1. 概要
エステバン・ビゴ・ベニテス(Esteban Vigo Benítezスペイン語、1955年1月17日生まれ)は、スペインの元サッカー選手であり、現在はサッカー監督を務めています。選手時代は主にミッドフィールダーとして活躍しました。彼はプロキャリアの大半をCDマラガとFCバルセロナで過ごし、13シーズンにわたってラ・リーガで通算240試合に出場し、24ゴールを記録しました。1995年に監督としてのキャリアをスタートさせ、複数のクラブを指導し、特にセグンダ・ディビシオンでの昇格に貢献しました。
2. 生い立ち
エステバン・ビゴ・ベニテスは1955年1月17日に、スペインのアンダルシア州にあるベレス=マラガで生まれました。
3. 選手経歴
選手時代は「エステバン」として知られていました。
3.1. クラブ経歴
エステバンは地元のクラブであるCDマラガでプロとしてのキャリアをスタートさせ、1976年にはチームのラ・リーガ昇格に貢献しました。その後、スペインの強豪クラブであるFCバルセロナの注目を引き、1976年12月に2500.00 万 ESPの移籍金で加入しました。バルセロナでは10年間にわたり定期的に起用されましたが、絶対的なレギュラーとして定着することはありませんでした(最も多く出場したシーズンは1980-81シーズンで23試合出場)。同シーズンのコパ・デル・レイ決勝では、スポルティング・ヒホンを3-1で破った試合で決勝ゴールを挙げました。
1987年に古巣のCDマラガに復帰し、さらに4年間プレーした後、36歳で現役を引退しました。
3.2. 代表経歴
エステバンは1981年に約2ヶ月の間にスペイン代表として3試合に出場しました。これは自国開催の1982 FIFAワールドカップに向けた準備期間でしたが、最終的な代表メンバーには選ばれませんでした。また、彼は1976年の夏季オリンピックにもスペイン代表として出場しました。
4. 監督経歴
エステバン・ビゴは選手引退後、1995年から指導者としてのキャリアをスタートさせました。
彼は故郷のアンダルシア州にあるUDアルメリアで監督としての第一歩を踏み出し、その後も主に同地域内のクラブを指導しました。一時期はルーマニアのディナモ・ブカレストでも指揮を執りました。
2009年にはヘレスCDをクラブ史上初の1部リーグ昇格へと導くという偉業を達成しました。しかし、2009年7月には別のセグンダ・ディビシオンのクラブであるエルクレスCFへと移籍し、アリカンテを拠点とするこのクラブを準優勝に導き、13年ぶりに1部リーグへの復帰を果たしました。
2011年3月21日、CAオサスナとのホームゲームで0-4の大敗を喫したことを受け、ビゴはエルクレスの監督を解任されました。この敗戦はチームにとってシーズン4連敗であり、直近5試合で勝ち点1しか獲得できていませんでした。
翌年の2012年4月4日には、ルーカス・アルカラスの後任として再びUDアルメリアの監督に就任しました。同年7月には、2年間の契約とさらに2年間の延長オプション付きでヘレスCDに復帰しました。しかし、翌2013年2月には、チームが最下位で安全圏まで勝ち点7差という状況(最終的にチームはこのシーズンに降格)の中、彼と3人のアシスタントコーチは解任されました。
2021年2月17日、ビゴはヘレスCDの監督として4度目の就任を果たしました。彼はクラブをテルセーラ・ディビシオンの昇格プレーオフまで導きましたが、ADセウタFCに敗れ、その後チームを去りました。
5. サッカー以外での活動
エステバン・ビゴは2010年9月13日に自身の自叙伝『ガンアドール(Ganador)』(勝者の意)を出版しました。
6. 栄誉
6.1. 選手として
- FCバルセロナ
- ラ・リーガ: 1984-85
- コパ・デル・レイ: 1977-78、1980-81、1982-83
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1983
- コパ・デ・ラ・リーガ: 1983、1986
- UEFAカップウィナーズカップ: 1978-79、1981-82
- CDマラガ
- セグンダ・ディビシオン: 1987-88
6.2. 監督として
- ヘレスCD
- セグンダ・ディビシオン: 2008-09
7. 評価と遺産
エステバン・ビゴは、選手としても監督としても長きにわたりスペインサッカー界で活躍し、そのキャリアを通じて数々の重要な功績を残しました。選手としては、特にFCバルセロナでの10年間で複数の国内タイトルとUEFAカップウィナーズカップを獲得し、チームの黄金期の一翼を担いました。また、自身のキャリアをスタートさせたCDマラガを昇格に導くなど、地元クラブへの貢献も大きく評価されています。
監督としては、異なるリーグレベルのクラブを指導し、特にヘレスCDやエルクレスCFをトップリーグ昇格に導いた手腕は高く評価されています。これは、彼がチームの潜在能力を最大限に引き出し、目標達成へと導く優れたリーダーシップと戦術的洞察力を持っていたことを示しています。厳しい状況下でもチームを立て直し、昇格という具体的な結果を出したことは、彼の監督としての遺産として語り継がれるでしょう。彼の経歴は、スペインサッカーにおける多才で粘り強い貢献者としての地位を確立しています。