1. 概要
コスタス・アントニウ(Κώστας Αντωνίου現代ギリシア語、1962年4月19日 - )は、ギリシャ・アテネ出身の元サッカー選手。現役時代は主にミッドフィールダーとして活躍した。キャリアの大半をパナシナイコスFCで過ごし、数々の国内タイトル獲得に貢献した。また、オリンピアコスFCへの移籍を巡る著名な紛争に関与したことでも知られている。引退後には、かつて所属したパナシナイコスのディレクター・オブ・フットボールを務めた。
2. 経歴
コスタス・アントニウのサッカーキャリアは、選手時代から引退後の役職に至るまで、多岐にわたる。彼は、母国ギリシャの主要クラブで輝かしい功績を残し、代表チームでも活躍した。
2.1. クラブキャリア
アントニウは1970年代後半にパナシナイコスFCでキャリアをスタートさせた。彼はその攻撃的な才能で注目を集め、チームの中心選手として活躍した。パナシナイコス在籍中には、リーグ優勝4回(1983-84、1985-86、1989-90、1990-91シーズン)とカップ優勝3回(1983-84、1985-86、1988-89シーズン)を含む多くのタイトルを獲得した。
1988年、アントニウはライバルクラブであるオリンピアコスFCへ約2400.00 万 GRDで移籍することで合意に至った。しかし、この移籍はパナシナイコス側が法的措置を講じ、その結果、アントニウがパナシナイコスに復帰するという判決が下された。この状況に対し、アントニウは「死んでもパナシナイコスには戻らない」という強い意志を表明した。結果として、彼は半年間試合に出場できない期間を過ごしたが、その後再びプレーを再開した。1994年、彼はアティナイコスFCに移籍し、そこで選手としてのキャリアを終えた。
2.2. 代表キャリア
アントニウは1984年から1993年にかけて、ギリシャサッカー国家代表チームでプレーした。この期間に、彼は35試合に出場し、3得点を記録した。
2.3. 引退後のキャリア
選手としてのキャリアを終えた後、アントニウは2008年5月に自身が長年所属したパナシナイコスFCにディレクター・オブ・フットボールとして復帰した。しかし、2010年6月には、当時のパナシナイコス会長であるニコラス・パテラスの辞任に伴い、アントニウもその職を辞している。
3. 獲得タイトル
パナシナイコス
- アルファ・エスニキ: 1983-84, 1985-86, 1989-90, 1990-91
- ギリシャカップ: 1983-84, 1985-86, 1987-88, 1988-89, 1990-91, 1992-93, 1993-94
- ギリシャ・スーパーカップ: 1988, 1993