1. 選手経歴
長島裕明のサッカー選手としての初期キャリアとプロとしての活動について記述する。
1.1. 生い立ちと教育
長島裕明は1967年3月22日に神奈川県で生まれた。日本大学高等学校でサッカーを学び、その後日本大学を卒業した。
1.2. プロ選手時代
1989年に日本大学を卒業した後、同年から湘南ベルマーレの前身であるフジタ工業サッカー部でプレーした。しかし、リーグ戦での出場はなかった。1991年に現役を引退し、24歳で指導者への道に進んだ。
2. 指導者経歴
選手引退後、長島裕明は多岐にわたる指導者としてのキャリアを築き、様々な役職で日本サッカー界に貢献した。このセクションでは、彼の初期の指導者時代から、ユースチーム、トップチーム、そして監督としての活動を時系列で整理する。
2.1. 初期指導者時代
1991年から1992年にかけて、長島は日本大学サッカー部のコーチに就任した。彼は一般の仕事には就かず、選手と共に合宿所に住み込み、コーチ業に専念した。当時の監督は不在の日が多く、彼が全権を任されていた。この期間には、岡野雅行、有馬賢二、山岸範之、岡本隆吾らが教え子として名を連ねている。1年目で関東大学リーグ1部昇格を果たすも、2年目で降格。周囲の慰留を断り、「コーチをゼロからやり直す」という強い意思のもと、日本大学サッカー部コーチを辞任した。
翌1993年からは港区のキンダー善光サッカークラブでアルバイトコーチを務め、この時期には都倉賢が在籍していた。同時に、1994年から1995年まで大田区立糀谷中学校サッカー部のコーチを兼任し、4歳から15歳の選手を指導した。
1994年には、母校である日本大学高等学校で保健体育の講師として授業を行いながら、同時にサッカー部のコーチを務め、4歳から18歳の選手を2年間担当した。1995年には、チームをインターハイ全国大会出場へと導いた。
2.2. ユースチームでの指導
1996年、徳島ヴォルティスの前身である大塚FCヴォルティス徳島のコーチに就任し、1997年から1998年まではU-15監督を務めた。
1999年にFC東京がJリーグに加盟した年から、長島はFC東京U-15の監督を務めた(1999年 - 2002年)。この期間中に、梶山陽平、吉本一謙、椋原健太、丸山祐市、権田修一、廣永遼太郎、鎌田次郎、染谷悠太、大竹洋平、宮阪政樹、井澤惇、岡田翔平、森村昂太、中野遼太郎、田中奏一、村田翔といった多くの選手を担当した。また、三田啓貴、六平光成、藤原広太朗、山村佑樹、井上亮太、岩渕良太、宮澤勇樹らを発掘した。2001年にはクラブユース選手権U-15で準優勝を経験し、2002年にはリスボンで開催されたナイキプレミアムカップ世界大会で6位の成績を収めた。
2003年から2005年まではFC東京U-18の監督を務め、梶山陽平、呉章銀、李忠成、鎌田次郎らをトップチームに送り出した。この時期には宮崎智彦や常盤聡も指導した。
2006年から2007年にはFC東京育成部部長代理を務め、この間にS級ライセンスを取得している。
2.3. トップチームでのコーチング(アシスタント)
2008年、長島はモンテディオ山形のコーチに就任した。若手育成を統括する傍ら、小林伸二監督の懐刀として映像分析やスカウティングを担当し、チームに貢献した。特に、シーズン終盤にスターティングメンバーに定着した馬場憂太の山形移籍に助力した。この年、モンテディオ山形はリーグ戦を2位で終え、J1昇格を果たした。2009年からはヘッドコーチとしてチームの躍進を支え、J1に2年間残留することに貢献した。2010年限りで契約満了により退任した。
2011年からは古巣であるFC東京に復帰し、コーチを務めた。ここでは出場機会の乏しい選手たちと向き合い、競争意識と一体感を高めることで、高橋秀人らの台頭を促すなど、チーム全体の底上げに貢献した。この年、FC東京はJ2リーグを制してJ1昇格を達成し、さらに天皇杯も優勝するという輝かしい成績を収めた。2012年にはヘッドコーチとしてポポヴィッチ監督を支え、ACLでベスト8に進出した。
2013年から2015年までは、徳島ヴォルティスのヘッドコーチに就任した。これは彼にとって、山形在籍時以来の小林伸二監督の下での指導であり、通算3度目の共闘となった。小林監督との間には「ゴールデンコンビ」と称される強い信頼関係があり、彼らはクラブ史上初となるJ1昇格に貢献した。長島は異なるチームでコーチとして3度のJ2からJ1への昇格を達成している。
2017年から2018年にはFC岐阜のヘッドコーチを務め、大木武監督の片腕としてチームを支えた。この時期に在籍した選手には、庄司悦大、福村貴幸、田森大己、風間宏矢、古橋亨梧、シシーニョ、ビクトル、山岸祐也、石川大地、長沼洋一、島村拓弥らがいる。2018年シーズン終了後、退任が発表された。
2019年には松本山雅FCトップチームコーチに就任し、反町康治監督のもとで若手育成を任された。しかし、同シーズン末にチームがJ1から降格したことに伴い、反町監督の退任と共に長島も退任を発表した。
2020年から2021年にはギラヴァンツ北九州のコーチに就任した。これはモンテディオ山形、徳島ヴォルティスに続き、小林伸二監督の下でコーチを務める3度目の機会となった。主にバックアップメンバーや若手の育成、個人の成長を担当し、ディサロ燦シルバーノ、町野脩斗、高橋大悟、藤原奏哉、生駒仁らが所属していた。
2021年12月21日、東京ヴェルディのコーチに就任。主にディフェンスの強化を任され、全体トレーニング後の自主練習では、谷口栄斗、馬場晴也、佐古真礼などディフェンス陣の個人戦術指導に力を入れた。2022年12月26日に東京ヴェルディのコーチを退任した。
同日、2022年12月26日には再びギラヴァンツ北九州のヘッドコーチに就任することが発表されたが、2023年11月22日に退任した。
2023年12月26日、タイ1部リーグのBGパトゥム・ユナイテッドFCのヘッドコーチに就任し、手倉森誠監督のもとで指導した。チームはリーグ戦で4位であったが、Revo Cupでクラブ史上初の優勝を果たした。
2024年6月18日、栃木SCのヘッドコーチに就任したことが発表され、現在に至る。
2.4. 監督時代
2016年、長島裕明は徳島ヴォルティスの監督に昇格した。シーズン序盤は試行錯誤を繰り返し、チームは低迷したが、戦術が固まった後半戦には攻守に好循環をもたらし、チームは復調した。クラブ首脳陣は長島の貢献を認めていたものの、J1昇格プレーオフ進出を逃したことや、長島自身の辞意を汲み、同年末に契約非更新が決定された。
3. 記録
このセクションでは、長島裕明の選手および監督・コーチとしての公式記録を記載する。
3.1. 個人成績
選手時代のリーグ戦およびカップ戦での出場記録を含む個人統計データは以下の通りである。
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989-90 | フジタ | 24 | JSL1部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 |
1990-91 | 28 | JSL2部 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
総通算 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 |
3.2. 監督・指導者成績
監督として指揮したチームのリーグ順位、勝点、勝敗記録など、公式戦の統計および主要な指導実績は以下の通りである。
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2003 | FC東京U-18 | プリンス関東 | 10位 | 14 | 9 | 4 | 2 | 3 | - | - |
2004 | 東京都U18トップ | 優勝 | 16 | 6 | 5 | 1 | 0 | - | - | |
2005 | TFA T1 U18 | 優勝 | 29 | 11 | 9 | 2 | 0 | - | - | |
2016 | 徳島 | J2 | 9位 | 57 | 42 | 16 | 9 | 17 | - | 3回戦 |
通算 | 日本 | J2 | - | - | 42 | 16 | 9 | 17 | - | - |
日本 | プリンス関東 | - | - | 9 | 4 | 2 | 3 | - | - | |
日本 | 東京都U18 | - | - | 17 | 14 | 3 | 0 | - | - | |
総通算 | - | - | 68 | 34 | 14 | 20 | - | - |
4. 所属クラブ
長島裕明が選手として在籍したクラブを時系列で示す。
- 日本大学高等学校
- 日本大学
- 1989年 - 1991年 フジタ工業クラブサッカー部 / フジタサッカークラブ
5. 指導歴
長島裕明がコーチ・監督として歴任した役職と所属チームを時系列で示す。
- 1991年 - 1992年 日本大学サッカー部 コーチ
- 1993年 - 1995年 キンダー善光サッカークラブ コーチ
- 1994年 - 1995年 大田区立糀谷中学校サッカー部 コーチ (兼務)
- 1994年 日本大学高等学校サッカー部 コーチ
- 1996年 - 1998年 大塚FCヴォルティス徳島
- 1996年 トップチーム コーチ
- 1997年 - 1998年 U-15 監督
- 1999年 - 2007年 FC東京
- 1999年 - 2002年 U-15 監督
- 2003年 - 2005年 U-18 監督
- 2006年 - 2007年 育成部 部長代理
- 2008年 - 2010年 モンテディオ山形
- 2008年 トップチーム コーチ
- 2009年 - 2010年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2011年 - 2012年 FC東京 コーチ
- 2013年 - 2016年 徳島ヴォルティス
- 2013年 - 2015年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2016年 トップチーム 監督
- 2017年 - 2018年 FC岐阜 ヘッドコーチ
- 2019年 松本山雅FC コーチ
- 2020年 - 2021年 ギラヴァンツ北九州 コーチ
- 2022年 東京ヴェルディ コーチ
- 2023年 ギラヴァンツ北九州 ヘッドコーチ
- 2024年1月 - 2024年5月 BGパトゥム・ユナイテッドFC ヘッドコーチ
- 2024年6月 - 栃木SC ヘッドコーチ
6. 評価と影響
長島裕明は、そのキャリアを通じて日本サッカー界に多大な遺産と影響を残してきた。特に彼の貢献は、二つの主要な側面に集約される。
第一に、彼のユース育成における手腕は高く評価されている。日本大学サッカー部の初期指導者時代から始まり、大塚FCヴォルティス徳島、そして特にFC東京のユース部門では、U-15およびU-18の監督として、数多くの若手選手を指導し、トップチームへと送り出した。彼が発掘し、育成に携わった選手の中には、後にJリーグや日本代表で活躍する選手も少なくない。全国規模のユース大会での準優勝や国際大会での成績も、彼の育成指導の質の高さを示している。彼がS級ライセンスを取得したことも、指導者としての専門性の高さを裏付けている。彼の育成哲学は、単に技術指導に留まらず、選手の人間的成長を促すものであり、これが多くの若手選手の才能開花に繋がった。
第二に、トップチームのコーチとしての貢献、特にJ1昇格への貢献は特筆すべき点である。モンテディオ山形、FC東京、そして徳島ヴォルティスにおいて、彼はそれぞれ異なるチームでJ2からJ1への昇格を経験している。特に徳島ヴォルティスでは、小林伸二監督との「ゴールデンコンビ」として、クラブ史上初のJ1昇格に貢献した。これは、彼の戦術眼、選手とのコミュニケーション能力、そしてチームの結束を高める手腕が総合的に発揮された結果と言える。彼は監督を陰で支えるヘッドコーチやコーチとして、チームの組織力強化、若手の戦力化、そして厳しいリーグ戦を勝ち抜くための精神的支柱となるなど、多岐にわたる重要な役割を担ってきた。
長島裕明は、指導者として一貫して人材育成とチーム強化に尽力し、その活動は日本サッカーの発展に不可欠なものとなっている。彼の存在は、多くの選手にとってキャリアの転換点となり、また所属チームの歴史における重要な成功の立役者の一人として、高く評価され続けている。