1. 経歴
榎田大樹の野球選手としてのキャリアを時系列に沿って説明する。
1.1. プロ入り前
プロ野球選手になるまでの幼少期からのアマチュア野球での経歴を詳述する。
1.1.1. 小中学校・高校時代
鹿児島県曽於郡大崎町で生まれ育った榎田は、大崎小学校4年時に地元の大崎ソフトボールスポーツ少年団でソフトボールを始めた。5年生の時には全国大会で優勝を経験しており、当時1学年先輩の松山竜平とバッテリーを組んでいた。このチームの監督である新留勝郎は、後に阪神タイガースでチームメイトとなる福留孝介も指導した人物である。
大崎中学では野球部に入り、投手兼外野手としてプレー。小林西高校では1年春からベンチ入りを果たし、秋からは本格的に投手として起用されるようになった。高校3年の夏は、準決勝で日南学園高に敗れベスト4に進出するも、甲子園出場は叶わなかった。しかし、打者としても注目され、投手としても高く評価された。
1.1.2. 大学・社会人時代
体育の教員免許が取得できる福岡大学に進学。2学年上には後に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する藤原紘通、1学年上には後に阪神でチームメイトとなる白仁田寛和がいた。大学4年の春には肘を痛めながらも2勝を挙げ、リーグ優勝に貢献し、大学選手権出場を決めた。リーグ通算12勝を記録し、ドラフト候補にも挙がったが指名されず、東京ガスに入社。東京ガス時代のチームメイトには、後に楽天に入団する美馬学がいた。
東京ガスでは入社1年目から投手の柱として活躍し、2009年の第80回都市対抗野球大会では若獅子賞を受賞して好左腕として注目された。翌2010年の第81回都市対抗野球大会でも大いに活躍した。
2010年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で指名された。契約金1.00 億 JPYに出来高分5000.00 万 JPY、年俸1500.00 万 JPY(金額は推定)という最高条件で入団し、背番号は13となった。担当スカウトは中尾孝義。指名後の同年11月には、広州アジア大会に野球日本代表として参加し、銅メダルを獲得した。
1.2. プロ時代
日本プロ野球(NPB)における選手としての活動を、所属球団ごとに具体的に記述する。
1.2.1. 阪神時代
2011年は4月16日の中日ドラゴンズ戦でプロ初登板。新人ながらセットアッパーとして開幕から活躍し、5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(阪神甲子園球場)でプロ初勝利、7月7日の対中日戦(ナゴヤドーム)ではプロ初セーブを記録した。さらに、オールスターゲームにも監督推薦で出場。阪神でオールスターに出場した新人選手は、当時の藪恵壹以来であった。後半戦の序盤に蓄積疲労で二軍調整を経験するも、8月15日に一軍へ再昇格し、セットアッパーに復帰。西村一孔(1955年)の60試合を上回る球団新人新記録の62試合に登板した。この間に稼いだホールド数は33で、セントラル・リーグの新人投手では歴代最多、NPBの新人投手全体でも歴代2位に相当する記録であった。
2012年は、前年に続いて開幕からセットアッパーに起用され、NPBシーズンタイ記録の8試合連続ホールドを記録。しかし、オールスターゲームでは、左肘の関節を痛めたため出場を辞退した。8月21日に一軍へ復帰したが、左肘痛の再発から左肘関節炎と診断され、9月21日に再び出場選手登録を抹消。同月27日には、翌シーズンの早期復帰に備え、左肘遊離軟骨の除去手術を受けた。
2013年は、前年の手術を受けた左肘への負担軽減のため、プロ入り後初めて先発に転向。4月4日の対中日戦(京セラドーム)で公式戦への先発デビューを果たしたが、失策による1失点(8回2安打自責点0)で敗戦投手となった。しかし、2試合目の登板となった同月11日の対読売ジャイアンツ戦(甲子園)では、8回途中まで2安打無失点に抑えて先発初勝利を挙げた。一時はセントラル・リーグの防御率ランキングでトップに立つほど好調だったが、勝ち星は伸びなかった。9月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、ウラディミール・バレンティンから1回裏にシーズン本塁打の日本プロ野球新記録の56号本塁打、3回裏の第2打席にアジア野球新記録の57号本塁打を献上。先発としてプロ入り後最短の3回で降板すると、翌16日以降は一軍から遠ざかった。レギュラーシーズン全体では、リーグ優勝の巨人から先発で3勝を挙げたものの、4勝9敗と負け越した。さらに、3回にわたって戦線を離脱するなど、一軍の先発ローテーションへ完全に定着するまでには至らなかった。シーズン終了後の契約交渉では、球団からプロ入り後初めての減俸提示を受け、推定年俸4100.00 万 JPY(300.00 万 JPY減)で契約を更改した。
2014年は、巨人との開幕カード第3戦(3月30日)で先発を任されたが、黒星を喫した。以降も3試合に先発したが、2試合で3回途中に降板し、4月20日に出場選手登録を抹消された。6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦(甲子園)では、初回に味方打線が9点を取ったにもかかわらず、3回途中6失点で降板。翌9日に登録を再び抹消されると、二軍での再調整を境に、中継ぎ要員として一軍に復帰した。8月に左肩の違和感を訴えるも、最短期間(10日間)での二軍調整を経て、同月29日の対ヤクルト戦(甲子園)に救援登板。一死も取れないまま交代を命じられたばかりか、翌30日の同カードでの救援登板でも一死を取っただけで1点を失ったため、シーズン3度目の登録抹消に至った。一軍公式戦では通算24試合の登板で、2勝1敗2ホールドを記録したものの、先発では1勝も挙げられなかった。
2015年は、左の救援陣が手薄なチーム事情などを背景に、中継ぎ専任で再起を期した。しかし、公式戦への登板はわずか8試合で、2年連続の未勝利に終わった。
2016年は、3月27日に、中日との開幕カード第3戦(京セラドーム大阪)へ救援で登板。1回を無失点に抑えた末に、自身2年ぶりの公式戦勝利を挙げた。一軍公式戦では35試合に登板し、防御率4.35ながら、1勝1敗3ホールドという成績を残した。
2017年は、9月7日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)から公式戦3試合に登板。防御率1.42と1ホールドを記録したが、シーズンの大半を二軍で過ごした。
2018年は、春季キャンプを二軍で迎えた後、教育リーグで実戦登板を重ねていた。
1.2.2. 西武時代
2018年3月14日に、岡本洋介とのトレードで埼玉西武ライオンズへ移籍することが発表された。背番号は30。3月16日に、NPBから支配下登録選手として公示された。左腕の中継ぎ要員の強化を見込まれての移籍であったが、一軍における左腕の先発要員が事実上菊池雄星に限られるチーム事情から、移籍後は先発投手としての調整へ専念した。
2018年のレギュラーシーズンでは、4月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)に、先発投手として移籍後初の公式戦登板。6回を5被安打2失点にとどめ、移籍後初勝利を挙げた。一軍の公式戦における先発勝利は、阪神時代の2013年7月17日の対巨人戦で記録して以来、1730日ぶりであった。この試合から、5月13日にメットライフドームで催された同カードまで, 先発登板の4試合に全勝。6月3日の対阪神タイガース戦(メットライフドーム)では、古巣の打線を7回3失点に抑えた末に、一軍の公式戦では自己最多のシーズン5勝目を挙げた。その後も、先発ローテーションの一角で白星を重ねた末に、9月19日の対北海道日本ハムファイターズ戦(メットライフドーム)で2桁勝利を達成。10月2日に札幌ドームで催された同カードに、7回1失点という好投で11勝目を挙げたことによって、レギュラーシーズンを締めくくった。なお、チーム10年ぶりのパシフィック・リーグ優勝を経て進出した福岡ソフトバンクホークスとのクライマックスシリーズ ファイナルステージでは、10月19日の第3戦(メットライフドーム)に先発。ポストシーズン中の公式戦への登板は阪神時代を含めても初めてだったが、3回4失点という内容で敗戦投手になった。結局、チームも2日後(21日)の第5戦でステージ敗退を喫したため、日本シリーズでの登板までには至らなかった。
2019年は、菊池のシアトル・マリナーズ移籍で左腕の先発陣が手薄になったことを背景に、春季キャンプから先発調整を行った。キャンプの途中まで一軍相当の「A班」に帯同していたが、左上腕部の三頭筋を痛めた影響で、一軍への復帰は5月2日の対日本ハム戦(メットライフドーム)での先発登板まで持ち越された。この試合では8回1失点の好投でシーズン初勝利を挙げたものの、投球フォームの乱れから調子を徐々に落としたため、6月中旬から2か月にわたって二軍でフォームを修正した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦13試合の登板で4勝3敗と勝ち越しながら、防御率が6.52にまで達した。
2020年は6月の開幕を二軍で迎えた。7月から8月にかけて4試合一軍での先発を任されるも、イニング数を上回る被安打を打たれる苦しいピッチングが続き、8月26日の対日本ハム戦で3回途中5安打7失点と打ち込まれて以降は二軍での調整が続いた。11月2日の対日本ハム戦で7回途中1安打無失点と好投し同年初勝利を挙げるも、これがシーズン最後の一軍登板となり、5試合の先発で1勝1敗、防御率5.25という成績であった。
2021年も開幕を二軍で迎える。3月30日の二軍戦で先発するも打球が直撃し、1イニングで降板。5月1日に実戦復帰するも、5月18日にまたも打球が左指に直撃し緊急降板した。左母指末節骨開放性骨折・基節骨骨折と診断され、5月28日に手術を受けた。結局一軍昇格にも至らず、10月20日に戦力外通告を受けた。12月8日に行われた12球団合同トライアウトに参加し、阪神同期入団の荒木郁也ら3人と対戦して被安打1の内容だった。しかし他球団からのオファーはなく、2022年1月24日に現役引退を発表した。
2. 選手としての特徴
榎田大樹の投球スタイル、球種、球速など、野球選手としての技術的な特徴と強みを分析する。

榎田の投球は、平均球速約139 km/h、最速150 km/hのストレートを軸に、二種類のスライダー(本人いわく120 km/h前後の縦気味のスラーブとカットボール)、二種類のスクリューボール、そしてフォークボールやカーブを投げ分ける。フォークボールは回転のない独特の軌道で落ちるため、アマチュア時代は1試合に1・2球投げる程度だった。また、クイックモーションや、一塁へのカバーリングに長けている点も特徴である。
2018年に西武へ移籍してからは、本拠地であるメットライフドームとの相性の良さを発揮した。2019年までの公式戦では、2018年のセ・パ交流戦で中日相手に黒星を喫したものの、通算16試合の先発登板で9勝1敗という好成績を残している。
3. 引退後
選手生活を引退してからのキャリアを扱う。特に、プロ野球コーチへの転身とその活動を記述する。
榎田は前述の現役引退発表に併せて、西武の球団本部ファーム・育成グループ バイオメカニクス(一軍グループ兼務)兼企画室アライアンス戦略に就任することが発表された。
2023年10月13日には、翌2024年からファーム投手コーチを務めることが発表された。背番号は85。
4. 人物
榎田大樹の個人的な背景やエピソードに関連する内容をまとめる。
4.1. 家族
榎田は阪神2年目の2012年3月1日に、東京ガス時代に知り合った3歳年上の一般女性との結婚を発表した。実際の結婚は同年3月14日で、奇しくもそれからちょうど6年後の同日に、阪神球団から西武へのトレードを通告された。
日本文理大学から日本新薬へ入社した2歳下の実弟・宏樹も、自身と同じ左腕投手として同社硬式野球部で活躍した。チームのエースとして出場した2016年のJABA東京スポニチ大会では、2試合連続完封勝利でチームを優勝へ導くとともに、MVPに選ばれた。難病のクローン病と闘いながらも活躍を続け、兄と同様に2021年シーズンをもって現役を退き、社業に専念している。
4.2. 愛称・エピソード
榎田の愛称は、JXエネルギー(ENEOS)のイメージキャラクターに容姿が似ていることから付けられた「エネゴリ」、「ゴリ」がある。またつの丸の漫画『モンモンモン』にも似ているとされ、2016年にはタイガースおよび榎田とのコラボグッズが発売された。
地元出身の先輩である福留孝介が中日ドラゴンズに在籍していた縁から、元々は中日ファンで、自身と同じ左腕投手の岩瀬仁紀(中日)に憧れていたという。阪神時代には、岩瀬と同じ背番号13を着用。入団1年目の2011年に出場したオールスターゲームでは、当時のチームメイトだった藤川球児の計らいで、岩瀬とのキャッチボールに漕ぎ着けた。
EXILEの黒木啓司が高校の硬式野球部の7年先輩にあたる縁から、阪神入団当初から登場曲をEXILE、EXILE THE SECONDの楽曲にしている。
5. 詳細情報
榎田大樹のプロキャリアにおける投手成績、守備成績、主な記録、背番号、登場曲を一覧形式でまとめる。
5.1. 年度別投手成績
年度 | 球団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ ー ブ | ホ ー ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ ー ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 阪神 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 33 | .500 | 259 | 63.1 | 43 | 3 | 28 | 2 | 4 | 71 | 4 | 0 | 19 | 16 | 2.27 | 1.12 |
2012 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2 | 21 | .500 | 188 | 42.1 | 36 | 2 | 20 | 3 | 8 | 37 | 2 | 0 | 13 | 11 | 2.34 | 1.32 | |
2013 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 4 | 9 | 0 | 0 | .308 | 389 | 92.1 | 70 | 11 | 38 | 0 | 8 | 78 | 5 | 0 | 39 | 37 | 3.61 | 1.17 | |
2014 | 24 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | .667 | 216 | 44.2 | 60 | 2 | 20 | 0 | 6 | 42 | 3 | 0 | 38 | 35 | 7.05 | 1.81 | |
2015 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 42 | 8.2 | 9 | 1 | 4 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 11 | 10 | 10.38 | 1.50 | |
2016 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | .500 | 174 | 39.2 | 39 | 6 | 16 | 0 | 3 | 32 | 2 | 0 | 19 | 19 | 4.31 | 1.39 | |
2017 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 30 | 6.1 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1.42 | 1.89 | |
2018 | 西武 | 23 | 22 | 0 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | .733 | 566 | 132.2 | 132 | 14 | 40 | 0 | 14 | 98 | 0 | 0 | 53 | 49 | 3.32 | 1.30 |
2019 | 13 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 319 | 69.0 | 86 | 12 | 21 | 0 | 9 | 33 | 2 | 0 | 54 | 50 | 6.52 | 1.55 | |
2020 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 103 | 24.0 | 26 | 4 | 6 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | 14 | 14 | 5.25 | 1.33 | |
通算:10年 | 237 | 63 | 0 | 0 | 0 | 29 | 25 | 3 | 60 | .537 | 2286 | 523.0 | 511 | 55 | 195 | 5 | 54 | 414 | 18 | 0 | 262 | 242 | 4.16 | 1.35 |
- 各年度の太字はリーグ最高
5.2. 年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2011 | 阪神 | 62 | 4 | 10 | 0 | 2 | 1.000 |
2012 | 48 | 3 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 16 | 7 | 21 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 24 | 2 | 13 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 8 | 1 | 2 | 1 | 0 | .750 | |
2016 | 35 | 2 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 西武 | 23 | 4 | 29 | 0 | 4 | 1.000 |
2019 | 13 | 3 | 13 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 5 | 1 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
通算 | 237 | 27 | 109 | 1 | 7 | .993 |
5.3. 記録
; 初記録
- 投手記録
- 初登板・初ホールド:2011年4月16日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、6回裏にジョエル・グスマンから空振り三振
- 初勝利:2011年5月24日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(阪神甲子園球場)、7回表に4番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2011年7月7日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤドーム)、11回裏から3番手で救援登板・完了、1回1失点
- 初先発:2013年4月4日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、8回1失点(自責点0)で敗戦投手
- 初先発勝利:2013年4月11日、対読売ジャイアンツ3回戦(阪神甲子園球場)、7回2/3無失点
- 打撃記録
- 初安打:2013年4月25日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤドーム)、5回表に岩田慎司から中前安打
; その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回(2011年)
5.4. 背番号
- 13(2011年 - 2018年3月15日)
- 30(2018年3月16日 - 2021年)
- 85(2024年 - )
5.5. 登場曲
- 「FIREWORKS」EXILE(2011年 - 2012年)
- 「24karats -type EX-」EXILE(2013年、登板時)
- 「男は気持ちを伝えたい」ET-KING(2013年、打席時)
- 「HEAD BANGIN'」THE SECOND from EXILE(2014年 - 2016年)
- 「SUPER FLY」EXILE THE SECOND(2017年 - 2018年)
- 「日昇る光に ~Pray for Now~」EXILE THE SECOND(2019年)
6. 関連項目
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 福岡大学の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
7. 外部リンク
- [http://bis.npb.or.jp/eng/players/01305133.html NPB.jp 個人成績 (English)]
- [https://npb.jp/bis/players/01305133.html NPB.jp 個人成績 (Japanese)]
- [https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=enokid000dai Baseball Reference (Minors & Japanese Leagues)]
- [http://www.thebaseballcube.com/players/profile.asp?P=daiki-enokida The Baseball Cube]
- [https://www.mlb.com/player/daiki-enokida-617119 MLB.com]
- [https://www.instagram.com/daiki_enokida/ 榎田大樹 Instagram]
- [http://www.seibulions.jp/team/themesong.php 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 選手登場曲]