1. 幼少期と背景
ハートの幼少期、学生時代の活動、そして私生活について述べる。
1.1. 幼少期と高校時代
ハートは1982年3月24日にアメリカ合衆国ケンタッキー州ボーリンググリーンで誕生した。グリーンウッド高校では、野球とバスケットボールの両方で選手として活躍した。野球では、クリス・デッカーコーチの指導の下、ほぼ全てのポジションをこなし、主に内野手や救援投手としてもプレーした。バスケットボールではジェイソン・カウチコーチの下で4年間プレーを続けた。彼の背番号はグリーンウッド高校の体育館の天井に永久欠番として掲げられている。
また、アメリカン・レギオン・ベースボールでもプレーし、2011年には同プログラムの「年間最優秀卒業生」に選ばれた。
1.2. 私生活
ハートはクリスチャンであり、妻のクリスティーナとの間に3人の子供がいる。彼は両親のジョンと故ドンナの息子であり、姉のタビサと妹のアリがいる。
彼は、カントリー歌手のガース・ブルックスが主催する子供のための慈善財団に貢献しており、ボーリンググリーンに戻る際には地元の慈善活動に積極的に参加している。自身が野球選手でなければ、教師かコーチになっていただろうと語っている。また、彼はカナダ人ミュージシャンのコリー・ハートと同姓同名だが、自身はエミネムのファンであることを公言している。
2. プロ経歴
ハートのプロとしての道のりは、マイナーリーグでの基礎築きから始まり、メジャーリーグでの輝かしい活躍、そして引退に至るまで、その歩みを追う。
2.1. マイナーリーグ時代
ハートは2000年6月5日に行われたMLBドラフトにおいて、ミルウォーキー・ブルワーズから11巡目(全体321位)で指名され、6月12日に契約してプロ入りした。この年からルーキーリーグのオグデン・ラプターズでプレーを開始し、主に一塁手を務めた(57試合出場)。
2002年には、A+級のハイデザート・マーベリックスとAA級のハンツビル・スターズでプレー。このシーズンは合計で128試合に出場し、打率.283、24本塁打、99打点、出塁率.343、長打率.532、27盗塁と好成績を記録した。しかし、守備面では32失策を犯しており、この守備の問題から外野手へのコンバートが検討された。同年7月7日にはフューチャーズゲームのアメリカチームに選出されたほか、カリフォルニア・リーグのオールスター・チーム(一塁手)にも選出されている。
2003年もAA級で好調を維持し、130試合に出場して打率.302、13本塁打、94打点、OPS.807、25盗塁をマークした。この年も32失策を記録したが、ベースボール・アメリカ誌が選ぶマイナーリーグ・オールスター2ndチーム(三塁手)に選出され、さらにサザン・リーグのMVPに輝くなど、マイナーリーグで順調な成長を見せた。同年9月1日にはサザン・リーグのオールスター(三塁手)に出場した。オフの11月20日にはブルワーズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした。
2004年2月10日にブルワーズと1年契約に合意し、3月16日にAAA級のインディアナポリス・インディアンズへ異動。この年から正式に外野手へコンバートされている。
2005年はAAA級のナッシュビル・サウンズで113試合に出場し、打率.308、出塁率.377、OPS.913、31盗塁を記録した。ここで将来のメジャーリーグでのチームメイトとなるプリンス・フィルダーやJ.J.ハーディと共にプレーした。身長約198cmの選手としては比較的珍しい31盗塁は、その年の彼のスピードを示している。同年7月13日にはパシフィック・コースト・リーグのオールスターに出場。シーズン終了後には同リーグの「ベスト・ベースランナー」に選ばれた。この頃、ハートはブルワーズのトッププロスペクトの一人と見なされていた。
2006年はAAA級で26試合に出場し、打率.320、出塁率.391、OPS.951の好成績を残すと、5月18日以降はメジャーリーグに定着した。
2.2. メジャーリーグ時代
ハートのメジャーリーグでのキャリアは、ミルウォーキー・ブルワーズでの長期間にわたる活躍が中心であり、その後シアトル・マリナーズやピッツバーグ・パイレーツでプレーした。
2.2.1. ミルウォーキー・ブルワーズ時代 (2004-2013)
ハートは2004年5月21日にメジャーへ昇格し、5月25日にロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たした。この試合の四回の裏、代打として登場し、対戦投手の石井一久に空振り三振に仕留められた。
2005年は8月14日にメジャー再昇格し、同日に行われたシンシナティ・レッズ戦では、ジェイソン・スタンリッジからキャリア初安打となるレフトへの3点本塁打を放った。8月23日にはキャリア初のマルチヒットを記録した。
2006年は87試合に出場し、経験を積んだ。このうち10試合で一番打者に抜擢され、8月17日にはキャリア初の先頭打者本塁打を放った。また、9月4日から9月13日にかけて8試合連続安打をマークした。特に9月5日はキャリア初の1試合2本塁打を放ち、6打点、3得点を挙げる活躍を見せた。
2007年のスプリングトレーニングでは、ブルワーズの全選手の中で最も速い60ヤードダッシュを記録した。レギュラーシーズンでは主に一番打者、ないし五番打者として起用され、ブルワーズ球団史上5人目となる「20本塁打・20盗塁」を達成した選手となった。過去にはトミー・ハーパー、ロビン・ヨーント、ジェロミー・バーニッツ、マーキス・グリッソムがこの記録を達成している。同年6月13日から7月6日にかけては、セシル・クーパーが1980年に記録して以来27年ぶりとなる、22試合連続安打を放った(球団史上3番目の長さ)。この年、ハートとシンシナティ・レッズのブランドン・フィリップスが20本塁打・20盗塁・20試合連続安打を達成したが、これは2002年のブラディミール・ゲレーロ以来の快挙であった。このシーズン、彼はリーグ4位の三塁打数、同7位の死球数、同7位の得点圏打率.339を記録した。シーズン終了後、全米野球記者協会による「アンソング・ヒーロー賞」と「グッド・ガイ賞」を受賞した。

2008年は五番打者に定着し、前年より全体的に成績を下げたものの、ブルワーズ球団史上初となる2年連続の20本塁打・20盗塁を達成した。同年4月13日には1試合4安打を放ち、4月21日から5月4日にかけては13試合連続出塁をマークした。4月の月間成績は打率.295、出塁率.358を記録し、5月は打率.306、出塁率.342、OPS.861と好調を維持した。7月15日にはインターネット投票による最終投票で「32番目の男」に選出され、キャリア初のMLBオールスターゲーム出場を果たした(結果は3打数無安打1三振)。後半戦は打率.239、OPS.659と失速したが、8月24日から9月5日にかけては11試合連続安打を放った。シーズン通算の二塁打数はリーグ3位を記録し、マルチヒットは47回を数えた。同年8月30日にはピッツバーグ・パイレーツ戦でブルワーズ史上初の2年連続20本塁打・20盗塁を達成した選手となった。2008年には、打席でエラーによって出塁した回数が14回と、ナショナルリーグのどの打者よりも多かった。10月1日から行われたナショナルリーグ・ディビジョンシリーズでは4試合に出場したが、14打数3安打、打率.231、出塁率.333、長打率.231と振るわず、チームもフィラデルフィア・フィリーズに1勝3敗で敗れた。
2009年はスプリングトレーニングで打率.351、7本塁打と好調な成績を残し、当時のケン・モッカ監督から「今シーズン、最高の成績を残すと思った」と高い評価を受けた。しかし、シーズン開幕後、8月2日にシーフード料理にあたり虫垂炎の手術を受けたことで、復帰まで40日を要した。最終的には115試合の出場にとどまり、打率.260、12本塁打、48打点、11盗塁と、レギュラー定着後では自己最低の数字に終わった。その影響もあり、シーズンオフにはニューヨーク・メッツのジョン・メイン投手とのトレードも噂されたが、実現には至らなかった。
2010年は一転して調子を取り戻し、オールスターゲームに選出されただけでなく、前夜祭であるホームランダービーにも出場した。このシーズンは打率.283、キャリアハイの31本塁打、102打点を記録し、ブルワーズのレギュラー右翼手として活躍した。ライアン・ブラウン、プリンス・フィルダー、リッキー・ウィークス、ケイシー・マギーと共に、ブルワーズはMLBでトップクラスの打線を誇った。
2011年5月23日には、1試合3本塁打7打点というブルワーズの球団記録に並んだ。この年も打率.285、26本塁打、63打点、出塁率.386、OPS.866と生産的なシーズンを送った。本塁打と打点が減少したのは、シーズン最初の1ヶ月を負傷で欠場したことと、7月に打順が一番打者に変更されたことで打点機会が限られたためである。プレーオフでもレギュラーシーズンでの成功を受け、一番打者を務めた。
2012年はブルワーズのレギュラー右翼手としてシーズンを開始したが、マット・ギャメルとトラビス・イシカワの一塁手の負傷により、ハートはレギュラーの一塁手に転向し、成功を収めた。一塁手として100試合以上に出場し、守備率.995を記録した。打撃面でも打率.270、30本塁打、83打点と好成績を残した。
2013年1月に左膝の手術を受け、シーズン全体を欠場した。同年10月31日にフリーエージェント(FA)となった。
2.2.2. シアトル・マリナーズ時代 (2014)

2013年12月11日、ハートはシアトル・マリナーズと1年契約で合意したことが報じられ、12月13日に球団が正式発表した。この契約は、基本給600.00 万 USDと、最大700.00 万 USDの出来高が含まれていた。
2014年は開幕ロースター入りを果たしたが、5月20日に左ハムストリングの故障で15日間の故障者リスト入りした。7月4日に復帰したが、8月2日に右膝の故障で再び15日間の故障者リスト入りし、9月1日に復帰した。前年に1年間離脱するまで、2度の30本塁打以上を含む3年連続25本塁打以上を放っていたため、チームから期待されて迎えられた。しかし、度重なる故障の影響で68試合の出場にとどまり、打撃も不振が重なり、打率.203、6本塁打、21打点、2盗塁という不本意な成績に終わった。同年9月29日にDFA(Designated for Assignment)となり、10月6日にFAとなった。
2.2.3. ピッツバーグ・パイレーツ時代 (2015)
2014年12月19日、ピッツバーグ・パイレーツと1年契約を結んだ。この契約は、基本給250.00 万 USDに加えて出来高が含まれており、350打席、375打席、400打席、425打席に到達するごとに25.00 万 USD、さらに450打席、475打席、500打席、525打席、550打席に到達するごとに30.00 万 USDを獲得できる内容だった。
2015年11月2日にFAとなり、このシーズンをもってプロ野球選手としてのキャリアを終えた。
2.3. 引退
2017年6月27日、ハートはミルウォーキー・ブルワーズの選手として正式にメジャーリーグから引退することが発表された。同年6月30日にはミラー・パークで行われた式典で、球場のウォール・オブ・オナーに彼の功績を称えるプレートが設置された。
オールスターに2度選出されたハートは、メジャーリーグでの11シーズン中9シーズンをブルワーズで過ごし、945試合に出場して打率.276、154本塁打、508打点、83盗塁を記録した。ブルワーズでの20本塁打シーズンは5度あり、これは球団史上3位タイの記録である。ブルワーズのユニフォームで2,000打席以上を記録した38選手の中で、彼の長打率.491は球団史上6位にランクされている。
3. プレースタイル
コーリー・ハートは、スピードとパワーを兼ね備えた大型アスリートであった。彼は2007年と2008年に、ブルワーズ球団史上初となる2年連続の「20本塁打・20盗塁」を達成している。右方向にも長打を打つ技術に優れ、2006年から2008年の3年間における得点圏打率は.301を記録するなど、勝負強さも持ち合わせていた。
彼の守備範囲は広く、中堅手も守れるだけの守備力を持っていたため、打撃が不調な時でもチームの勝利に貢献できる選手であった。この点は、当時のブルワーズの顔であったプリンス・フィルダーやライアン・ブラウンよりも優れていると評された。
しかし、彼の欠点としては四球を選べないことが挙げられ、「選球眼に磨きをかければ、真の強打者になれる」という意見もあった。元ブルワーズ監督のネッド・ヨストは、ハートの能力を高く評価し、「必ず30本塁打・30盗塁を達成する」と予言していた。
マイナーリーグでの7年間における通算成績は、打率.299、出塁率.357、OPS.855、131盗塁(成功率78パーセント)であった。
4. 主要な業績と受賞
- MLBオールスターゲーム選出 2回(2008年、2010年)
- ホームランダービー出場 1回(2010年)
- サザン・リーグ MVP (2003年)
- フューチャーズゲーム選出 (2002年)
- カリフォルニア・リーグオールスター・チーム(一塁手)選出 (2002年)
- パシフィック・コースト・リーグオールスター選出 (2005年)
- パシフィック・コースト・リーグ「ベスト・ベースランナー」選出 (2005年)
- 全米野球記者協会「アンソング・ヒーロー賞」 (2007年)
- 全米野球記者協会「グッド・ガイ賞」 (2007年)
- ミルウォーキー・ブルワーズ球団史上初の20本塁打・20盗塁達成 (2007年)
- ミルウォーキー・ブルワーズ球団史上初の2年連続20本塁打・20盗塁達成 (2008年)
- ミルウォーキー・ブルワーズ球団記録タイ:1試合3本塁打7打点 (2011年)
- ミルウォーキー・ブルワーズ・ウォール・オブ・オナー殿堂入り (2017年)
5. 年度別成績
年 | 所属球団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | MIL | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2005 | 21 | 63 | 57 | 9 | 11 | 2 | 1 | 2 | 21 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 11 | 6 | .193 | .270 | .368 | .638 | |
2006 | 87 | 256 | 237 | 32 | 67 | 13 | 2 | 9 | 111 | 33 | 5 | 8 | 0 | 2 | 17 | 1 | 0 | 58 | 7 | .283 | .328 | .468 | .796 | |
2007 | 140 | 566 | 505 | 86 | 149 | 33 | 9 | 24 | 272 | 81 | 23 | 7 | 5 | 7 | 36 | 3 | 13 | 99 | 6 | .295 | .353 | .539 | .892 | |
2008 | 157 | 657 | 612 | 76 | 164 | 45 | 6 | 20 | 281 | 91 | 23 | 7 | 4 | 9 | 27 | 2 | 5 | 109 | 17 | .268 | .300 | .459 | .759 | |
2009 | 115 | 472 | 419 | 64 | 109 | 24 | 3 | 12 | 175 | 48 | 11 | 6 | 1 | 3 | 43 | 0 | 6 | 92 | 9 | .260 | .335 | .418 | .753 | |
2010 | 145 | 614 | 558 | 91 | 158 | 34 | 4 | 31 | 293 | 102 | 7 | 6 | 0 | 5 | 45 | 2 | 6 | 140 | 14 | .283 | .340 | .525 | .865 | |
2011 | 130 | 551 | 492 | 80 | 140 | 25 | 4 | 26 | 251 | 63 | 7 | 6 | 3 | 1 | 51 | 1 | 4 | 114 | 12 | .285 | .356 | .510 | .866 | |
2012 | 149 | 622 | 562 | 91 | 152 | 35 | 4 | 30 | 285 | 83 | 5 | 0 | 2 | 3 | 44 | 5 | 11 | 151 | 13 | .270 | .334 | .507 | .841 | |
2014 | SEA | 68 | 255 | 232 | 17 | 47 | 9 | 0 | 6 | 74 | 21 | 2 | 0 | 0 | 1 | 16 | 1 | 6 | 59 | 1 | .203 | .271 | .319 | .590 |
2015 | PIT | 35 | 57 | 54 | 3 | 12 | 1 | 0 | 2 | 19 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | 19 | 5 | .222 | .246 | .352 | .597 |
通算:11年 | 1048 | 4114 | 3729 | 549 | 1009 | 221 | 33 | 162 | 1782 | 538 | 85 | 40 | 15 | 32 | 286 | 16 | 52 | 853 | 90 | .271 | .329 | .478 | .806 |