1. 生い立ち
ジャクリーヌ・デュ・ビエフは、1930年12月4日にフランスのパリで生まれた。
2. フィギュアスケート競技歴
ジャクリーヌ・デュ・ビエフは、女子シングルとペアの両方でアマチュア選手として活躍した。彼女は「De Glace Club Paris」と「Français Volants Paris」という2つのスケートクラブに所属していた。
2.1. 女子シングル
女子シングルはデュ・ビエフの主な競技種目であり、この種目で数々の輝かしい成績を収めた。特に1952年は彼女のキャリアの頂点であり、オスロオリンピックで銅メダルを獲得し、その後パリで開催された世界フィギュアスケート選手権で優勝した。この世界選手権での優勝は、フランスの女子シングル選手として初の快挙であり、歴史に名を刻むものとなった。また、欧州フィギュアスケート選手権では1950年に銅メダル、1951年と1952年には銀メダルを獲得している。国内では、1947年から1952年まで6年連続でフランス選手権の女子シングルタイトルを獲得し、その国内での強さを示した。
2.2. ペア
デュ・ビエフはトニー・フォンとペアを組み、ペアスケート競技にも出場した。彼らは1950年と1951年のフランス選手権で優勝し、国内のペア部門でも優れた成績を収めた。
3. 主な競技会成績
ジャクリーヌ・デュ・ビエフの主要な国際および国内大会における成績は以下の通りである。
3.1. オリンピック
デュ・ビエフは2度の冬季オリンピックに出場した。
- 1948年サンモリッツオリンピックでは16位。
- 1952年オスロオリンピックでは女子シングルで銅メダルを獲得した。
イベント | 1948 | 1952 |
---|---|---|
冬季オリンピック | 16位 | 3位 |
3.2. 世界選手権
デュ・ビエフは世界フィギュアスケート選手権に複数回出場し、特に1952年には女子シングルで金メダルを獲得した。
- 1948年大会では18位。
- 1949年大会では9位。
- 1950年大会では6位。
- 1951年ミラノ大会では銀メダルを獲得。
- 1952年パリ大会では金メダルを獲得し、世界チャンピオンとなった。
イベント | 1948 | 1949 | 1950 | 1951 | 1952 |
---|---|---|---|---|---|
世界選手権 | 18位 | 9位 | 6位 | 2位 | 1位 |
3.3. 欧州選手権
デュ・ビエフは欧州フィギュアスケート選手権で3つのメダルを獲得した。
- 1949年大会では7位。
- 1950年オスロ大会では銅メダルを獲得。
- 1951年チューリッヒ大会では銀メダルを獲得。
- 1952年ウィーン大会では2年連続で銀メダルを獲得した。
イベント | 1949 | 1950 | 1951 | 1952 |
---|---|---|---|---|
欧州選手権 | 7位 | 3位 | 2位 | 2位 |
3.4. フランス選手権
国内大会であるフランス選手権では、女子シングルとペアの両方で圧倒的な強さを見せた。
- 女子シングル: 1947年から1952年まで6年連続で優勝した。
イベント | 1947 | 1948 | 1949 | 1950 | 1951 | 1952 |
---|---|---|---|---|---|---|
フランス選手権 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 | 1位 |
- ペア(トニー・フォンと): 1950年と1951年に優勝した。
イベント | 1950 | 1951 |
---|---|---|
フランス選手権 | 1位 | 1位 |
4. プロフェッショナルキャリア
1952年にアマチュア競技から引退した後、ジャクリーヌ・デュ・ビエフはプロのフィギュアスケート選手として活動を開始した。彼女は1952年から1964年までの間、アイス・カペーズ、ハリウッド・アイスレビューズ、スカーラ・アイスレビューなど、世界各地の様々なアイスショーに出演し、その才能を披露した。
5. 評価と功績
ジャクリーヌ・デュ・ビエフは、フランスのフィギュアスケート界において重要な功績を残した選手として高く評価されている。特に、1952年の世界フィギュアスケート選手権女子シングルでの優勝は、フランス人女子選手として史上初の快挙であり、この分野におけるフランスの地位を確立する上で大きな貢献を果たした。また、オスロオリンピックでの銅メダル獲得や、欧州選手権での複数回のメダル獲得、そしてフランス選手権での長きにわたる支配は、彼女の卓越した技術と安定した実力を物語っている。アマチュア引退後もプロとして活躍し、その優雅な演技で多くの観客を魅了し続けた。