1. 生涯と背景
ジョン・ベイルは1974年5月22日にアメリカ合衆国メリーランド州で生まれ、高校・大学時代に野球選手としての才能を開花させ、その後MLBドラフトでプロ入りを果たした。
1.1. 高校・大学時代
フロリダ州クレストビューのクレストビュー高校を卒業し、最終学年時には野球で11勝2敗、防御率0.38の成績を収め、オールステートに選出された。その功績を称え、2012年にはクレストビュー高校スポーツ殿堂入りを果たしている。
その後、南ミシシッピ大学に進学し、ジュニアイヤーには9勝8敗、防御率4.01の成績を残した。
1.2. ドラフトと契約
1994年のMLBドラフトではセントルイス・カージナルスから12巡目で指名されたが、契約には至らなかった。
1996年には再びMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから5巡目(全体129位)で指名され、入団した。
2. プロ野球経歴
ジョン・ベイルは、MLBとNPB、そして独立リーグで多様なキャリアを築いた。
2.1. マイナーリーグ時代
1996年にトロント・ブルージェイズ傘下のシングルAチームであるセントキャサリンズ・ストンパーズでプロデビューし、8試合の先発登板で3勝2敗、防御率4.86を記録した。1997年には同じくシングルAのヘイガーズタウン・サンズで25試合に先発し、7勝7敗、防御率4.30の成績を残した。
1998年、シングルAのダニーデン・ブルージェイズでリリーフに転向し、24試合(9先発)で4勝4敗4セーブ、防御率4.64を記録。また、ダブルAのノックスビル・スモーキーズでも3試合に登板し、防御率6.75だった。1999年シーズンは主にマイナーリーグで過ごし、ダブルAノックスビルとトリプルAのシラキュース・スカイチーフスで合わせて39試合(8先発)に登板し、2勝5敗1セーブ、防御率3.81を記録した。
2000年にはトリプルAシラキュースで12試合に先発を含む21試合に登板し、3勝4敗、防御率3.19の成績を残した。2002年にはニューヨーク・メッツ傘下のトリプルAノーフォーク・タイズで12試合(2先発)に登板し、2勝2敗、防御率3.54を記録した。2003年もノーフォークでシーズンを開始し、8試合で0勝1敗、防御率3.29だった。
2011年にはデトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだが、開幕前に契約解除となった。
2.2. メジャーリーグベースボール (MLB) 経歴
ベイルは1999年にMLBデビューを果たし、その後複数の球団を渡り歩いた。
2.2.1. トロント・ブルージェイズ
1999年9月30日、クリーブランド・インディアンス戦でメジャーリーグデビューを果たした。この試合では2イニングを投げ、2安打2四球3失点だった。2000年にはブルージェイズで2試合に登板し、防御率14.73を記録した。
2.2.2. ボルチモア・オリオールズ
2000年12月11日、ブルージェイズからボルチモア・オリオールズへジェイソン・ワースとのトレードで移籍した。2001年シーズンはオリオールズで唯一のシーズンとなり、14試合の救援登板で1勝0敗、防御率3.04の成績を残した。
2.2.3. ニューヨーク・メッツ組織
2002年3月31日にオリオールズから戦力外となり、4月3日にゲイリー・マシューズ・ジュニアとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍した。メッツではメジャーリーグでの出場機会はなかった。
2.2.4. シンシナティ・レッズ
2003年5月8日、フリーエージェントとしてシンシナティ・レッズと契約した。8月3日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でレッズでの初登板を果たし、2イニングを投げ1失点、3奪三振を記録した。この試合以降、シーズン残りの期間は先発ローテーションに加わった。8月8日のメジャーリーグ初先発では、4.2イニングを無失点に抑え、5安打2四球を許しながらも勝敗は付かなかった。8月13日にはキャリアベストの投球を見せ、6イニングを3安打無失点に抑え、キャリアハイの9奪三振を記録したが、再び勝敗は付かなかった。レッズでは10試合(9先発)に登板し、1勝2敗、防御率4.47、46.1イニングで37奪三振を記録した。2003年12月10日、レッズはベイルをウェーバー公示し、その契約を日本の広島東洋カープに売却した。
2.2.5. カンザスシティ・ロイヤルズ
2006年12月8日、カンザスシティ・ロイヤルズと2年契約を結び、MLBに復帰することが発表された。2007年はロイヤルズで26試合全てにリリーフ登板し、1勝1敗、防御率4.05を記録した。
2008年シーズンは、好調なスプリングトレーニングを経てロイヤルズの先発ローテーション入りを果たした。ロイヤルズのトレイ・ヒルマン監督は3月25日に「ベイルはそれを勝ち取った。ジョニーはスプリングトレーニングを通して素晴らしかった。時折打たれることもあったが、ほぼ初日から3つの球種をコントロールしていた」と述べた。しかし、最初の3先発で0勝3敗、防御率7.63と振るわず、4月17日に左肩の疲労のため故障者リスト入りした。
2008年5月、肩の故障者リストに入っていたにもかかわらず、ベイルは滞在していたホテルのドアを殴り、左手(投球する手)を骨折するという奇妙な事件を起こした。後に彼はこの行動を謝罪し、「フラストレーションの瞬間だった」と述べた。ロイヤルズのマイナーリーグ組織でリハビリを行った後、9月1日のロースター拡大に伴い復帰した。復帰後はブルペンでの役割を与えられ、最後の10登板では無失点に抑えた。2008年シーズン全体では、ロイヤルズで13試合(3先発)に登板し、0勝3敗、防御率4.39を記録した。2008年12月16日、ベイルは2009年シーズンに向けてロイヤルズと1年契約を結んだ。
2009年6月24日のヒューストン・アストロズ戦で、延長11回を完璧に抑え、キャリア唯一となるMLB初セーブを記録した。ロイヤルズでの43試合の救援登板で、0勝1敗1セーブ、防御率5.72だった。2009年12月10日、ロイヤルズから戦力外通告を受け、フリーエージェントとなった。
2.3. 日本プロ野球 (NPB) 経歴
ベイルは日本プロ野球の広島東洋カープで2度にわたる在籍期間を経験した。
2.3.1. 広島東洋カープ(第1期)
2004年に広島東洋カープへ入団。シーズン開幕から先発ローテーションの一角を担い、11勝を挙げる活躍を見せた。この年、5月にはJA全農Go・Go賞(最多奪三振賞)を受賞している。2005年にはその高い奪三振率を買われ、抑えに転向。51試合の救援登板で2勝1敗24セーブ、防御率3.19を記録し、チームの守護神として活躍した。
2006年も開幕直後は守護神としてプレーしていたが、5月13日の千葉ロッテマリーンズ戦で大塚明への投球中に雨で足を滑らせ、左足内転筋を負傷した。この負傷により永川勝浩が代わりに守護神を務めることになった。怪我からの復帰後は再び先発に転向し、まずまずの成績を残したが、長期離脱と高額な年俸(約100.00 万 USD)がネックとなり、10月18日に戦力外通告を受けた。
2.3.2. 広島東洋カープ(第2期)
2010年2月19日、ベイルの妻から古巣である広島東洋カープに復帰の打診があり、球団はベイルの左打者に対する高い奪三振率を評価し、再契約が決定した。このシーズンは主に中継ぎとして登板し、一時は抑えも務めたが、安定感を欠き、後半戦は二軍暮らしとなり、1シーズンで退団となった。
2.4. デトロイト・タイガース
2010年12月1日、デトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだが、2011年3月25日に契約を解除された。
2.5. 独立リーグ経歴
2.6. カムデン・リバーシャークス
2011年4月14日、独立リーグのアトランティックリーグに所属するカムデン・リバーシャークスと契約した。カムデンでは52試合(1先発)に登板し、1勝2敗4セーブ、防御率2.35を記録。61.1イニングで50奪三振を奪った。
3. 選手としての特徴
ジョン・ベイルは、その投球スタイルと人間性でファンに親しまれた。
3.1. 投球スタイルと球種
ベイルは上手投げとサイドスローを併用する変則的な投球フォームが特徴だった。変化量の大きなカーブ、チェンジアップ、スライダーなどの多彩な変化球を内外角に投げ分けるスタイルで打者を翻弄した。広島東洋カープ在籍時には、外国人左腕投手として初めて白星を挙げた選手でもある。2004年から2006年の広島在籍中には最速で150 km/hを超える速球を投げていたが、2010年に復帰した際には140 km/h前後に落ち着いていた。
3.2. 人物像とエピソード
端正な顔立ちで、トロント・ブルージェイズ時代には地元にファンクラブがあったほどの人気を博した。また、ユーモアのセンスに富んだ人物としても知られている。マーティ・ブラウン監督のベース投げ事件を機に製作されたTシャツの文言を考案したり、2006年に抑えの役割を永川勝浩に交代する際に消火器を手渡すパフォーマンスを見せたりするなど、ユニークな逸話が多い。
3.3. 背番号
キャリアを通じて着用した背番号は以下の通り。
背番号 | 所属チーム | 期間 |
---|---|---|
49 | 広島東洋カープ | 2004年 - 2006年 |
94 | 広島東洋カープ | 2010年 |
4. 私生活
ベイルは妻のジュヌヴィエーヴ(Genevieveジュヌヴィエーヴ英語)と結婚しており、娘のマディソン(Madisonマディソン英語)とオリヴィア(Oliviaオリヴィア英語)、息子のザカリー(Zacharyザカリー英語)と共にフロリダ州ナイスビルに住んでいる。ジュヌヴィエーヴの兄弟はNHLの選手であるヴァンサン・レカヴァリエである。
5. 成績と受賞歴
5.1. 年度別投手成績
年 度 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | TOR | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 2.0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 13.50 | 2.00 |
2000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 22 | 3.2 | 5 | 1 | 3 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | 7 | 6 | 14.73 | 2.18 | |
2001 | BAL | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 113 | 26.2 | 18 | 2 | 17 | 0 | 1 | 21 | 1 | 0 | 14 | 9 | 3.04 | 1.31 |
2003 | CIN | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 195 | 46.1 | 50 | 7 | 12 | 2 | 2 | 37 | 1 | 0 | 24 | 23 | 4.47 | 1.34 |
2004 | 広島 | 25 | 25 | 1 | 0 | 0 | 11 | 10 | 0 | -- | .524 | 702 | 160.1 | 165 | 16 | 62 | 2 | 8 | 173 | 4 | 0 | 86 | 75 | 4.21 | 1.42 |
2005 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 24 | 0 | .667 | 227 | 53.2 | 44 | 9 | 16 | 0 | 5 | 72 | 1 | 0 | 24 | 19 | 3.19 | 1.12 | |
2006 | 30 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 6 | 7 | .333 | 183 | 43.0 | 45 | 5 | 11 | 1 | 0 | 46 | 1 | 0 | 16 | 14 | 2.93 | 1.30 | |
2007 | KC | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | .500 | 179 | 40.0 | 45 | 1 | 17 | 2 | 1 | 42 | 2 | 0 | 18 | 18 | 4.05 | 1.55 |
2008 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | .000 | 110 | 26.2 | 29 | 1 | 6 | 0 | 0 | 14 | 1 | 0 | 13 | 13 | 4.39 | 1.31 | |
2009 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 10 | .000 | 136 | 28.1 | 34 | 3 | 18 | 2 | 1 | 24 | 2 | 0 | 19 | 18 | 5.72 | 1.84 | |
2010 | 広島 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 | .000 | 124 | 26.2 | 29 | 3 | 15 | 0 | 3 | 21 | 0 | 0 | 23 | 21 | 7.09 | 1.65 |
MLB:7年 | 109 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 1 | 17 | .300 | 765 | 173.2 | 183 | 16 | 75 | 6 | 7 | 148 | 7 | 0 | 98 | 90 | 4.66 | 1.49 | |
NPB:4年 | 136 | 30 | 1 | 0 | 0 | 14 | 16 | 31 | 11 | .467 | 1236 | 283.2 | 283 | 33 | 104 | 3 | 16 | 312 | 6 | 0 | 149 | 129 | 4.09 | 1.36 |
5.2. 受賞歴と主な記録
- JA全農Go・Go賞 (最多奪三振賞:2004年5月)
; NPB投手記録
- 初登板・初先発:2004年4月4日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、5回2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に井上一樹から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2004年5月9日、対読売ジャイアンツ9回戦(広島市民球場)、8回0/3を1失点
- 初完投勝利:2004年9月22日、対阪神タイガース25回戦(広島市民球場)、9回6安打2失点
- 初セーブ:2005年4月2日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2006年4月6日、対阪神タイガース2回戦(倉敷マスカットスタジアム)、10回表に2番手で救援登板、1回無失点
; NPB打撃記録
- 初安打:2004年5月9日、対読売ジャイアンツ9回戦(広島市民球場)、7回裏に久保裕也から左前安打
- 初打点:2004年6月17日、対中日ドラゴンズ12回戦(広島市民球場)、6回裏に山北茂利から中前適時打