1. 幼少期
ジョーイ・メネセス・ラミレスは1992年5月6日に生まれた。彼の幼少期の環境や野球を始めた背景に関する詳細は、現時点では広く知られていない。
2. プロ経歴
メネセスは、アトランタ・ブレーブス、フィラデルフィア・フィリーズ、ボストン・レッドソックスといったMLB球団の傘下マイナーリーグチームで長年プレーを続け、その後、日本プロ野球のオリックス・バファローズやMLBのワシントン・ナショナルズ、ニューヨーク・メッツに所属するなど、多様なキャリアを築いてきた。
2.1. マイナーリーグ
メネセスは、アトランタ・ブレーブスの傘下チームで2011年から2017年までプレーした。この期間中、彼は2016年に初めてダブルAに昇格し、ミシシッピ・ブレーブスでプレーした。2017年シーズンには、ミシシッピで108試合に出場し、打率.292、9本塁打、45打点を記録し、シーズン途中のサザンリーグオールスターに選出された。また、2014年と2017年にはMILB.comの組織オールスターにも選ばれている。2017年11月6日にフリーエージェントとなった。
2018年2月1日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナーリーグ契約を結んだ。この年はトリプルAのリーハイバレー・アイアンピッグスでプレーし、130試合で打率.311、23本塁打、82打点という成績を残し、インターナショナルリーグのMVPに輝いた。2018年10月29日、フィリーズを退団し、日本でのプレー契約を結んだ。
2020年1月23日にはボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。2020年のマイナーリーグシーズンが中止となった後、同年11月上旬にレッドソックスと再契約した。2021年シーズンは、初めはダブルAのポートランド・シードッグスに配属されたが、8月上旬にはトリプルAのウースター・レッドソックスに昇格した。2021年11月7日に再びフリーエージェントとなった。

これらの期間中、メネセスは2013年、2014年、2015年、2016年、2017年、2018年、2019年、2020年のシーズン終了後には、メキシカン・パシフィックリーグのトマテロス・デ・クリアカンでもプレーしている。
2.2. 日本プロ野球
2018年10月29日、メネセスはオリックス・バファローズと推定1.00 億 JPY(約95.00 万 USD)の1年契約を結び、NPBでのプレーを開始した。2019年3月29日にNPBデビューを果たした。しかし、2019年6月27日、禁止薬物であるhydroxystanozololヒドロキシスタノゾロール英語の陽性反応が出たため、12か月の出場停止処分を受けた。同日、彼はオリックスから自由契約となった。
2.3. メジャーリーグ
長年のマイナーリーグ生活を経て、メネセスは2022年にメジャーリーグデビューを果たし、遅咲きながらも活躍を見せた。
2.3.1. ワシントン・ナショナルズ時代
2022年1月13日、メネセスはワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。同年8月2日、ナショナルズがフアン・ソトとジョシュ・ベルをサンディエゴ・パドレスにトレードした後、彼はトリプルAのロチェスター・レッドウィングスから昇格し、ニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビューを果たした。この試合で彼はヨアン・ロペスから7回表にメジャー初安打となる本塁打を放った。
メジャーデビュー戦の次の試合では4打数0安打に終わったが、その後11試合連続安打を記録するなど、8月を通じて好調を維持した。メジャー昇格後の最初の25試合で、彼は打率.354、出塁率.385、長打率.626、7本塁打という成績を記録した。9月1日にはオークランド・アスレチックス戦でサヨナラ本塁打を放ち、ナショナルズにとってこの年初めてのサヨナラ勝利をもたらした。9月16日にはマイアミ・マーリンズ戦で、チームが4対0で劣勢の中、ランニング本塁打を放ち、後に決勝点となる得点を記録し、チームを5対4の勝利に導いた。
彼は2022年シーズンを打率.324、出塁率.367、長打率.563、13本塁打、34打点という成績で終えた。その活躍が認められ、MLB Pipelineオールルーキーチームにも選出された。しかし、2024年7月には不振に陥り、ナショナルズからトリプルAへオプション降格となった。ナショナルズでの合計76試合で、打率.231、出塁率.291、長打率.302、3本塁打、42打点を記録した。11月4日、彼は40人枠から外され、ロチェスターへの譲渡を命じられたが、これを拒否してフリーエージェントを選択した。
2.3.2. ニューヨーク・メッツ時代
2024年11月21日、メネセスはニューヨーク・メッツとマイナーリーグ契約を結んだ。メッツでの今後の活躍が期待されている。
3. 国際大会での経歴
メネセスはメキシコ代表として複数の国際大会に出場し、その能力を発揮してきた。
3.1. カリビアンシリーズ
彼は2015年、2018年、2020年、2021年、2022年のカリビアンシリーズでメキシコ代表としてプレーした。
3.2. ワールド・ベースボール・クラシックおよびオリンピック
2019年2月、メネセスは侍ジャパンとの強化試合のためにメキシコ代表に選出された。また、2020年東京オリンピック(2021年開催)の野球メキシコ代表にも選出された。
2023年には、ワールド・ベースボール・クラシックでメキシコ代表としてプレーし、プール戦のアメリカ戦では2本塁打を放つ活躍を見せた。
4. 受賞と栄誉
メネセスはプロキャリアにおいて、以下の個人的な賞と栄誉ある記録を獲得している。
- 2014年 MILB.com 組織オールスター
- 2017年 サザンリーグ シーズン途中オールスター
- 2017年 MILB.com 組織オールスター
- 2018年 インターナショナルリーグ MVP
- 2022年 MLB Pipeline オールルーキーチーム
5. 私生活
メネセスは漫画・アニメ『ドラゴンボール』のキャラクターである孫悟空の大ファンであることを公言しており、日本球団への入団を考えた理由の一つに、この孫悟空への憧れがあったことを明かしている。彼はミツィ・グスマンと婚約しており、夫婦にはジョセフという名の息子がいる。
6. 評価と論争
メネセスのキャリアは、長年のマイナーリーグでの奮闘を経てメジャーリーグで成功を収めたという、忍耐力と努力の象徴として評価される一方で、日本でのドーピング問題という深刻な論争も抱えている。
6.1. ドーピング問題
2019年6月27日、オリックス・バファローズに所属していたメネセスは、禁止薬物であるhydroxystanozololヒドロキシスタノゾロール英語の陽性反応が出たため、12か月の出場停止処分を受けた。この薬物はスタノゾロールの代謝物であり、ドーピング行為と認定された。この処分により、メネセスは即座にオリックスを自由契約となり、彼の日本でのキャリアは事実上終了した。
このドーピング問題は、スポーツにおける公平性の原則に反する行為であり、彼の選手としての信頼性やプロフェッショナリズムに大きな傷をつけた。このような薬物使用は、クリーンな競争環境を損ない、他の選手やファンからの信頼を失わせる行為として厳しく批判されるべきである。メネセスはその後もキャリアを続けたが、この出来事は彼の経歴における汚点として残ることになった。
7. 遺産
ジョーイ・メネセスの遺産は、彼の野球人生の二つの側面によって特徴付けられる。一つは、長年にわたるマイナーリーグでの研鑽と、30歳でのメジャーリーグデビューという「遅咲きの成功物語」である。これは、多くの若手選手にとって、諦めずに努力を続けることの重要性を示す希望の光となる。彼のMLBでの短いながらもインパクトのある活躍は、ファンに強い印象を残した。
もう一つは、日本プロ野球でのドーピング違反という、スポーツ界における倫理的問題を提起した点である。この出来事は、公平な競争環境を維持するためのアンチ・ドーピング対策の重要性を改めて浮き彫りにし、彼のキャリアに複雑な影を落とした。メネセスは、個人の才能と努力が成功をもたらす可能性を示しながらも、同時に、スポーツマンシップとルール遵守の重要性を世に問う存在として、記憶されるだろう。