1. 概要
この文書では、元プロサッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動する渋谷洋樹のキャリアを詳述する。選手としては古河電気工業でJSL優勝やアジアクラブ選手権制覇に貢献し、指導者としては大宮アルディージャの監督としてJ2リーグ優勝とJ1リーグ昇格、さらにJ1でのクラブ最高位である5位という実績を残した。その戦術的柔軟性や選手育成手腕に注目しながら、彼のサッカー人生における重要な節目と業績を網羅的に解説する。
2. 来歴
渋谷洋樹は、北海道室蘭市に生まれ、幼少期からサッカーを始めた。学生時代からプロ選手としてのキャリアを積み、引退後は指導者として多くのクラブで活躍した。
2.1. 幼少期・学生時代
渋谷はもともと野球少年であり、荒木大輔や王貞治のファンで、彼らが卒業した早稲田実業への進学を志すほどだった。しかし、小学5年生の時に「中島旭ヶ丘サッカー少年団」に入団し、サッカーを始めた。この少年団は、2学年下の野田知や、後に城彰二が入学するなど、地元では強豪として知られていた。
高校進学時には、室蘭大谷高校と登別大谷高校からサッカー推薦の話が届き、室蘭大谷高校を選択。2年生時には「東西選抜」に選ばれ、3年生時にはキャプテンを務めるなど、中心選手として活躍した。当時のチームメイトには、前述の野田や財前恵一らがいた。
2.2. 選手キャリア
高校卒業後、渋谷はプロサッカー選手の道に進み、複数のクラブでプレーした。
2.2.1. 古河電工 / ジェフユナイテッド市原時代
1985年、高校卒業と同時に古河電気工業に入社し、同社のサッカー部に入部した。当時のチームは、監督に清雲栄純、コーチに同郷の川本治、チームメイトには後に日本代表監督となる岡田武史らが在籍する強豪だった。
古河電気工業では、選手として数々の輝かしい実績を残した。1985-86シーズンにはJSLを制覇し、さらにJSLカップでも優勝を果たした。国際舞台においても、1986年のアジアクラブ選手権で優勝を飾り、これは日本のクラブにとって初となるアジア制覇の快挙であった。渋谷は1992年まで古河/ジェフユナイテッド市原に在籍したが、Jリーグへの移行に際してジェフユナイテッド市原に残ることができず、クラブを離れることとなった。
2.2.2. PJMフューチャーズ時代
1992年、渋谷はPJMフューチャーズ(後の鳥栖フューチャーズ)へ移籍。1994年まで同クラブでプレーした。
2.2.3. NTT関東時代
PJMフューチャーズを退団後、渋谷は中途採用の社員選手という形でNTT関東サッカー部に加入した。NTT関東で3年間プレーした後、1997年に現役を引退した。
3. 指導者・監督キャリア
現役引退後、渋谷はすぐに指導者の道へ進んだ。大宮アルディージャでのコーチ経験を経て監督に就任し、複数のクラブで指揮を執った。
3.1. 初期指導者キャリア
1998年から1999年にかけてNTT関東サッカー部のコーチを務めた後、1999年に大宮アルディージャの下部組織指導者に転身した。大宮では、1999年から2000年までユースコーチ、2000年から2002年までユース監督、2002年から2003年までジュニアユース監督、2003年から2004年までジュニアユースコーチを歴任し、育成年代の指導に尽力した。
2004年からは大宮アルディージャのトップチームコーチを務め、長年にわたりチームを支えた。2010年にはヴァンフォーレ甲府のコーチに就任し、2013年シーズンまで甲府で指導を行った。2014年、再び大宮アルディージャのトップチームコーチとして復帰した。
3.2. 各チームでの監督時代
渋谷は、複数のJリーグクラブで監督を経験し、それぞれのチームで異なる成果を残した。
3.2.1. 大宮アルディージャ監督時代
2014年8月31日、大熊清監督の退任に伴い、大宮アルディージャの監督に就任した。就任時、チームはJ1リーグで低迷しており、2014年シーズンは最終的に16位となり、15位の清水エスパルスと勝ち点1差で惜しくもJ2リーグへの降格が決定した。
しかし、クラブは渋谷の手腕を評価し、11年ぶりにJ2で戦うこととなった2015年シーズンも引き続き指揮を執ることを決定した。2015年シーズン、渋谷監督は「堅守多攻」をスローガンに掲げ、攻守においてイニシアチブを握るアグレッシブなポゼッションサッカーの実現を目指した。序盤こそやや苦戦したものの、着実に勝ち点を積み重ね、第15節で初めて首位に浮上した。終盤にはジュビロ磐田やアビスパ福岡との熾烈な昇格争いを繰り広げたが、第41節のホーム大分戦で0-2の劣勢から3点を奪い逆転勝利を収めたことで、1試合を残しての1年でのJ1復帰を決定。さらに、クラブ史上初となるJ2リーグ優勝のタイトルをもたらした。
J1復帰後の2016年シーズンは、前年のポゼッションスタイルから堅守速攻へと戦術を転換。このスタイル変更が功を奏し、チームはクラブ史上最高となるJ1リーグ5位という好成績でシーズンを終えた。
しかし、2017年シーズンは再びポゼッションサッカーへとスタイルを戻したが、チームは開幕から不調に陥り、6連敗を喫するなど低迷した。開幕から13試合で2勝1分け10敗という成績でJ1最下位に沈んでいたため、2017年5月28日に成績不振を理由に大宮アルディージャの監督を解任された。同時にヘッドコーチの黒崎久志も解任されている。なお、この年大宮はJ2への再降格となった。
3.2.2. ロアッソ熊本監督時代
大宮アルディージャ監督解任後の2017年12月14日、ロアッソ熊本の監督に就任することが発表された。2018年シーズンはJ2リーグで指揮を執ったが、チームは22クラブ中21位に終わり、J3リーグへの降格を喫した。
2019年シーズンも引き続きJ3リーグでロアッソ熊本を指揮。チームは5位でシーズンを終えたが、2019年12月1日に契約満了により監督を退任することが発表された。
3.2.3. ジュビロ磐田監督時代
2021年12月25日、ジュビロ磐田のヘッドコーチ就任が発表された。翌2022年8月17日には、伊藤彰監督の後任としてジュビロ磐田の監督に昇格。J1リーグで9試合を指揮したが、チームはJ2降格となり、契約満了によりシーズン終了となる11月をもって監督を退任した。
3.3. 監督退任後の指導者キャリア
ジュビロ磐田の監督退任後も、渋谷は指導者としてのキャリアを継続している。
2019年12月21日、ロアッソ熊本監督退任後にヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチとして復帰した。
2022年12月2日にはベガルタ仙台のヘッドコーチに就任。しかし、2023年7月20日に仙台のヘッドコーチを辞任した。
そのわずか6日後の2023年7月26日には、再び大宮アルディージャのヘッドコーチとして復帰した。
2024年からはツエーゲン金沢のヘッドコーチに就任している。
4. 戦術・マネジメント
渋谷洋樹監督の戦術は、その柔軟性と選手の才能を引き出す手腕に特徴がある。特に大宮アルディージャ監督時代には、そのマネジメント能力が遺憾なく発揮された。
大宮では、不調に陥っていた元日本代表MFの家長昭博をフォワードとして起用するという大胆な采配を行い、その才能を再開花させた。家長は2015年の大宮のJ1昇格の原動力となり、J1復帰後の2016年には2桁得点を記録し、大宮がクラブ史上最高位の5位となる大きな要因となった。
また、大宮での監督在任中、渋谷はシーズンによって戦術スタイルを変化させている。2015年のJ2リーグ優勝時と2017年シーズンはポゼッションサッカーを採用した一方、2016年のJ1リーグで5位という好成績を収めた際には、ロングカウンターを主体とした「堅守速攻」のスタイルをチームに導入した。この戦術の切り替えは、チームの状況やリーグのレベルに合わせて最適なアプローチを選択する彼の柔軟性を示している。
5. 個人成績
渋谷洋樹の選手としてのリーグ戦出場記録は以下の通り。
年 | 所属リーグ | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|---|
1985 | JSL1部 | 古河 | ||
1986-87 | JSL1部 | 古河 | ||
1987-88 | JSL1部 | 古河 | ||
1988-89 | JSL1部 | 古河 | ||
1989-90 | JSL1部 | 古河 | ||
1990-91 | JSL1部 | 古河 | ||
1991-92 | JSL1部 | JR古河 | 4 | 0 |
1992 | J1 | 市原 | 0 | 0 |
1992 | 旧JFL | PJMフューチャーズ | ||
1993 | 旧JFL | PJMフューチャーズ | ||
1994 | 旧JFL | PJMフューチャーズ | ||
1995 | 旧JFL | NTT関東 | ||
1996 | 旧JFL | NTT関東 | ||
1997 | 旧JFL | NTT関東 |
6. 監督成績
渋谷洋樹の監督としての成績は以下の通り。
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグカップ | 天皇杯 | |||
2014 | J1 | 大宮 | 16位 | 19 | 12 | 6 | 1 | 5 | - | ベスト8 |
2015 | J2 | 優勝 | 86 | 42 | 26 | 8 | 8 | - | 3回戦敗退 | |
2016 | J1 | 5位 | 56 | 34 | 15 | 11 | 8 | ベスト8 | ベスト4 | |
2017 | 18位 | 7 | 13 | 2 | 1 | 10 | グループステージ敗退 | - | ||
2018 | J2 | 熊本 | 21位 | 34 | 42 | 9 | 7 | 26 | - | 2回戦敗退 |
2019 | J3 | 5位 | 57 | 34 | 16 | 9 | 9 | - | 2回戦敗退 | |
2022 | J1 | 磐田 | 18位 | 8 | 9 | 1 | 5 | 3 | - | - |
- 2014年は第23節から指揮。順位は最終順位。
- 2017年は第13節まで指揮。
- 2022年は第26節から指揮。順位は最終順位。
7. タイトル・栄誉
渋谷洋樹が選手および監督として獲得した主要なタイトルや達成した栄誉は以下の通り。
- 選手として**
- JSL: 1回(1985-86シーズン、古河電気工業)
- JSLカップ: 1回(1986年、古河電気工業)
- アジアクラブ選手権: 1回(1986年、古河電気工業)
- 監督として**
- J2リーグ: 1回(2015年、大宮アルディージャ)
8. 人物
渋谷洋樹は1966年11月30日に北海道室蘭市で生まれた。身長は173 cm、体重は67 kgである。幼少期には野球に熱中しており、プロ野球選手になることを夢見ていた時期もあったが、小学5年生でサッカーに転向した。
9. 評価
渋谷洋樹の選手および指導者としてのキャリアは、成功と困難の両面を持つ。
9.1. 肯定的な評価
監督としての渋谷は、特に大宮アルディージャ時代にその手腕を高く評価された。2015年には、1年でJ1復帰を果たすだけでなく、クラブ史上初のJ2リーグ優勝という輝かしい実績を残した。翌2016年には、戦術を転換し、J1リーグでクラブ史上最高位となる5位に導いたことは、彼の戦術的柔軟性とチームを成長させるリーダーシップの証である。また、家長昭博の才能を再開花させたように、選手の特性を見抜き、最適なポジションで起用することでパフォーマンスを最大限に引き出す能力も特筆される。これは、単なる勝利だけでなく、選手個々の成長に貢献できる指導者としての肯定的な側面を示す。
9.2. 批判・論争
一方で、渋谷の監督キャリアには成績不振による解任や降格といった困難も伴った。2014年には大宮アルディージャをJ2降格させてしまい、2017年にはJ1リーグで最下位に沈み、シーズン途中で解任された。この解任後、大宮は結局J2へ降格している。さらに、2018年にはロアッソ熊本の監督として、J2リーグで21位という結果に終わり、チームをJ3降格させてしまった。これらの経験は、監督としての安定性や、チームの不調時の立て直しにおいて課題があったことを示唆する。戦術面では、2015年と2017年のポゼッションサッカーと、2016年の堅守速攻というスタイルの変更が見られたが、2017年のポゼッションへの回帰が不調に繋がったという指摘もあり、その戦術判断が常に成功したわけではないという見方も存在する。
10. 関連項目
- 北海道出身の人物一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- 鳥栖フューチャーズの選手一覧
- Jリーグ監督経験者
11. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX07/?staff_id= 監督プロフィール] - Jリーグ公式サイト
- [https://www.thefinalball.com/coach.php?id=19280 TheFinalBall manager profile]