1. 生涯
ジョーン・カニングの生涯は、貴族の娘として生まれ、著名な政治家の妻となり、そして夫の死後、自ら女子爵の爵位を得るという、時代を反映したものであった。
1.1. 幼少期と家族背景
ジョーン・スコットは、1776年または1777年ごろにスコットランドで生まれた。彼女は少将ジョン・スコット(John Scott英語)とマーガレット・ダンダス(Margaret Dundas英語)の娘である。母マーガレットは、著名な法曹家であるアーニストン卿ロバート・ダンダスの娘であった。ジョーンには2人の姉妹がおり、姉のヘンリエッタはポートランド公爵夫人となり、もう一人の姉妹であるルーシーは第10代モレイ伯爵フランシス・スチュアートの妻となった。彼女はこうした名門の家庭で育ち、その後の人生にも多大な影響を与えた。
1.2. 結婚と子女
1800年7月8日、ジョーン・スコットはロンドンのハノーヴァー・スクエアにあるセント・ジョージズ教会でジョージ・カニングと結婚した。この結婚は、当時の政界における重要な出来事として注目され、結婚式にはジョン・フッカム・フレア(John Hookham Frere英語)と、後に首相となる小ピット(William Pitt the Younger英語)が証人として立ち会った。ジョージ・カニング夫妻は、3人の息子と1人の娘の計4人の子女をもうけた。
- ジョージ・チャールズ・カニング(George Charles Canning英語、1801年4月25日 - 1820年3月31日):若くして結核により死去した。
- ウィリアム・ピット・カニング(William Pitt Canning英語、1802年生 - 1828年9月25日没):ポルトガルのマデイラ諸島で溺死した。
- ハリエット・カニング(Harriet Canning英語、1804年4月13日 - 1876年1月8日):1825年4月4日に初代クランリカード侯爵ユリック・ジョン・ド・バーグと結婚し、子をもうけた。
- チャールズ・ジョン・カニング(Charles John Canning英語、1812年生 - 1862年没):後に第2代カニング子爵、そして初代カニング伯爵となる。
1.3. カニング女子爵叙爵
夫ジョージ・カニングが首相在任中の1827年に死去した後、その功績を称え、ジョーンは1828年1月22日に連合王国貴族としてキルケニー県キルブラハムのカニング女子爵(Viscountess Canning of Kilbraham in the County of Kilkenny英語)に叙された。これは夫の死から約6か月後のことであった。この女子爵位には、夫ジョージの男系男子に継承権が与えられるという特別な規定(特別残余権)が付されており、これは爵位が夫の系統に確実に残るようにするための措置であった。
1.4. 晩年
女子爵位に叙爵された後、ジョーンは自身の末息子であるチャールズ・ジョンと共に、ロンドンのグローヴナー・スクエアにある家族の邸宅で暮らした。グローヴナー・スクエアは当時から上流階級が多く住む高級住宅地であり、彼女の晩年もまた貴族としての生活を維持していたことがうかがえる。
2. 死去
ジョーン・カニング初代カニング女子爵は、1837年3月14日にロンドン・メイフェアのグローヴナー・スクエア10号にある自宅で死去した。享年は60歳または61歳であった。彼女の遺体は、死去から9日後の1837年3月23日に、イギリスの歴史上重要な埋葬地であるウェストミンスター寺院に埋葬された。彼女の死後、女子爵位は末息子のチャールズ・ジョン・カニングが継承し、第2代カニング子爵となった。