1. 生涯と経歴
イ・シユンは、裁判官、憲法裁判所裁判官、監査院長といった要職を歴任し、公職退任後も学術活動や弁護士として法曹界に貢献し続けた。
1.1. 出生と学歴
イ・シユンは1935年10月10日に京城府(現在のソウル)で生まれた。ソウル高等学校を卒業後、ソウル大学法学部で学び、1958年に同学部を卒業した。同年、第10回高等考試司法科に合格し、法曹界への道を歩み始めた。
1.2. 法曹としての経歴
司法試験合格後、イ・シユンは1962年にソウル地方法院の判事に任官した。その後、1963年にソウル民事地方法院判事、1970年にソウル高等法院判事(職務代理)、1973年にソウル高等法院判事を務めた。1974年には大法院裁判研究官に任命され、1975年にはソウル民事地方法院部長判事を兼ねて司法研修院教授を務めた。
その後も、1977年にソウル民事地方法院部長判事、1980年にソウル刑事地方法院部長判事、1981年に光州高等法院部長判事、1982年にソウル高等法院部長判事を歴任した。地方裁判所の長としては、1987年に春川地方法院長、1988年に水原地方法院長を務めた。
1.3. 憲法裁判所判事
1988年、李一揆大法院長の指名を受け、盧泰愚大統領により、新設された憲法裁判所の初代裁判官に任命された。イ・シユンはドイツの憲法裁判制度を深く研究し、「憲法裁判に関する個人的見解」(Personal Views on Constitutional Justice)と題する一連の論文を発表するなど、憲法裁判所の初期の定着と理論的基盤の構築に大きく貢献した。彼の憲法裁判官としての任期は1988年9月15日から1993年12月17日までであった。
1.4. 監査院長
憲法裁判所裁判官の任期途中に退任した後、1993年に金泳三大統領によって第11代監査院長に任命された。監査院長としての任期は1993年12月17日から1997年12月16日までであった。
1.5. 公職退任後の活動
公職から退いた後も、イ・シユンは法曹界で活発な活動を続けた。1998年には弁護士を開業し、明知大学の碩座教授に就任した。同年には民事法学会会長を務め、1999年には法務部民法改正特別委員会委員長として、民法改正に尽力した。2000年からは慶熙大学校法科大学教授として教壇に立ち、後進の育成にも貢献した。2006年には法務法人大陸の顧問弁護士となり、その後、法務法人大陸アジアの顧問弁護士も務めた。また、高麗大学校法務大学院の講師も務めた。
2. 学術的貢献と法哲学
イ・シユンは、その生涯を通じて法学研究と教育に情熱を注ぎ、特に民事訴訟法の発展に顕著な貢献をした。
2.1. 学術活動と著作
イ・シユンは、1962年から1964年にかけてソウル大学法科大学、ソウル大学司法大学院、国民大学、国際大学、梨花女子大学で講師を務め、1964年にはソウル大学法科大学および司法大学院の助教授に就任するなど、初期から学術活動に深く関わっていた。憲法裁判所裁判官時代には、ドイツの憲法裁判制度に関する研究を深め、その成果を「憲法裁判に関する個人的見解」シリーズとして発表し、韓国の憲法裁判理論の基礎を築いた。
2.2. 民事訴訟法発展への貢献
イ・シユンは、民事訴訟法における信義則の導入に尽力するなど、民事訴訟制度の発展に多大な貢献をした。その功績が認められ、2016年には天高法治文化財団から「天高法治文化賞」を授与された。これは、彼の長年にわたる法律学術および実務への貢献が高く評価されたものである。
3. 私生活
イ・シユンの妻はジン・ヨンヒである。彼女は2018年2月8日に亡くなった。夫妻にはイ・グァンドゥクとイ・ハンドゥクの二人の息子がおり、それぞれキム・ジャホとイ・ソニョンを妻としている。
4. 死亡
イ・シユンは2024年11月9日にセブランス病院で死去した。享年89歳であった。
5. 評価と遺産
イ・シユンは、韓国の法曹界において多大な足跡を残した人物として高く評価されている。
5.1. 肯定的な評価
イ・シユンは、初代憲法裁判所裁判官として、その初期の定着と理論的基盤の確立に決定的な役割を果たしたことで特に高く評価されている。彼の研究と著作は、韓国の憲法裁判制度の発展に不可欠なものと見なされている。また、民事訴訟法における信義則の導入など、実務面での具体的な貢献も大きく、彼の業績は韓国の法律学術および実務の進歩に肯定的な影響を与え続けている。