1. 幼少期と背景
エルネスト・マルセルは、1948年5月23日にパナマで生まれた。
1.1. 生い立ち
彼は1948年5月23日、パナマに生を受けた。彼の幼少期に関する具体的な情報は少ないが、後にプロボクサーとしてその才能を開花させることになる。
2. プロボクシングキャリア
エルネスト・マルセルは、1966年にプロデビューを果たし、1974年に現役引退するまでの間、そのキャリアを築いた。長身でスピーディな試合巧者として知られ、的確な戦術で相手の強打を封じるスタイルを得意とした。
2.1. 初期キャリア
1966年にティーンエイジャーとしてプロデビューを果たしたマルセルは、初期キャリアで31勝3敗1引き分けの戦績を挙げた。この中には、かつてファイティング原田やエデル・ジョフレに世界タイトル挑戦経験のあるベルナルド・カラバロを2回KOで下した試合も含まれる。また、キャリア唯一のストップ負けは、若き日のロベルト・デュランとの対戦で、10回TKOによるものであった。
2.2. 世界タイトル挑戦とWBA王座獲得
マルセルは、そのキャリアを通じて2度の世界タイトル挑戦を経験し、うち1度でWBAフェザー級王座を獲得した。
2.2.1. WBCフェザー級タイトル挑戦
1971年11月11日、エルネスト・マルセルは愛媛県松山市の愛媛県立ラグビー場特設リングで、当時のWBC世界フェザー級チャンピオンであった柴田国明に挑戦した。マルセルは柴田の強打を巧みに封じることに成功したが、試合は引き分けに終わり、柴田がタイトルを防衛した。マルセルはこの引き分けによって、惜しくも王座獲得を逃すことになった。
2.2.2. WBAフェザー級王座獲得と防衛
柴田国明とのWBCタイトル戦から1年足らずの1972年8月19日、マルセルはアントニオ・ゴメスを判定で破り、WBA世界フェザー級王座を獲得した。マルセルは1972年8月19日に王座を獲得し、1974年5月31日に引退するまでその座を保持した。ゴメスは以前、日本の西城正三から王座を奪取していた。マルセルはその後、前王者のゴメスや日本のスパイダー根本らを相手に、計4度のタイトル防衛に成功した。最後の防衛戦は1974年2月16日、後の名王者となるアレクシス・アルゲリョを相手に行われ、15ラウンドの末にユナニマス・デシジョン(3-0の判定)で勝利を収めた。マルセルの引退後、王座はルーベン・オリバレスに引き継がれた。
2.3. チャンピオンのまま引退
アレクシス・アルゲリョとの最後の防衛戦に勝利した後、エルネスト・マルセルは41勝4敗2引き分けの戦績で、現役世界チャンピオンのままボクシング界からの引退を発表した。この決断は、彼の母親の希望に従ったものであったという。
3. 通算戦績
エルネスト・マルセルのプロボクシングにおける通算戦績は以下の通りである。
総試合数 | 勝利 (KO) | 敗北 | 引き分け |
---|---|---|---|
47 | 41 (24) | 4 | 2 |
4. 死去
エルネスト・マルセルは2020年6月29日に死去した。72歳没。
5. 功績と評価
エルネスト・マルセルのボクシングキャリアは、その卓越したスキルと、特筆すべき引退の形で歴史に刻まれている。彼は単なる強打者ではなく、長身を活かしたスピーディな動きと試合運びの巧みさで多くの強敵を退けた。
5.1. チャンピオンのまま引退した意義
現役世界チャンピオンのまま引退することは、ボクシング界において極めて稀な出来事であり、マルセルの功績の中でも特に高く評価される点である。彼のキャリア最後の試合が、後に世界を代表する名王者となるアレクシス・アルゲリョとの大一番であったことも、その引退の物語に一層の輝きを与えている。母親の願いを尊重し、最高の状態でリングを去るという決断は、彼の人間性とボクサーとしての誇りを示すものとして、多くのボクシングファンに記憶されている。