1. 概要
ティエリ・テュソー(Thierry Tusseauティエリ・テュソーフランス語、1958年1月19日生まれ)は、フランス出身の元プロサッカー選手である。主にディフェンダー、特に左サイドバックとして活躍した。FCナント、FCジロンダン・ボルドー、ラシン・クラブ・ド・フランス、スタッド・ランスといったフランスの主要クラブでキャリアを築き、合計466試合に出場し18得点を記録した。また、フランス代表としても22試合に出場し、1984年のUEFA欧州選手権優勝、1986年のFIFAワールドカップで3位入賞に貢献した。
2. 生い立ち
ティエリ・テュソーは1958年1月19日に、フランスのヴァル=ド=マルヌ県ノジャン=シュル=マルヌで生まれた。
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3. クラブ経歴
ティエリ・テュソーは、プロサッカー選手としてのキャリアを通じて複数のフランスのクラブに所属し、重要な役割を果たした。
1977年から1983年までFCナントでプレーし、237試合に出場して12得点を挙げた。ナント在籍中には、1976-77シーズン、1979-80シーズン、1982-83シーズンにリーグ・アンの優勝を経験している。
1983年から1986年にはFCジロンダン・ボルドーに移籍。92試合に出場して3得点を記録し、ここでも1983-84シーズンと1984-85シーズンにリーグ・アンで優勝を果たした。
その後、1986年から1988年まではラシン・クラブ・ド・フランス(1987年にマトゥラ・ラシンへ改称)でプレーし、49試合に出場し11得点を挙げた。
キャリアの終盤には、1988年から1991年までスタッド・ランスに所属し、88試合に出場して2得点を記録した。
プロキャリア全体では、公式戦で通算466試合に出場し18得点を挙げた。
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
1975-1983 | ナント | 237 | 12 |
1983-1986 | ボルドー | 92 | 3 |
1986-1988 | ラシン | 49 | 11 |
1988-1991 | ランス | 88 | 2 |
総計 | 466 | 18 |
4. 代表経歴
ティエリ・テュソーは、1970年代から1980年代にかけてフランス代表として国際舞台で活躍した。
彼はフランス代表として通算22試合に出場したが、得点は記録していない。主な功績としては、自国開催となった1984年のUEFA欧州選手権でチームが優勝した際のメンバーであったことが挙げられる。この大会では2試合に出場した。
また、1986年のFIFAワールドカップにもフランス代表の一員として出場し、チームの3位入賞に貢献した。この大会では4試合に起用されている。
5. タイトル・栄誉
ティエリ・テュソーは、そのキャリアを通じてクラブとフランス代表の双方で数々のタイトルを獲得し、栄誉を得た。
5.1. クラブ
- ナント
- リーグ・アン: 1976-77, 1979-80, 1982-83
- ボルドー
- リーグ・アン: 1983-84, 1984-85
5.2. 代表
- UEFA欧州選手権: 1984
- FIFAワールドカップ: 1986年大会 3位
6. プレースタイルとポジション
ティエリ・テュソーは主にディフェンダーとしてプレーし、特に左サイドバックを専門としていた。彼のプレースタイルに関する詳細な記述は少ないが、安定した守備とチームへの貢献が評価されていたことが、強豪クラブやフランス代表での起用歴からうかがえる。
7. 評価と遺産
ティエリ・テュソーは、フランスサッカー界において、特に1970年代後半から1980年代半ばにかけての重要な選手の一人として評価されている。FCナントとFCジロンダン・ボルドーという当時のリーグ・アンを代表する強豪クラブで複数回リーグ優勝を果たし、その守備陣の要として活躍した。
また、ミシェル・プラティニらを擁し黄金期を迎えていたフランス代表の一員として、1984年のUEFA欧州選手権優勝という歴史的快挙に貢献し、さらに1986年のFIFAワールドカップでの3位入賞にも貢献したことは、彼の選手としての実績と影響力の大きさを示唆している。彼の堅実なプレーとチームへの献身は、所属クラブおよび代表チームの成功に不可欠な要素であった。