1. 生涯
セルジュ・ダソーの生涯は、彼の家族の背景、第二次世界大戦中の困難、そして優れた教育に特徴づけられる。
1.1. 幼少期と教育
セルジュ・ダソーは、1925年4月4日にセルジュ・ポール・アンドレ・ブロックとして生まれた。彼の両親はマルセル・ダソー(出生名マルセル・フェルディナン・ブロック)とマドレーヌ・ダソー(旧姓ミンケス)であった。両親ともにユダヤ系の出自であったが、後にローマ・カトリックに改宗している。1929年、彼の父は現在のダッソー・アビアシオンを創業した。第二次世界大戦中、父マルセルはドイツ航空産業への協力を拒否したため、ブーヘンヴァルト強制収容所に送致され、セルジュ自身も投獄された。この時期、父の会社であるボルドー・アエロナウティークは、アンリ・デプラント、アンドレ・キュルヴァル、クロード・ド・カンブロンヌによって運営されていた。彼はパリ16区にあるリセ・ジャソン=ド=サイイで学び、そこでバカロレアを取得した。その後、エコール・ポリテクニーク(1946年卒)とシュパエロ(国立航空宇宙大学院大学、1951年卒)で工学の学位を取得した。1963年には、HECパリでエグゼクティブMBAを取得している。
2. 主要な事業経歴
セルジュ・ダソーは、父から受け継いだダッソー・グループを大きく発展させ、その事業は航空産業に留まらず、多岐にわたる分野に及んだ。
2.1. ダッソー・グループ経営
1986年に父が死去した後、セルジュ・ダソーはダッソー・グループの経営を引き継ぎ、会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。彼はシャルル・エデルステンヌやエリック・トラピエといった最高経営責任者たちの協力を得ながら、会社をさらに発展させた。
2.2. その他の事業と資産
ダッソー・グループの事業以外にも、セルジュ・ダソーは様々な分野に投資を行った。彼は新聞社『ル・フィガロ』を傘下に収め、またダッソー家はワイナリー、パリ市内の不動産、美術品オークション会社も所有していた。しかし、彼の事業経歴には論争も伴った。1998年12月には、ベルギーのアウグスタ事件に関連して、2年間の執行猶予付き判決を受け、6.00 万 BEF(約1500 EUR)の罰金を科された。
3. 政治経歴
セルジュ・ダソーの政治活動は、地方自治体から国政まで多岐にわたり、特に保守主義的な政策を強く推進した。
3.1. 地方政治活動
彼は国民運動連合の党員であり、息子であるオリヴィエ・ダソーも国民議会の議員を務めた。セルジュ・ダソーはパリ南郊の都市コルベイユ=エソンヌの元市長を務めていた。2005年には、コルベイユ=エソンヌ市内に200.00 万 EURを投じて建設されたイスラム文化センター(モスクを含む)の落成式を行った。
3.2. 中央政治活動
2004年にはフランス上院議員に就任し、2017年までエソンヌ県選出の保守系無所属議員として活動した。上院議員として、彼は経済および雇用問題に関して保守主義的な立場を強く主張し、フランスの税制や労働規制が起業家を破滅させていると批判した。彼はフランスの競争力強化のために、より柔軟な労働市場と低い税負担を提唱した。
4. イデオロギーと社会観
セルジュ・ダソーのイデオロギーは、彼の政治的・経済的活動の基盤を形成し、特に保守主義的な価値観と社会問題に対する明確な見解に特徴づけられる。
4.1. 保守主義的な政治哲学
彼の政治哲学は、強い保守主義に基づいていた。彼はフランスの経済的繁栄と雇用創出を重視し、国家による過度な介入や規制が経済成長を阻害すると考えていた。この思想は、彼の税制改革や労働市場の柔軟化を求める政策提言に強く反映されていた。
4.2. 社会問題に関する発言と論争
セルジュ・ダソーは、社会問題に対しても保守的な見解を示し、時に論争を巻き起こした。2012年11月、エロー内閣がフランスにおける同性結婚の合法化を計画した際、彼は『フランス・キュルチュール』のインタビューで、同性結婚の合法化は「人口の更新をなくすだろう。(中略)私たちは同性愛者の国になるだろう。そして10年後には誰もいなくなる。それは愚かだ」と述べ、物議を醸した。この発言は、フランス社会における同性結婚を巡る議論の中で、保守派の強い反対意見を代表するものとして注目された。
5. 私生活
セルジュ・ダソーの私生活は、彼の家族との絆と、公にはあまり知られていない個人的な側面によって特徴づけられる。
5.1. 家族関係
セルジュ・ダソーは1950年7月5日にニコル・ラペルと結婚した。彼らには4人の子供がいた。長男のオリヴィエ・ダソー、ローラン・ダソー、ティエリ・ダソー、そして長女のマリー=エレーヌである。
6. 死去
セルジュ・ダソーは、2018年5月28日、パリのダッソー・グループ本社にある自身のオフィスで、心不全のため93歳で急逝した。

7. 評価と論争
セルジュ・ダソーの生涯と業績は、フランスの産業界と政治に大きな影響を与えた一方で、その行動や発言は肯定的な評価と批判的な論争の両方を生み出した。
7.1. 肯定的な評価
セルジュ・ダソーは、父から受け継いだダッソー・グループを多角化し、航空産業だけでなくメディア、不動産など幅広い分野で成功を収めたことで高く評価されている。彼のリーダーシップの下、グループは技術革新と国際的な競争力を維持し、フランス経済の発展に大きく貢献した。彼はまた、雇用創出と経済成長を重視する姿勢を貫き、フランスの産業界における重要な人物としての地位を確立した。
7.2. 批判と論争
しかし、セルジュ・ダソーのキャリアには批判や論争もつきまとった。彼は1998年12月にベルギーのアウグスタ事件に関連して執行猶予付きの有罪判決を受けており、これは彼の事業倫理に対する疑問を投げかけるものだった。また、2012年のフランスにおける同性結婚合法化に対する彼の批判的な発言は、社会的な議論を巻き起こし、彼の保守的な社会観が現代社会の多様性と合致しないという批判に晒された。
8. 影響
セルジュ・ダソーは、その事業と政治活動を通じて、フランス社会の様々な側面に多大な影響を与えた。
8.1. 後世への影響
彼のダッソー・グループにおける経営手腕は、フランスの航空宇宙産業の発展に不可欠なものとして記憶されている。また、政治家としての彼の保守主義的な経済政策の提唱は、フランスの経済議論に一石を投じ、後の政策立案にも影響を与えた。彼のメディア事業への参入は、フランスのメディア業界の多様性にも貢献した。