1. 生い立ちと背景
ジョー・クリーディは1978年4月26日にアメリカ合衆国ミズーリ州ジェファーソンシティで生まれた。
1.1. 子供時代と教育
クリーディはミズーリ州ウェストファリアにあるファティマ高校で野球をプレーした。2006年2月には、母校ファティマ高校で彼の背番号が永久欠番となり、その功績が称えられた。彼の兄であるブラッド・クリーディも野球選手であり、1992年にはファティマ高校で州高校野球選手権を制覇し、1994年にはCMSUでNCAAディビジョンII全国選手権を制している。ブラッドは高校卒業後、1992年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから44巡目(全体1220位)で指名されたが、大学進学を選択した。その後、1996年のMLBドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから19巡目(全体556位)で再び指名されており、これはジョーがドラフト指名を受けたのと同じ日であった。
2. アマチュア時代とドラフト
クリーディは1996年6月4日のMLBドラフトでシカゴ・ホワイトソックスから5巡目で指名され、翌日の6月5日に契約を結び、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。
3. プロ経歴
ジョー・クリーディはプロ入り後、マイナーリーグで着実に経験を積み、2000年にメジャーリーグデビューを果たした。その後、シカゴ・ホワイトソックスの主力三塁手として活躍し、ミネソタ・ツインズを経て引退するまでのプロキャリアを歩んだ。
3.1. マイナーリーグ時代
プロ契約後、クリーディはまずマイナーリーグのルーキー級、ガルフ・コーストリーグ・ホワイトソックスに配属され、56試合に出場した。打率.299、4本塁打、32打点、1盗塁、OPS0.765の成績を残したが、三塁守備では53試合で25失策、守備率.857と課題も見られた。
1997年にはA級のヒッコリー・クロウダッズに昇格し、113試合に出場。打率.271、5本塁打、62打点、3盗塁、OPS0.689を記録した。守備では112試合で三塁を守り、33失策ながら守備率は.905と前年より改善された。
1998年はA+級のウィンストン・セーラム・ダッシュでプレーし、137試合に出場。打撃面では打率.315、20本塁打、88打点、9盗塁、OPS0.902と飛躍的な成績を残した。この年、カロライナリーグでは打率がリーグ2位、本塁打が同3位タイ、打点が同1位(139打数以上)という成績を収めた。守備面では132試合の三塁守備で30失策、守備率.929と、2年連続で守備率を向上させた。
1999年にはAA級のバーミングハム・バロンズで74試合に出場し、打率.251、4本塁打、42打点、2盗塁、OPS0.650を記録。三塁守備では72試合で20失策、守備率.910であった。
2000年もバーミングハムに所属し、138試合の出場で打率.306、21本塁打、94打点、3盗塁、OPS0.874という好成績を残した。守備面では135試合で三塁を守り、19失策、守備率.942と、この時点での自己最小失策数と自己最高守備率を記録した。
3.2. メジャーリーグベースボール (MLB) 時代
3.2.1. シカゴ・ホワイトソックス
2000年9月12日のデトロイト・タイガース戦で守備固めとして出場し、メジャーデビューを果たした。初打席は凡退に終わった。この年は最終的に7試合に出場し、打率.357、3打点、OPS0.762を記録した。三塁守備にも6試合で就いた。
2001年はメジャーで17試合に出場し、打率.220、7打点、1盗塁、OPS0.553という打撃成績を残した。三塁守備では15試合で無失策であった。この年、マイナーではAAA級のシャーロット・ナイツで124試合に出場し、打率.276、17本塁打、65打点、2盗塁、OPS0.813の打撃成績と、123試合の三塁守備で20失策、守備率.946という守備成績を残した。
2002年8月11日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初本塁打を放った。さらに、9月第1週にはプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞する活躍を見せた。この年は53試合の出場で、打率.285、12本塁打、35打点、OPS0.826という成績を残した。守備面では53試合で三塁を守り、8失策、守備率.938であった。マイナーではシャーロットで95試合に出場し、打率.312、24本塁打、65打点、OPS0.930という成績を記録した。
2003年には三塁のレギュラーに定着し、151試合に出場した。打撃面では、フリースインガーとしての傾向が知られ、それに対応した攻めを受けながらも、打率.261、19本塁打、75打点、1盗塁、OPS0.741という成績を残した。守備面では151試合で三塁を守り、14失策、守備率.964、DRS+12を記録したが、時折平凡なゴロをエラーする傾向も見られた。
2004年は144試合に出場し、打率.239、21本塁打、69打点、1盗塁、OPS0.717という成績であった。本塁打を狙って引っ張る傾向が強く、それが打率の伸び悩みの原因となった。守備面では三塁144試合で12失策、守備率.965、DRS-8と、DRSがマイナスに転じた。
2005年は132試合の出場で打率.252、22本塁打、62打点、1盗塁、OPS0.756を記録。前年に見られた引っ張る傾向が改善され、逆方向へも打球を飛ばせるようになった。守備面では130試合の三塁守備で10失策、守備率.971、DRS+2を記録し、DRSが再びプラスに転じた。ポストシーズンでは、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)で5試合打率.368、2本塁打、7打点、OPS1.139と大活躍した。続くヒューストン・アストロズとのワールドシリーズでも、4試合打率.294、2本塁打、3打点、OPS1.074を記録し、チームの世界一に大きく貢献した。彼のワールドシリーズ初本塁打は2005年10月22日、次女ルーシーの出産予定日と同日であった。
2006年は150試合に出場し、打率.283、自己最多の30本塁打、94打点、OPS0.828という打撃成績を記録し、三塁手としてシルバースラッガー賞に選出された。この年の本塁打と打点は、クリーディのメジャーキャリアにおける自己最多記録である。守備面では149試合の三塁守備で10失策、守備率.978、DRS+23という成績を残した。オフには、ホワイトソックスがニューヨーク・ヤンキースからアレックス・ロドリゲスの獲得を検討した際、その交換要員としてマーク・バーリーと共にクリーディが含まれたが、ヤンキースが他の選手を要求したため、このトレードは実現しなかった。
2007年は6月に故障者リスト入りし、椎間板ヘルニアの手術を受け、長期離脱を余儀なくされた。そのため、47試合の出場に留まり、打率.216、4本塁打、22打点、OPS0.576という打撃成績に終わった。守備面では46試合の三塁守備で4失策、守備率.971、DRS+9であった。

2008年1月18日、クリーディはホワイトソックスと1年510.00 万 USDで契約合意し、調停を回避した。開幕戦ではミネソタ・ツインズ相手に満塁本塁打を放った。シーズン序盤は打率.256、16本塁打、49打点と好調で、オールスターゲームに控え選手として選出された。しかし、シーズン後半は怪我のためほとんど欠場し、最終的には97試合出場で打率.248、17本塁打、55打点、OPS0.773という成績に終わった。三塁守備では97試合で20失策、守備率.930、DRS+12であった。2007年と2008年の両シーズンは、背中の怪我により出場試合数が制限された。2008年10月30日、クリーディはフリーエージェントとなった。
3.2.2. ミネソタ・ツインズ
2009年2月21日、クリーディはミネソタ・ツインズと1年250.00 万 USD(出来高最大700.00 万 USD)で契約を結んだ。この年は90試合に出場し、打率.225、15本塁打、48打点、OPS0.703を記録した。しかし、背中の痛みに悩まされ、8月22日からは故障者リスト入りし、9月20日にはキャリアで3度目となるシーズン終了の背中の手術を受けることを発表した。三塁守備では84試合で4失策、守備率.983、DRS+14という成績であった。11月5日にフリーエージェントとなり、結果的にこの年がクリーディにとってのメジャーでのラストイヤーとなった。
2010年は、メジャーリーグおよびマイナーリーグでの試合出場はなく、背中の治療を継続した。
3.2.3. コロラド・ロッキーズ
2011年1月20日、クリーディはコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングへの招待を受けた。しかし、2月17日にスプリングトレーニングに不参加を決定し、フリーエージェントとなった。その後、現役を引退した。
4. プレースタイルと特徴
クリーディは打撃面では早打ちの傾向が強い選手であった。そのため、四球や三振の数はそれほど多くない。かつてはホームランを狙って引っ張る傾向が見られたが、2005年には逆方向へも打球を飛ばせるようになり、打撃の幅を広げた。走塁面では、足の速さは平均以下であった。
守備面では、以前はムラのある雑な守備という印象が強かったが、キャリアを重ねるにつれてレベルが向上し、守備範囲の広さはメジャー全体でも上位に位置するようになった。DRS(守備防御点)もプラスを記録することが多く、守備の貢献度は高かった。
優れた守備に加え、下位打線の打者としてはもったいないほどの打力を備えており、2006年にはシルバースラッガー賞に選出されたことがその証左である。しかし、キャリアを通じて腰痛が持病であり、度重なる背中の怪我に苦しんだ。特に晩年は背中の痛みが深刻化し、それが彼の現役引退を早める主要な要因の一つとなった。
チームメイトのアーロン・ローワンドは、クリーディのクラッチ能力を高く評価しており、「彼ほどクラッチに強い選手はいない。彼は何度も何度もそれをやってのけた。初めてのことではないし、決して最後でもないだろう」と語っている。
5. 私生活
ジョー・クリーディは妻のリサとの間に、アンナとルーシーという2人の娘、そしてジェイスという1人の息子をもうけている。彼は現在、ミズーリ州中部に居住しており、ミズーリ・タイガースの男子バスケットボールのシーズンチケットホルダーである。
彼の故郷であるミズーリ州ウェストファリアでは、2005年11月6日に「ジョー・クリーディ・デー」が開催され、市から鍵が贈呈されるなど、その功績が称えられた。また、2006年2月には、彼の母校であるファティマ高校で背番号が永久欠番となり、野球殿堂入りを果たした。
6. 受賞歴と栄誉
- サザンリーグMVP:2000年
- プレイヤー・オブ・ザ・ウィーク:2002年9月第1週
- シルバースラッガー賞(三塁手部門):1回(2006年)
- MLBオールスターゲーム選出:1回(2008年)
7. 引退
ジョー・クリーディは、2011年2月17日にコロラド・ロッキーズとの契約を解除した後、プロ野球選手としての現役生活を終え、引退した。
8. 評価
ジョー・クリーディのキャリアは、攻守にわたる高い能力と、度重なる怪我との闘いによって特徴づけられる。2005年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献し、2006年にはシルバースラッガー賞を受賞するなど、その打撃と守備はメジャーリーグのトップレベルに達していた。特に、ポストシーズンでの勝負強さはチームメイトからも高く評価され、アーロン・ローワンドは彼を「クラッチに強い選手」と評した。しかし、持病の腰痛や背中の怪我によりキャリアが短縮されたことは、彼のポテンシャルを完全に発揮しきれなかった側面として惜しまれる。それでもなお、彼はホワイトソックスの歴史に残る重要な選手の一人として記憶されている。
年度別打撃成績 | ||||||||||||||||||||||||
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年 | チーム | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | OPS | |
2000 | CWS | 7 | 15 | 14 | 2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .357 | .333 | .429 | .762 |
2001 | 17 | 55 | 50 | 1 | 11 | 1 | 1 | 0 | 14 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | 11 | 1 | .220 | .273 | .280 | .553 | |
2002 | 53 | 209 | 200 | 28 | 57 | 10 | 0 | 12 | 103 | 35 | 0 | 2 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 40 | 1 | .285 | .311 | .515 | .826 | |
2003 | 151 | 580 | 536 | 68 | 140 | 31 | 2 | 19 | 232 | 75 | 1 | 1 | 2 | 4 | 32 | 1 | 6 | 75 | 11 | .261 | .308 | .433 | .741 | |
2004 | 144 | 543 | 490 | 67 | 117 | 25 | 0 | 21 | 205 | 69 | 1 | 2 | 4 | 5 | 34 | 0 | 10 | 81 | 14 | .239 | .299 | .418 | .717 | |
2005 | 132 | 471 | 432 | 54 | 109 | 21 | 0 | 22 | 196 | 62 | 1 | 1 | 2 | 4 | 25 | 3 | 8 | 66 | 7 | .252 | .303 | .454 | .757 | |
2006 | 150 | 586 | 544 | 76 | 154 | 31 | 0 | 30 | 275 | 94 | 0 | 2 | 0 | 7 | 28 | 1 | 7 | 58 | 18 | .283 | .323 | .506 | .829 | |
2007 | 47 | 178 | 167 | 13 | 36 | 5 | 0 | 4 | 53 | 22 | 0 | 1 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 24 | 1 | .216 | .258 | .317 | .575 | |
2008 | 97 | 373 | 335 | 41 | 83 | 18 | 1 | 17 | 154 | 55 | 0 | 3 | 0 | 4 | 30 | 0 | 4 | 45 | 10 | .248 | .314 | .460 | .774 | |
2009 | MIN | 90 | 367 | 333 | 42 | 75 | 16 | 1 | 15 | 138 | 48 | 0 | 0 | 0 | 3 | 29 | 1 | 2 | 56 | 6 | .225 | .289 | .414 | .703 |
MLB:10年 | 888 | 3377 | 3101 | 392 | 787 | 159 | 5 | 140 | 1376 | 470 | 4 | 12 | 8 | 31 | 199 | 6 | 38 | 459 | 69 | .254 | .304 | .444 | .748 |