1. 概要
羽黒岩智一(はぐろいわ ともかず)は、宮崎県延岡市出身の元大相撲力士で、本名は戸田智次郎(とだ ともじろう)です。最高位は東小結。現役時代には、当時の横綱大鵬幸喜の45連勝を阻止するという歴史的な金星を挙げましたが、この一番は「誤審」であると後に大きな論争を呼び、ビデオ判定が大相撲に導入されるきっかけとなるなど、日本相撲協会の審判制度に大きな影響を与えました。
引退後は年寄「雷」として後進の指導に当たり、日本相撲協会の運営にも携わりました。彼の相撲人生は、個人の能力だけでなく、時に不透明な判定が公平な競技運営に与える影響や、それに対する制度改革の必要性を社会に問いかけた点で、単なるスポーツ選手の功績に留まらない社会的意義を持つものとなりました。
2. 生涯初期と相撲入門
2.1. 幼少期と教育
戸田智次郎は1946年6月30日、宮崎県延岡市で生まれました。中学校在学中に立浪部屋への入門を決意し、一般的な学生生活を終えることなく、14歳で相撲の道に進むこととなります。
2.2. 相撲入門と初期の経歴
1961年5月場所で初土俵を踏み、プロ力士としてのキャリアを開始しました。同期生には、後に関脇となる藤ノ川豪人、前頭の栃富士勝健、そして若ノ海正照といった才能豊かな力士たちがいました。入門から4年後の1965年11月場所で十両に昇進し、着実に番付を上げていきました。
3. 主要な相撲経歴
3.1. 幕内昇進と初期の成功
1967年1月場所、20歳で幕内昇進を果たしました。これは宮崎県出身の力士としては、1843年11月場所の三ツ鱗龍八以来、124年ぶりとなる快挙でした。羽黒岩は突き押しや、右を差して寄り身で攻める相撲を得意とし、若手ながら将来を期待される存在となります。
幕内下位での相撲が続きましたが、1969年1月場所では前頭7枚目の地位で11勝4敗と大きく勝ち越し、初の敢闘賞を受賞しました。この敢闘賞が、結果的に彼の三賞受賞において最初で最後となりました。
3.2. 大鵬の連勝阻止と「世紀の大誤審」論争
羽黒岩智一の相撲人生において最も記憶されるのは、1969年3月場所での出来事です。当時、本名の「戸田」として土俵に上がっていた彼は、横綱大鵬幸喜の45連勝を阻止する一番に挑みました。
この歴史的な取組は2日目に組まれました。戸田は立合いからぶちかまし、ノド輪攻めで相手を怯ませた後、両ハズ押しで大鵬を一気に土俵際まで押し込みました。当時、大鵬には「序盤・平幕・押し相撲」に弱点があると言われており、これら全てに当てはまる戸田には番狂わせへの期待が寄せられていました。大鵬が回り込みながら叩き込みを狙った瞬間、戸田の右足が一瞬土俵の外に出て蛇の目の砂を掃いたように見えました。しかし、次の瞬間、戸田は大鵬を押し出して自身も土俵下に突っ込んでいきました。
この一番を裁いていた立行司の22代式守伊之助は、一度は大鵬に軍配を上げました。しかし、すぐに西溜勝負審判を務めていた千賀ノ浦(元大関栃光正之)から物言いがつきました。正面審判長の春日野(元横綱栃錦清隆)は「戸田の足が出た」と主張しましたが、他の4人の勝負審判全員がその瞬間を見落としていたため、協議の結果、行司差し違えで戸田の勝ちが宣告され、大鵬の連勝は45で止まりました。戸田は自身初の金星を獲得し、大きく脚光を浴びることとなりました。
しかし、この判定には大きな議論が巻き起こりました。翌日の新聞やテレビで公開された写真や映像には、戸田の右足が明らかに土俵を割っていた瞬間が捉えられていたため、「明らかな誤審である」との批判が相撲協会に対して強く向けられました。中には春日野審判部長だけでなく、当時の武蔵川理事長(元前頭筆頭出羽ノ花國市)にまで責任を問う声が上がるほどでした。
この場所では、他にも大関琴櫻傑將と前頭2枚目海乃山勇の対戦でも疑惑の判定があり、日本相撲協会は場所後、物言いがついた際の判定にビデオ映像を参考とすることを決定しました。これにより、大相撲の審判制度における公平性と透明性の向上に繋がったと評価されています。この出来事は、後にマスコミによって「世紀の大誤審」として大きく報じられることになります([https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/19/kiji/K20130119005019650.html 柏戸戦は初顔で熱闘、連勝ストップ戸田戦は"世紀の大誤審"(スポニチ)])。それでも、大鵬幸喜自身はこの問題について一度も不満を口にせず、「ああいう相撲をとった自分が悪いんです」と語り、自身の責任であるとの姿勢を貫きました([http://showa-g.org/wremarks/view/486 「横綱としてああいう相撲を取った自分が悪い!」(大鵬幸喜の名言)(昭和ガイド)])。
この一件の後、1969年5月場所では、戸田は4日目に横綱柏戸剛と対戦し、もつれた相撲の中でビデオ映像が参考にされた結果、2つ目の金星を挙げました。これは彼にとって最後の金星となりましたが、ビデオ判定が導入された最初期の事例として、その後の相撲界における審判の透明性向上に深く関わる力士となりました。
3.3. 小結昇進と晩年の経歴
1971年1月場所から四股名を「羽黒岩」に改名しました。改名後も幕内上位で安定した活躍を見せ、上位での勝ち越しも何度かありましたが、最終的には三役は1973年5月場所の小結1場所のみに留まりました。この場所では2勝13敗と大きく負け越し、再び平幕に降格し、三役に返り咲くことはありませんでした。
それでも、羽黒岩は約10年にわたって幕内の地位を維持し続けました。特に貴ノ花利彰との相性が良く、対戦成績は9勝3敗と大きく勝ち越していました。貴ノ花が大関に昇進した後も、不戦勝を含む4勝1敗と優位を保ちました。
1977年7月場所、前頭9枚目にいた羽黒岩は3日目の舛田山靖仁との対戦で頚部を負傷し、翌日から休場しました(1勝3敗11休)。これにより、翌場所は十両に陥落し、以降は幕内に復帰することはありませんでした。1978年1月場所は十両13枚目まで番付を下げ、7日目を終えて1勝6敗と成績が振るわなかったため、翌日に引退を表明しました。現役時代、幕内には55場所在位し、幕内通算成績は385勝427敗13休でした。
4. 引退と相撲協会での活動
4.1. 年寄・雷としての活動
現役引退後、羽黒岩は日本相撲協会に残り、立浪部屋付きの年寄「雷」(いかづち)を襲名し、後進の指導に当たりました。彼の年寄名は、先代の雷(元前頭3枚目宇多川勝太郎)が名乗った「権太夫」という下の名を継がず、本名の「雷 智次郎」として停年まで通しました。
日本相撲協会では、立浪部屋のコーチのほか、勝負審判を務めるなど、協会の運営にも深く関わりました。しかし、大阪場所担当委員を務めていた際に、入場券収入の一部を計上していなかったという不祥事を組織内で起こし、1998年8月から2000年1月場所前まで平年寄への二階級降格処分を受けることとなりました。
4.2. 晩年と逝去
2011年6月29日に日本相撲協会の停年(定年)を迎え、同協会を退職しました。停年後からは人工透析を受けていました。2016年4月には心筋梗塞を発症し、約3ヶ月間入院しました。その後は車いすでの生活を送ることになりましたが、大相撲中継は欠かさずテレビで観戦していたといいます。
逝去する前日の10月22日には「苦しい」と訴え、集中治療室に緊急入院しました。そして、2016年10月23日、腎不全のため宮崎県日南市内の病院で70歳で逝去しました。日本相撲協会在職中から糖尿病の合併症と闘っていたため、通夜と葬儀・告別式で喪主を務めた妻は「ずいぶん弱っていましたから。私としてはもう17年間、入退院を繰り返しているのを見てきた。最後はあまり苦しまなくて良かった」と語りました。
5. 私生活とエピソード
5.1. 結婚と祝儀盗難事件
1974年9月28日にホテルニューオータニで結婚式を挙げた際、式場で祝儀として集められた約600.00 万 JPYが泥棒によって全て盗まれるという事件に見舞われました。
5.2. 歌手デビュー
1969年には、テイチクレコードから『男が女にブルースを』(B面:『不知火ブルース』)を発売し、歌手としてもデビューしました。
6. 記録と統計
6.1. 通算成績の概要
- 通算成績:626勝623敗35休(勝率.501)
- 幕内成績:385勝427敗13休(勝率.474)
- 現役在位:100場所
- 幕内在位:55場所
- 三役在位:1場所(小結1場所)
- 三賞:1回
- 敢闘賞:1回(1969年1月場所)
- 金星:2個
- 大鵬:1個(1969年3月場所2日目)
- 柏戸:1個(1969年5月場所4日目)
6.2. 場所別成績
年 | 場所 | 番付 | 成績 | |
---|---|---|---|---|
1961年 | 5月場所 | 前相撲 | - | |
7月場所 | 序ノ口東33枚目 | 4勝3敗 | ||
9月場所 | 序二段西76枚目 | 5勝2敗 | ||
11月場所 | 序二段西11枚目 | 0勝0敗7休 | ||
1962年 | 1月場所 | 序二段西55枚目 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 序二段東23枚目 | 2勝5敗 | ||
5月場所 | 序二段東41枚目 | 6勝1敗 | ||
7月場所 | 三段目東75枚目 | 2勝5敗 | ||
9月場所 | 序二段東3枚目 | 4勝3敗 | ||
11月場所 | 三段目東80枚目 | 5勝2敗 | ||
1963年 | 1月場所 | 三段目東49枚目 | 6勝1敗 | |
3月場所 | 三段目西4枚目 | 2勝5敗 | ||
5月場所 | 三段目東27枚目 | 4勝3敗 | ||
7月場所 | 三段目東14枚目 | 4勝3敗 | ||
9月場所 | 幕下西95枚目 | 4勝3敗 | ||
11月場所 | 幕下東84枚目 | 5勝2敗 | ||
1964年 | 1月場所 | 幕下西63枚目 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 幕下西57枚目 | 5勝2敗 | ||
5月場所 | 幕下西40枚目 | 4勝3敗 | ||
7月場所 | 幕下西27枚目 | 5勝2敗 | ||
9月場所 | 幕下西30枚目 | 3勝4敗 | ||
11月場所 | 幕下東35枚目 | 5勝2敗 | ||
1965年 | 1月場所 | 幕下東23枚目 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 幕下東13枚目 | 4勝3敗 | ||
5月場所 | 幕下西8枚目 | 4勝3敗 | ||
7月場所 | 幕下東6枚目 | 5勝2敗 | ||
9月場所 | 幕下東2枚目 | 6勝1敗 | ||
11月場所 | 十両西17枚目 | 8勝7敗 | ||
1966年 | 1月場所 | 十両西16枚目 | 8勝7敗 | |
3月場所 | 十両東14枚目 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 十両西11枚目 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 十両東9枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 十両西4枚目 | 8勝7敗 | ||
11月場所 | 十両西2枚目 | 11勝4敗 | ||
1967年 | 1月場所 | 前頭西12枚目 | 6勝9敗 | |
3月場所 | 前頭西15枚目 | 9勝6敗 | ||
5月場所 | 前頭東11枚目 | 7勝8敗 | ||
7月場所 | 前頭東11枚目 | 9勝6敗 | ||
9月場所 | 前頭東9枚目 | 6勝9敗 | ||
11月場所 | 前頭西10枚目 | 6勝9敗 | ||
1968年 | 1月場所 | 十両西1枚目 | 9勝6敗 | |
3月場所 | 前頭東11枚目 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 前頭西9枚目 | 6勝9敗 | ||
7月場所 | 前頭東11枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭西7枚目 | 7勝8敗 | ||
11月場所 | 前頭西10枚目 | 9勝6敗 | ||
1969年 | 1月場所 | 前頭東7枚目 | 11勝4敗 | 敢闘賞 |
3月場所 | 前頭東1枚目 | 7勝8敗 | 金星 | |
5月場所 | 前頭西2枚目 | 8勝7敗 | 金星 | |
7月場所 | 前頭西1枚目 | 6勝9敗 | ||
9月場所 | 前頭東3枚目 | 7勝8敗 | ||
11月場所 | 前頭西3枚目 | 5勝10敗 | ||
1970年 | 1月場所 | 前頭東8枚目 | 6勝9敗 | |
3月場所 | 前頭東10枚目 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 前頭東7枚目 | 6勝9敗 | ||
7月場所 | 前頭西9枚目 | 9勝6敗 | ||
9月場所 | 前頭西2枚目 | 5勝10敗 | ||
11月場所 | 前頭西6枚目 | 7勝8敗 | ||
1971年 | 1月場所 | 前頭西9枚目 | 10勝5敗 | |
3月場所 | 前頭東2枚目 | 5勝8敗2休 | (右肩関節亜脱臼により6日目から途中休場、9日目から再出場) | |
5月場所 | 前頭東6枚目 | 7勝8敗 | ||
7月場所 | 前頭東7枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭西3枚目 | 6勝9敗 | ||
11月場所 | 前頭東6枚目 | 6勝9敗 | ||
1972年 | 1月場所 | 前頭東8枚目 | 7勝8敗 | |
3月場所 | 前頭西9枚目 | 7勝8敗 | ||
5月場所 | 前頭東11枚目 | 7勝8敗 | ||
7月場所 | 前頭西12枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭東11枚目 | 8勝7敗 | ||
11月場所 | 前頭東9枚目 | 10勝5敗 | ||
1973年 | 1月場所 | 前頭西2枚目 | 7勝8敗 | |
3月場所 | 前頭東3枚目 | 9勝6敗 | ||
5月場所 | 小結東1枚目 | 2勝13敗 | ||
7月場所 | 前頭東9枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭西6枚目 | 6勝9敗 | ||
11月場所 | 前頭西8枚目 | 6勝9敗 | ||
1974年 | 1月場所 | 前頭西11枚目 | 8勝7敗 | |
3月場所 | 前頭東10枚目 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 前頭東7枚目 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 前頭西2枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭東2枚目 | 4勝11敗 | ||
11月場所 | 前頭西9枚目 | 4勝11敗 | ||
1975年 | 1月場所 | 十両西2枚目 | 6勝9敗 | |
3月場所 | 十両東5枚目 | 5勝10敗 | ||
5月場所 | 十両東11枚目 | 10勝5敗 | ||
7月場所 | 十両西3枚目 | 7勝8敗 | ||
9月場所 | 十両東5枚目 | 7勝8敗 | ||
11月場所 | 十両東7枚目 | 8勝7敗 | ||
1976年 | 1月場所 | 十両西3枚目 | 9勝6敗 | |
3月場所 | 十両東1枚目 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 前頭西13枚目 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 前頭東10枚目 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 前頭東8枚目 | 6勝9敗 | ||
11月場所 | 前頭東10枚目 | 8勝7敗 | ||
1977年 | 1月場所 | 前頭東7枚目 | 6勝9敗 | |
3月場所 | 前頭西11枚目 | 9勝6敗 | ||
5月場所 | 前頭東6枚目 | 6勝9敗 | ||
7月場所 | 前頭東9枚目 | 1勝3敗11休 | (頸部挫傷により4日目から途中休場) | |
9月場所 | 十両東6枚目 | 0勝0敗15休 | ||
11月場所 | 十両東6枚目 | 5勝10敗 | ||
1978年 | 1月場所 | 十両西13枚目 | 1勝7敗 | 引退 |
6.3. 幕内対戦成績
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
青ノ里 | 4 | 5 | 青葉城 | 1 | 1 | 青葉山 | 1 | 0 | 朝岡 | 0 | 1 | ||||
浅瀬川 | 6 | 3 | 朝登 | 3 | 4 | 嵐山 | 1 | 0 | 荒勢 | 2 | 3 | ||||
巌虎 | 2 | 1 | 扇山 | 2 | 0 | 大位山 | 1 | 0 | 大潮 | 8 | 5(1) | ||||
大錦 | 4 | 2 | 大ノ海 | 0 | 2 | 大鷲 | 3 | 5 | 魁輝 | 2 | 2 | ||||
魁傑 | 4 | 3 | 魁罡 | 3 | 0 | 海乃山 | 4 | 4 | 開隆山 | 2 | 2 | ||||
柏戸 | 1 | 1 | 和晃 | 2 | 1 | 金乃花 | 1 | 0 | 北瀬海 | 3 | 6 | ||||
北の湖 | 2 | 5 | 北の花 | 1 | 3 | 北の富士 | 3(1) | 9 | 清國 | 4 | 11 | ||||
麒麟児 | 0 | 2 | 蔵間 | 0 | 1 | 高鉄山 | 9 | 10 | 琴風 | 1 | 2 | ||||
琴ヶ嶽 | 2 | 2 | 琴櫻 | 2 | 9(1) | 琴乃富士 | 0 | 2 | 小沼 | 1(1) | 0 | ||||
金剛 | 6 | 6 | 安達 | 2 | 0 | 白田山 | 6 | 1 | 大旺 | 0 | 2 | ||||
大峩 | 2 | 2 | 大麒麟 | 2 | 8 | 大豪 | 2 | 0 | 大受 | 3 | 10 | ||||
大登 | 3 | 0 | 大鵬 | 1 | 6 | 大文字 | 2 | 1 | 大雄 | 15 | 6 | ||||
大竜川 | 8 | 5 | 隆ノ里 | 1 | 0 | 貴ノ花 | 9(1) | 3 | 高見山 | 7 | 10 | ||||
玉輝山 | 2 | 2 | 玉の海 | 0 | 7 | 玉ノ富士 | 0 | 2 | 千代櫻 | 2 | 2 | ||||
鶴ヶ嶺 | 1 | 1 | 照櫻 | 2 | 0 | 天水山 | 2 | 0 | 天龍 | 2 | 5 | ||||
時葉山 | 11 | 12 | 栃赤城 | 0 | 1 | 栃東 | 12 | 10 | 栃勇 | 5 | 4 | ||||
栃王山 | 7 | 7 | 金城 | 1 | 1 | 栃富士 | 4 | 2 | 豊國 | 1 | 2 | ||||
長谷川 | 5 | 8 | 花光 | 9 | 3 | 播竜山 | 1 | 1 | 廣川 | 1 | 3 | ||||
福の花 | 8 | 10 | 富士櫻 | 1 | 6 | 富士錦 | 4 | 3 | 藤ノ川 | 6 | 4 | ||||
二子岳 | 12 | 22 | 双津竜 | 2 | 3 | 前の山 | 5 | 9 | 増位山 | 7 | 9 | ||||
舛田山 | 1 | 3 | 丸山 | 1 | 0 | 三重ノ海 | 4(1) | 10 | 禊鳳 | 3 | 4 | ||||
明武谷 | 0 | 2 | 陸奥嵐 | 10 | 10 | 豊山 | 4 | 5 | 吉王山 | 6 | 3 | ||||
吉の谷 | 4 | 1 | 義ノ花 | 9 | 5 | 琉王 | 8 | 10 | 龍虎 | 7 | 7 | ||||
若獅子 | 3 | 5 | 若秩父 | 3 | 0 | 若天龍 | 4 | 2 | 若鳴門 | 2 | 1 | ||||
若ノ海 | 5 | 8 | 若ノ國 | 1 | 2 | 若乃洲 | 1 | 0 | 若三杉 | 2 | 2 | ||||
若二瀬 | 6 | 12 | 若吉葉 | 1 | 2 | 輪島 | 2 | 6 | 鷲羽山 | 3 | 0 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数です。
7. 改名歴
7.1. 現役時代
- 戸田 智次郎(とだ ともじろう):1961年7月場所 - 1970年11月場所
- 羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず):1971年1月場所 - 1973年7月場所
- 羽黒岩 盟海(はぐろいわ ともみ):1973年9月場所 - 1978年1月場所
7.2. 年寄時代
- 雷 智次郎(いかづち ともじろう):1978年1月 - 2011年6月