になった。
7. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7710 Jリーグ公式サイト選手データ]
- [http://labola.jp/nagi 柳楽智和オフィシャルブログ]
- [http://soccer.shonangakuen-h.ed.jp/ob.html 立正大学淞南高等学校サッカー部 OB情報]
- [http://www.avispa.co.jp/html/player/nagira10.html アビスパ福岡 プロフィール (2010年版)]
- [http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=player/player&pprof_id=34 FC東京 プロフィール (2011年版)]
- [http://gainare.co.jp/clubs/profile/03 ガイナーレ鳥取 プロフィール (2013年版)]