1. 概要
橋本晃司は、1986年4月22日に石川県金沢市で生まれた日本の元プロサッカー選手である。主にミッドフィールダーとして活躍し、日本国内の複数のプロクラブに加え、アメリカのオレンジカウンティSCでもプレーした経験を持つ。高速ドリブルと相手の急所を突く正確なパスでチャンスを作り出す能力が特徴とされた。2021年に一度現役引退を表明したが、同年中に現役復帰し、2022年シーズン終了後に再び引退。2023年からはテレビ金沢に勤務している。
2. 幼少期からアマチュア時代
橋本晃司は、プロサッカー選手となるまでの過程で、学生時代からその才能を開花させた。
2.1. 生い立ちと学歴
橋本晃司は1986年4月22日に石川県金沢市で生まれた。サッカーは地元の金沢市立額小学校時代に金沢南SSSで始め、金沢市立額中学校時代にはヘミニス金沢FCに所属した。その後、星稜高校に進学し、卒業後は明治大学の政治経済学部で学んだ。
2.2. ユース・大学サッカー時代
星稜高校(2002年 - 2004年)時代、橋本は後の日本代表MFである本田圭佑とともにプレーし、全国高校サッカー選手権では石川県勢として史上初のベスト4進出に貢献した。当時の彼は、スピードに乗ったドリブルと、相手守備の急所を突くパスでチャンスを作り出すプレーで活躍を見せた。また、元日本代表FWの豊田陽平は高校の1学年先輩にあたる。
高校卒業後、明治大学政治経済学部へ進学し、明治大学体育会サッカー部に入部。大学1年次からレギュラーのフォワードとして試合に出場した。2007年には、同期の林陵平、藤田優人、長友佑都らと共に、関東大学リーグで1964年以来43年ぶりとなる明治大学のタイトル獲得に貢献した。特に、ツートップを組んだ林とは抜群のコンビネーションを発揮し、優勝の原動力となった。同年開催された第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会では、3回戦で当時J2の京都サンガF.C.を破る番狂わせを演じ、4回戦では清水エスパルスを相手にPK戦までもつれ込む接戦を繰り広げたが、惜敗した。大学3年次および4年次には背番号10を背負い、主に1.5列目のポジションでプレーした。
大学在学中の2006年と2007年には、JFA・Jリーグ特別指定選手として名古屋グランパスエイトに帯同し、プロの環境を実体験した。
3. プロクラブ経歴
橋本晃司のプロとしてのキャリアは、日本とアメリカの複数のクラブで展開された。
3.1. 名古屋グランパス
明治大学卒業後、2009年に名古屋グランパスへ正式に入団した。大学時代はフォワードとして登録されていたが、名古屋ではミッドフィールダー登録となった。大学の2年先輩にあたる小川佳純とは、名古屋で再びチームメイトとなった。
2006年8月27日に行われたJ1リーグ第20節のガンバ大阪戦(名古屋市瑞穂公園陸上競技場)で、Jリーグ初出場を果たした。
3.2. 水戸ホーリーホック
2012年に水戸ホーリーホックへ完全移籍し、2013年までの2シーズンにわたりプレーした。水戸での初年度、2012年3月17日に行われたJ2リーグ第3節のファジアーノ岡山FC戦(岡山県総合グラウンド陸上競技場)で、Jリーグ初得点を記録した。
2017年2月16日、再び水戸ホーリーホックへ完全移籍で加入することが発表された。しかし、同年シーズン終了後、契約満了に伴い水戸を退団した。
3.3. 大宮アルディージャ
2014年、大宮アルディージャへ完全移籍した。同年12月13日には、契約満了が発表された。
3.4. 川崎フロンターレ
2015年、川崎フロンターレへ完全移籍した。
3.5. オレンジカウンティSC
2018年3月、アメリカのUSLチャンピオンシップに所属するオレンジカウンティSCへの加入が発表された。2019年12月には、オレンジカウンティからの契約延長のオファーを断り、JPFAトライアウトに参加し、3年ぶりのJリーグ復帰を目指した。この時期、かつてのチームメイトである本田圭佑から激励を受けたという。
3.6. いわてグルージャ盛岡
2020年3月、いわてグルージャ盛岡への加入が発表された。しかし、2021年1月には契約満了により盛岡を退団した。
3.7. 鈴鹿ポイントゲッターズ
2021年3月12日、自身のInstagramを通じて現役引退を発表した。引退発表では、かつてのチームメイトである本田圭佑と長友佑都から「良い刺激を受けた」と述べた。
しかし、同年5月には現役復帰し、鈴鹿ポイントゲッターズへ加入した。鈴鹿ポイントゲッターズでは2022年シーズン終了後までプレーし、退団した。
4. プレースタイル
橋本晃司は主にミッドフィールダーとしてプレーした。彼のプレースタイルは、スピードに乗ったドリブルと、相手守備陣の急所を突く正確なパスでチャンスを作り出すことに特徴があった。明治大学時代には、フォワードの一歩後ろに位置する「1.5列目」のポジションでプレーすることが多く、中盤と攻撃陣を繋ぐ役割を担っていた。
5. 個人成績
橋本晃司のプロクラブにおける個人成績は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸 | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | リーグカップ | AFC | 通算 | |||||||
2006 | 名古屋グランパス | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |||
2009 | 名古屋グランパス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
2010 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | 7 | 0 | |||
2011 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 9 | 1 | ||
2012 | 水戸ホーリーホック | J2 | 38 | 6 | 0 | 0 | - | - | 38 | 6 | ||
2013 | 39 | 12 | 0 | 0 | - | - | 39 | 12 | ||||
2014 | 大宮アルディージャ | J1 | 16 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | - | 22 | 4 | |
2015 | 川崎フロンターレ | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | 7 | 0 | ||
2016 | 7 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | - | 13 | 1 | |||
2017 | 水戸ホーリーホック | J2リーグ | 36 | 3 | 0 | 0 | - | - | 36 | 3 | ||
アメリカ | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸 | 通算 | |||||||
2018 | オレンジカウンティSC | USL | 21 | 1 | 1 | 0 | - | - | 22 | 1 | ||
2019 | 6 | 0 | 0 | 0 | - | - | 6 | 0 | ||||
日本 | リーグ | 天皇杯 | リーグカップ | 大陸 | 通算 | |||||||
2020 | いわてグルージャ盛岡 | J3 | 14 | 0 | 0 | 0 | - | - | 14 | 0 | ||
2021 | 鈴鹿ポイントゲッターズ | JFL | 20 | 4 | 2 | 0 | - | - | 22 | 4 | ||
2022 | 11 | 2 | 2 | 0 | - | - | 13 | 2 | ||||
キャリア通算 | 215 | 30 | 13 | 0 | 21 | 4 | 3 | 0 | 252 | 34 |
6. 引退と引退後の活動
橋本晃司は、2023年5月31日に改めて現役引退を表明した。引退後、同年6月1日からは地元石川県の放送局であるテレビ金沢に入社し、東京支社の営業部に配属された。この情報は、北國新聞によって報じられている。