1. 概要
カルロス・マヌエルは、ポルトガルサッカー界において選手そして監督として重要な足跡を残した人物である。特にSLベンフィカでの8年半の在籍期間中に、公式戦318試合に出場し58ゴールを記録したことで知られる。1980年代のポルトガル代表チームにおいても中心選手として活躍し、40試合以上に出場して8ゴールを挙げ、FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権にそれぞれ1回ずつ出場した。選手引退後は、長きにわたり監督としてのキャリアを歩んだ。
2. 幼少期と初期のクラブ経歴
カルロス・マヌエルはセトゥーバル県モイタで生まれ、GD CUFでシニアデビューを果たした。
2.1. ベンフィカでの活躍と主なクラブでの功績
1978年にFCバヘイレンスへ移籍した後、リスボンに本拠地を置くSLベンフィカと契約し、プリメイラ・リーガでプレーすることとなった。ベンフィカでは、1980年代に4度のリーグ優勝と6度のタッサ・デ・ポルトガル優勝に貢献し、チームの中心選手として影響力を発揮した。また、1982-83 UEFAカップでは決勝に進出し、RSCアンデレヒトに次ぐ準優勝を飾った。この他にも、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラを2回(1979年、1984年)、タッサ・デ・オノラを2回獲得している。
2.2. 後期のクラブ経歴
クラブ経営陣との関係悪化から、カルロス・マヌエルは1988年1月にSLベンフィカを離れ、スイスのFCシオンへ移籍した。わずか5ヶ月後にはポルトガルの首都に戻り、スポルティングCPと契約した。1年目は堅実なシーズンを送ったものの、その後はキャリアが下降線をたどり始めた。その後、ボアヴィスタFCで2年間プレーし、最終的に1993-94シーズン終了時にGDエストリル・プライアで36歳で現役を引退した。
3. 代表経歴
カルロス・マヌエルは選手としてポルトガル代表で活躍した後、監督としても国際舞台を経験した。
3.1. 選手としての代表経歴と監督業
カルロス・マヌエルはポルトガル代表として42試合に出場し、8ゴールを記録した。彼の代表デビューは1980年3月26日、UEFA欧州選手権1980予選のスコットランド戦(アウェイ、1-4敗戦)であった。
彼の8ゴールの中でも、特に記憶に残る3つの得点がある。1983年10月28日にポーランドのヴロツワフで行われたポーランド戦での決勝ゴール(1-0勝利)は、ユーロ1984本大会出場に貢献した。また、1985年10月16日の西ドイツ戦での歴史的勝利(1-0勝利)は、1986 FIFAワールドカップ本大会出場を確実にした。さらに、そのワールドカップ本大会のグループリーグ初戦であるイングランド戦でも、1-0での勝利を決定づけるゴールを挙げた。
しかし、1986 FIFAワールドカップでは、モロッコに敗れてグループステージで敗退した。この大会は、ポルトガル代表選手たちが関与したサルティーリョ事件によって汚点を残した。この事件の後、カルロス・マヌエルはわずか28歳で代表から引退した。
選手引退後の2012年6月、彼はルイス・ノルトン・デ・マトスの後任としてギニアビサウ代表監督に就任した。彼はギニアビサウ代表として1試合を指揮したが、それは2013 アフリカネイションズカップ予選でのカメルーンとのアウェイ戦で、0-1で敗れた(合計スコア0-2)。その後、2013年11月29日にパウロ・トーレスが彼の後任となった。
3.2. 代表での得点記録
カルロス・マヌエルがポルトガル代表チームで記録した8ゴールは以下の通り。
# | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1980年10月7日 | ポルトガル リスボン エスタディオ・ド・レステロ | アメリカ合衆国 | 1-0 | 1-1 | 親善試合 |
2 | 1983年9月21日 | ポルトガル リスボン ジョゼ・アルヴァラーデ | フィンランド | 2-0 | 5-0 | ユーロ1984予選 |
3 | 1983年10月28日 | ポーランド ヴロツワフ オリンピック競技場 | ポーランド | 0-1 | 0-1 | ユーロ1984予選 |
4 | 1984年10月14日 | ポルトガル ポルト エスタディオ・ダス・アンタス | チェコスロバキア | 2-1 | 2-1 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
5 | 1985年1月30日 | ポルトガル リスボン ジョゼ・アルヴァラーデ | ルーマニア | 2-0 | 2-3 | 親善試合 |
6 | 1985年2月10日 | マルタ タ・アリー タ・アリー・ナショナル・スタジアム | マルタ | 0-1 | 3-1 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
7 | 1985年10月16日 | 西ドイツ シュトゥットガルト ネッカーシュタディオン | 西ドイツ | 0-1 | 0-1 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
8 | 1986年6月3日 | メキシコ モンテレイ エスタディオ・テシノロヒコ | イングランド | 1-0 | 1-0 | 1986 FIFAワールドカップ |
4. 監督経歴
36歳で現役を引退した後、カルロス・マヌエルは監督業に転身した。主にリスボン地域のクラブを指導したが、大きな成功を収めることは少なかった。1997-98シーズンの途中には、SCサルゲイロスとの契約を解除してスポルティングCPに加入したが、チームはリーグ4位に終わり、彼は解任された。数ヶ月後にはSCブラガでも同様の運命をたどった。前述の通り、2012年6月にはギニアビサウ代表監督を務め、1試合を指揮した。
5. 栄誉
カルロス・マヌエルは、選手キャリアを通じて数々のクラブおよび個人栄誉を獲得している。
5.1. クラブでの栄誉
- SLベンフィカ
- プリメイラ・リーガ: 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87
- タッサ・デ・ポルトガル: 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ: 1979, 1984
- タッサ・デ・オノラ: 2回
- UEFAカップ準優勝: 1982-83
- ボアヴィスタFC
- タッサ・デ・ポルトガル: 1991-92
5.2. 個人栄誉
- CNID年間最優秀サッカー選手: 1985
6. 評価と影響
カルロス・マヌエルがポルトガルサッカー界に与えた影響は大きく、ポルトガルのスポーツ新聞『レコード』からは「ポルトガルを代表する100人のサッカー選手」の一人に選ばれるなど、高く評価されている。彼はその献身的なプレーと重要な局面での得点能力で、多くのファンに記憶されている。