1. 幼少期とユースキャリア
アンジェロ・パロンボはフェレンティーノで生まれた。彼は1993年から地元のクラブAS Ferentinoでサッカーを始めた。1997年から1998年のシーズンはセリエDのUrbania Calcioで過ごし、17歳でセリエCのファノに移籍した。その後、1999年にセリエAのACFフィオレンティーナに加入し、2001年までクラブのプリマヴェーラ(下部組織)で2年間プレーした。
2. クラブキャリア
アンジェロ・パロンボのプロサッカーキャリアは、イタリアのトップリーグで長く続き、特にUCサンプドリアでの貢献が顕著である。
2.1. ACFフィオレンティーナ
パロンボはACFフィオレンティーナのユースシステムで育ち、プロデビューはコッパ・イタリアのコモ戦であった。セリエAでの初出場は2002年2月10日、アウェイでのヴェネツィア戦(0-2で敗戦)であった。このシーズン、新人ながら10試合に出場した。しかし、シーズン終了後、フィオレンティーナが破産を宣言し、選手を放出せざるを得なくなったため、パロンボは当時セリエBに所属していたUCサンプドリアへフリー移籍することになった。
2.2. UCサンプドリア(第一次在籍)
2002年夏の移籍市場でUCサンプドリアに加入したパロンボは、そのシーズン中にチームのセリエA昇格に貢献し、クラブにとって不可欠な存在としての地位を確立した。
2005年-2006シーズンには、2006年1月18日に行われた古巣フィオレンティーナ戦で、サンプドリアでのセリエA初ゴールを記録した。同年9月にはUEFAカップで欧州戦デビューも果たした。彼はサンプドリアで非常に優れたシーズンを数多く送り、これが彼がイタリア代表のレギュラーとなるきっかけとなった。
2010年-2011シーズン終了時にサンプドリアがセリエBに降格した際、多くのセリエAのクラブ、特に古巣フィオレンティーナが獲得に興味を示し、パロンボの去就が注目された。しかし、当時クラブの主将であったパロンボは、クラブが彼を売却しない限り移籍する意思はないと表明し、残留を選択した。彼は「私はサンプドリアでキャリアを終えるつもりだ。重要なオファーを受けたことを誇りに思うし、声をかけてくれたクラブに感謝する。しかし、私はここを去ることを一瞬たりとも考えたことはない。このユニフォームへの愛着はすでに示せたと思う」とコメントした。
2.3. インテル・ミラノへのレンタル移籍
2011年-2012シーズンの前半をセリエBのサンプドリアで過ごした後、2012年1月31日にインテルへ、ティアゴ・モッタの代替選手として買取オプション付きのレンタル移籍で加入した。翌日にはパレルモとのホームゲームでクラブデビューを果たした(4-4の引き分け、アンドレア・ポーリとの交代で途中出場)。しかし、インテルではわずか3試合の出場にとどまり、2011年-2012シーズン終了後にセリエAへの復帰を決めたサンプドリアへ戻ることになった。
2.4. UCサンプドリア(第二次在籍)と引退
インテルからのレンタル移籍後、2012年夏には再び移籍が噂されたものの、結局サンプドリアに残留した。その後、彼はチームでレギュラーとしてプレーを続け、2度にわたって契約を更新した。
2017年7月、パロンボはプロサッカー選手からの引退を表明した。彼はサンプドリアで15年間を過ごし、通算459試合に出場した。
3. 代表キャリア
アンジェロ・パロンボは、イタリアのユース代表からA代表まで、国際舞台で活躍した。
3.1. ユース代表
パロンボはイタリアU-20代表として19試合に出場した。また、2002年からはイタリアU-21代表の一員としてプレーし、2004年UEFA U-21欧州選手権で優勝に貢献した。さらに、同年開催されたアテネオリンピックのサッカー競技にも出場し、チームは銅メダルを獲得した。
3.2. フル代表
パロンボは2006年8月16日、クロアチアとの試合(0-2で敗戦)でイタリアA代表デビューを果たした。この試合では58分にファビオ・リベラーニに代わって途中出場した。
彼は2009 FIFAコンフェデレーションズカップに参加したイタリア代表の23名の一員であった。クラブレベルでの2009年-2010シーズンの好成績を受けて、マルチェロ・リッピ監督によって2010 FIFAワールドカップの最終23名にも選出された。しかし、ワールドカップ本大会での出場機会はなかった。全体として、彼は2006年から2011年の間にイタリアA代表で22試合に出場した。
4. プレースタイル
アンジェロ・パロンボは主に守備的ミッドフィールダーやボックス・トゥ・ボックス・ミッドフィールダーとして、ピッチ中央でプレーした。彼は守備的な能力と運動能力を効果的に組み合わせ、相手の攻撃を阻止すると同時に、ディープ・ライイング・プレーメーカーとして攻撃の起点を作り出し、チームメイトのためにチャンスを生み出すことができた。
そのエネルギッシュで勤勉なプレースタイルと豊富なスタミナにより、彼はミッドフィールダーのどの位置でもプレーでき、時にはウイングとしても起用された。ボール奪取能力やパス能力に加え、遠距離からの強力なシュートも持ち合わせていた。パロンボは肉体的に強く、粘り強く、影響力があり、決断力のある選手であり、足元の技術も優れていた。彼はピッチ上での情熱と質の高いプレーで知られていたが、キャリアを通じて一部の評論家からは、時に一貫性に欠けるとの批判も受けた。若かりし頃、パロンボはデメトリオ・アルベルティーニを自身の主要な影響源の一人として挙げていた。
5. 引退後のキャリア
プロサッカー選手を引退した後、アンジェロ・パロンボは2017年-2018シーズンから古巣UCサンプドリアでマルコ・ジャンパオロ監督のコーチングスタッフに加わった。彼は2017年12月15日に指導者ライセンスを取得した。
6. タイトルと栄誉
アンジェロ・パロンボは、国際舞台で以下の栄誉を獲得している。
6.1. 国際タイトル
- UEFA U-21欧州選手権: 2004
- オリンピック銅メダル: 2004
6.2. 勲章
パロンボは、その功績によりイタリア政府から以下の勲章を授与されている。
- イタリア共和国功労勲章: 5等 / 騎士 (Cavaliere Ordine al Merito della Repubblica Italiana): 2004年
7. キャリア統計
7.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | カップ戦 | 欧州戦 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
フィオレンティーナ | 2001-02 | セリエA | 10 | 0 | 1 | 0 | - | 11 | 0 | |
サンプドリア | 2002-03 | セリエB | 32 | 1 | 5 | 0 | - | 37 | 1 | |
2003-04 | セリエA | 31 | 0 | 1 | 0 | - | 32 | 0 | ||
2004-05 | セリエA | 37 | 0 | 1 | 0 | - | 38 | 0 | ||
2005-06 | セリエA | 31 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 36 | 1 | |
2006-07 | セリエA | 36 | 2 | 7 | 0 | - | 43 | 2 | ||
2007-08 | セリエA | 33 | 1 | 2 | 1 | 5 | 0 | 40 | 2 | |
2008-09 | セリエA | 25 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 31 | 2 | |
2009-10 | セリエA | 36 | 2 | 2 | 1 | - | 38 | 3 | ||
2010-11 | セリエA | 34 | 1 | 2 | 0 | 6 | 0 | 42 | 1 | |
2011-12 | セリエB | 22 | 1 | 2 | 0 | - | 24 | 1 | ||
2012-13 | セリエA | 15 | 0 | 0 | 0 | - | 15 | 0 | ||
2013-14 | セリエA | 32 | 1 | 1 | 0 | - | 33 | 1 | ||
2014-15 | セリエA | 36 | 1 | 1 | 0 | - | 37 | 1 | ||
2015-16 | セリエA | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 0 | ||
2016-17 | セリエA | 4 | 0 | 1 | 0 | - | 5 | 0 | ||
合計 | 411 | 13 | 31 | 2 | 17 | 0 | 459 | 15 | ||
インテル (レンタル) | 2011-12 | セリエA | 3 | 0 | - | - | 3 | 0 | ||
キャリア通算 | 424 | 13 | 32 | 2 | 17 | 0 | 473 | 15 |
7.2. インターナショナル
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
イタリア | 2006 | 2 | 0 |
2007 | 2 | 0 | |
2008 | 2 | 0 | |
2009 | 9 | 0 | |
2010 | 6 | 0 | |
2011 | 1 | 0 | |
合計 | 22 | 0 |
8. 評価とレガシー
アンジェロ・パロンボは、その長年にわたるキャリアと貢献により、サッカー界で一定の評価を得ている。
8.1. 功績と肯定的評価
彼はUCサンプドリアで約15年間プレーし、クラブの主将を務めるなど、そのキャリアの大部分を捧げた。2002年-2003シーズンにはチームのセリエA昇格に貢献し、その後はチームの主力として定着した。彼の守備的ミッドフィールダーとしての能力は高く評価され、守備的な貢献に加えて、ディープ・ライイング・プレーメーカーとして攻撃の起点となる能力も持ち合わせていた。エネルギッシュで勤勉なプレースタイル、豊富なスタミナ、そして強烈な遠距離シュートも彼の武器であった。
国際舞台では、2004年UEFA U-21欧州選手権での優勝や、2004年アテネオリンピックでの銅メダル獲得など、イタリア代表として輝かしい実績を残した。ピッチ上での情熱と質の高いプレーは、多くのファンに記憶されている。クラブが降格した際にも主将としてチームに残り、その忠誠心とリーダーシップは特に高く評価された。
8.2. 批判と論争
パロンボのキャリアにおいては、一部の評論家から、そのプレーに「一貫性に欠ける」との指摘がなされることもあった。これは、彼のキャリアを通じて常に高いレベルのパフォーマンスを維持するのが難しい時期があったことを示唆するものである。しかし、これらは彼の全体的な貢献やリーダーシップの価値を大きく損なうものではない。