1. 生い立ちと背景
イー・トンシンは、映画一家に生まれ育ち、その環境が彼の後のキャリアに大きな影響を与えた。
1.1. 出生と家族関係
イー・トンシンは1957年12月28日にイギリス領香港の九龍で、本名である爾冬陞として生まれた。彼の父親は天津出身の映画プロデューサーである爾光(爾光アー・クォン中国語、1914年 - 1974年)、母親は満洲族とモンゴル族の血を引く女優の紅薇(紅薇ホン・メイ中国語、本名羅珍、1918年北京生まれ、2011年10月12日死去)である。母親は元々内モンゴル自治区の出身であった。
彼には、母親が同じで父親が異なる二人の異母兄がいる。一人は俳優兼映画監督の秦沛(秦沛チン・ペー中国語、本名姜昌年)、もう一人は同じく俳優兼映画監督の姜大衛(姜大衛デビッド・チャン中国語)である。また、異母姉の厳慧も女優として活動していた。
1.2. 子供時代と生育環境
イー・トンシンは、子供時代を九龍城砦で過ごした。また、一時的に中華人民共和国の天津市で幼児期を過ごした経験もある。このような多様な環境が、後の彼の作品における多角的な視点や社会描写に影響を与えたと考えられている。
2. キャリアの発展
イー・トンシンのキャリアは、ショウ・ブラザーズの俳優として始まり、その後、脚本家、プロデューサー、そして監督へとその活動の幅を広げていった。
2.1. 俳優デビュー
イー・トンシンは1977年にショウ・ブラザーズ・スタジオの俳優としてキャリアをスタートさせ、香港映画界に足を踏み入れた。このスタジオで彼は40本以上の映画に出演し、初期の代表作としては同年公開の『Lady Exterminator英語』で主演を務めた。
2.2. 脚本家・プロデューサーとしてのデビュー
俳優として経験を積んだ後、イー・トンシンは映画製作の裏方にも進出した。1981年には映画『貓頭鷹みょうとうおう中国語』で脚本家としてデビューし、自身の物語を紡ぎ始めた。さらに1985年には、自身も主演した映画『錯點鴛鴦さくてんえんおう中国語』でプロデューサーとしての活動を開始し、映画製作全体の指揮を執るようになった。
2.3. 監督デビュー
1986年、イー・トンシンは映画『癲佬正傳てんろうせいせん中国語』(The Lunatics英語)でついに監督としてデビューした。この作品は、1982年に香港で発生した幼稚園襲撃無差別殺人事件(犯人家族を含む6名死亡)という実話を基にしており、社会的な問題に鋭く切り込んだテーマで注目を集めた。彼の異母兄である秦沛がこの作品で香港電影金像奨の最優秀助演男優賞を受賞している。
2.4. 助監督としての活動
監督業を開始した後の1987年には、彼が主演を務めた映画『中華戰士ちゅうかせんし中国語』で助監督としても活動し、映画製作のあらゆる側面での経験を深めていった。
3. 主な活動と作品
イー・トンシンは、監督、脚本家、俳優、プロデューサーとして多岐にわたる作品に携わってきた。
3.1. 監督・脚本家としての主な作品
イー・トンシンは、コメディ、アクション、ラブストーリーなど幅広いジャンルの映画を監督・脚本し、数々の賞を受賞している。彼はレスリー・チャンとの共同作業も多かった。
年 | 邦題(英語名/原題) | 役割 | 特徴・受賞歴 |
---|---|---|---|
1986 | 『癲佬正傳』(The Lunatics英語) | 監督・脚本 | 監督デビュー作。香港電影金像奨最優秀監督賞ノミネート。1982年の幼稚園襲撃事件を基にした社会派作品。 |
1987 | 『野獣たちの掟』(People's Hero英語) | 監督・脚本 | |
1989 | 『The Bachelor's Swan Song英語』 | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀脚本賞ノミネート。 |
1993 | 『つきせぬ想い』(新不了情しんふりょうじょう中国語) | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀監督賞、最優秀脚本賞受賞。金馬奨最優秀監督賞、最優秀オリジナル脚本賞ノミネート。 |
1995 | 『フル・スロットル/烈火戦車』(烈火戰車中国語) | 監督・脚本 | 香港電影評論学会大奨最優秀監督賞受賞。香港電影金像奨最優秀監督賞、最優秀脚本賞ノミネート。 |
1996 | 『夢翔る人/色情男女』(色情男女中国語) | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀監督賞ノミネート。金馬奨最優秀監督賞ノミネート。ベルリン国際映画祭金熊賞ノミネート。 |
1999 | 『真心話』(真心話中国語) | 監督・脚本 | |
2003 | 『忘れえぬ想い』(忘不了中国語) | 監督 | 香港電影金像奨最優秀監督賞ノミネート。 |
2004 | 『ワンナイト・イン・モンコック』(旺角黒夜おうかくこくや中国語) | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀監督賞、最優秀脚本賞受賞。金紫荊奨最優秀監督賞受賞。香港電影評論学会大奨最優秀監督賞受賞。金馬奨最優秀監督賞ノミネート。 |
2005 | 『早熟 ~青い蕾~』(早熟中国語) | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀監督賞、最優秀脚本賞ノミネート。 |
2005 | 『ぼくの最後の恋人』(千杯不醉中国語) | 監督・脚本 | |
2007 | 『プロテージ/偽りの絆』(門徒もんと中国語) | 監督・脚本・出演 | 香港電影金像奨最優秀監督賞、最優秀脚本賞ノミネート。金馬奨最優秀監督賞、最優秀オリジナル脚本賞ノミネート。 |
2009 | 『新宿インシデント』(新宿事件しんじゅくじけん中国語) | 監督・脚本 | 香港電影金像奨最優秀監督賞ノミネート。 |
2010 | 『トリプルタップ』(槍王之王そうおうのう中国語) | 監督・脚本 | |
2011 | 『大魔術師"X"のダブル・トリック』(大魔術師だいまじゅつし中国語) | 監督・脚本 | |
2015 | 『我是路人甲がぜろじんこう中国語』(I Am Somebody英語) | 監督・脚本 | |
2016 | 『修羅の剣士』(三少爺的劍さんしょうやのけん中国語) | 監督・脚本 | |
2022 | 『In Search of Lost Time英語』 | 監督・脚本 |
3.2. 俳優としての主な作品
監督・脚本家として活躍する一方、イー・トンシンは俳優としても多数の作品に出演し、その演技力を見せてきた。
年 | 邦題(英語名/原題) | 役柄 | 受賞歴 |
---|---|---|---|
1977 | 『多情剣客無情剣』(The Sentimental Swordsman英語) | ||
1977 | 『Lady Exterminator英語』 | ||
1977 | 『Jade Tiger英語』 | ||
1977 | 『Death Duel英語』 | ||
1977 | 『楚留香之二蝙蝠伝奇そりゅうこうのにこもりでんき中国語』(Legend of the Bat英語) | ||
1977 | 『Pursuit of Vengeance英語』 | ||
1978 | 『Interlude on Rails英語』 | ||
1978 | 『倚天屠龍記』(Heaven Sword and Dragon Sabre英語) | 張無忌 | |
1978 | 『Heaven Sword and Dragon Sabre II英語』 | 張無忌 | |
1979 | 『Young Lovers英語』 | ||
1979 | 『Full Moon Scimitar英語』 | ||
1980 | 『Bat Without Wings英語』 | ||
1980 | 『Heroes Shed No Tears英語』 | ||
1981 | 『Return of the Sentimental Swordsman英語』 | ||
1981 | 『The Battle for the Republic of China英語』 | Liu Fuji | |
1981 | 『Black Lizard英語』 | ||
1982 | 『Hell Has No Boundary英語』 | ||
1982 | 『如来神拳 カンフーウォーズ』(如来神拳にょらいしんけん中国語) | ||
1983 | 『少林拳王子』(少林拳王子しょうりんけんおうじ中国語) | ||
1983 | 『少林羅漢拳』(少林羅漢拳しょうりんらかんけん中国語) | ||
1983 | 『Descendant of the Sun英語』 | ||
1983 | 『The Supreme Swordsman英語』 | ||
1984 | 『The Hidden Power of Dragon Sabre英語』 | ||
1984 | 『My Darling Genie英語』 | ||
1984 | 『Last Hero in China英語』 | ||
1985 | 『How To Choose A Royal Bride英語』 | ||
1985 | 『Let's Make Laugh II英語』 | ||
1990 | 『川島芳子』(川島芳子かわしまよしこ中国語) | 香港電影金像奨最優秀助演男優賞ノミネート。 | |
1992 | 『画魂 愛、いつまでも』(畫魂がこん中国語) | ドルゴン | |
1994 | 『The True Hero英語』 | ||
1994 | 『少林寺 達磨大師』(少林寺達磨大師しょうりんじだるまだいし中国語) | 菩提達磨 | |
2007 | 『プロテージ/偽りの絆』(門徒もんと中国語) |
3.3. プロデューサーとしての参加作品
イー・トンシンはプロデューサーとしても数々の作品に携わり、映画製作の実現に貢献している。
年 | 邦題(英語名/原題) | 役割 |
---|---|---|
2000 | 『ダブルタップ』(鎗王そうおう中国語) | 製作・原案 |
2000 | 『阿虎あこ中国語』(Fighters' Blues英語) | 製作 |
2002 | 『カルマ』(異度空間いどくうかん中国語) | 製作・脚本 |
2004 | 『玲玲の電影日記』(夢影童年むえいどうねん中国語) | 製作 |
2009 | 『盗聴犯 ~死のインサイダー取引~』(竊聽風雲せっとうふううん中国語) | 製作 |
2011 | 『盗聴犯 狙われたブローカー』(竊聽風雲2中国語) | 製作 |
2014 | 『インターセプション 盗聴戦』(竊聽風雲3中国語) | 製作 |
4. 受賞歴
イー・トンシンは、その優れた才能と貢献により、数々の映画賞を受賞・ノミネートされている。
4.1. 香港映画金像奨での受賞
香港電影金像奨において、イー・トンシンは主要な賞を複数回受賞している。
- 最優秀監督賞
- 1994年: 『つきせぬ想い』
- 2005年: 『ワンナイト・イン・モンコック』
- 最優秀脚本賞
- 1994年: 『つきせぬ想い』
- 2005年: 『ワンナイト・イン・モンコック』
その他、以下の作品でノミネートされている。
- 最優秀監督賞ノミネート:
- 1986年: 『癲佬正傳中国語』
- 1995年: 『フル・スロットル/烈火戦車』
- 1996年: 『夢翔る人/色情男女』
- 2003年: 『忘れえぬ想い』
- 2005年: 『早熟 ~青い蕾~』
- 2007年: 『プロテージ/偽りの絆』
- 2009年: 『新宿インシデント』
- 最優秀脚本賞ノミネート:
- 1989年: 『The Bachelor's Swan Song英語』
- 1995年: 『フル・スロットル/烈火戦車』
- 2005年: 『早熟 ~青い蕾~』
- 2007年: 『プロテージ/偽りの絆』
- 最優秀助演男優賞ノミネート:
- 1990年: 『川島芳子』
4.2. その他の主要な受賞とノミネート
香港電影金像奨以外にも、イー・トンシンは様々な映画祭や批評家協会から評価を受けている。
- 金紫荊奨
- 最優秀監督賞: 2005年 『ワンナイト・イン・モンコック』
- 最優秀脚本賞ノミネート: 2005年 『ワンナイト・イン・モンコック』
- 香港電影評論学会大奨
- 最優秀監督賞: 1995年 『フル・スロットル/烈火戦車』、2004年 『ワンナイト・イン・モンコック』
- 推奨映画: 1995年 『フル・スロットル/烈火戦車』、2003年 『忘れえぬ想い』、2004年 『ワンナイト・イン・モンコック』、2007年 『プロテージ/偽りの絆』、2009年 『新宿インシデント』
- 金馬奨
- 最優秀監督賞ノミネート: 1993年 『つきせぬ想い』、1996年 『夢翔る人/色情男女』、2004年 『ワンナイト・イン・モンコック』、2007年 『プロテージ/偽りの絆』
- 最優秀オリジナル脚本賞ノミネート: 1993年 『つきせぬ想い』、2007年 『プロテージ/偽りの絆』
- ベルリン国際映画祭
- 金熊賞ノミネート: 1997年 『夢翔る人/色情男女』
5. 映画界での役職と貢献
イー・トンシンは、映画製作のみならず、香港映画界の発展にも大きく貢献している。2017年からは香港電影金像奨協会の会長を務め、香港映画界のリーダーシップを担っている。彼の多岐にわたるジャンルの作品は、香港映画の多様性を示し、多くの観客に支持されてきた。

6. 私生活
イー・トンシンの私生活においては、二度の結婚歴がある。最初の妻はJuihsia Wangで、1995年に結婚したが1996年に離婚した。二番目の妻はMandy Lawで、2008年に結婚したが2017年に離婚している。彼は子供がおり、2018年には2歳になる子供の父親であることを認めたと報じられている。

7. 評価と影響力
イー・トンシンは、香港映画界において多才なフィルムメーカーとして高く評価されており、その作品は社会や文化に大きな影響を与えている。
7.1. 肯定的な評価
イー・トンシンの作品は、その多様なジャンルと奥行きのあるテーマ設定が高く評価されている。特に、『つきせぬ想い』や『ワンナイト・イン・モンコック』のような作品は、その高い芸術性と大衆性を兼ね備え、批評家と観客の両方から絶賛された。彼は、俳優、脚本家、プロデューサー、監督の全ての役割で成功を収め、香港映画界の稀有な才能として認識されている。
7.2. 批判と論争
現時点では、イー・トンシンの活動や作品に関して、特筆すべき大規模な批判や論争は確認されていない。
7.3. 社会的・文化的影響
イー・トンシンは、自身の作品を通じて社会問題に光を当て、人権や社会の脆弱な側面に対する意識を高めることに貢献してきた。彼の監督デビュー作である『癲佬正傳中国語』(The Lunatics英語)はその典型である。この作品は、1982年に香港で実際に発生した幼稚園襲撃無差別殺人事件という衝撃的な事件を基にしており、精神疾患を持つ人々への社会の無理解や偏見、社会福祉の不備といったデリケートな問題を深く掘り下げた。
『癲佬正傳中国語』は、単なる事件の再現にとどまらず、社会が抱える病理と、その中で苦しむ人々への共感を促す作品として、公開当時大きな社会的議論を巻き起こした。このような作品を通じて、彼は社会の暗部に目を向け、観客に民主主義的な価値観や人道的な視点から問題を考察する機会を提供してきた。彼の作品は、香港社会の変動や、人権意識の発展に間接的ながらも影響をもたらしたと言える。