1. 生涯とアマチュア時代
ジャレット・ライトは、幼少期から学生時代を経てプロ入りするまでの期間に、野球とアメリカンフットボールの両方で優れた才能を示した。
1.1. 幼少期と教育
ジャレット・サミュエル・ライトは1975年12月29日にカリフォルニア州アナハイムで生まれた。父親は元プロ野球選手のクライド・ライトで、彼自身もMLBで9シーズン、さらにNPBの読売ジャイアンツでも3シーズンにわたり投手として活躍した経歴を持つ。
ライトはアナハイムのカテラ高等学校を卒業した。高校時代は野球だけでなく、アメリカンフットボールでもクォーターバックとラインバッカーとしてプレーし、その多才ぶりを発揮した。彼はリーグのMVPに選ばれ、オレンジ郡の高校最優秀選手にも輝いた。
q=Anaheim, California|position=right
1.2. プロドラフト
1994年のMLBドラフトにおいて、クリーブランド・インディアンスから1巡目(全体10位)で指名され、プロ入りを果たした。ドラフト当時、ライトは『ベースボール・アメリカ』誌の有望株ランキングで22位に位置付けられており、クリーブランド球団も彼を組織内トップクラスの有望株の一人として常々言及していた。
2. プロ経歴
ジャレット・ライトのプロ野球選手としてのキャリアは、マイナーリーグでの研鑽から始まり、MLBでの鮮烈なデビュー、度重なる負傷との闘い、そしてコーチとしての新たな挑戦へと続いた。
2.1. マイナーリーグ時代
1994年のMLBドラフトで指名された後、ライトはルーキーリーグのアパラチアンリーグに所属するバーリントン・インディアンスでプロとしてのキャリアをスタートさせた。18歳だったこの年、彼は4試合に先発し、防御率5.40を記録した。
1995年にはクラスAのサウスアトランティックリーグに所属するコロンバス・レッドスティックスに進み、24試合で5勝6敗、防御率3.00の成績を残した。1996年には「ハイA」のカロライナリーグに所属するキンストン・インディアンスに昇格し、19試合の先発で7勝4敗、防御率2.50を記録した。
翌1997年はライトにとって飛躍の年となった。彼はまずダブルAのイースタンリーグに所属するアクロン・エアロスでプレーし、3勝3敗、防御率3.67の成績を残した。その後すぐにトリプルAのバッファロー・バイソンズに昇格すると、7試合の先発で4勝1敗、防御率1.80という素晴らしい成績を記録した。特に6月3日には、インディアナポリス・インディアンスを相手に7イニングを2安打無失点に抑える完封勝利を挙げ、これが彼をメジャーリーグ昇格へと導く決定打となった。
2.2. メジャーリーグ時代
クリーブランド・インディアンスでメジャーデビューを果たしたライトは、その後も複数の球団でプレーしながら、輝かしい活躍と度重なる負傷との戦いを経験した。
2.2.1. クリーブランド・インディアンス時代 (1997-2002)
1997年、ライトはクリーブランド・インディアンスでMLBデビューを果たした。6月24日のミネソタ・ツインズ戦でメジャー初登板初先発を飾り、初勝利を挙げた。彼はすぐに成功を収め、この年16試合の先発で8勝3敗、防御率4.38を記録し、先発ローテーションに定着した。ポストシーズンでも効果的な投球を見せ、特に1997年のワールドシリーズでは、より経験豊富なチャールズ・ネイジーを差し置いて、優勝決定戦となった第7戦を含む2試合に先発登板した。第4戦では6イニングを3失点で勝利投手となり、第7戦では6回1/3を1失点に抑え、2対1のリードで降板したが、チームは延長11回で敗れ、ワールドシリーズ制覇はならなかった。このシーズン、ライトはアメリカンリーグの新人王投票で5位に入った。
1998年には初の二桁勝利となる12勝10敗、防御率4.72を記録した。しかし、1999年には肩と背中の痛みに悩まされ、2度の故障者リスト入りを経験し、26試合の先発で8勝10敗、防御率6.06という成績に終わった。この負傷は2度の手術を必要とし、その後の3シーズンの一部を棒に振ることになった。
2000年には肩の手術を受け、9試合の登板で3勝にとどまった。2001年には春に肘の手術、秋に2回目の肩の手術を受け、7試合の登板で2勝にとどまった。
2002年には8試合に登板(うち6試合先発)し、2勝3敗、防御率15.71と成績は振るわず、10月12日にインディアンスから自由契約となった。
2.2.2. サンディエゴ・パドレスおよびアトランタ・ブレーブス時代 (2003-2004)
2002年12月10日、ジャレット・ライトはサンディエゴ・パドレスと契約した。2003年には中継ぎ投手として39試合に登板したが、防御率は8点台と振るわず、同年8月29日にウェイバー公示を経てアトランタ・ブレーブスに移籍した。
ブレーブスでは、数多くの投手を育成し「再生工場」として名高い投手コーチのレオ・マゾーニーの指導の下、大復活を遂げた。移籍後、彼は11試合中10試合で無失点に抑え、1勝0敗、防御率2.00を記録し、翌シーズンには再び先発投手として起用されることになった。
2004年シーズンは、トミー・ジョン手術からのリハビリに時間を要していた投手ポール・バードの代わりに、腕の強さを戻すためにマイナーリーグで調整を始めたが、すぐにブレーブスに昇格した。この年、ライトはブレーブスで最高の投手となり、32試合の先発でキャリアハイとなる15勝8敗、防御率3.28という好成績を収めた。彼は186.1イニングで159奪三振を記録した。同年10月28日にFAとなり、ブレーブスを退団した。
2.2.3. ニューヨーク・ヤンキース時代 (2005-2006)
2004年12月28日、ジャレット・ライトはニューヨーク・ヤンキースと3年総額2100.00 万 USDの契約を結んだ。ヤンキース移籍後も再び怪我に悩まされることがあったものの、2005年には5勝、2006年には11勝を挙げた。
2.2.4. ボルチモア・オリオールズ時代 (2007)
2006年11月12日、ライトはクリス・ブリットンと金銭(400.00 万 USD)とのトレードでボルチモア・オリオールズに移籍した。オリオールズはライトの残りの契約である700.00 万 USDのうち、300.00 万 USDのみを負担することになった。
2007年には再びレオ・マゾーニーの指導を受けることになったが、肩の問題が再発し、2度にわたり故障者リスト入りした。4月には3度の先発登板をしたが、いずれも5イニング未満で、全敗し防御率6.97に終わった。9月にリハビリ登板を開始したが、3試合の登板後にチームを離れ、シーズンを終えた。同年10月1日、オリオールズから自由契約となり、この年限りで現役を引退した。
キャリア全体を通じて、彼の才能は毎年二桁勝利を期待できるレベルであったが、1999年に肩を負傷して以降、度重なる故障に悩まされ続けたため、二桁勝利はわずか3回にとどまった。
2.2.5. MLB引退後
2008年1月23日、ジャレット・ライトはピッツバーグ・パイレーツとマイナーリーグ契約を結び、スプリングトレーニングに招待された。しかし、スプリングトレーニング終了時にマイナーリーグへの降格を拒否し、自由契約を選択した。その後、彼はどの球団とも契約することなく、再びプロとしてプレーすることはなかった。
2.3. コーチ経歴
選手引退後の2023年1月、ジャレット・ライトはフロンティアリーグに所属するウィンディシティ・サンダーボルツの投手コーチに就任した。これは彼にとって初のプロフェッショナルな指導経験である。
3. 投球スタイル
ジャレット・ライトの投球スタイルは、主に球速が140 km/h台後半に達するツーシームのストレートとカーブを武器としていた。これに加えて、チェンジアップやカットボールも操る。また、彼のフォーシームのストレートは最高で150 km/hを超えることもあった。
4. 成績と記録
ジャレット・ライトの選手としてのキャリアにおける主要な統計記録、および背番号を以下に示す。
4.1. 年度別投手成績
年 | 所属球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | CLE | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | - | .727 | 388 | 90.1 | 81 | 9 | 35 | 0 | 5 | 63 | 1 | 0 | 45 | 44 | 4.38 | 1.28 |
1998 | CLE | 32 | 32 | 1 | 1 | 0 | 12 | 10 | 0 | - | .545 | 855 | 192.2 | 207 | 22 | 87 | 4 | 11 | 140 | 6 | 0 | 109 | 101 | 4.72 | 1.53 |
1999 | CLE | 26 | 26 | 0 | 0 | 0 | 8 | 10 | 0 | 0 | .444 | 609 | 133.2 | 144 | 18 | 77 | 1 | 7 | 91 | 4 | 0 | 99 | 90 | 6.06 | 1.65 |
2000 | CLE | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 217 | 51.1 | 44 | 6 | 28 | 0 | 1 | 36 | 2 | 0 | 27 | 27 | 4.70 | 1.39 |
2001 | CLE | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 140 | 29.0 | 36 | 2 | 22 | 0 | 0 | 18 | 1 | 1 | 22 | 21 | 6.52 | 2.00 |
2002 | CLE | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | .400 | 116 | 18.1 | 40 | 3 | 19 | 0 | 2 | 12 | 1 | 0 | 34 | 32 | 15.71 | 3.22 |
2003 | SD | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 1 | .167 | 233 | 47.1 | 69 | 9 | 28 | 2 | 2 | 41 | 10 | 0 | 44 | 44 | 8.37 | 2.05 |
2003 | ATL | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 36 | 9.0 | 7 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 2 | 0 | 2 | 2 | 2.00 | 1.11 |
2003年計 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 2 | 4 | .286 | 269 | 56.1 | 76 | 9 | 31 | 2 | 3 | 50 | 12 | 0 | 46 | 46 | 7.35 | 1.90 | |
2004 | ATL | 32 | 32 | 0 | 0 | 0 | 15 | 8 | 0 | 0 | .652 | 781 | 186.1 | 168 | 11 | 70 | 5 | 3 | 159 | 3 | 0 | 79 | 68 | 3.28 | 1.28 |
2005 | NYY | 13 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | 0 | .500 | 302 | 63.2 | 81 | 8 | 32 | 1 | 6 | 34 | 4 | 0 | 51 | 43 | 6.08 | 1.78 |
2006 | NYY | 30 | 27 | 0 | 0 | 0 | 11 | 7 | 0 | 1 | .611 | 625 | 140.1 | 157 | 10 | 57 | 0 | 7 | 84 | 6 | 0 | 76 | 70 | 4.49 | 1.53 |
2007 | BAL | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 48 | 10.1 | 12 | 1 | 9 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 11 | 8 | 6.97 | 2.03 |
通算:11年 | 226 | 171 | 2 | 2 | 0 | 68 | 60 | 2 | 5 | .531 | 4350 | 972.2 | 1046 | 99 | 467 | 13 | 45 | 694 | 40 | 1 | 599 | 550 | 5.09 | 1.56 |
4.2. 背番号
- 27(1997年 - 2002年、2003年途中 - 2004年、2007年)
- 21(2003年 - 同年途中)
- 33(2005年)
- 34(2006年)