1. 概要
スヴェン・エリック・アルフ・シェーベルイ(Sven Erik Alf Sjöbergスウェーデン語、1903年6月21日 - 1980年4月17日)は、スウェーデンの著名な演劇監督であり映画監督、そして脚本家である。彼は特にモノクロ映画において数々の優れた作品を制作し、スウェーデン映画界に多大な貢献をした。カンヌ国際映画祭では、1946年の『もだえ』と1951年の『令嬢ジュリー』で、2度にわたりグランプリ(Grand Prix du Festival)を受賞している。また、長年にわたりスウェーデン王立ドラマ劇場の第一監督を務め、舞台芸術においても傑出した業績を残したほか、スウェーデンにおける初期のテレビドラマ制作の先駆者としても知られる。

2. 生涯
アルフ・シェーベルイの生涯は、スウェーデンの演劇と映画の発展と深く結びついている。彼はそのキャリアを通じて、多岐にわたる芸術活動を展開した。
2.1. 出生と幼少期
アルフ・シェーベルイは、1903年6月21日にスウェーデンの首都ストックホルムで、スヴェン・エリック・アルフ・シェーベルイとして生まれた。彼の幼少期に関する具体的な情報は少ないが、後の芸術活動の基盤となる環境で育ったと推測される。
2.2. 初期キャリア
シェーベルイは、1930年から1980年までの長きにわたり、スウェーデンの権威ある王立ドラマ劇場の第一監督を務めた。この期間に彼は数多くの注目すべき歴史的な舞台作品を演出しており、そのキャリアの初期から演劇界で重要な役割を担っていた。
3. 主な活動と業績
アルフ・シェーベルイの芸術活動は、演劇、映画、テレビドラマの三つの分野にわたり、それぞれで顕著な業績を挙げた。彼の作品は、スウェーデン国内外の芸術界に大きな影響を与えた。
3.1. 演劇演出
シェーベルイは、何よりもまず舞台監督として知られており、王立ドラマ劇場においては、Olof Molander、そして後にIngmar Bergmanと並び、おそらく最も偉大な監督の一人であったと評価されている。彼は同劇場で数多くの傑出した、そして歴史に残る舞台作品を演出した。その演出は、俳優の演技と舞台空間の利用において革新的であり、観客に深い印象を与えた。
3.2. 映画監督
シェーベルイは、映画監督としても国際的な評価を獲得した。特に、彼の監督作品はカンヌ国際映画祭で2度のグランプリ受賞という輝かしい記録を持つ。
1946年には、イングマール・ベルイマンが助監督を務め、その梗概から制作された1944年の映画『もだえ』(Hetsスウェーデン語)でグランプリを受賞した。この受賞は、同年のカンヌ国際映画祭で11作品が同時受賞するという異例の形であった。また、『もだえ』は1947年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞にノミネートされた。
1951年には、アウグスト・ストリンドベリの戯曲を映画化した『令嬢ジュリー』(Fröken Julieスウェーデン語)で再びグランプリを受賞した。この作品は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ミラノの奇跡』と同時受賞であった。
彼の映画作品は、特にモノクロ映像の表現力と心理描写の深さで評価されており、スウェーデン映画の黄金時代を築く一助となった。1967年には、映画『Ön』で第3回グルドバッゲ賞最優秀監督賞を受賞している。
3.3. テレビドラマ
シェーベルイは、スウェーデンにおける初期のテレビドラマ制作においても先駆的な役割を果たした。彼の1955年のテレビ作品『Hamlet』の演出は、スウェーデン国内で画期的な出来事として記憶されている。これにより、彼は新しいメディアであるテレビの可能性を広げ、その後のテレビドラマの発展に貢献した。
4. 作品リスト
アルフ・シェーベルイは、監督、脚本家、俳優として数多くの作品に携わった。以下にその主要な作品をリストする。
4.1. 映画監督作品
- 『最強の男』(Den starkasteスウェーデン語) (1929年)
- 『命を賭けて』(Med livet som insatsスウェーデン語) (1940年)
- 『花咲く時』(Den blomstertidスウェーデン語) (1940年)
- 『バビロンからの帰還』(Hem från Babylonスウェーデン語) (1941年)
- 『天国の遊び』(Himlaspeletスウェーデン語) (1942年)
- 『Kungajakt』 (1944年)
- 『もだえ』(Hetsスウェーデン語) (1944年)
- 『旅立ち』(Resan bortスウェーデン語) (1945年)
- 『イリスと中尉の心臓』(Iris och löjtnantshjärtaスウェーデン語) (1946年)
- 『ただの母』(Bara en morスウェーデン語) (1949年)
- 『令嬢ジュリー』(Fröken Julieスウェーデン語) (1951年)
- 『バラバ』(Barabbasスウェーデン語) (1953年)
- 『カリン・モンスドッテル』(Karin Månsdotterスウェーデン語) (1954年)
- 『野鳥』(Vildfåglarスウェーデン語) (1955年)
- 『最後のカップル』(Sista paret outスウェーデン語) (1956年)
- 『裁判官』(Domarenスウェーデン語) (1960年)
- 『Ön』 (1966年)
- 『父』(Fadernスウェーデン語) (1969年)
4.2. 脚本作品
- 『命を賭けて』(Med livet som insatsスウェーデン語) (1940年)
- 『花咲く時』(Den blomstertidスウェーデン語) (1940年)
- 『バビロンからの帰還』(Hem från Babylonスウェーデン語) (1941年)
- 『天国の遊び』(Himlaspeletスウェーデン語) (1942年)
- 『旅立ち』(Resan bortスウェーデン語) (1945年)
- 『ただの母』(Bara en morスウェーデン語) (1949年)
- 『令嬢ジュリー』(Fröken Julieスウェーデン語) (1951年)
- 『カリン・モンスドッテル』(Karin Månsdotterスウェーデン語) (1954年)
- 『野鳥』(Vildfåglarスウェーデン語) (1955年)
- 『裁判官』(Domarenスウェーデン語) (1960年)
- 『Ön』 (1966年)
4.3. 俳優出演作品
- 『イングマールの遺産』(Ingmar's Inheritanceスウェーデン語) (1925年)
- 『オーダレンの詩』(The Poetry of Ådalenスウェーデン語) (1928年)
- 『旅立ち』(Resan Bortスウェーデン語) (1945年)
5. 受賞と評価
アルフ・シェーベルイは、その芸術的功績により国内外で高く評価された。特に彼の映画作品は、国際的な映画祭で重要な賞を受賞している。
5.1. 主な受賞歴
- カンヌ国際映画祭グランプリ(Grand Prix du Festival)
- 1946年: 『もだえ』(Hetsスウェーデン語) - 11作品との同時受賞。
- 1951年: 『令嬢ジュリー』(Fröken Julieスウェーデン語) - Vittorio De Sica監督の『ミラノの奇跡』と同時受賞。
- グルドバッゲ賞最優秀監督賞
- 1967年(第3回グルドバッゲ賞): 映画『Ön』
6. 影響力
アルフ・シェーベルイは、スウェーデンの演劇、映画、そしてテレビ文化に計り知れない影響を与えた。王立ドラマ劇場での長きにわたる第一監督としての活動は、スウェーデンの舞台芸術の質を高め、多くの後進の芸術家に影響を与えた。特に、同劇場で彼と並び称されたイングマール・ベルイマンとの関係は、スウェーデン演劇史において特筆すべきものである。
映画分野では、カンヌ国際映画祭での2度のグランプリ受賞が示すように、国際的な舞台でスウェーデン映画の存在感を示した。彼の作品は、その深遠なテーマと卓越した映像美で、後の映画監督たちに大きなインスピレーションを与えた。また、スウェーデンにおける初期のテレビドラマ制作における彼の先駆的な役割は、新しいメディアの可能性を切り開き、テレビが文化に与える影響の基礎を築いた。シェーベルイの多岐にわたる芸術活動は、スウェーデン文化の発展に不可欠な要素であったと言える。
7. 死去
アルフ・シェーベルイは、1980年4月17日、ストックホルムの王立ドラマ劇場へ稽古に向かう途中に自動車事故に遭い、死去した。彼の突然の死は、スウェーデンの芸術界に大きな衝撃を与えた。