1. 概要
セルジオ・「ボボ」・ゴリ(Sergio "Bobo" Goriˈsɛrdʒo ˈbɔːbo ˈɡɔːriイタリア語、1946年2月24日 - 2023年4月5日)は、イタリアの元サッカー選手。現役時代は主にミッドフィールダーやフォワードとして活躍した。インテル・ミラノ、カリアリ、ユヴェントスの3つの異なるクラブでセリエAのタイトルを獲得した史上5人の選手の一人であり、その唯一無二の記録は彼のキャリアを象徴している。
2. 生涯と背景
セルジオ・ゴリは1946年2月24日、イタリア王国ミラノで生まれた。彼の身長は1.78 mであった。彼は若くしてサッカーキャリアを開始し、その才能はすぐに認められた。
3. クラブ経歴
ゴリはインテル・ミラノでプロデビューを果たした。18歳という若さでトップチームに合流し、1964年から1966年にかけて、当時の「グランデ・インテル」(La Grande Interイタリア語)として知られる強豪チームの一員として10試合に出場し、2得点を挙げた。この時期にインテルは1964-65シーズンと1965-66シーズンのセリエAタイトルを連続で獲得したほか、1964-65シーズンのUEFAチャンピオンズカップ、そして1965年のインターコンチネンタルカップを制覇した。
経験を積むため、ゴリは1966年に当時のセリエA得点王であったルイス・ビニシウとの交換でLRヴィチェンツァに貸し出された。ヴィチェンツァでは2シーズンにわたり、56試合に出場し16得点を記録するなど印象的な活躍を見せた。この活躍が評価され、1968年にインテル・ミラノに復帰し、1968-69シーズンは14試合に出場し1得点を挙げた。
翌年、ゴリはアンジェロ・ドメンギーニと共にカリアリ・カルチョへ移籍し、ロベルト・ボニンセーニャとの交換となった。カリアリでは1969-70シーズンに歴史的な成功を収め、クラブ史上初にして唯一のスクデット(リーグタイトル)獲得に貢献した。このシーズン、彼はルイージ・リーヴァと攻撃陣で実験的なデュオを形成し、しばしばリーヴァの後方でセカンドストライカーとしてプレーした。カリアリでの6シーズンで、彼はリーグ戦166試合に出場し33得点を挙げた。

1975年、ゴリはユヴェントスFCに移籍し、2シーズンを過ごした。1976-77シーズンには、自身にとって4度目のセリエAタイトルと、UEFAカップのタイトルを同時に獲得した。ユヴェントスでは29試合に出場し7得点を挙げた。

その後、1977-78シーズンにエラス・ヴェローナFCでセリエAキャリアを終え、18試合に出場し3得点を挙げた。彼の現役最後のシーズンはセリエC2のサンタンジェロでプレーし、チームのセリエC1昇格に貢献した後、1979年に現役を引退した。ゴリはプロキャリア全体で、リーグ戦通算319試合に出場し67得点を記録した。
彼は、インテル・ミラノ、カリアリ、ユヴェントスの3つの異なるクラブでセリエAのタイトルを獲得したわずか5人の選手のうちの一人である。この偉業を達成した他の4人の選手は、ジョヴァンニ・フェッラーリ、ピエトロ・ファンナ、アルド・セレーナ、そしてアッティリオ・ロンバルドである。
4. 代表経歴
ゴリは1970 FIFAワールドカップの開催国メキシコとの準々決勝でアンジェロ・ドメンギーニに代わって途中出場し、イタリア代表デビューを果たした。イタリアはこの大会で決勝まで進出した。ゴリは1970年のワールドカップ後、さらに2試合でイタリア代表としてプレーし、代表キャップは通算3試合であった。
5. 栄誉
セルジオ・ゴリが獲得した主な栄誉は以下の通り。
- インテル・ミラノ
- セリエA: 1964-65, 1965-66
- UEFAチャンピオンズカップ: 1964-65
- インターコンチネンタルカップ: 1965
- カリアリ
- セリエA: 1969-70
- ユヴェントス
- セリエA: 1976-77
- UEFAカップ: 1976-77
- イタリア代表
- FIFAワールドカップ準優勝: 1970
6. 死去
セルジオ・ゴリは2023年4月5日に、イタリアセスト・サン・ジョヴァンニで77歳で死去した。