1. 選手経歴
エルネスト・フリエリ・グティエレスのプロ野球選手としてのキャリアは、マイナーリーグでの研鑽から始まり、メジャーリーグでのリリーフ投手、特にクローザーとしての役割を経て、複数の球団を渡り歩いた。
1.1. プロ入りとマイナーリーグ時代
フリエリは、2005年にスカウトのロバート・ローリーとマリシャル・デルヴァーレによってサンディエゴ・パドレスと契約を結び、プロとしてのキャリアを開始した。
同年はアリゾナリーグ・パドレスとレイク・エルシノア・ストームでプレーした。アリゾナリーグ・パドレスでは17試合に登板し、うち5試合で先発を務め、7勝1敗、防御率1.17の成績を収め、46.1イニングで59奪三振を記録した。ストームでは2試合にリリーフ登板し、0勝0敗、防御率2.70だった。
2006年には、ユージーン・エメラルズ、フォートウェイン・ウィザーズ、レイク・エルシノア・ストームの3球団でプレーした。エメラルズでは1試合の先発を含む27試合に登板し、3勝3敗、防御率3.82。ウィザーズでは1試合の登板で防御率9.00、ストームでは2試合の登板で防御率6.00を記録した。
2007年はウィザーズで40試合、ストームで13試合に登板し、合計で2勝2敗、防御率1.98、86.1イニングで92奪三振という好成績を残した。2008年にはストーム、AA級のサンアントニオ・ミッションズ、そしてAAA級のポートランド・ビーバーズでプレー。ストームでは33試合中18試合に先発し、8勝6敗、防御率4.00。ミッションズでは2試合で1勝0敗、防御率4.09、ビーバーズでは1試合で1勝0敗、防御率1.50だった。
2009年はミッションズとパドレスで飛躍の年となった。ミッションズでは27試合(うち26試合で先発)に登板し、10勝9敗、防御率3.59、140.1イニングで118奪三振を記録した。彼はテキサスリーグのオールスターチームに選出され、7月27日にはテキサスリーグ週間最優秀投手に選ばれた。同年9月14日にはルイス・デュランゴと共にメジャーリーグに昇格した。メジャーデビューは2009年9月26日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、1イニングを無失点、2奪三振に抑えた。2009年シーズンは2試合に登板し、無失点で終えた。
2010年には33試合に登板し、防御率1.71、41奪三振を記録した。この年以降、彼はパドレスのブルペンに不可欠な存在となり、2011年には59試合に登板した。
1.2. メジャーリーグ時代

フリエリは、サンディエゴ・パドレスでメジャーリーグでのキャリアをスタートさせ、その後ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、ピッツバーグ・パイレーツ、タンパベイ・レイズといった球団でリリーフ投手として活躍した。
1.2.1. サンディエゴ・パドレス
2009年9月26日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビューを飾り、1イニングを無失点、2奪三振に抑えた。このデビューは、コロンビア人としてMLB史上9人目、投手としては2人目という歴史的なものだった。2009年シーズンはわずか2試合の登板だったが、無失点に抑え、印象的なスタートを切った。2010年には33試合に登板し、防御率1.71、41奪三振を記録し、パドレスのブルペン陣の重要な一員となった。2011年には59試合に登板し、安定した成績を維持した。
1.2.2. ロサンゼルス・エンゼルス

2012年5月3日、フリエリはアレクシー・アマリスタとマイナーリーグ投手のドン・ローチとのトレードでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した。移籍後は抑え投手を任され、2012年5月23日のオークランド・アスレチックス戦で自身初のセーブを記録した。同年9月25日には、ザック・グレインキー、ギャレット・リチャーズ、スコット・ダウンズ、ケビン・ジェプセンと共に、9イニングで20奪三振を記録し、MLB記録に並んだ5人の投手の一人となった。このシーズン、エンゼルスで54.1イニングを投げ、23セーブと80奪三振を記録した。
2013年にはエンゼルスの専任クローザーとなり、防御率3.80、37セーブを記録したが、11本の本塁打を許す課題も見られた。2014年4月25日には、数回の不調な登板を受け、ジョー・スミスにクローザーの役割を譲った。その後、スミスも不調に陥ったため、フリエリとスミスでクローザーの役割を分担するようになった。2014年6月下旬には、防御率6.39、31イニングで8本のホームランを許すなど、引き続き苦戦した。
1.2.3. ピッツバーグ・パイレーツ
2014年6月27日、フリエリはジェイソン・グリーリとのトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。パイレーツではコントロールを取り戻すことができず、10.2イニングで12失点を喫し、1勝1敗、防御率10.13という結果に終わった。同年8月8日にDFA(指定選手枠から外れる)となり、8月13日にはAAA級のインディアナポリス・インディアンズに配属された。その後、9月8日に自由契約となった。
1.2.4. タンパベイ・レイズ
2014年11月26日、フリエリはタンパベイ・レイズと1年契約を結んだ。しかし、ここでも極端な不調に陥り、2015年6月2日にレイズからDFAされた。レイズでの23.1イニングで19奪三振を記録する一方で、11四球と20安打を許した。6月5日にはウェーバーを通過し、AAA級のダーラム・ブルズに配属された。シーズン終了後の10月5日にはFAとなった。
1.3. その後のキャリア
レイズ退団後も、フリエリは複数の球団と契約し、メジャーリーグ復帰を目指して活動を続けた。
2015年12月14日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが、同年4月5日に自由契約となった。フリエリは2016年シーズンを丸々休み、投球フォームの改善に取り組んだ。
2017年には第4回ワールド・ベースボール・クラシックでコロンビア代表に選出され、出場した。コロンビア代表が敗退した後、同年3月16日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。ヤンキース傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレーしていたが、6月4日に契約解除条項を行使して自由契約となった。
2017年6月6日、フリエリはテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、6月15日には傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスに配属された。1試合に登板した後、6月17日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。しかし、7イニングで6失点と結果を出せず、7月4日にはジェレミー・ジェフレスの故障者リストからの復帰に伴いDFAとなり、7月8日にはAAA級ラウンドロックに配属された。
2017年8月8日、フリエリは1ドルの金銭トレードでシアトル・マリナーズへ移籍した。傘下のAAA級タコマ・レイニアーズに配属されたが、メジャー昇格はないまま、シーズンオフの10月2日にFAとなった。
2018年1月18日、フリエリはミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結び、同年スプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが、3月18日に解雇された。同年4月5日にはメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約したが、試合に登板することなく4月21日に解雇された。その後、メキシコのウィンターリーグに参加した。
2. 投球スタイル
フリエリの投球レパートリーは主にフォーシーム・ファストボールと変化球で構成されていた。彼の主な決め球はフォーシーム・ファストボールで、球速は概ね145 km/h (90 mph)から151 km/h (94 mph)(約145 km/hから151 km/h)を計測した。また、カーブボールやスライダーと表現される、約124 km/h (77 mph)から129 km/h (80 mph)(約124 km/hから129 km/h)の変化球も持ち球としていた。
3. 代表経歴
エルネスト・フリエリ・グティエレスは、国際舞台においてもコロンビア代表として活躍した経歴を持つ。彼は、2017年に開催された第4回WBCにコロンビア代表として選出された。この大会では、プールC(マイアミラウンド)で登板し、チームの一員として貢献した。
4. 詳細情報
4.1. 年度別投手成績
年 | 球団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 点 責 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | ホ | ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 死 球 | 与 四 球 | 奪 三 振 | 奪 三 振 率 | ボ | ク | 暴 投 | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | サンディエゴ・パドレス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 7 | 2.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.50 |
2010 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 7 | .500 | 128 | 31.2 | 18 | 2 | 17 | 3 | 0 | 41 | 2 | 0 | 7 | 6 | 1.71 | 1.11 | |
2011 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | .333 | 276 | 63.0 | 51 | 3 | 34 | 5 | 9 | 76 | 1 | 1 | 21 | 19 | 2.71 | 1.35 | |
2012 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 50 | 11.2 | 9 | 2 | 4 | 0 | 2 | 18 | 0 | 0 | 5 | 3 | 2.31 | 1.11 | |
LAA | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 23 | 6 | .667 | 219 | 54.1 | 26 | 7 | 26 | 0 | 5 | 80 | 1 | 0 | 15 | 14 | 2.32 | 0.96 | |
'12計 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 23 | 7 | .714 | 269 | 66.0 | 35 | 9 | 30 | 0 | 7 | 98 | 1 | 0 | 20 | 17 | 2.32 | 0.98 | |
2013 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 37 | 2 | .333 | 292 | 68.2 | 55 | 11 | 30 | 1 | 3 | 98 | 1 | 0 | 29 | 29 | 3.80 | 1.24 | |
2014 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 11 | 3 | .000 | 133 | 31.0 | 33 | 8 | 9 | 1 | 1 | 38 | 0 | 0 | 22 | 22 | 6.39 | 1.36 | |
ピッツバーグ・パイレーツ | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 51 | 10.2 | 14 | 3 | 5 | 1 | 1 | 10 | 0 | 0 | 12 | 12 | 10.13 | 1.78 | |
'14計 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 11 | 3 | .200 | 133 | 41.2 | 47 | 11 | 14 | 2 | 2 | 48 | 0 | 0 | 34 | 34 | 7.34 | 1.46 | |
2015 | タンパベイ・レイズ | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1.000 | 100 | 23.1 | 20 | 6 | 11 | 0 | 1 | 19 | 1 | 0 | 12 | 12 | 4.63 | 1.33 |
2017 | テキサス・レンジャーズ | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 31 | 7.0 | 6 | 0 | 6 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 4 | 4 | 5.14 | 1.71 |
MLB:8年 | 304 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 14 | 73 | 25 | .440 | 1287 | 303.1 | 232 | 42 | 143 | 13 | 22 | 387 | 6 | 1 | 127 | 121 | 3.59 | 1.24 |
- 2017年度シーズン終了時
4.2. 背番号
- 46 (2009年)
- 39 (2010年 - 2012年)
- 49 (2013年 - 2014年途中、2017年)
- 29 (2014年途中 - 同年終了)
- 43 (2015年)
5. 評価
エルネスト・フリエリ・グティエレスは、そのキャリアを通じて主にリリーフ投手として活躍し、特にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム時代にはクローザーの役割を担い、2013年には37セーブを記録するなど、チームの重要な戦力となった。しかし、高い奪三振能力を持つ一方で、コントロールや被本塁打に課題を抱え、複数回のDFAや球団の移籍を経験するなど、キャリア全体を通じて一貫性のない成績が評価の対象となった。特に後半のキャリアでは、短い期間で複数の球団を渡り歩き、メジャーリーグに定着することが難しくなった。国際大会ではコロンビア代表としてワールド・ベースボール・クラシックに出場するなど、母国を代表する投手としての貢献も評価できる。