1. 生涯と背景
アンドリュー・ギルバート=スコットは、幼少期からモータースポーツの世界に足を踏み入れ、イギリス国内選手権で頭角を現した後、国際的な舞台へと活躍の場を広げた。
1.1. 出生と初期キャリアの始まり
アンドリュー・マイケル・ギルバート=スコットは1958年7月11日にイギリスで生まれた。彼のレーシングキャリアは1981年にフォーミュラ・フォードのイギリス国内選手権で始まった。1983年にはローラのフォーミュラ・フォードワークスチームに加入し、RAC選手権とタウンゼント・ソアセン選手権で優勝を飾るなど、成功を収めた。
1.2. 家族関係と人脈
ギルバート=スコットは、トーマス・スコット(バッキンガムシャーのアストン・サンドフォードの牧師で、初の英語訳聖書の注釈を著した人物)の縁者である。また、香港在住の超軽量航空機の世界記録保持者であるアンガス・ウィリアム・トーマス・ギルバート=スコットとは再従兄弟にあたる。さらに、著名な建築家であるジャイルズ・ギルバート・スコット卿やジョージ・ギルバート・スコット卿の末裔でもある。彼の母方の家族はモーガン自動車会社を所有しており、ギルバート=スコット自身もフォーミュラ・ニッポンのドライバー時代に、自動車メーカーのモーガンと縁があることをインタビューで語っている。
2. レーシングキャリア
ギルバート=スコットは、イギリスおよびヨーロッパで初期キャリアを築いた後、日本での活動でその才能を開花させ、いくつかのカテゴリーで輝かしい成績を残した。
2.1. 英国・欧州での活動 (1981-1991)
1986年にはフォーミュラ3へとステップアップし、チャック・マッカーシー・レーシングチームから参戦し、総合11位となった。1987年には国際F3000選手権のいくつかのレースに参戦したほか、世界スポーツプロトタイプカー選手権や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権といったスポーツカーレースシリーズにも出場した。
ヨーロッパでの進展のなさに失望したギルバート=スコットは、1988年に一度日本への移籍を試みた。1989年にはエディ・ジョーダン・レーシングチームからイギリスF3000選手権に参戦し、総合2位となるなど成功を収めた。同年はGAモータースポーツから国際F3000選手権にも出場した。また、ル・マン24時間レースにはシルクカット・ジャガーチームの一員としてジャガー・XJR-9 LMを駆り参戦した。
続く1990年と1991年も国際F3000選手権での活動を継続し、1990年はレイトンハウス・レーシングから、1991年はロニ・モータースポーツから数戦に出場したが、目立った成績を残すことはできなかった。1991年オフシーズンには、F1のウィリアムズのテストドライバー候補に挙げられたが、そのシートはデイモン・ヒルが獲得したため、実現には至らなかった。
2.2. 日本での活動 (1987-1997)
ギルバート=スコットは、レーシングキャリアの重要な時期を日本で過ごし、数々のカテゴリーで印象的な成績を収め、日本のレースファンに広く知られる存在となった。
2.2.1. 日本での初期参戦 (1987-1988)
ギルバート=スコットは1987年に初めて日本を訪れ、トムスから全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。1988年には全日本F3選手権にも出場し、日本のレース界での活動を始めた。
2.2.2. 日本再参戦と成功 (1992-1997)
1992年に再び日本へ活動の場を移し、ステラインターナショナルと契約した。同チームから全日本F3000選手権に参戦するとともに、BMW M3を駆って全日本ツーリングカー選手権にも出場した。1993年には、中谷明彦と共に全日本ツーリングカー選手権のクラス2でチャンピオンを獲得した。彼は1997年まで日本のレースに参戦し続け、1996年に始まったフォーミュラ・ニッポン選手権の初期にも出場し、日本のレースファンの間で広く知られる存在となった。1997年には、プロレーシングドライバーとしての最後の年として、GTCレーシングチーム(ガルフチームダビドフ)からル・マン24時間レースにも参戦し、マクラーレンF1 GTRをドライブした。
2.2.3. 1992年鈴鹿サーキットでの事故
1992年の全日本F3000選手権第4戦が開催された鈴鹿サーキットにおいて、痛ましい事故が発生した。このレースでギルバート=スコットは、前年までステラに所属していた小河等と接触。両者は1コーナー奥のウォールに激突し、この事故により小河は帰らぬ人となり、さらに巻き込まれたカメラマンの桜井一英も命を落とした。
2.3. ル・マン24時間レース
ギルバート=スコットは、世界三大耐久レースの一つであるル・マン24時間レースに複数回参戦している。
1989年にはシルクカット・ジャガーおよびトム・ウォーキンショー・レーシングのチームから、ジャガー・XJR-9 LMを駆り、総合4位、クラス4位という好成績を収めた。
1997年には、ガルフチームダビドフおよびGTCレーシングのチームからマクラーレンF1 GTRで参戦したが、この時はリタイヤに終わっている。
3. 引退後の活動
レーシングドライバーを引退した後のギルバート=スコットは、主にレーシングドライバーのマネジメント業に転身した。2000年からは佐藤琢磨の専属マネージャーに就任し、佐藤のキャリアを支え、2009年までその任を務めた。この間、彼は佐藤のマネージャーとして度々メディアに登場している。
また、1998年にはシルバーストン・サーキットのハンガーストレートでジョーダンのフォーミュラ1カーを運転し、フェラーリF40とのドラッグレースに参加した。これはジェレミー・クラークソンのビデオ作品『The most outrageous DVD in the world...ever!』の企画の一環であった。彼は2001年にも再びシルバーストン・サーキットでジョーダンF1カーを運転するなど、引退後も時折レーシングカーのデモンストレーション走行を行っている。
4. レース戦績
4.1. フォーミュラ・ニッポン/全日本F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | TEAM KYGNUS TONEN with R&D | SUZ | FSW | 13 | SUZ | SUG | FSW | NC | 10 | NC | 0 | |||
1992年 | ステラインターナショナル | 7 | Ret | 7 | 4 | 4 | 6 | 11 | 8 | 2 | 4 | 12 | 9位 | 16 |
1993年 | 5 | 6 | Ret | 4 | C | 8 | C | Ret | Ret | 9 | 3 | 8位 | 10 | |
1994年 | 13 | 1 | 2 | Ret | 2 | 1 | 3 | 5 | 1 | Ret | 2位 | 45 | ||
1995年 | 8 | C | Ret | 11 | 6 | 1 | 8 | 6 | 6 | 7位 | 12 | |||
1996年 | 神奈川クリニック STELLAR | Ret | Ret | 7 | 15 | Ret | 4 | Ret | 7 | Ret | 5 | 13位 | 5 | |
1997年 | STP STELLAR | SUZ | MIN | FSW | 12 | SUG | Ret | MIN | TRM | 14 | SUZ | NC | 0 |
4.2. イギリス・ツーリングカー選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | Brodie Brittain Racing | Ford Sierra RS500 | OUL | SIL | THR | 10 (クラス6位) (耐久ドライバー) | THR | SIL | SIL | BRH | SNE | BRH | BIR | DON | SIL | 53位 | 1 | 21位 |
4.3. 全日本ツーリングカー選手権(JTC)
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | BMW・M3 | JTC-2 | SUZ | NIS | 6 | Ret | 4 | 6 | ||||||
1991年 | Auto Tech Racing | JTC-2 | SUG | SUZ | 3 | SEN | AUT | 7 | ||||||
1992年 | JTC-2 | 7 | 2 | 3 | 2 | 2 | 5 | 1 | Ret | 5位 | 85 | |||
1993年 | JTC-2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 1 | 6 | NC | 1位 | 134 |
4.4. 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | BMW・318i | 7 | 4 | 5 | Ret | Ret | 11 | 11 | 10 | 9 | 6 | 8 | Ret | 6 | 12 | 16 | 15 | Ret | Ret | 9位 | 33 | |
1995年 | マツダ・ファミリア | FSW1 | FSW2 | SUG1 | SUG2 | TOK1 | TOK2 | SUZ1 | SUZ2 | MIN1 | MIN2 | 18 | 16 | Ret | Ret | NC | 0 | |||||
マツダ・ランティス | Ret | Ret |
4.5. 国際F3000選手権
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | BSオートモーティヴ Ltd. | ローラ・T86/50 | コスワースDFV | Ret | Ret | DNQ | 16 | DNQ | 15 | 17 | DNQ | Ret | Ret | Ret | NC | 0 |
1989年 | GAモータースポーツ | マーチ・89B | ジャッド | SIL | VLL | PAU | JER | PER | BRH | BIR | SPA | BUG | 3 | 15位 | 4 | |
1990年 | レイトンハウス・レーシング | レイトンハウス・90B | コスワースDFV | Ret | 12 | DNQ | 10 | Ret | Ret | 13 | NC | 0 | ||||
アポマトックス | レイナード・90D | コスワースDFV | 10 | 7 | 11 | 13 | ||||||||||
1991年 | ロニ・モータースポーツ | ラルト・RT23 | コスワースDFV | VLL | PAU | JER | MUG | DNQ | 11 | BRH | SPA | BUG | NOG | NC | 0 |
4.6. イギリスF3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | エディ・ジョーダン・レーシング | 1 | 3 | 1 | 3 | Ret | 1 | 2 | 3 | Ret | 2位 | 45 |
4.7. イギリス・フォーミュラ3選手権
年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984年 | マーレー・テイラー・レーシング | VW | A | 4 | 3 | 13 | DNS | 3 | Ret | 8 | SIL | 8位 | 17 | ||||||||||
リチャード・トロット・レーシング | トヨタ | 6 | DON | Ret | SIL | SPA | ZAN | 7 | THR | ||||||||||||||
デイブ・プライス・レーシング | VW | 3 | |||||||||||||||||||||
1985年 | チャック・マッカッシー・レーシング | A | SIL | THR | SIL | THR | DON | ZOL | THR | 5 | 13 | 9 | Ret | Ret | Ret | DSQ | 10 | 6 | 7 | 3 | 11位 | 7 |
4.8. ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 車 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1989年 | シルクカット・ジャガー トム・ウォーキンショー・レーシング | パトリック・タンベイ ヤン・ラマース | ジャガー・XJR-9 LM | C1 | 380 | 4位 | 4位 |
1997年 | ガルフ・チーム・ダビドフ GTCレーシング | レイ・ベルム 関谷正徳 | マクラーレン・F1 GTR | GT1 | 326 | DNF | DNF |