1. 生涯と初期のキャリア
セルゲイ・ネムチノフは1964年1月14日に生まれた。彼の初期のキャリアは、ソビエト連邦のモスクワを拠点とするクリリヤ・ソベトフ・モスクワで始まった。彼は1981-82シーズンにソビエトチャンピオンシップリーグでプロデビューを果たし、またロコモティフ・モスクワではソビエト第2リーグでもプレーした。その後、HC CSKAモスクワでもプレーし、ソビエトホッケー界でその才能を磨いた。
2. 選手キャリア
セルゲイ・ネムチノフは、クラブレベルと国家代表レベルの両方で、目覚ましいアイスホッケー選手としてのキャリアを築いた。ソビエト連邦のリーグで基礎を固めた後、北米のNHLへと挑戦し、歴史に残る成功を収めた。
2.1. クラブキャリア
ネムチノフは、ソビエトチャンピオンシップリーグでHC CSKAモスクワとクリリヤ・ソベトフ・モスクワに合計10シーズン在籍し、リーグ戦で341試合に出場、99ゴール、96アシストを記録した。
1990年のNHLドラフトでは、ニューヨーク・レンジャーズに12巡目全体244位という低い順位で指名されたが、これは彼のNHLでの活躍を考えると非常に異例の事であった。彼は1991-92シーズンからNHLでのキャリアをスタートさせ、レンジャーズで7シーズンプレーした。1994年には、レンジャーズの一員としてスタンレーカップ優勝を果たした。この時、彼はアレクサンドル・カルポフツェフ、アレクセイ・コバレフ、セルゲイ・ズーボフと共に、初めてスタンレーカップに名前が刻まれたロシア人選手の一人となり、歴史に名を刻んだ。
その後、ネムチノフはバンクーバー・カナックス(1996-97シーズン中に移籍)、ニューヨーク・アイランダース(1997-98シーズンから)、そしてニュージャージー・デビルス(1998-99シーズン中に移籍)でプレーした。デビルスでは、2000年に自身2度目となるスタンレーカップ優勝を経験した。NHLでは通算761レギュラーシーズンゲームに出場し、152ゴール、193アシスト、合計345ポイント、251ペナルティミニッツを記録した。
2002年にロシアへ帰国し、ロシアスーパーリーグのロコモティフ・ヤロスラヴリで2シーズンプレーした後、2004年に現役を引退した。
2.2. 代表チームキャリア
セルゲイ・ネムチノフは、ソビエト連邦およびロシアの国家代表チームの一員として、数々の国際大会に出場し、その実力を示した。
ジュニア世代では、1982年のIIHFU18ヨーロッパ選手権、1983年と1984年の世界ジュニアアイスホッケー選手権にソビエト連邦代表として出場した。特に世界ジュニア選手権では、2度の出場で14試合に出場し、9ゴール、9アシストの合計18ポイントを記録し、チームの勝利に貢献した。
シニアレベルでは、1987年のカナダカップに出場したのを皮切りに、アイスホッケー世界選手権にはソビエト連邦代表として1989年、1990年、1991年と3年連続で出場。1989年と1990年には金メダルを獲得し、1991年には銅メダルを獲得した。彼はこれらの大会で計27試合に出場し、9ゴール、5アシストを記録した。
1996年のアイスホッケー・ワールドカップにはロシア代表として出場し、準決勝に進出した。そして、1998年長野オリンピックのアイスホッケー競技では、ロシア代表チームのメンバーとして銀メダルを獲得した。同年、1998年アイスホッケー世界選手権にも出場した。オリンピックでの銀メダル獲得は、彼の国際的なキャリアにおける重要な成果の一つであり、ロシアのホッケー界に貢献した。
3. 指導者・GMキャリア
選手引退後、セルゲイ・ネムチノフはアイスホッケー界で様々な指導者および球団運営職を歴任し、その経験を次世代の育成やチーム強化に活かした。
2009年から2011年まで、彼はかつて選手として所属したHC CSKAモスクワのゼネラルマネージャーを務めた。この期間、彼はチームの編成や運営に深く関わり、その手腕を発揮した。
また、ネムチノフはロシア男子ジュニア代表チームのコーチも務め、若手選手の育成に尽力した。2019年には、韓国男子代表チームのアシスタントコーチに就任し、アジアにおけるホッケーの発展にも貢献した。特に、ゴール強化のための指導に注力したと報じられている。
さらに、2019年8月30日から9月7日にかけてアシガバートを訪問し、トルクメニスタン男子代表チームに対して集中的なトレーニング指導を行った。その後、トルクメニスタン代表チームのコーチングスタッフに加わり、2020年IIHF世界選手権ディビジョンIIIに向けたトルクメニスタンホッケー選手の準備計画を策定するなど、ホッケーが盛んでない国々におけるスポーツの普及とレベル向上にも積極的に関与した。
2020年3月には、KHLのアドミラル・ウラジオストクのスポーツディレクターに任命され、再び球団運営の要職に就任した。彼のこれらの多様な役割は、ホッケーの国際的な発展と普及に対する彼のコミットメントを明確に示している。
4. 栄誉と受賞
セルゲイ・ネムチノフは、選手および指導者キャリアを通じて、数多くの栄誉と受賞を経験した。
- スタンレーカップ優勝**:
- 1994年: ニューヨーク・レンジャーズの一員として。
- 2000年: ニュージャージー・デビルスの一員として。
- アイスホッケー世界選手権金メダル**:
- 1989年: ソビエト連邦代表として。
- 1990年: ソビエト連邦代表として。
- 冬季オリンピック銀メダル**:
- 1998年長野オリンピック: ロシア代表として。
- 「100 Ranger Greats」選出**:
- 2009年に出版された書籍『100 Ranger Greats』において、ニューヨーク・レンジャーズの歴代901人の選手中、46位にランクインした。この選出は、彼がチームの82シーズンの歴史の中で、いかに偉大な選手であったかを物語るものである。
5. キャリア成績
5.1. クラブ成績
レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM |
1981-82 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 15 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | - |
1981-82 | ロコモティフ・モスクワ | USSR II | 6 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | - |
1982-83 | CSKAモスクワ | USSR | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | - | - | - | - | - |
1983-84 | CSKAモスクワ | USSR | 20 | 6 | 5 | 11 | 4 | - | - | - | - | - |
1984-85 | CSKAモスクワ | USSR | 31 | 2 | 4 | 6 | 4 | - | - | - | - | - |
1985-86 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 39 | 7 | 12 | 19 | 28 | - | - | - | - | - |
1986-87 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 40 | 13 | 9 | 22 | 24 | - | - | - | - | - |
1987-88 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 48 | 17 | 11 | 28 | 26 | - | - | - | - | - |
1988-89 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 43 | 15 | 14 | 29 | 28 | - | - | - | - | - |
1989-90 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 48 | 17 | 17 | 34 | 34 | - | - | - | - | - |
1990-91 | クリリヤ・ソベトフ・モスクワ | USSR | 46 | 21 | 24 | 45 | 30 | - | - | - | - | - |
1991-92 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 73 | 30 | 28 | 58 | 15 | 13 | 1 | 4 | 5 | 8 |
1992-93 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 81 | 23 | 31 | 54 | 34 | - | - | - | - | - |
1993-94 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 76 | 22 | 27 | 49 | 36 | 23 | 2 | 5 | 7 | 6 |
1994-95 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 47 | 7 | 6 | 13 | 16 | 10 | 4 | 5 | 9 | 2 |
1995-96 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 78 | 17 | 15 | 32 | 38 | 6 | 0 | 1 | 1 | 2 |
1996-97 | ニューヨーク・レンジャーズ | NHL | 63 | 6 | 13 | 19 | 12 | - | - | - | - | - |
1996-97 | バンクーバー・カナックス | NHL | 6 | 2 | 3 | 5 | 4 | - | - | - | - | - |
1997-98 | ニューヨーク・アイランダース | NHL | 74 | 10 | 19 | 29 | 24 | - | - | - | - | - |
1998-99 | ニューヨーク・アイランダース | NHL | 67 | 8 | 8 | 16 | 22 | - | - | - | - | - |
1998-99 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 10 | 4 | 0 | 4 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999-2000 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 53 | 10 | 16 | 26 | 18 | 21 | 2 | 3 | 5 | 2 |
2000-01 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 65 | 8 | 22 | 30 | 16 | 25 | 1 | 3 | 4 | 4 |
2001-02 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 68 | 5 | 5 | 10 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2002-03 | ロコモティフ・ヤロスラヴリ | RSL | 27 | 5 | 6 | 11 | 26 | 10 | 0 | 5 | 5 | 10 |
2003-04 | ロコモティフ・ヤロスラヴリ | RSL | 54 | 5 | 19 | 24 | 38 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 |
USSR 通算 | 341 | 99 | 96 | 195 | 180 | - | - | - | - | - | ||
NHL 通算 | 761 | 152 | 193 | 345 | 251 | 105 | 11 | 20 | 31 | 24 |
5.2. 代表チーム成績
年 | チーム | 大会 | 成績 | GP | G | A | Pts | PIM |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | ソビエト連邦 | EJC | - | 5 | 4 | 2 | 6 | 4 |
1983 | ソビエト連邦 | WJC | - | 7 | 4 | 3 | 7 | 2 |
1984 | ソビエト連邦 | WJC | - | 7 | 5 | 6 | 11 | 2 |
1987 | ソビエト連邦 | CC | - | 5 | 0 | 0 | 0 | 6 |
1989 | ソビエト連邦 | WC | - | 7 | 2 | 0 | 2 | 2 |
1990 | ソビエト連邦 | WC | - | 10 | 5 | 2 | 7 | 4 |
1991 | ソビエト連邦 | WC | - | 10 | 2 | 3 | 5 | 2 |
1996 | ロシア | WCH | SF | 5 | 1 | 2 | 3 | 2 |
1998 | ロシア | OG | - | 6 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1998 | ロシア | WC | 5位 | 6 | 0 | 1 | 1 | 8 |
ジュニア代表通算 | 19 | 13 | 11 | 24 | 8 | |||
シニア代表通算 | 49 | 11 | 8 | 19 | 24 |
6. 選手移籍・契約履歴
セルゲイ・ネムチノフは、プロ選手生活において以下の移籍や契約を経験した。
- 1997年3月8日: ニューヨーク・レンジャーズからブライアン・ヌーナンと共に、エサ・ティッカネンとラス・コートナルとの交換でバンクーバー・カナックスへトレードされた。
- 1997年7月10日: ニューヨーク・アイランダースとフリーエージェントとして契約した。
- 1999年3月22日: ニューヨーク・アイランダースからニュージャージー・デビルスへトレードされ、デビルスは1999年のNHLドラフト4巡目指名権(後のダニエル・ヨハンソン)を獲得した。
7. 評価と影響
セルゲイ・ネムチノフのキャリアは、彼が単なる優れたアイスホッケー選手であっただけでなく、ソビエト連邦崩壊後のロシア人選手がNHLで成功を収める道を開いた、先駆者としての役割も果たしたことを示している。特に、1994年にスタンレーカップに名前が刻まれた最初のロシア人選手の一人となったことは、歴史的な節目であり、その後の多くのロシア人選手が北米リーグへと挑戦するきっかけを作った。
彼のプレースタイルは、高い得点能力と同時に、チームプレーへの献身性や堅実な守備にも定評があった。このような多角的な貢献は、彼が所属したニューヨーク・レンジャーズやニュージャージー・デビルスといったチームが、それぞれの時代で成功を収める上で不可欠な要素であった。
引退後も、彼はホッケー界に深く関わり続け、指導者および運営者としての役割を担ってきた。HC CSKAモスクワのような伝統あるクラブでのゼネラルマネージャーとしての経験は、エリートレベルでのチームマネジメント能力を示すものである。さらに、韓国やトルクメニスタンといった、ホッケー文化がまだ発展途上にある国々でのコーチングは、彼のスポーツに対する深い情熱と、国際的なホッケーの普及・発展への貢献意欲を強く示している。これは、彼が自身の技術や知識を惜しみなく分かち合い、より多くの人々がホッケーを楽しめるように尽力する、中道左派の視点から評価されるべき貢献と言える。
ネムチノフのキャリアは、選手として頂点を極め、その後もホッケー界の発展に尽力する、模範的なスポーツマンとしての生き方を示している。彼の功績は、数字やタイトルだけでなく、ホッケーというスポーツが世界中で成長していく上での重要な礎となっている。
8. 外部リンク
- [http://cdn.nhl.com/devils/bc/images/njd/history/stanleycup/names/images/1600/2000.jpg 2000年スタンレーカップに刻まれたセルゲイ・ネムチノフの名前の写真]
- [https://web.archive.org/web/20171101000000/http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ne/sergey-nemchinov-1.html セルゲイ・ネムチノフ - Sports Reference.com]