1. 概要
金英姬(김영희韓国語、1963年5月17日 - 2023年1月31日)は、韓国の元バスケットボール選手である。身長205 cmの長身センターとして知られ、韓国女子バスケットボール界に大きな足跡を残した。彼女は1984年のロサンゼルスオリンピックで韓国代表として銀メダルを獲得し、韓国の球技種目において初のオリンピックメダル獲得という歴史的快挙に貢献した。しかし、選手生活の後半には先端巨大症(通称「巨人病」)と診断され、引退後も長年にわたり病との闘いを続けた。彼女の生涯は、逆境に立ち向かう精神と、自身の経験を通じて社会に健康意識の重要性を訴えかけた点で、多くの人々に影響を与えた。
2. 生い立ちと背景
金英姬は、慶尚南道の蔚山で、1男1女の長女として生まれた。幼少期からその卓越した身長は際立っていた。
2.1. 幼少期と教育
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金英姬は幼い頃から身長が高く、釜山の小学校に通いながら、当初はバレーボール選手としてスポーツを始めた。しかし、小学校6年生の時にバスケットボールへと転向し、東州女子中学校で選手として活動する中で、その長身を活かした有望な選手として注目を集めるようになった。激しいスカウト競争の末、バスケットボールの名門校であるソウルの崇義女子高等学校に入学し、高校時代もその才能を磨いた。
2.2. 初期キャリア
崇義女子高等学校を卒業後、金英姬は実業団チームである韓国化粧品に入団し、プロバスケットボール選手としてのキャリアを本格的にスタートさせた。この時期から、彼女は国内リーグでその実力を発揮し始め、将来を嘱望される選手として成長していった。
3. 選手経歴と功績
金英姬は、実業団チームと韓国代表チームの両方で、その類まれな才能を発揮し、数々の重要な貢献と功績を残した。
3.1. 実業団チームでの経歴
国内リーグでは、韓国化粧品のセンターとして目覚ましい活躍を見せた。特に1983年12月11日に行われた韓国化粧品対朝興銀行の試合では、1試合で52得点という驚異的な記録を樹立し、この記録は長らく国内リーグで破られることがなかった。また、太平洋化学のセンターである朴賛淑とのライバル対決は、当時のバスケットボールファンから大きな注目を集めた。彼女はチームの主要な得点源であり、リバウンドやブロックショットでも貢献し、チームの勝利に不可欠な存在であった。1984年のバスケットボール大祭典では、ベスト5に選出されるなど、個人としても高い評価を受けた。
3.2. 代表チームでの経歴
金英姬は、崇義女子高等学校2年生の時に初めて韓国女子バスケットボール国家代表チームに選抜され、引退するまで代表選手として活動し続けた。彼女は、1982年のニューデリーアジア競技大会と1986年のソウルアジア競技大会に女子バスケットボール代表として出場し、いずれの大会でも銀メダルを獲得した。
3.3. オリンピック出場
金英姬の選手経歴における最大の功績は、1984年ロサンゼルスオリンピックへの出場と、そこで達成したチームの歴史的な成果である。彼女は韓国女子バスケットボール代表チームの一員としてこの大会に出場し、チームは決勝に進出。惜しくも金メダルには届かなかったものの、見事銀メダルを獲得した。この銀メダルは、韓国の球技種目において史上初のオリンピックメダルであり、韓国スポーツ史に輝かしい一ページを刻んだ。金英姬は、この快挙の立役者の一人として、その名を歴史に刻んだ。
4. プレースタイルと身体的特徴
金英姬の選手としてのキャリアは、そのユニークな身体的特徴と、それを最大限に活かしたプレースタイルによって特徴づけられた。
4.1. 身体的特徴
金英姬の最も顕著な身体的特徴は、その驚異的な身長205 cmであった。この身長は、彼女をセンターポジションにおいて圧倒的な存在感を持つ選手にした。彼女は、現在も韓国で公式に認定されている最長身の女性である。この卓越した身長は、リバウンドの支配、ブロックショット、そしてインサイドでの得点において彼女に大きな優位性をもたらし、試合の流れを大きく左右する要因となった。
4.2. プレースタイル
金英姬は、その長身を活かしてゴール下で絶大な強さを誇る選手であった。彼女は高いシュート成功率を誇り、特にインサイドでの得点能力は群を抜いていた。また、ディフェンス面では、相手のシュートコースを塞ぐブロックショットや、リバウンドを確実に確保する能力に長けていた。しかし、国際大会においては、その長身ゆえのスピードの欠如が弱点として指摘されることもあった。それでも、彼女の存在はチームにとって不可欠であり、そのプレースタイルは韓国女子バスケットボールの戦術に大きな影響を与えた。
5. 個人的な事柄と健康問題
金英姬は、競技生活以外でも、特に健康問題との長年にわたる闘いを通じて、その存在感を社会に示した。
5.1. 先端巨大症と闘病
金英姬は1987年に練習中に倒れ、その後、先端巨大症(通称「巨人病」)と診断された。この病気は、成長ホルモンの過剰分泌によって体の末端部分が異常に肥大する病気であり、彼女の選手生活に大きな影響を与えた。診断後も、金英姬は30年以上にわたりこの病気と闘い続け、その過程で様々な困難に直面した。韓国女子バスケットボール連盟(WKBL)は、彼女の医療費を支援するため、2003年から彼女を試合委員に任命するなどの支援を行った。彼女の闘病は、個人的な苦悩であると同時に、多くの人々に病気への理解と健康の重要性を訴える機会となった。
5.2. メディア出演と社会的な注目
金英姬は、自身の闘病経験を社会と共有するために、メディアに積極的に出演した。2009年2月にはKBSのドキュメンタリー番組『人間劇場』で、また2021年11月にはYouTubeチャンネル『近況オリンピック』で、彼女の物語が紹介された。これらの出演は、彼女の困難な状況と、それにもかかわらず前向きに生きる姿勢を広く大衆に伝え、先端巨大症という病気に対する社会の認識を高めることに貢献した。彼女の物語は、多くの人々に勇気と感動を与え、逆境を乗り越えることの重要性を示すものとなった。
6. 死去
金英姬は、長年にわたる闘病の末、59歳でその生涯を閉じた。
6.1. 死没時の状況
金英姬は2023年1月31日、療養生活中に急性呼吸不全のため死去した。享年59歳(韓国の数え年では60歳)であった。彼女の死因は、長年にわたる脳腫瘍(先端巨大症に起因)との闘病によるものであったと報じられた。彼女の訃報は、韓国バスケットボール界のみならず、多くの国民に深い悲しみをもたらした。
7. 遺産と評価
金英姬は、その競技における功績と、病との闘いを通じて示した不屈の精神により、韓国社会に enduring な遺産を残した。
7.1. 受賞と栄誉
金英姬は、その輝かしいキャリアの中で数々の栄誉に輝いた。1980年には体育勲章白馬章を、1984年には体育勲章猛虎章をそれぞれ受章した。これらの勲章は、彼女が韓国スポーツ界に与えた多大な貢献が国家によって認められた証である。また、1984年のバスケットボール大祭典でのベスト5選出など、個人としても高い評価を受け続けた。彼女の功績は、後進の選手たちにとっての模範となり、韓国バスケットボールの発展に寄与した。