1. 概要
ティゲッリヌスは、紀元10年頃に生まれ、69年に没したローマ帝国の軍人であり、ネロ帝の治世下で親衛隊長を務めました。彼は謙虚な出自から身を起こし、ネロの母小アグリッピナとの関係を通じて皇帝の寵愛を得るようになります。親衛隊長に就任してからは、その権力を乱用し、政敵を冷酷に迫害し、ネロの悪行を助長した「奸臣」として歴史に名を残しました。ローマ大火における放火の疑いや、クラウディア・オクタウィアの殺害、ピソの陰謀の鎮圧における残虐な関与など、ネロ時代の主要な出来事において中心的な役割を果たしました。しかし、ネロ帝の没落が迫ると、彼は皇帝を見捨てて新たな皇帝ガルバに忠誠を誓い、一時的に命を救われますが、最終的にはオト帝の命により自決に追い込まれました。彼の生涯は、ローマ帝政期の権力闘争と腐敗を象徴するものであり、後世の文学や芸術作品にもその悪名高い姿が描かれています。
2. 生涯
ティゲッリヌスの生涯は、その謙虚な出自からローマ帝国の最高権力に近い地位にまで上り詰めた一方、その過程で多くの非道な行いを重ねたことで知られています。
2.1. 出生と背景
ガイウス・オフォニウス・ティゲッリヌスは、紀元10年頃にシチリア島のアグリゲントゥム(現アグリジェント)で生まれました。彼の家系はギリシャ系、あるいはヒスパニア系にルーツを持つと言われており、その出自は非常に謙虚なものでした。彼の父は南イタリアのスキュラケウムで亡命生活を送っていたとされ、ティゲッリヌス自身もそこで生まれた可能性が指摘されています。
2.2. カリグラ時代の追放と復帰
20代の頃、ティゲッリヌスはローマに居住し、ローマ皇帝カリグラの皇室と接触を持つようになりました。しかし、39年、カリグラ帝の治世下で、彼は皇帝の存命する二人の妹、小アグリッピナとユリア・リウィッラとの不倫の容疑をかけられ、ローマから追放されました。この追放は、新たな皇帝クラウディウスが即位した41年に解除され、彼はイタリア本土への帰還を許されましたが、皇宮への出入りは禁じられました。
2.3. ネロの寵愛を得るまで
ローマの歴史家タキトゥスは、ティゲッリヌスが「不道徳な青年時代と残忍な老年時代」を送ったと評しています。成人後、彼はまずギリシャで商人として活動しました。その後、遺産を相続した彼は、その資金でイタリア本土のアプリアとカラブリアに広大な土地を購入し、競走馬の飼育に専念するようになりました。この競走馬の飼育を通じて、彼はやがて皇帝ネロの知己を得て寵愛されるようになります。ティゲッリヌスはネロの悪徳や残虐行為を助長し、ネロの愛人であったポッパエア・サビナの信用も得て、いわゆる「奸臣」としてその影響力を拡大していきました。紀元60年頃にはローマに定住し、市の準軍事警察組織である三つのコホルス・ウルバナ(都市警備隊)のプラエフェクトゥス・ウルビ(都市長官)に就任しました。
3. ネロ政下の親衛隊長
ティゲッリヌスはネロ帝の治世において、親衛隊長として絶大な権力を握り、その職務を皇帝の意のままに遂行し、多くの残虐行為に関与しました。
3.1. 親衛隊長への任命と共同隊長
62年、当時の親衛隊長であったセクストゥス・アフラニウス・ブルルスが死去すると、ティゲッリヌスはその後任として親衛隊長に任命されました。彼は当初、ファエニウス・ルフスと共同で職務にあたり、その後はニンピディウス・サビヌスを共同隊長としました。彼は自身の地位を確固たるものにするため、歴代の共同隊長たちを迫害し、ネロの最も信頼される側近の一人としての地位を確立しました。
3.2. 残虐性、腐敗、権力の乱用
ティゲッリヌスは、その在任中、ローマ中で残虐性と冷酷さで悪名高い存在となりました。彼は腐敗した行為に手を染め、権力を乱用しました。例えば、彼はネロの最初の妻である皇后クラウディア・オクタウィアの殺害を正当化するために証拠を捏造し、彼女を自殺に追い込みました。また、政敵を執拗に迫害し、証拠を捏造して彼らを排除することも厭いませんでした。
3.3. 主要な出来事における役割
ティゲッリヌスは、ネロ帝治世下の重要な出来事の多くに深く関与しました。
- ローマ大火**: 64年7月に発生したローマ大火では、ティゲッリヌスは放火の疑いをかけられました。火災が一度鎮火した後、彼の所有地であるアエミリアヌス街で再び火の手が上がったため、歴史家タキトゥスは彼を放火犯であると主張しています。
- クラウディア・オクタウィアの殺害**: ネロとポッパエア・サビナの意向を汲み取り、皇后クラウディア・オクタウィアを自殺に追い込みました。
- ピソの陰謀の鎮圧**: 65年、ガイウス・カルプルニウス・ピソを皇帝に擁立しようとする陰謀が発覚すると、ティゲッリヌスはネロの第二の妻ポッパエア・サビナと共に一種の枢密院を組織し、その鎮圧を主導しました。彼はこの陰謀に関与したとして、ルキウス・アンナエウス・セネカらに自殺を命じ、ペトロニウス・アルビテルのような宮廷人や小説家を反逆罪で不当に告発しました。ペトロニウスはクーマエの自宅で軟禁され、処刑の判決を待つことなく自決を選びました。彼は数日間にわたり手首を切り、止血することを繰り返しながら友人を招いて歓談し、最終的に出血多量で命を絶ったと伝えられています。ティゲッリヌスはこの功績により、ネロからマルクス・コッケイウス・ネルウァやプブリウス・ペトロニウス・トゥルピリアヌスと共に凱旋の栄誉を与えられ、自身の胸像を広場に設置することも許されました。
- コルブロの死**: 67年、ティゲッリヌスはネロのギリシャ巡幸に同行しました。この際、著名な将軍グナエウス・ドミティウス・コルブロもギリシャに招かれましたが、ティゲッリヌスはこの将軍の死に関与し、コルブロは自決を命じられました。
3.4. 放蕩と贅沢
ティゲッリヌスは、その贅沢で悪名高い活動でも知られています。64年には、アグリッパ浴場の池で乱痴気騒ぎを主催し、その放蕩ぶりは世間の非難を浴びました。
4. 没落と死
ネロ帝の治世末期、ティゲッリヌスは自らの保身のために皇帝を見捨て、最終的に自決へと追い込まれることになります。
4.1. ネロからの離反
68年、ネロ帝の治世が末期を迎え、ガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスの反乱を皮切りに、各地の属州総督がネロへの反乱を起こし、皇帝の没落が目前に迫ると、ティゲッリヌスはネロを見限りました。彼は共同隊長であったニンピディウス・サビヌスと共に、親衛隊の離反を画策し、ネロの自殺につながる決定的な要因を作りました。この時、ティゲッリヌスは「不治の病」を患っていると偽ってネロから離れたとされていますが、これはおそらく保身のための口実であり、実際に癌を患っていた可能性も指摘されています。ニンピディウスはその後、ティゲッリヌスに指揮権の放棄を命じました。
4.2. ガルバおよびオト帝時代
ネロの死後、新たな皇帝となったガルバは、ティゲッリヌスを親衛隊長から解任しました。しかし、ティゲッリヌスはガルバの寵臣であったティトゥス・ウィニウスとその未亡人の娘に豪華な贈り物を与えることで、自身の命を救うことに成功しました。かつてティゲッリヌスがこの娘の命を救ったことがあったため、この贈賄は功を奏しました。しかし、ガルバの暴政によりアウルス・ウィテッリウスが反乱を起こすなど内戦は収まらず、69年1月にガルバが殺害され、オトが後継の皇帝となりました。オトは、ローマ市民に憎悪されていたティゲッリヌスを排除することを決意していました。
4.3. 自決
オト帝の命令により、ティゲッリヌスはシヌエッサ近郊の田舎の別荘からローマへの帰還を命じられました。死を覚悟した彼は、賄賂を使って命を救おうと試み、万一に備えて湾に船を停泊させていました。この試みが失敗に終わると、彼はオトの使者に賄賂を贈って別れの宴を開くことを許されました。宴の後、彼は出発前に髭を剃る必要があるという口実を設け、剃刀で自らの喉を掻き切って自決しました。
5. 歴史的評価と影響
ティゲッリヌスは、ローマ帝政期における権力の暗部を象徴する人物として、歴史上、極めて批判的に評価されています。
5.1. 批判と論争
ティゲッリヌスは、その生涯を通じて、冷酷で残忍な性格、そして権力を私物化する腐敗した人物として描かれてきました。歴史家タキトゥスは、彼を「不道徳な青年時代と残忍な老年時代」を送った人物と評し、その行動は常に自己中心的で、ネロの悪行を助長するものであったと指摘しています。彼はネロの側近として、皇帝の残虐な衝動を満たすために、多くの無実の人々を陥れ、死に追いやったとされています。特に、親衛隊長というローマ帝国の治安を預かる要職にありながら、その権力を乱用して政敵を排除し、市民を抑圧したことは、彼の歴史的評価において最大の汚点とされています。
5.2. 文学および芸術における描写
ティゲッリヌスの悪名は、後世の文学や芸術作品にも繰り返し描かれてきました。
- フアン・マネンのオペラ『ネロとアクテ』(1928年)に登場します。
- 1895年の戯曲『クォ・ヴァディス』と1932年の映画『十字架のサイン』に登場します。
- ヘンリク・シェンキェヴィチの1895年の小説『クォ・ヴァディス』では悪役として描かれ、1985年の6時間ミニシリーズ『A.D.』にも登場します。
- E・E・"ドク"・スミスによる1934年のSF小説『トリプラネタリー』に登場します。
- 小説を原作とした1951年の映画『クォ・ヴァディス』では、ラルフ・トルーマンがティゲッリヌスを演じました。この映画では、ローマ市民が皇帝に反乱を起こした際、ティゲッリヌスは(史実とは異なり)ネロの競技場で反乱兵に剣で刺殺されます。
- アンソニー・バージェスの1985年の小説『ザ・キングダム・オブ・ザ・ウィケッド』の後半で主要な登場人物となります。
- ジョン・ハーシーの1972年の小説『陰謀』では、ローマを警察国家として描く中で、主要な登場人物となっています。
- サイモン・スカロウの2011年の小説『プラエトリアン』(紀元51年が舞台)では、親衛隊のオプティオ(下級士官)として登場し、小説の終わりにはブルルス長官の副官に昇進し、ネロが即位した後には彼の後任となることを期待されています。