1. 概要
エレーナ・ゲールマノヴナ・ボドレゾワ(現在は結婚後の姓であるブイアノワとしても知られる)は、ソビエト連邦を代表した元フィギュアスケート選手であり、現在は高名なコーチとして活躍している。12歳で1976年インスブルックオリンピックに出場した若き才能として注目され、ダブルフリップ-トリプルトゥループのコンビネーションジャンプを初めて成功させた選手としても知られる。選手時代には世界選手権で銅メダルを、欧州選手権では3度のメダル(銀1、銅2)を獲得し、ソビエト連邦の女子シングル選手として初めての国際大会メダル獲得という歴史的快挙を成し遂げた。重度の関節炎による長期の休養を乗り越え、再びトップレベルで活躍した不屈の精神も持つ。1984年の引退後はコーチに転身し、アデリナ・ソトニコワ(ソチオリンピック金メダリスト)をはじめとする多くのトップスケーターを育成している。
2. 生い立ちと背景
エレーナ・ゲールマノヴナ・ボドレゾワは、1963年5月21日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワで生まれた。1984年に元スケート選手のセルゲイ・ブイアノフと結婚し、1987年には息子のイヴァンが誕生した。結婚後はエレーナ・ブイアノワとしても知られるようになった。
3. スケート選手としての経歴
ボドレゾワは、その才能と革新的な技術でソビエト連邦の女子フィギュアスケート界に新たな道を切り開いた。重度の怪我を乗り越え、再び世界の舞台で輝きを見せたそのキャリアは、彼女の強靭な精神力を示している。
3.1. デビューと初期の成果
ボドレゾワはモスクワのCSKAモスクワ(旧ソビエト連邦軍スポーツ協会)でスタニスラフ・ジュークの指導を受けた。才能豊かなフリースケーティング選手として、わずか12歳で1976年インスブルックオリンピックにソビエト連邦代表として出場した。この大会では、コンパルソリーフィギュアで18位と大きく出遅れたものの、フリースケーティングでは5位と健闘し、総合12位となった。
彼女は、フィギュアスケート史上初めてダブルフリップ-トリプルトゥループのコンビネーションジャンプを成功させた選手であり、その高く評価されたダブルアクセルジャンプと高速スピンでも注目を集めた。1978年欧州選手権では銅メダルを獲得し、これはソビエト連邦の女子シングル選手として史上初の欧州選手権メダル獲得という歴史的な成果であった。
3.2. 主要な技術とメダル
ボドレゾワは、革新的な技術と安定した演技で数々のメダルを獲得した。特に、彼女のダブルアクセルは高く評価され、その高速スピンも特徴的であった。
1978年欧州選手権での銅メダル獲得後、彼女は1982年欧州選手権で2度目となる銅メダルを獲得した。続く1983年欧州選手権では銀メダルを獲得し、キャリアのピークを迎える。さらに、1983年世界選手権では銅メダルを獲得し、これもまたソビエト連邦の女子シングル選手として史上初の世界選手権メダル獲得という快挙であった。
3.3. 怪我と再起
1978年欧州選手権での成功後、ボドレゾワは重度の若年性関節炎に悩まされるようになり、1979年から1981年までの3シーズンを完全に欠場した。1979年には数ヶ月間、歩くことさえ困難な状態であったが、彼女は怪我を克服し、1981年-1982年シーズンに4シーズンぶりに競技会に復帰した。この困難な時期を乗り越え、再び世界の舞台で活躍したことは、彼女の精神的な強さと回復力を示している。
3.4. オリンピック出場
ボドレゾワは2度のオリンピックに出場している。
- 1976年インスブルックオリンピック**: わずか12歳で出場し、その若さで注目を集めた。最終順位は12位。
- 1984年サラエボオリンピック**: メダル獲得が期待されたが、コンパルソリーフィギュアで2位と好スタートを切ったものの、ショートプログラムおよびフリースケーティングで大きく乱れ、総合8位に終わった。
3.5. 現役引退
1984年サラエボオリンピックでの競技を最後に、ボドレゾワは選手としての公式な活動を引退した。
4. コーチとしての経歴
選手引退後、エレーナ・ボドレゾワはフィギュアスケートコーチとして新たなキャリアをスタートさせ、数多くのトップスケーターを育成し、その指導力は高く評価されている。
4.1. コーチ活動の開始と指導
ボドレゾワは選手引退後すぐに、かつて自身も所属していたモスクワのCSKKクラブでコーチ活動を開始した。彼女は指導において、しばしばイリーナ・タガエワを生徒たちの振付師として迎え入れている。また、タチアナ・タラソワとも協力し、主にロシアの選手たちの指導に当たっている。
4.2. 主な指導選手
彼女の指導を受けた選手の中には、国際大会で輝かしい成績を収めた者が多数いる。
- アデリナ・ソトニコワ(2014年ソチオリンピック女子シングル金メダリスト)
- エレーナ・ラジオノワ
- マリア・ソツコワ
- アナスタシヤ・グバノワ
- マキシム・コフトゥン
- アンドレイ・グリアゼフ(タチアナ・タラソワと共同で指導)
- アルテム・ボロデュリン
- アディアン・ピトキーエフ
- エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ
- オルガ・マルコワ
- アルトゥール・ドミトリエフ・ジュニア
- デニス・テン
- アレクサンドル・サマリン
- アレクサンドラ・プロクロワ
- ポリーナ・ツルスカヤ
- エゴール・ルーヒン
- ブレンダン・ケリー
- アルトゥール・ダニエリャン(現在の生徒)
- アリョーナ・コストルナヤ(現在の生徒)

5. 私生活
エレーナ・ボドレゾワは1984年に元スケート選手のセルゲイ・ブイアノフと結婚した。1987年には息子のイヴァンが誕生している。
6. 主な大会成績
エレーナ・ボドレゾワの主な国際大会および国内大会の成績は以下の通りである。
大会/年 | 1975-76 | 1976-77 | 1977-78 | 1978-79 | 1979-80 | 1980-81 | 1981-82 | 1982-83 | 1983-84 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 12 | - | - | - | - | - | - | - | 8 |
世界選手権 | 11 | 7 | 6 | - | 棄権 | - | 5 | 3 | - |
欧州選手権 | 8 | 5 | 3 | - | - | - | 3 | 2 | 棄権 |
モスクワ国際 | 1 | 1 | - | - | - | - | - | - | - |
ソビエト選手権 | 1 | 1 | - | - | 1 | - | 1 | 1 | - |
7. 評価と影響
エレーナ・ボドレゾワは、選手時代にソビエト連邦の女子シングルスケート界に新たな歴史を刻んだ先駆者として高く評価されている。特に、彼女が成し遂げたダブルフリップ-トリプルトゥループのコンビネーションジャンプの初成功や、ソビエト連邦女子選手として初の欧州選手権および世界選手権のメダル獲得は、後進の選手たちに大きな影響を与えた。重度の怪我からの復帰は、その不屈の精神と競技への情熱を示すものであり、多くの人々に感動を与えた。
コーチに転身してからは、その経験と知識を次世代に伝え、アデリナ・ソトニコワのようなオリンピック金メダリストを含む多数のトップスケーターを育成し、ロシアのフィギュアスケート界の発展に大きく貢献している。彼女の指導は、技術的な革新性だけでなく、選手個々の才能を引き出すことに重点を置いていると評価されており、フィギュアスケート界における彼女の影響力は計り知れない。