1. 概要
アフマド・シャー・ハーン(احمد شاه خانアフマド・シャー・ハーンペルシア語、1934年9月23日 - 2024年6月4日)は、アフガニスタン最後の国王モハメド・ザヒル・シャーの次男であり、アフガニスタンの皇太子を務めた人物である。1942年に兄が死去した後、王位継承者として皇太子に冊封された。1973年のクーデターにより王政が転覆し、アフガニスタンが共和国となった後、逮捕されたが解放され、イタリアのローマを経てアメリカ合衆国バージニア州で亡命生活を送った。亡命中も詩作を続けた。2007年に父が死去してからは、バラクザイ家の当主としての役割を担い、2024年に89歳で死去するまでその地位にあった。彼の生涯は、アフガニスタンの激動の歴史と、王室の運命を象徴するものであった。
2. 初期と教育
2.1. 出生と家族
アフマド・シャーは、1934年9月23日にアフガニスタンのカーブルにあるアルグ・イ・シャーヒで生まれた。彼は、アフガニスタン最後の国王であるモハメド・ザヒル・シャーと、その王妃フマイラ・ベグムの次男である。彼には兄のムハンマド・アクバル・ハーンがいた。
2.2. 教育
アフマド・シャーの教育は、まずカーブルの学校で始まった。彼はエステクラル高等学校と軍事科学大学で学んだ。その後、イギリスのオックスフォード大学に進学し、さらにフランスのパリ政治学院(Institut d'études politiques de Parisパリ政治学院フランス語、通称Sciences Poシアンス・ポフランス語)でも学んだ。学業を終えた後は、カーブルのアフガニスタン外務省で勤務した経験を持つ。
3. アフガニスタン皇太子
3.1. 王位継承
アフマド・シャーは、出生時には兄のムハンマド・アクバル・ハーンに次ぐ王位継承順位第2位であった。しかし、1942年11月26日に兄が死去したことにより、彼は推定相続人としてアフガニスタンの皇太子に冊封され、王位継承順位の筆頭となった。
3.2. 皇太子としての活動
皇太子として、アフマド・シャーはアフガニスタン外務省での勤務を通じて国家の外交活動に関与した。また、公的な活動の傍ら、個人的な創作活動にも力を入れた。特に、彼は詩作に傾倒し、亡命後も詩を書き続けた。
4. 王政の転覆と亡命
4.1. 1973年のクーデター
1973年7月17日、アフマド・シャーの父であるモハメド・ザヒル・シャー国王の治世は終焉を迎えた。国王は、王室の一員であったムハンマド・ダーウード・ハーンによる1973年アフガニスタンクーデターによって追放された。このクーデターにより、アフガニスタンは共和国として宣言され、王政は崩壊した。この事件に際し、皇太子であったアフマド・シャーは、他の13人の王族と共に逮捕された。
4.2. 亡命生活
クーデター後、逮捕されたアフマド・シャーは、1973年7月26日に国外への出国を許可され、イタリアのローマへと渡った。その後、彼はアメリカ合衆国のバージニア州に居を定め、亡命生活を送った。亡命中も彼は詩作を続け、心の慰めとした。
5. 私生活
5.1. 結婚と子供
アフマド・シャーは、1961年11月22日にカーブルのチルストゥーン宮殿でカトゥル・ベグム王女と結婚した。カトゥル・ベグム王女は、サルダール・ムハンマド・ウマル・ハーン・ジケリアとその妻スルタナ・ベグム王女(アフガニスタン元国王モハメド・ナディル・シャーの四女)の娘である。二人の間には、2男1女が生まれた。
- ムハンマド・ザーヒル・ハーン王子(1962年5月26日生):オシラ・ベグム王女(1958年生まれ)と結婚し、ロクサーヌ・カーヌム王女(1988年生まれ)という娘がいる。彼がもし国王となれば、「モハメド8世」として知られることになっていた。
- ハーワ・カーヌム王女(1963年10月27日生)
- ムハンマド・エメル・ハーン王子(1969年生)
また、アフマド・シャーはサイードのノエル王女の叔父にあたる。
6. 家系と血統
6.1. バラクザイ朝
アフマド・シャーは、アフガニスタンの支配的な王朝であったバラクザイ朝の一員である。彼の父であるモハメド・ザヒル・シャーは、バラクザイ朝の最後の国王であった。
6.2. 詳細な系譜
アフマド・シャーの系譜は以下の通りである。
| 世代 | 氏名 |
|---|---|
| 1 | アフマド・シャー・ハーン |
| 2 | モハメド・ザヒル・シャー |
| 3 | フマイラ・ベグム |
| 4 | モハメド・ナディル・シャー |
| 5 | マフ・パルワル・ベグム |
| 6 | サルダール・アフマド・シャー・ハーン |
| 7 | ザリン・ベグム |
| 8 | サルダール・モハメド・ユスフ・ハーン(ヘラート総督) |
| 9 | シャラフ・スルタナ・フクマト・ベグム |
| 10 | サルダール・ムハンマド・アシフ・ハーン |
| 11 | ムルワリド・ベグム |
| 12 | サルダール・ムハンマド・アシフ・ハーン(=10) |
| 13 | ムルワリド・ベグム(=11) |
| 14 | ロイナブ・フシュ・ディル・ハーン(カーブルおよびカンダハール総督) |
| 15 | サヒラ・ベグム |
7. 晩年と王朝の長としての役割
7.1. バラクザイ家当主
2007年7月に父であるモハメド・ザヒル・シャー国王が死去した後、アフマド・シャーはバラクザイ家の長(当主)としての地位を引き継いだ。彼は、アフガニスタン最後の国王の存命する最年長の男性相続人であった。しかし、父が有していた「アフガニスタン国民の父」(بابا ملت افغانستانバーバー・イ・ミッラティ・アフガニスタンペルシア語)という公式な称号は、彼には与えられなかった。
7.2. 死去
アフマド・シャーは2024年6月4日に89歳で死去した。彼は、アフガニスタン最後の国王の存命する最年長の男性相続人としてその生涯を終えた。彼の死は、アメリカ合衆国バージニア州で確認された。

8. 評価と遺産
8.1. 歴史的評価
アフマド・シャーは、アフガニスタン王政の転覆という激動の時代を経験した最後の皇太子であり、その後もバラクザイ家の当主としての役割を担い続けた。彼の生涯は、アフガニスタンの近代史における王室の変遷と、その後の亡命生活という困難な状況を象徴している。彼は政治的な権力を持たなかったものの、王家の象徴としての役割を果たし続けた。
8.2. 影響
アフマド・シャーの生涯と活動は、アフガニスタン史、特に王室の歴史に深い影響を与えた。彼は、王政が崩壊した後も、王家の血統と伝統を継承する存在として、アフガニスタン国内および海外のアフガン人コミュニティにおいて、ある種の精神的な支柱となり続けた。彼の詩作活動は、亡命生活における内省と、故郷への思いを表現する手段となり、文化的な遺産の一部ともなっている。