1. 概要
ダニエル・アランスビアは、スペインのラ・リオハ州・ログローニョで生まれ、アスレティック・ビルバオのレサマで育成されたゴールキーパーである。プロキャリアを通じてアスレティック・ビルバオ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、アトレティコ・マドリードの3クラブでプレーし、ラ・リーガでは通算303試合に出場した。特にデポルティーボ在籍時には、ラ・リーガ史上初のフィールドプレーからの得点を記録している。また、スペイン代表としてはUEFA欧州選手権2004に出場したほか、FIFAワールドユース選手権優勝や夏季オリンピック銀メダル獲得など、年代別代表で輝かしい実績を残した。引退後は指導者の道に進み、ゴールキーパーコーチとして活動している。
2. 生涯と経歴の始まり
ダニエル・アランスビアは1979年9月18日にスペインのラ・リオハ州・ログローニョで生まれた。身長は186 cm、体重は80 kgであった。彼は幼い頃からサッカーに親しみ、スペインの著名なクラブであるアスレティック・ビルバオのレサマで知られる下部組織で育成された。このアカデミーでゴールキーパーとしての基礎を築き、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせるための準備を進めた。
3. 選手経歴
ダニエル・アランスビアは、プロサッカー選手として主にスペインのトップリーグで活躍し、クラブチームと年代別を含むスペイン代表でその才能を発揮した。
3.1. クラブ経歴
アランスビアは、アスレティック・ビルバオでプロデビューを果たした後、デポルティーボ・ラ・コルーニャで長く正ゴールキーパーを務め、キャリアの晩年にはアトレティコ・マドリードにも短期間所属した。
3.1.1. アスレティック・ビルバオ

アスレティック・ビルバオの育成組織で育ったアランスビアは、サードチームのCDバスコニア、セカンドチームのビルバオ・アスレティックを経て、トップチームでの出場機会をうかがった。2001年4月10日に行われたレアル・ソシエダとのバスク・ダービー(1-3で敗戦)でトップチームデビューを果たした。
最初の2シーズンはイニャキ・ラフエンテの控えとして過ごしたが、2003-04シーズンにはラフエンテからレギュラーの座を奪い、チームのUEFAカップ(現在のUEFAヨーロッパリーグ)出場権獲得(リーグ5位)に貢献した。この活躍が評価され、2004年4月26日にはクラブとの契約をさらに4年間延長した。しかし、2005-06シーズン以降は再びラフエンテとの激しいポジション争いが続いた。
2007年夏にラフエンテがRCDエスパニョールへレンタル移籍した後も、ゴルカ・イライソスの加入によりアランスビアは余剰戦力と見なされるようになった。2007-08シーズンにはイライソスが重傷を負った際でさえも出場機会を得られず、代わりにカディスCFからレンタル移籍で加入したベテランのアルマンド・リベイロがゴールを守ることになった。
3.1.2. デポルティーボ・ラ・コルーニャ
2008年7月13日、アランスビアはデポルティーボ・ラ・コルーニャにフリートランスファーで加入した。移籍後すぐにUEFAインタートトカップ2008で優勝し、UEFAカップの出場権を獲得した。2008年10月2日に行われたUEFAカップ1回戦のSKブラン戦では、PK戦で3本のPKをセーブする大活躍を見せ、チームをグループステージ進出に導いた。2008-09シーズンのラ・リーガでは、出場停止による1試合を除いて37試合に先発出場し、リーグ3位の47失点に抑えるなど奮闘し、正ゴールキーパーとしての地位を確立した。
2010-11シーズンは開幕前の負傷により最初の6試合を欠場したが、その後は再びレギュラーに返り咲いた。2011年2月20日に行われたUDアルメリア戦(1-1の引き分け)では、後半アディショナルタイムのコーナーキックのチャンスに相手ゴール前に上がり、ヘディングシュートを決めて同点に追いついた。これはラ・リーガ史上、ゴールキーパーがPKやFK以外の流れの中から得点を記録した初の快挙であった。しかし、このシーズン、チームは得点力不足に苦しみ、アランスビアをはじめとする守備陣の奮闘もむなしく、リーグ18位に終わり2部への降格を経験した。
3.1.3. アトレティコ・マドリード
2013年8月、アランスビアはアトレティコ・マドリードへの移籍が決定し、契約期間は1年間であった。ここでは、正ゴールキーパーのティボ・クルトゥワのバックアップとしての役割を担った。同年12月11日、UEFAチャンピオンズリーグのFCポルト戦で移籍後初出場を果たし、ジョズエのPKをセーブするなど活躍し、2-0での勝利に貢献した。
翌2014年2月8日、クルトゥワの負傷により、UDアルメリア戦でラ・リーガでの出場機会を得た。しかし、この試合の終盤にジョナタン・ゾンゴへのファウルで退場処分を受け、チームも0-2で敗れた。アトレティコでの公式戦出場は、このシーズンを通じてわずか5試合に留まった。
3.2. 代表経歴
アランスビアは、スペインの年代別代表で重要な役割を担い、国際舞台で数々の成功を収めた。
1999年にはU-20スペイン代表としてナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場し、決勝で日本を破って優勝を経験した。翌2000年にはU-23スペイン代表としてシドニーオリンピックに出場し、銀メダルを獲得した。これらの大会では、後にスペイン代表の正ゴールキーパーとなるイケル・カシージャスが2歳年下ながらチームにいたにもかかわらず、アランスビアが正ゴールキーパーを務めていた。
A代表での出場は限られていた。2004年6月5日、ヘタフェで行われたアンドラ共和国との親善試合で、サンティアゴ・カニサレスとの交代で途中出場し、スペイン代表デビューを果たした。また、UEFA欧州選手権2004には第3ゴールキーパーとして選出された。ユース時代とは対照的に、A代表ではカシージャスの壁が厚く、国内屈指の実力者でありながらも代表での出場機会には恵まれなかった。
4. 指導者経歴
プロサッカー選手を引退した後、アランスビアは指導者としてのキャリアを開始した。2016年夏には、SDアモレビエタでアイター・ララサバル監督の下、ゴールキーパーコーチに就任した。その3年後の2019年5月28日、かつてのチームメイトであるホセバ・エチェベリアが監督を務めるアスレティック・ビルバオBのゴールキーパーコーチとして、古巣に戻った。
5. 個人成績
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 大陸大会 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
アスレティック・ビルバオ | 2000-01 | ラ・リーガ | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
2001-02 | 8 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | ||
2002-03 | 25 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | ||
2003-04 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 34 | 0 | ||
2004-05 | 37 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 42 | 0 | ||
2005-06 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | ||
2006-07 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 | 0 | ||
2007-08 | 10 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 | ||
合計 | 162 | 0 | 23 | 0 | 4 | 0 | 189 | 0 | ||
デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 2008-09 | ラ・リーガ | 37 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 47 | 0 |
2009-10 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | ||
2010-11 | 32 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 1 | ||
2011-12 | セグンダ・ディビシオン | 38 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 38 | 0 | |
2012-13 | ラ・リーガ | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 | |
合計 | 178 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | 188 | 1 | ||
アトレティコ・マドリード | 2013-14 | ラ・リーガ | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
合計 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | ||
キャリア通算 | 341 | 1 | 26 | 0 | 15 | 0 | 382 | 1 |
6. タイトル

6.1. クラブ
- CDバスコニア
- テルセーラ・ディビシオン: 1997-98
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- UEFAインタートトカップ: 2008
- セグンダ・ディビシオン: 2011-12
- アトレティコ・マドリード
- ラ・リーガ: 2013-14
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝: 2013-14
6.2. 代表
- U-20スペイン代表
- FIFA U-20ワールドカップ: 1999
- U-23スペイン代表
- 夏季オリンピック銀メダル: 2000