1. Overview
エフスタティオス・「スタティス」・タヴラリディス(Ευστάθιος "Στάθης" Ταυλαρίδης現代ギリシア語、1980年1月25日生まれ)は、ギリシャ出身の元サッカー選手であり、センターバックとして活躍しました。彼はその攻撃的なプレースタイルから、フランスのサポーターからは「Taureauトーローフランス語」(雄牛)という愛称で親しまれました。キャリアを通じて、タヴラリディスはイラクリス・テッサロニキFCでプロデビューを飾り、その後、イングランドのアーセナルFCやポーツマスFC、フランスのリールOSCやASサンテティエンヌなど、欧州の主要リーグで経験を積みました。ギリシャ帰国後も、AEL 1964、OFIクレタ、アトロミトスFC、パナシナイコスFC、アリス・テッサロニキFCといったクラブでプレーし、それぞれのチームで重要な役割を果たしました。また、2005年のFIFAコンフェデレーションズカップではギリシャ代表として出場経験もあります。本記事では、彼の初期の生い立ちからクラブおよび代表でのキャリア、プレースタイル、そしてキャリア中に経験した論争や獲得タイトル、詳細な統計記録について包括的に解説します。
2. 初期生い立ちとキャリアの始まり
エフスタティオス・タヴラリディスは、1980年1月25日にギリシャのセレスで生まれました。彼はイラクリス・テッサロニキFCのユースアカデミーで育成され、17歳という若さでトップチームデビューを果たしました。イラクリスでは1997年から2001年までの期間に合計66試合に出場し、1得点を記録するなど、その才能を早くから見せていました。この活躍が認められ、2001年にはイングランドの強豪クラブであるアーセナルFCへ100.00 万 GBPの移籍金で加入することになります。
3. クラブキャリア
タヴラリディスのプロサッカー選手としてのキャリアは、ギリシャ、イングランド、そしてフランスの様々なクラブで展開されました。
3.1. イングランド時代
2001年、エフスタティオス・タヴラリディスはイラクリスからイングランドのプレミアリーグに所属するアーセナルFCへ移籍しましたが、そこでは定位置を確保するのに苦労しました。当時のアーセナルには、すでにソル・キャンベルが加入しており、さらに翌2月にはコロ・トゥーレも加入したため、タヴラリディスはセンターバックのポジション争いで後塵を拝しました。アーセナルではリーグ戦での出場はわずか1試合に留まり、公式戦全体では8試合(そのうち7試合はリーグカップ)の出場機会しか得られませんでした。彼のプレミアリーグデビューは2002-03シーズンにおけるサウサンプトン戦で、この試合ではアーセナルが来るべきFAカップ決勝(相手もサウサンプトン)に備えて多くの主力選手を温存していました。
出場機会を求めて、タヴラリディスは2003年1月に当時フットボールリーグ・ファーストディビジョンに所属していたポーツマスFCへ半年間のレンタル移籍を経験しました。ポーツマスでは4試合に出場し、チームのファーストディビジョン優勝とプレミアリーグ昇格に貢献しました。
3.2. フランス時代
イングランドでの経験後、タヴラリディスはフランスの地で自身のキャリアにおける重要な時期を過ごしました。
2004年1月、タヴラリディスはアーセナルFCからリールへレンタル移籍し、この期間に16試合に出場しました。その後、2004年4月29日にはリールへ完全移籍し、4年契約を結びました。リールでの在籍中、彼は継続的に多くのクラブから関心を集めました。UEFAチャンピオンズリーグとリーグ・アンの両方で重要な選手として活躍し、2006年10月にはスタッド・ピエール=モーロワで行われたAEKアテネとのチャンピオンズリーグ初戦でデビューし、チームは3対1で勝利しました。彼はリールでのプレーについて、2011年に「キャリアの中で最も美しいページ」だったと述べています。リールではリーグ戦77試合に出場し2得点、カップ戦7試合1得点、欧州カップ戦23試合無得点を記録し、合計107試合3得点を挙げました。
2007年6月、タヴラリディスはボルドー、マルセイユ、モナコなど、多くのリーグ・アンクラブと関連付けられたものの、最終的に250.00 万 EURでサンテティエンヌと3年契約を結ぶことを発表しました。彼は背番号4を与えられ、すぐにスターティングイレブンに加わり、ムスタファ・バヤル・サルと連携して守備を固めました。サンテティエンヌでのデビュー戦は古巣リールとの試合で、彼はリールのホームサポーターから拍手で迎えられました。2007-08シーズンの翌週に行われたソショー戦では、2対1の勝利に貢献する初ゴールを記録し、幸先の良いスタートを切りました。2008-09シーズンには副主将を務め、2009-10シーズンの開幕戦後にはアラン・ペラン監督によって正式に主将に任命されました。しかし、長期の負傷によりすぐに主将の座を外され、そのシーズンはサンテティエンヌでわずか6試合の出場に留まりました。サンテティエンヌではリーグ戦で64試合に出場し、2得点を挙げました。
3.3. ギリシャ復帰後
2010年6月、サンテティエンヌとの契約満了に伴い、タヴラリディスは母国ギリシャのAEL 1964へフリー移籍しました。彼は4年契約を結びましたが、当初はリーグ・アンで成功を収めたものの、アラン・ペラン監督の下でチーム構想から外れていました。ペラン監督の解任後、クリストフ・ガルティエ監督の初陣となったマルセイユ戦でわずか10分でレッドカードを受けたことが、事実上サンテティエンヌでのトップチームキャリアの終焉となりました。AELではリーグ戦24試合に出場しましたが、チームがフットボールリーグ(2部)に降格したため、2011年8月9日に契約を解除しました。
2011年8月24日、タヴラリディスはギリシャ・スーパーリーグに昇格したばかりのOFIと1年契約を結びました。当時のクラブ会長である元サッカー選手ニコス・マフラキスは、経験豊富な守備のリーダーとなる選手を求めていました。タヴラリディスの年俸は15.00 万 EURに設定されました。しかし、クラブの財政難と給与の不払いにより、彼は2011-12シーズン終了前の2012年4月24日にクラブを離れることを決断しました。OFIではリーグ戦25試合に出場しました。
2012年6月2日、タヴラリディスはアトロミトスへの移籍に合意し、2014年2月には2016年6月までの契約延長に同意しました。アトロミトスではリーグ戦61試合に出場し4得点、カップ戦0試合無得点、欧州カップ戦3試合1得点を記録し、合計64試合5得点を挙げました。
2014年12月、タヴラリディスはアトロミトスからパナシナイコスへ移籍しました。彼は幼少期から応援していたチームとの契約に喜びを示しました。2015年1月11日に行われたエルゴテリス戦で、彼は移籍後2試合目にして、またレオフロスでの初のホームゲームで初ゴールを決めました。また、PAOKとのプレーオフでは得点を挙げ、クラブを翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選出場権獲得まであと一歩のところまで導きました。2015年4月20日には、フランスのスタッド・ジェフロワ=ギシャールで開催された第12回「貧困撲滅チャリティマッチ」に参加し、ディディエ・ドログバ、ロナウド、ジネディーヌ・ジダンらと共に、エボラからの回復支援のためにサンテティエンヌオールスターズと対戦しました。2015年12月30日には、パナシナイコスと2017年夏までの契約更新に口頭で合意し、5日後には正式に署名を交わしました。しかし、2016年6月19日にはアンドレア・ストラマッチョーニ監督の構想外となり、夏の移籍市場で放出されることになりましたが、移籍先は見つかりませんでした。2017年1月12日、タヴラリディスはマイケル・エッシェンらに続き、給与の遅延を理由にパナシナイコスを提訴しました。彼はクラブでの在籍期間中の補償を求め、2017年5月11日、ギリシャサッカー連盟の金融紛争委員会は彼に27.20 万 EURの支払いを命じました。パナシナイコスではリーグ戦39試合に出場し2得点、カップ戦5試合1得点、欧州カップ戦4試合無得点を記録し、合計48試合3得点を挙げました。
2017年2月2日、タヴラリディスはパナシナイコスを退団した後、アリスと2018年夏までの契約を結びました。アリスではリーグ戦15試合に出場し1得点を記録しました。
4. 代表キャリア
エフスタティオス・タヴラリディスは、ギリシャ代表として国際舞台での出場機会は限られていました。彼は、当時の代表監督オットー・レーハーゲルや、アキス・ジコス、イエロクリス・ストルティディス、グリゴリス・ゲオルガトス、ニコラス・リベロプロス、バシリオス・ツィアルタスといった選手たちの陰に隠れ、多くの機会を得られませんでした。
彼のフル代表デビューは、2005年6月に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2005で、この大会のメンバーに初選出されました。グループリーグ第2戦の日本戦に先発出場し、代表初出場を果たしました。続くグループリーグ最終戦のメキシコ戦でも途中出場しましたが、ギリシャ代表はグループリーグで敗退しました。
その後、約10年間にわたり代表から遠ざかっていましたが、アトロミトスとパナシナイコスでの2014-15シーズンの目覚ましい活躍が評価され、セルヒオ・マルカリアン監督によってUEFA EURO 2016予選のフェロー諸島戦、およびポーランドとの親善試合に向けて招集されました。2015年6月17日に行われたポーランドとの親善試合では、後半開始時にソクラティス・パパスタソプロスに代わって出場し、約10年ぶりにギリシャ代表のユニフォームを着用しました。彼は合計3試合に出場し、得点はありませんでした。
5. プレースタイルと愛称
エフスタティオス・タヴラリディスは、その攻撃的な守備スタイルと、身体を張った当たり負けしない強さが特徴のセンターバックでした。特に空中戦での強さは彼の大きな武器であり、相手フォワードにとって脅威となる存在でした。
フランスでプレーしていた時期には、彼の闘牛のようなプレースタイルから、フランスのサポーターからは「Taureauトーローフランス語」(雄牛)という愛称がつけられました。この愛称は、彼の頑強でブルドーザーのようなプレーぶりを的確に表していました。
6. 論争と問題
エフスタティオス・タヴラリディスのキャリア中には、特に所属クラブであったパナシナイコスとの間で給与を巡る論争が発生しました。
2017年1月12日、彼は給与の遅延を理由にパナシナイコスに対して異議申し立てを行いました。彼はクラブ在籍期間中の補償金を要求し、2017年5月11日にはギリシャサッカー連盟の金融紛争委員会が、パナシナイコスに対し彼に27.20 万 EURを支払うよう命じました。
財政難に苦しんでいたパナシナイコスの運営陣は、2018年2月27日、最終的にタヴラリディスとの間で和解に合意しました。この合意により、パナシナイコスは38歳の元ディフェンダーに8.00 万 EURを支払うことになり、これによりギリシャサッカー連盟から課される可能性のあった勝ち点3剥奪を回避することができました。タヴラリディスは2015年1月から2017年1月までパナシナイコスに在籍していました。
7. 獲得タイトル
エフスタティオス・タヴラリディスは、そのキャリアにおいて以下のタイトルを獲得しました。
- リールOSC
- UEFAインタートトカップ: 2004
- 個人
- スーパーリーグ・ギリシャチーム・オブ・ザ・シーズン: 2013-14、2014-15
8. キャリア統計
エフスタティオス・タヴラリディスのクラブおよび代表キャリアにおける統計は以下の通りです。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 国際大会 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
イラクリス | 1997-98 | アルファ・エスニキ | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | |
1998-99 | 13 | 1 | - | - | 13 | 1 | ||||
1999-2000 | 23 | 0 | - | - | 23 | 0 | ||||
2000-01 | 27 | 0 | - | 4 | 0 | 31 | 0 | |||
通算 | 65 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 70 | 1 | ||
アーセナル | 2001-02 | プレミアリーグ | - | 3 | 0 | - | 3 | 0 | ||
2002-03 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | 2 | 0 | |||
2003-04 | - | 3 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
通算 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | ||
ポーツマス (loan) | 2002-03 | チャンピオンシップ | 4 | 0 | 1 | 0 | - | 5 | 0 | |
リール (loan) | 2003-04 | リーグ・アン | 16 | 0 | 1 | 0 | - | 17 | 0 | |
リール | 2004-05 | リーグ・アン | 30 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | 41 | 0 |
2005-06 | 26 | 1 | 2 | 1 | 7 | 0 | 35 | 2 | ||
2006-07 | 21 | 1 | 3 | 0 | 7 | 0 | 31 | 1 | ||
通算 | 77 | 2 | 7 | 1 | 23 | 0 | 107 | 3 | ||
サンテティエンヌ | 2007-08 | リーグ・アン | 34 | 0 | 2 | 0 | - | 36 | 0 | |
2008-09 | 24 | 0 | - | 7 | 0 | 31 | 0 | |||
2009-10 | 6 | 0 | 1 | 0 | - | 7 | 0 | |||
通算 | 64 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | 74 | 0 | ||
AEL 1964 | 2010-11 | スーパーリーグ | 24 | 0 | - | - | 24 | 0 | ||
OFI | 2011-12 | スーパーリーグ | 25 | 0 | - | - | 25 | 0 | ||
アトロミトス | 2012-13 | スーパーリーグ | 21 | 1 | - | - | 21 | 1 | ||
2013-14 | 30 | 3 | - | 1 | 0 | 31 | 3 | |||
2014-15 | 10 | 0 | - | 2 | 1 | 12 | 1 | |||
通算 | 61 | 4 | 0 | 0 | 3 | 1 | 64 | 5 | ||
パナシナイコス | 2014-15 | スーパーリーグ | 20 | 1 | 2 | 0 | - | 22 | 1 | |
2015-16 | 19 | 1 | 3 | 1 | 4 | 0 | 26 | 2 | ||
通算 | 39 | 2 | 5 | 1 | 4 | 0 | 48 | 3 | ||
アリス | 2016-17 | フットボールリーグ | 15 | 1 | - | - | 15 | 1 | ||
キャリア通算 | 391 | 10 | 24 | 2 | 42 | 1 | 457 | 13 |