1. 生涯
ジュゼッペ・デ・サンクティスは、ナポリに生まれ、芸術への情熱と教育の機会に恵まれた環境で育ち、その後の国際的な活動や国内での貢献を通じて、多岐にわたる芸術的キャリアを築いた。
1.1. 幼少期と教育
ジュゼッペ・デ・サンクティスは1858年6月21日にナポリで生まれた。彼の父親であるチェーザレは、音楽、芸術、演劇を愛する実業家であった。チェーザレは作曲家のジュゼッペ・ヴェルディの親しい友人としても知られ、ヴェルディはジュゼッペの洗礼にも立ち会った。多くの画家志望者とは異なり、ジュゼッペは父親の影響を受け、家族から画家になるという希望を積極的に奨励された。1872年にはナポリ美術アカデミーに入学し、そこでドメニコ・モレリ、フィリッポ・パリッチ、ジョアッキーノ・トーマといった著名な画家たちから指導を受け、基礎を固めた。
1.2. 初期活動と海外滞在
アカデミーを卒業した後、デ・サンクティスは海外へと渡り、ロンドンやパリで活動した。パリでは、師であるドメニコ・モレリの推薦もあり、当時ヨーロッパ有数の美術商であったグーピル商会のために作品を制作した。この時期に彼は一連の女性の肖像画(多くは同じモデルを用いて描かれた)を手がけ、これらは現在、彼の最もよく知られた作品群となっている。また、パリではジャン=レオン・ジェロームのもとで研鑽を積み、同時代の画家であるパスカル・ダニャン=ブーベレからも影響を受けた。
2. 主要な芸術活動
ジュゼッペ・デ・サンクティスは、国内外で積極的に芸術活動を展開し、国際的な名声を得るとともに、イタリア国内の芸術界の発展にも大きく貢献した。彼の後期作品には、多様な主題と様式の探求が見られる。
2.1. 国際的な活動と評価
デ・サンクティスは、1882年から1917年までナポリの展覧会に定期的に参加し、その活動は国内外に及んだ。彼は1890年と1899年にはパリのサロンにも出展し、国際的な評価を獲得した。特に、1886年にパレルモの展覧会に出品された彼の絵画『ビザンチウムでの夕べの祈り(La preghiera della sera a Bisanzioラ・プレギエラ・デッラ・セーラ・ア・ビザンツィオイタリア語)』は銀メダルを受賞し、イタリア国王ウンベルト1世に購入されたことで、彼の名声は一層高まった。
2.2. 国内での活動と芸術団体への貢献
デ・サンクティスは、イタリア国内の芸術界においても中心的な役割を果たした。1890年には「ナポリ芸術サークル(Circolo artistico di Napoliイタリア語)」の設立に携わった。同年、彼は有名なカフェ・ガンブリヌスの装飾を手がける画家の1人に選ばれた。1895年以降はヴェネツィア・ビエンナーレに関わり、1903年と1905年にはその企画委員を務めた。また、1901年にはかつての師であるドメニコ・モレリの後任としてナポリ美術アカデミーの教職に就き、後にエッチングおよび版画部門の教授に任命され、後進の育成にも尽力した。
2.3. 後期の作品傾向
晩年になると、デ・サンクティスの作品は主題の多様化を見せた。彼は主にフランスを主題とした風景画を描くことが多かったが、同時にサヴォイア家の王室人物の肖像画も多数手掛けた。この時期の作品は、彼の技量の幅広さと、様々な依頼に対応する能力を示している。
3. 芸術的特徴と主要作品
ジュゼッペ・デ・サンクティスの芸術は、その写実的な描写と光の扱いが特徴である。彼は特に肖像画と都市景観画に長け、人々の日常生活や都市の情景を情感豊かに捉えた。
彼の多岐にわたる作品は、当時のイタリア画壇における彼の重要な位置を示している。
3.1. 代表作品

デ・サンクティスは、人物の情感を捉えることに優れ、特に女性の肖像画や室内情景を多く描いた。彼の代表作には、歴史上の人物を描いたものや、日常生活の一コマを切り取った作品が含まれる。


また、彼は市場の賑わいや季節の移ろいといった、より広い主題も手掛けた。これらの作品は、細部へのこだわりと、光の効果的な使用によって、見る者に深い印象を与える。


さらに、デ・サンクティスの作品は、その多様な表現力で知られる。鮮やかな色彩で描かれた人物画から、特定の都市の情景、あるいは自然の風景まで、幅広いジャンルに挑戦し、それぞれで彼の熟練した技術が光る。


晩年においては、森の風景画や、特定のテーマに基づいた象徴的な作品も手がけた。これらの作品群は、彼の芸術的探求の深さと、時間の経過とともに変化する作風の一端を示している。


4. 死去
ジュゼッペ・デ・サンクティスは1924年6月18日に、生まれ故郷であるナポリで死去した。享年65歳であった。
5. 評価と遺産
ジュゼッペ・デ・サンクティスは、ナポリ画壇において重要な位置を占め、その写実的な技法と多様な主題の追求は、当時のイタリア絵画に貢献した。特に、ナポリ美術アカデミーでの教職を通じて、彼は後進の芸術家たちに多大な影響を与え、芸術教育の発展に寄与した。また、ナポリ芸術サークルの設立やカフェ・ガンブリヌスの装飾、ヴェネツィア・ビエンナーレの企画委員としての活動は、彼が単なる画家にとどまらず、ナポリおよびイタリア全体の芸術振興に深く関わっていたことを示している。彼の作品は、当時の社会情勢や文化を映し出す貴重な史料としても評価されており、イタリア絵画史における彼の足跡は後世に受け継がれている。