1. 概要
イヴィツァ・ヴァスティッチ(Ivica Vastićイヴィツァ・ヴァスティッチドイツ語、1969年9月29日生まれ)は、クロアチア出身の元オーストリア代表のサッカー選手であり、現在はサッカー指導者である。愛称はイヴォ(Ivo)。現役時代は主にミッドフィルダーやフォワードとして活躍した。
ヴァスティッチは、旧ユーゴスラビア領のスプリトで生まれ育ったが、クロアチア紛争の混乱を避けるため1991年にオーストリアへ移住し、1996年にオーストリア国籍を取得してオーストリア代表としてプレーする道を選んだ。彼はキャリアの大部分をオーストリアのクラブで過ごし、特にSKシュトゥルム・グラーツでは、イビチャ・オシム監督の下でチームのエースストライカーとして活躍し、クラブの黄金時代を築いた。
国際舞台では、1998年の1998 FIFAワールドカップと2008年のUEFA EURO 2008にオーストリア代表として出場。EURO 2008では、UEFA欧州選手権史上最年長得点記録(当時)を樹立し、オーストリアに大会初の勝ち点をもたらすなど、記憶に残る活躍を見せた。選手引退後は、オーストリアのクラブで指導者としてのキャリアをスタートさせ、複数のチームで監督を務めている。
2. 幼少期とキャリアの始まり
イヴィツァ・ヴァスティッチは1969年9月29日、当時ユーゴスラビアの一部であったクロアチアのスプリトで生まれた。彼は地元のクラブ「ユゴヴィニル」(現在のGOŠKアドリアヘム)でサッカーを始め、その後、当時ユーゴスラビア3部リーグに所属していたRNKスプリトに加わった。
1991年、クロアチア紛争による混乱を避けるため、彼はオーストリアへ移住し、ファースト・ヴィエンナFCと契約してプロキャリアをスタートさせた。1996年にはオーストリア国籍を取得し、オーストリア代表としてプレーする資格を得た。
3. クラブキャリア
イヴィツァ・ヴァスティッチは、クロアチア、オーストリア、そして日本で様々なクラブに在籍し、特にオーストリアではその名を広く知られる選手となった。
3.1. 初期クラブ時代
ファースト・ヴィエンナFCでキャリアをスタートさせたヴァスティッチは、その後もオーストリア国内のクラブでプレーした。彼はVSEザンクト・ペルテンで34試合18得点、FCアドミラ・ヴァッカー・メードリングで18試合7得点と、移籍後も着実に実績を残した。また、1993-94シーズンにはドイツ・ブンデスリーガのMSVデュースブルクに半年間在籍し、リーグ戦10試合に出場したが、ここでは得点を記録することはできなかった。
3.2. SKシュトゥルム・グラーツ
ヴァスティッチのキャリアにおいて最も注目すべき期間は、1994年から2002年まで在籍したSKシュトゥルム・グラーツ時代である。彼はこの期間中、チームのエースストライカーとして君臨し、250試合に出場して125ゴールを挙げるなど、驚異的な得点能力を発揮した。
シュトゥルム・グラーツでは、イビチャ・オシム監督の指導の下、マリオ・ハース(後にジェフユナイテッド市原・千葉でプレー)らと共にチームの黄金時代を築いた。彼の貢献により、クラブは1998年と1999年にオーストリア・ブンデスリーガで2連覇を達成し、さらに1996年、1997年、1999年にはオーストリア・カップを3度制覇した。また、オーストリア・スーパーカップも1996年、1998年、1999年に獲得している。
シュトゥルム・グラーツはヴァスティッチの活躍もあって、1998-99シーズンと1999-2000シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグのグループステージにも出場した。
3.3. 日本とその後オーストリアのクラブ
SKシュトゥルム・グラーツを退団後、ヴァスティッチは2002年に日本のJリーグに所属する名古屋グランパスエイトへ移籍し、1シーズン半を過ごした。名古屋ではウェズレイとツートップを組み、攻撃陣を牽引した。2002年7月21日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを記録。2003年5月18日のベガルタ仙台戦では、試合終了間際にウェズレイが短く出したフリーキックを受けて逆転ゴールを決め、勝利に貢献した。このゴールはJリーグ通算8500ゴール目の記念ゴールでもあった。この試合は名古屋での実質的なラストゲームとなり、試合後には即席のセレモニーと選手たちによる胴上げで有終の美を飾った。
日本でのプレーを終えた後、彼はオーストリアに戻り、FKアウストリア・ウィーンで2シーズン(2003年~2005年)を過ごした。ここでは2004-05シーズンにオーストリア・カップを獲得している(2003-04シーズンは準優勝)。
2005年夏にはLASKリンツに移籍し、2009年に引退するまで在籍した。LASKリンツでは、エアステリーガ(オーストリア2部)で活躍し、2005-06シーズンと2006-07シーズンには2年連続でリーグ得点王に輝いた。この2シーズンでリーグ戦62試合に出場し、合計42得点を記録している。2007年にはLASKリンツのオーストリア・ブンデスリーガ昇格に貢献し、2007-08シーズンにはクラブのトップスコアラーとしてリーグ戦32試合13得点を挙げた。2009年5月18日、彼は同年6月30日をもってプロサッカー選手としての現役引退を発表した。
4. 代表キャリア
ヴァスティッチは1996年にオーストリア国籍を取得し、同年からオーストリア代表としてプレーを始めた。2008年までに国際Aマッチ50試合に出場し、14得点を記録した。
4.1. 1998 FIFAワールドカップ
ヴァスティッチがオーストリア代表として初めて出場した主要国際大会は、1998年にフランスで開催された1998 FIFAワールドカップであった。彼はこの大会のグループリーグ3試合全てに出場し、2戦目のチリ戦では試合終了間際に同点ゴールを決め、1-1の引き分けに貢献した。しかし、オーストリアは2引き分け1敗の成績でグループリーグを突破することはできなかった。
4.2. UEFA EURO 2008
2008年4月24日、ヴァスティッチはオーストリアとスイスの共催で開催されるUEFA EURO 2008のオーストリア代表候補にサプライズ選出された。彼の最後の代表キャップは、2005年8月17日のスコットランドとの親善試合(2-2引き分け)から2年半以上も前のことであった。
2008年5月27日、ナイジェリアとの親善試合で途中出場し、47キャップ目を記録して代表に復帰。最終的に彼はEURO 2008の23人の最終メンバーに選出され、チーム最年長の選手となった。その3日後に行われたマルタとの親善試合では、5-1で勝利した試合の4点目を決めた。
6月8日、ヴァスティッチは母国クロアチアとのEURO 2008初戦(0-1で敗戦)にユルゲン・ゾイメルに代わって61分から出場した。
6月12日に行われたポーランドとの2戦目では、64分にキャプテンのアンドレアス・イヴァンシッツと交代で出場し、国際Aマッチ50キャップ目を達成した。この試合で彼はアディショナルタイムにペナルティーキックを決め、同点ゴールを挙げた。この得点は、オーストリアにとってUEFA欧州選手権決勝トーナメント史上初のゴールであり、また彼自身が38歳257日という当時の大会最年長得点記録を樹立した(この記録は2024年のEURO 2024でルカ・モドリッチによって破られた)。このゴールは、オーストリアに大会初の勝ち点をもたらす重要なものとなった。
5. 指導者キャリア
イヴィツァ・ヴァスティッチは、2009年に選手としてのキャリアを終えた後、すぐに指導者の道に進んだ。
5.1. 初期指導者としての役割
2009年6月16日、ヴァスティッチはオーストリア・レギオナルリーガ東部に属するFCヴァイドホーフェン・イップスの監督に就任した。偶然にも、このクラブは彼の古巣であるLASKリンツと提携を開始した時期であった。彼は指導者としてのキャリアを順調にスタートさせ、2009-10シーズンにはオーストリア・レギオナルリーガ東部で優勝を果たした。
2010年夏にはFKアウストリア・ウィーンのアマチュアチームの監督に就任し、2011年12月にはトップチームの監督に昇格した。しかし、2012年5月21日に解任が発表され、契約が満了する5月末にクラブを退団した。その後、SVガフレンツの監督を2013年5月27日から同年12月20日まで務めた。
5.2. SVマッテルスブルク
2013年12月20日、ヴァスティッチはSVマッテルスブルクの監督に就任した。彼はシーズン終了までの契約を結び、さらに2年間の延長オプションが付帯していた。このオプションはその後行使された。
ヴァスティッチ監督の下、SVマッテルスブルクはエアステリーガ(オーストリア2部)に降格していたが、2014-15シーズンにリーグ優勝を果たし、オーストリア・ブンデスリーガへの再昇格を成し遂げた。翌シーズンもリーグ残留を果たすなど、チームを立て直した。SVマッテルスブルクは2016年4月23日にFKアウストリア・ウィーンに0-9で大敗を喫している。ヴァスティッチは2017年1月2日まで同クラブの監督を務めた。

6. 私生活
イヴィツァ・ヴァスティッチは、妻のアニーと20年以上にわたり結婚生活を続けており、3人の子供がいる。彼の長男であるトニ・ヴァスティッチもまたプロサッカー選手となり、ドイツのレギオナルリーガに所属するVfRアーレンなどでプレーしている。
7. 栄誉
イヴィツァ・ヴァスティッチは、選手および指導者キャリアを通じて数多くのチームおよび個人の栄誉を達成している。
7.1. 選手としての栄誉
7.1.1. クラブでの栄誉
- SKシュトゥルム・グラーツ
- オーストリア・ブンデスリーガ: 1997-98, 1998-99
- オーストリア・カップ: 1995-96, 1996-97, 1998-99
- オーストリア・スーパーカップ: 1996, 1998, 1999
- FKアウストリア・ウィーン
- オーストリア・カップ: 2004-05
- 準優勝: 2003-04
- オーストリア・カップ: 2004-05
- LASKリンツ
- エアステリーガ: 2006-07
7.1.2. 個人栄誉
- オーストリア年間最優秀選手: 1995, 1998, 1999, 2007
- オーストリア・ブンデスリーガ得点王: 1995-96, 1999-2000
- エアステリーガ得点王: 2005-06, 2006-07
7.2. 指導者としての栄誉
- FCヴァイドホーフェン・イップス
- オーストリア・レギオナルリーガ東部: 2009-10
- SVマッテルスブルク
- エアステリーガ: 2014-15
8. キャリア統計
8.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 大陸大会 | 合計 | |||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
RNKスプリト | 1990-91 | ユーゴスラビア3部リーグ | 22 | 5 | - | 22 | 5 | |||||
ファースト・ヴィエンナFC | 1991-92 | オーストリア・ブンデスリーガ | 23 | 8 | 2 | 1 | - | 25 | 9 | |||
VSEザンクト・ペルテン | 1992-93 | オーストリア・ブンデスリーガ | 34 | 18 | 3 | 3 | - | 37 | 21 | |||
アドミラ・ヴァッカー | 1993-94 | オーストリア・ブンデスリーガ | 18 | 7 | 2 | 1 | 2 | 0 | 22 | 8 | ||
MSVデュースブルク | 1993-94 | ブンデスリーガ | 10 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 0 | |||
SKシュトゥルム・グラーツ | 1994-95 | オーストリア・ブンデスリーガ | 35 | 7 | 0 | 0 | - | 35 | 7 | |||
1995-96 | 31 | 20 | 5 | 2 | 2 | 0 | 38 | 22 | ||||
1996-97 | 33 | 13 | 4 | 4 | 2 | 1 | 39 | 18 | ||||
1997-98 | 30 | 14 | 6 | 3 | 4 | 1 | 40 | 18 | ||||
1998-99 | 30 | 14 | 5 | 3 | 7 | 3 | 42 | 20 | ||||
1999-2000 | 35 | 32 | 3 | 3 | 10 | 4 | 48 | 39 | ||||
2000-01 | 24 | 8 | 1 | 0 | 10 | 1 | 35 | 9 | ||||
2001-02 | 32 | 17 | 4 | 2 | 2 | 1 | 38 | 20 | ||||
合計 | 250 | 125 | 28 | 17 | 37 | 11 | 315 | 153 | ||||
名古屋グランパスエイト | 2002 | J1リーグ | 18 | 10 | 3 | 0 | - | 21 | 10 | |||
2003 | 9 | 3 | 1 | 0 | - | 10 | 3 | |||||
合計 | 27 | 13 | 4 | 0 | 0 | 0 | 31 | 13 | ||||
FKアウストリア・ウィーン | 2003-04 | オーストリア・ブンデスリーガ | 35 | 4 | 3 | 2 | 3 | 0 | 41 | 6 | ||
2004-05 | 32 | 10 | 5 | 4 | 14 | 2 | 51 | 16 | ||||
合計 | 67 | 14 | 8 | 6 | 17 | 2 | 92 | 22 | ||||
LASKリンツ | 2005-06 | エアステリーガ | 31 | 19 | 1 | 0 | - | 32 | 19 | |||
2006-07 | 31 | 23 | 3 | 0 | - | 34 | 23 | |||||
2007-08 | オーストリア・ブンデスリーガ | 32 | 13 | 0 | 0 | - | 32 | 13 | ||||
2008-09 | 29 | 4 | 2 | 1 | - | 31 | 5 | |||||
合計 | 123 | 59 | 6 | 1 | 0 | 0 | 129 | 60 | ||||
キャリア通算 | 574 | 249 | 53 | 29 | 56 | 13 | 683 | 291 |
8.2. 代表統計
国別代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
オーストリア | 1996 | 3 | 0 |
1997 | 6 | 1 | |
1998 | 11 | 4 | |
1999 | 5 | 4 | |
2000 | 3 | 2 | |
2001 | 9 | 0 | |
2002 | 3 | 0 | |
2003 | 0 | 0 | |
2004 | 2 | 0 | |
2005 | 4 | 1 | |
2006 | 0 | 0 | |
2007 | 0 | 0 | |
2008 | 4 | 2 | |
合計 | 50 | 14 |
得点および結果はオーストリアの得点を先に示しており、スコア欄はヴァスティッチの各得点後のスコアを示す。 | |||||||
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No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 | |
1 | 1997年4月30日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | エストニア | 1-0 | 2-0 | 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | |
2 | 1998年3月25日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | ハンガリー | 1-1 | 2-3 | 親善試合 | |
3 | 1998年6月17日 | スタッド・ジェフロワ=ギシャール、サン=テティエンヌ、フランス | チリ | 1-1 | 1-1 | 1998 FIFAワールドカップ | |
4 | 1998年8月19日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | フランス | 2-1 | 2-2 | 親善試合 | |
5 | 1998年10月14日 | サンマリノ・スタジアム、セラヴァッレ、サンマリノ | サンマリノ | 1-0 | 4-1 | UEFA EURO 2000予選 | |
6 | 1999年4月28日 | アーノルド・シュワルツェネッガー・シュターディオン、グラーツ、オーストリア | サンマリノ | 2-0 | 7-0 | UEFA EURO 2000予選 | |
7 | 3-0 | ||||||
8 | 7-0 | ||||||
9 | 1999年10月10日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | キプロス | 2-0 | 3-1 | UEFA EURO 2000予選 | |
10 | 2000年2月23日 | メシニアコス・スタジアム、カラマタ、ギリシャ | ギリシャ | 1-1 | 1-4 | 親善試合 | |
11 | 2000年4月26日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | クロアチア | 1-0 | 1-2 | 親善試合 | |
12 | 2005年3月26日 | ミレニアム・スタジアム、カーディフ、ウェールズ | ウェールズ | 1-0 | 2-0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | |
13 | 2008年5月30日 | UPCアレーナ、グラーツ、オーストリア | マルタ | 4-1 | 5-1 | 親善試合 | |
14 | 2008年6月12日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン、オーストリア | ポーランド | 1-1 | 1-1 | UEFA EURO 2008 |
8.3. 指導者記録
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
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試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 (%) | |||
FCヴァイドホーフェン・イップス | 2009年6月16日 | 2010年6月30日 | 30 | 17 | 7 | 6 | 57 | 31 | +26 | 56.67 |
FKアウストリア・ウィーン II | 2010年7月1日 | 2011年12月21日 | 49 | 24 | 11 | 14 | 89 | 57 | +32 | 48.98 |
FKアウストリア・ウィーン | 2011年12月21日 | 2012年5月31日 | 19 | 8 | 5 | 6 | 20 | 17 | +3 | 42.11 |
SVガフレンツ | 2013年5月27日 | 2013年12月20日 | 18 | 10 | 3 | 5 | 34 | 21 | +13 | 55.56 |
SVマッテルスブルク | 2013年12月20日 | 2017年1月2日 | 118 | 45 | 30 | 43 | 181 | 183 | -2 | 38.14 |
通算 | 234 | 104 | 55 | 75 | 381 | 309 | +72 | 44.44 |