1. 略歴
1.1. 出生地と初期キャリア
オルマエチェアは1939年4月7日にギプスコア県エイバルで生まれた。彼は地元のクラブであるSDエイバルでシニアキャリアをスタートさせ、1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオンから降格を経験した。翌年の1959年にはレアル・ソシエダに移籍したが、すぐに古巣のSDエイバルにレンタル移籍した。
2. 選手経歴
オルマエチェアの選手キャリアは、主にレアル・ソシエダで形成された。
2.1. 所属クラブ
SDエイバルでキャリアを始めた後、1959年にレアル・ソシエダに加入し、2シーズンをリザーブチームで過ごした。1962年夏にトップチームに昇格したが、この時レアル・ソシエダはラ・リーガから降格したばかりであった。彼はチームが1966-67シーズン終了後にラ・リーガに復帰するのを助けた。
所属クラブ | 期間 | 役割 |
---|---|---|
SDエイバル | 1958年-1959年 | 選手 |
レアル・ソシエダB | 1959年-1962年 | 選手 |
SDエイバル(レンタル) | 1959年-1960年 | 選手 |
レアル・ソシエダ | 1962年-1974年 | 選手 |
2.2. ポジションとプレースタイル
選手時代のオルマエチェアは、当初は右サイドバックとしてプレーしていたが、後に左サイドバックもこなすようになった。彼は両サイドのフルバックとして、守備の要としてチームに貢献した。
2.3. 通算記録と引退
ラ・リーガでの彼の最高のシーズンは1969-70シーズンで、リーグ戦28試合すべてに先発出場し、2得点を挙げた。このシーズン、レアル・ソシエダ(愛称: Txuriurdinチュリウルディンバスク語、バスク語で「白と青」の意)はリーグ7位で終えた。彼は度重なる負傷問題に悩まされ、35歳であった1974年に現役を引退した。レアル・ソシエダでは、すべての公式戦を通じて通算280試合に出場した。
3. 指導者経歴
オルマエチェアは現役引退後すぐに指導者の道に進み、レアル・ソシエダの歴史にその名を刻んだ。
3.1. レアル・ソシエダ監督時代
1974年に現役を引退すると、オルマエチェアはすぐにレアル・ソシエダのアシスタントコーチに就任した。1978年にはホセ・アントニオ・イルレギの後任としてトップチームの監督に就任した。彼の指揮下で、レアル・ソシエダは1980-81シーズンと1981-82シーズンにクラブ史上初のラ・リーガ2連覇を達成した。また、コパ・デル・レイでは1981-82シーズンと1982-83シーズンに準決勝に進出した。
特に1979-80シーズンには、レアル・マドリードにわずか勝ち点1差でリーグ優勝を逃したものの、1978-79シーズンから続く38試合無敗という驚異的な記録を樹立した。この無敗記録は、その後数十年にわたって破られることがなかった。彼は1985年にレアル・ソシエダの監督を退任した。
3.2. その他の指導歴
レアル・ソシエダ退任後、オルマエチェアは1986年9月にエルクレスCFの監督に就任したが、わずか1ヶ月で辞任し、プロサッカー界から引退した。
プロサッカー界を離れてからは、レアル・ソシエダのベテラン選手たちとプレーを続け、また地元紙である『エル・ディアリオ・バスコ』にコラムを執筆した。2005年には、レアル・ソシエダの会長選挙に出馬したミゲル・アンヘル・フエンテスを支持した。
指導クラブ | 期間 | 役割 |
---|---|---|
レアル・ソシエダ | 1974年-1978年 | アシスタントコーチ |
レアル・ソシエダ | 1978年-1985年 | 監督 |
エルクレスCF | 1986年 | 監督 |
4. 主な受賞歴と功績
アルベルト・オルマエチェアは、選手としても指導者としても数々の栄誉に輝いた。
4.1. 選手時代
- セグンダ・ディビシオン: 1966-67
4.2. 指導者時代
- ラ・リーガ: 1980-81、1981-82
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1982
5. 個人生活と記念


プロサッカー界からの引退後も、オルマエチェアはレアル・ソシエダのベテラン選手たちと共にサッカーを楽しみ、また『エル・ディアリオ・バスコ』紙にコラムを寄稿するなど、多岐にわたる活動を行った。2005年にはレアル・ソシエダの会長選挙でミゲル・アンヘル・フエンテスを支持するなど、クラブへの関与を続けた。彼の功績を称え、レアル・ソシエダのホームスタジアムであるエスタディオ・アノエタには彼の胸像が飾られている。
6. 死去
アルベルト・オルマエチェアは、長い闘病生活の末、2005年10月28日にサン・セバスティアンで死去した。享年66歳であった。