1. 経歴
髙橋朋己の野球人生は、プロ入り前から社会人野球時代を経て、埼玉西武ライオンズでの現役時代、そして引退に至るまで、才能と怪我との闘いの連続であった。
1.1. プロ入り前
プロ野球選手となる以前の髙橋は、幼少期から学生野球、そして社会人野球で実績を積んだ。
1.1.1. 学生時代
髙橋は三島市立中郷小学校2年生の時に「中郷ファイターズ」で野球を始めた。当初は野手としてプレーしていたが、三島市立中郷西中学校時代には「三島田方リトルシニア」で投手としての才能を開花させた。
加藤学園高等学校に進学すると、2年生で背番号「1」を背負うものの、3年生時には怪我の影響もあり、主に一塁手としてプレーし、夏にはリリーフを務めるに留まった。球速は最速で129 km/hに留まり、甲子園出場経験もなかった。大学入学に向けて練習していた際には、当時の監督から腹筋と背筋を鍛えるために薪割りを命じられ、これによって筋力が向上したと後に語っている。
1.1.2. 大学・社会人野球時代
高校卒業後、岐阜聖徳学園大学に進学。1年生で東海地区大学野球春季リーグ戦に登板し、3年生の春には最優秀投手賞を受賞する活躍を見せた。大学時代の同期には、後にプロに進む井上公志がいた。
大学卒業後は西濃運輸に入社し、社会人野球に進んだ。1年目には第82回都市対抗野球大会に出場し、2回戦の対JR東日本東北戦で9回1死から救援登板し、1回と1/3を投げ自責点1で敗戦投手となった。2年目の第83回都市対抗野球大会では王子製紙の補強選手に選ばれ、1回戦の対JR東日本戦に3番手で救援登板し、4回と2/3を投げ自責点0と好投した。しかし、その後9月に肩を痛め、第38回社会人野球日本選手権大会には出場できなかった。社会人時代のチームメイトには小豆畑眞也がいた。
2012年10月25日に開催されたプロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから4巡目で指名された。契約金は推定4000.00 万 JPY、年俸は推定1000.00 万 JPYで仮契約を結び、背番号は「43」に決定した。加藤学園高等学校出身者としては初のプロ入り選手となった。
1.2. プロ時代
プロ入り後の髙橋は、守護神としての輝かしい活躍から、度重なる怪我、育成契約を経て引退するまでの波乱に満ちたキャリアを送った。
1.2.1. プロ入りから守護神としての活躍 (2013-2015)
2013年は左肩のリハビリに努めた。8月15日に一軍登録され、同日の対福岡ソフトバンクホークス戦で6回にプロ初登板を果たし、2/3回を投げ1失点だった。8月31日の対オリックス・バファローズ戦では同点の5回途中に救援登板し、1/3回を投げ無失点でプロ初ホールドを記録。シーズン最終戦となった10月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、6回途中に救援登板し、1回と2/3を投げ無失点でプロ初勝利を挙げ、同時に13試合連続無失点も記録した。
2014年には開幕一軍入りを果たすと、シーズン途中で抑え投手に指名され、4月19日の対オリックス戦でプロ初セーブを記録。4月25日のソフトバンク戦からは無失点で5試合連続セーブを挙げる活躍を見せた。この年、チーム最多の29セーブとチーム3位の13ホールドを記録し、パシフィック・リーグの日本人左腕としては2004年の三瀬幸司(当時福岡ダイエーホークス)以来10年ぶりに25セーブ以上を達成した。同リーグの新人王争いでは、プロ1年目の石川歩(千葉ロッテマリーンズ)に次いで記者投票で多くの得票数を集めた。シーズンオフの10月9日には日米野球2014の日本代表に選出され、第2戦と第5戦でそれぞれ1回ずつを投げ無失点に抑えた。
2015年は開幕前から新加入のミゲル・メヒアとクローザーの座を競ったが、オープン戦の結果によりミゲルが二軍へ降格したため、開幕からクローザーに抜擢された。3月27日からのオリックスとの開幕3連戦では、プロ野球史上初となる開幕3戦での3試合連続セーブを記録。さらに31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でもセーブを挙げ、開幕からの連続試合セーブの日本記録を4に伸ばした。しかし、登板5試合目となった4月5日の対ソフトバンク戦ではセーブがつかず、記録は途切れた。7月16日には、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された。監督選抜によりオールスターゲームのメンバーにも選ばれ、7月18日に行われた第2戦において8回裏に6番手で登板し、1回を投げ1失点だった。しかし、7月は8試合に登板し、そのうち6試合で失点する不安定な投球が続き、3失点で2敗目を喫した25日の対北海道日本ハムファイターズ戦の試合後には「投げることが怖い」と精神的な苦痛を明かした。同月下旬に中継ぎに配置転換され、8月6日の対楽天戦では先発から抑えに配置転換された牧田和久がセーブを挙げた。牧田が27日の対日本ハム戦で先発に戻ったことで再び抑えを任され、28日の対楽天戦で7月7日以来のセーブを記録した。しかし、9月23日の対オリックス戦では8回に登板した際、打球を処理しようとした際に右足を捻って倒れ負傷交代した。25日に出場選手登録を抹消され、同日に行われた検査で右足の腓骨を骨折していたことが判明し、全治2、3カ月と発表された。9月10日には第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されていたが、この骨折により同大会への出場も事実上不可能となった。
1.2.2. 相次ぐ怪我と育成契約 (2016-2019)
2016年は開幕を一軍で迎えたものの、左肘の張りにより4月22日に出場選手登録を抹消された。その後、左肘内側側副靭帯の再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、成功したことが7月26日に発表された。復帰までには長いリハビリ期間を要することとなった。
2017年6月3日、二軍での対横浜DeNAベイスターズ戦の9回に救援登板し、1回を投げ無失点の成績で前年の手術からの実戦復帰を果たした。シーズン終盤の9月30日には一軍登録され、一軍では3試合に登板した。
2018年のオープン戦では、6試合で4回と2/3を投げ無失点と左肘の手術からの復活をアピールし、2年ぶりに開幕を一軍で迎えた。しかし、シーズン初登板となる3月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦で左肩に違和感を訴えて一死もとれずに降板し、翌日には出場選手登録を抹消された。左肩関節痛の影響でその後は一軍、二軍とも登板することなくシーズンを終えた。10月29日、球団より来季の契約を結ばない旨が通告されたが、併せて報道されていた通り、11月14日に育成選手として再契約した。背番号は「123」に変更されたが、球団は髙橋の復帰を期して元の背番号「43」を空き番にした。これは球団の髙橋に対する大きな期待と温かい配慮を示すものであった。
2019年は1月にキャッチボールを再開し、ブルペンでの投球は続けていたが、この年のシーズン中に実戦登板は果たせなかった。秋季教育リーグのみやざきフェニックス・リーグに参加し、10月28日の韓国・斗山ベアーズ戦で約1年半ぶりの実戦復帰を果たし、その後は秋季キャンプにも参加した。育成選手制度に従い、10月31日に自由契約公示されたが、育成選手として再度契約している。再契約の際、ゼネラルマネージャー(GM)の渡辺久信からは「(元の背番号の)43番はお前のためにとっておいてある」と再起を期待され、髙橋本人も「言われてうれしかった。もう一回でいいからつけたい」と奮起した。
1.2.3. 現役引退 (2020)
しかし、2020年も二軍公式戦への登板を果たせない日々が続き、8月に打撃投手を務めた際にも強い痛みを覚えたことも切っ掛けとなり、10月20日に現役引退を表明した。同日の引退会見にて、10月30日の対読売ジャイアンツ・ファーム最終戦(CAR3219フィールド)で、9回に打者1人相手に引退登板する予定であることが発表された。髙橋は現状について「ホームベースに届くかもわからない」と正直な胸の内を明かした。
迎えた10月30日のファーム公式戦は予定通り、9回無死、2対2の同点の場面で登板した。登板時には家族やGMの渡辺の他、隣接するメットライフドームで試合を控えていた一軍投手陣らも練習を一時中断して髙橋の登板を見守りに来ていた。この光景を知った髙橋はブルペンでずっと泣いていたという。マウンドに上がる際には支配下登録時代の背番号「43」がコールされ、二軍戦では異例の登場曲も流された。イスラエル・モタを相手にストライクゾーンへの106 km/hの直球を投げ込むと、その1球でショートフライに打ち取り、8年間の現役生活に幕を下ろした。試合後は二軍監督の松井稼頭央に促され、マウンド付近で10度胴上げされた。最終登板の際も「(全盛期を100とすると)マイナス100」というレベルで肩の調子が非常に悪く、鎮痛剤を飲んで当日に臨んだ。試合前に同級生のファーム・育成グループスタッフである大石達也とキャッチボールを行った際は問題なかったものの、ブルペンでは捕手を座らせて投げることができない状態だった。モタに投げた1球の際、「投げた瞬間に(肩が)バコッていった」という危険な状態だったことを明かし、「1球で終わって良かったなって。三振は取りたかったですけどね、正直」と振り返っている。試合翌日には西武の公式YouTubeチャンネルに髙橋の選手最後の1日に密着した動画が投稿され、多くのファンに感動を与えた。
2. プレースタイル
髙橋朋己のプレースタイルは、その投球フォームと直球、そして特異な変化球の組み合わせに特徴があった。また、彼の野球人生に対する哲学も深く関わっていた。
投球フォームはサイドスローに近いスリークォーターで、左打者にとっては非常に打ちづらい軌道を描いた。直球はプロ3年目時点で140 km/h台後半に達し、その威力は相手打者を圧倒した。変化球としては主にスライダー、スプリットを投げ、2015年の開幕前の春季キャンプではシンカーの習得も目指していた。
彼自身の野球人生に対する考え方は「太く短く」が目標であると語っていた。引退会見時には、「8年間、プロ野球選手としては短い時間でしたが、すごく濃い、いい時間を過ごすことができました。球団からは、リハビリで苦しいなか、変わらずいろんな選手と接してくれてありがとう、と言ってもらえたのがうれしかったです。腐らずやってきてよかったと思えました」と述べ、度重なる怪我にもかかわらず、自身のキャリアに悔いがないことを強調した。
3. 人物
髙橋朋己は、野球選手としての一面だけでなく、その親しみやすい人柄や趣味、家族を大切にする姿勢でも知られている。
- 漫画好き:** 大の漫画好きとして知られ、髙橋の自宅にはおよそ500冊を収めた「漫画部屋」があった。入団時の入寮の際には、そのうち200冊を持参したというエピソードがある。また、2年目のシーズンオフには昇給した分で漫画を大人買いしたいと語るほどであった。
- 登場曲「Follow Me」と応援スタイル:** 現役時代、登場曲にE-girlsの「Follow Me」を起用していた。サビの「Follow Me」の部分を「TOMO Me」で合唱する応援スタイルが西武ファンの間で確立されており、髙橋の登場を盛り上げた。この縁もあり、2015年7月3日に西武プリンスドームで行われた埼玉西武ライオンズ対千葉ロッテマリーンズ戦の試合では、E-girlsから初のソロデビューとなったDream Amiのソロデビュー曲「ドレスを脱いだシンデレラ」のPRのための始球式で捕手を務めた。
- 結婚と家族:** 約2年間の遠距離恋愛の末、2014年12月17日に元会社員の一般人女性と結婚した。2015年9月には第一子(長女)が、2018年1月には第二子(長男)が誕生しており、二児の父として家庭を築いている。
- 母校への貢献:** プロ入り後、自身の母校である加藤学園高等学校に移動式ネットを寄付するなど、後輩たちの野球環境整備に協力している。
4. 引退後の活動
プロ野球選手引退後、髙橋朋己は野球界に残り、その経験を次世代の育成や解説に活かしている。
引退後は、球団にそのまま残り、埼玉西武ライオンズアカデミーのコーチとして、少年野球を通じて野球少年たちの指導にあたっている。その傍ら、フジテレビTWOの野球解説者としても並行して活動しており、その経験に基づいた的確な解説で、ファンに野球の魅力を伝えている。
5. 詳細情報
5.1. 年度別投手成績
年度 | 球団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 西武 | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 10 | 1.000 | 77 | 18.2 | 10 | 1 | 11 | 0 | 1 | 28 | 1 | 0 | 7 | 7 | 3.38 | 1.13 |
2014 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 29 | 13 | .667 | 258 | 62.2 | 47 | 2 | 24 | 2 | 1 | 80 | 3 | 0 | 15 | 14 | 2.01 | 1.13 | |
2015 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 22 | 14 | .400 | 264 | 61.2 | 49 | 3 | 26 | 1 | 5 | 55 | 2 | 0 | 21 | 20 | 2.92 | 1.22 | |
2016 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 1.000 | 23 | 5.1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.69 | 1.50 | |
2017 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 13 | 2.2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.75 | 1.88 | |
2018 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | ---- | ---- | |
通算:6年 | 160 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 5 | 52 | 40 | .545 | 637 | 151.0 | 115 | 7 | 67 | 3 | 7 | 167 | 7 | 0 | 48 | 46 | 2.74 | 1.21 |
5.2. 年度別守備成績
年度 | 球団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | ||
2013 | 西武 | 24 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 63 | 1 | 9 | 0 | 1 | 1.000 | |
2015 | 62 | 3 | 11 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
2018 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
通算 | 160 | 5 | 24 | 0 | 1 | 1.000 |
5.3. 記録
5.3.1. 初記録
- 初登板:2013年8月15日、福岡ソフトバンクホークス16回戦(西武ドーム)、6回表1死に4番手として救援登板、2/3回を1失点
- 初奪三振:2013年8月22日、千葉ロッテマリーンズ16回戦(QVCマリンフィールド)、7回裏に今江敏晃から空振り三振
- 初ホールド:2013年8月31日、オリックス・バファローズ20回戦(西武ドーム)、6回表2死に2番手で救援登板、1/3回を無失点
- 初勝利:2013年10月8日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(西武ドーム)、6回1死に3番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初セーブ:2014年4月19日、オリックス・バファローズ5回戦(西武ドーム)、9回表2番手で救援登板・完了、1回無失
5.3.2. その他
- オールスターゲーム出場:1回 (2015年)
5.4. 背番号
- 43 (2013年 - 2018年)
- 123 (2019年 - 2020年)
5.5. 登場曲
- 「Follow Me」E-girls (2013年 - 2020年)
6. 外部リンク
- [http://bis.npb.or.jp/eng/players/31935137.html NPB.com 個人年鑑]